002.My lovery dog


 そいつは、始めから良くオレに懐いていた。

 どこへ行くにも煩く鳴いて付いて来て、高い所へ退避すると酷く不満そうな顔をしてやっぱり鳴いた。
 煩い、とにかく煩い。

 ……けれど、決して嫌いな存在ではなかった。
 

「なー海馬海馬ー、そんな所にいねーでこっち来いよー!」
「しつこい上に喧しいぞ凡骨っ!付いてくるな!」
「ヤダ。遊ぼうぜー!」
「オレは昼寝の時間だ!」
「じゃ、一緒に昼寝しよ」
「断る。貴様は寝像が悪過ぎて安眠出来ん」
「今日は気を付けるからー」
「その台詞は100回以上聞いたわ」
「今度は絶対大丈夫だって。なーなーなーなー!!」
「煩いと言っている!近所迷惑だろうが!」
「そんなのかんけーねーもん。あんま意地悪すっと遊戯に言い付けるぞ」
「フン、その言葉が通じたらな。精々努力してみるがいい」
「よーしみてろよー!」

 今日も今日とてオレは少し高い位置にある出窓の内側で、温かな太陽の光を全身に浴びながら常なる日課である惰眠を貪ろうとしていた。夏も終わり秋も深まってきた所為か徐々に傾いてきた日差しが丁度良く、ついつい長居をしてしまうのだが、最近は眼下でキャンキャン吠える馬鹿犬の所為でそれすらもままならない。今も吠えるだけ吠えた後自らの「遊戯に言い付ける」という言葉を実行すべく、転がる様に走って部屋を出て行った。

 全く、足が短いのだから落ち着いて走らんか。

 そうぽつりと呟いた声も、当然ながら一つの事に夢中な奴には届いてはいないだろう。尤も、落ち着いていた所でなかなか上手く意思の疎通など出来ないのだが。

 ちなみに、今更だがオレは猫である。

 生まれてからずっと……というか、オレの親の代からこの武藤家に世話になっている正真正銘の飼い猫だ。親にも他の兄弟にも似る事がなく、唯一全身混じり気のない真っ白な毛を持って生まれた為に、酷く人の目を引くらしい。対照的にオレの弟であるモクバはほぼ漆黒に近い色の毛を持つ黒猫だ。同じ兄弟でも全然似ていない。……まあ、そんな事はどうでも良かったが。

 とにかく、オレ達兄弟はここ武藤家でそれなりに大切にされて育てられた。母猫はオレ達を産んで直ぐに死んでしまい、そのお陰で主たる飼い主である遊戯には余計に溺愛されていた。それがどうと言う訳ではないが、兎に角その扱いは人間の世界で言う『箱入り息子』そのものだった(何故オレがこんな言葉を知っているかというと、暇潰しに良く見ているテレビの情報によるものだ)

 そんな他人の目から見れば幸せな、別の意味では退屈な毎日を過ごしていたある日、その生活に大幅な変化が訪れる。

 武藤家に小さな柴犬が一匹、家族として加わったのだ。

 その犬の名は城之内。なんでも遊戯の親友とやらに姿がとても良く似ている事からこっそり拝借したそうだが、相変わらず安直な名前の付け方をするものだ。相変わらず、というのは、その実オレの名前も同じ様な経緯で付けられたものだからだ。何が普通かは余り良く分からないが、一般的な猫や犬の名前とはタマとかポチとかそういう系ではないだろうか。全く、遊戯の考える事は良く分からん。

 オレはどうにも気に入らんから奴の事を勝手に凡骨と呼んでいる。以前与えられたほねっこを寝るまで離さなかった事に由来する名だ。こちらの方がよほどアレに相応しいと思う。

 ……そんな訳で、生まれて目も開かない内から親元を離れて一人……否、一匹ここにやってきた城之内……もとい凡骨は、当然ながら同じ獣であるオレに目を付けた。モクバが常にオレと共に行動し、仲睦まじくしていたのを良く見ていたからかもしれない。結果、先程の様に四六時中付き纏われる事になったのだ。

 まぁ、それはいい。相手はまだ子供だし、多少の事は大目に見てやる。見てやるが、所詮オレ達は猫と犬だ。生活パターンも行動範囲も何もかもが違う。けれど奴にはそれが理解出来ないらしく常に同じ事をしたがるし、こちらにも要求してくる。そのしつこさは兄弟であるモクバの比ではない。

 結果、先程の事の様になるのだが、それももう慣れてしまった。
 慣れてしまえば、もうどうという事はない。

 

「あれ?兄サマ、城之内は?」

 数分後、庭の方へ遊びに行っていたモクバが額に小さな葉の屑を付けて、少しだけ開けてある窓の隙間から入ってきた。甘える様にオレの鼻先に額を擦り付け、ちょこんと隣に腰を下ろすと小首を傾げてそう聞いてくる。そんな弟のやや乱れた毛並を柔らかく舌で舐めてやりながら、オレは微かに鼻を鳴らして「知らん」と素っ気なく言ってやった。

「凡骨はいつもの如く遊戯の所だろう。帰ってこない所を見るとのんびりしているのではないか」
「え?遊戯はいないぜ?さっき鞄背負って出て行ったし」
「そうなのか?ならばジジイの所にでもいるのだろう」
「遊戯のじーちゃんはお店だぜぃ。ママさんは買い物に行ってるし」
「……なんだと?では何処に行ったのだ」
「また迷ってるんじゃないの?」
「この狭い家でか」
「この間みたくソファーの後ろに挟まってるのかも」
「まさか。そこまで間抜けではあるまい」
「やだなぁ、兄サマ。城之内を舐めちゃいけないぜぃ」

 この間なんか、水皿に入って遊んでたんだからな!馬鹿だよなーあいつ!

 あはは!と至極楽しそうに笑うモクバの顔を見ながらオレは心底うんざりした溜息を吐いた。……そうだ、あいつは他に類を見ない馬鹿犬だった事を忘れていた。そもそも犬と猫の違いすら明確に分からない様な馬鹿だった。おかしい……犬は賢い生き物ではなかったのか?

「兄サマ、捜してきてあげたら?」

 ひとしきり毛づくろいを終えてやると、満足そうに目を細めて欠伸をしたモクバが可愛らしい顔をこちらに向けてそう進言してくる。嫌だ、面倒臭い、と即答してやろうと思ったが、何気に城之内の事を気に入っているらしい彼は、それを良しとしないのだ。

「お前が捜しに行ってやればいいだろう」
「オレが行くと二度手間になる事が多いじゃん。だったら最初から兄サマが行った方が早いよ。それにあいつ、兄サマに捜しに来て貰うの待ってるんだぜ?」
「は?」
「あれ、兄サマ気付かなかった?ニブイぜぃ!」

 ── どういう意味だ?!

「やだなー兄サマもいい大人なんだから、ちゃんと察してあげなきゃ駄目だよ」

 何でもいいから早く早くっ、といつの間にかオレが捜しに行く事を決めてしまったモクバが急かす様に上に乗って来るので、オレは仕方なく立ち上がり、嫌々ながら心地の良いその場所から飛び降りた。何故オレがこんな事を……あの馬鹿犬め、本っ当に世話が焼ける!

 イライラしながらふかふかの絨毯の上を越え、然程長くも無い廊下を走り、各部屋を素早く見て回る。オレやモクバは階段も軽く昇れるが、あの足の短い馬鹿犬はまだ二階には上がれない事をこの目で見て知っているからそこは敢えてスルーした。

 ……何処にもいない。よもや風呂場で溺れているのではあるまいな、などと危惧をし始めたその時、どこからか微かな犬の鳴き声が聞こえた。あのトーンの高い落ち着きのない響きは間違いなく凡骨のものだ。注意深く辺りを見回しながらその声の方に近付いて行くと、奴は間抜けな事に台所にある勝手口付近の一段低くなっている場所にハマって登れなくなっていた。ゴミ箱の横に座って鳴いている姿は間抜けな事この上ない。

「……おい凡骨、貴様こんな所で何をしているのだ」
「あっ、海馬!来てくれたのかっ!」
「だから何をしていると聞いている」
「遊戯を探してたら落ちちまってよー。登れなかった!助けてくれー」
「そこに近付くなと遊戯に言われなかったか?」
「そうだっけ?」
「馬鹿犬が!」
「そんな褒めんなよー照れるじゃねぇか」
「褒めてないわっ!!」

 いいから早くこっちに来てくれよー!と何故か尻尾をちぎれんばかりに振りながら目を輝かせるその様子に、オレはもう何か言う事は諦めた。所詮馬鹿には何を言っても通じないのだ。労力を使うだけ無駄な事だ。

 凡骨の首根っこを咥えて、力任せに引き上げる。これがモクバなら軽いのだが、奴は最近無駄に餌を食べまくる所為で物凄く重い。大きくなったというよりも丸くなったのだ。そろそろ体重では負けてしまうだろう。というか、多分もう負けている。

「お、元に戻った。サンキュー海馬!」

 やっとの事でコロコロに太った馬鹿犬を台所の床にまで引き上げて転がしてやると、奴は嬉しそうにとび跳ねながらオレの廻りをぐるぐる廻る。ええい鬱陶しい!落ち着きがないから直ぐに訳のわからん場所に落ちたり嵌ったりするのだ!学習しろ!学習を!

「走り回るのはやめろ鬱陶しい!大体貴様重過ぎるぞ!食べ過ぎだ!」
「成長期って言ってくれよ。オレ、もっともーっと大きくなるんだからさ!」
「身体よりもまず中味を成長させんか!良く考えて行動しろ!」
「無理。考えるの嫌い」
「………………」
「んでもありがとな!助かったぜ。待ってれば絶対お前が来てくれると思ったし!」
「……計画的犯行だとモクバからは聞いたが?」
「?けいかくてき?」
「……いい。全く考え無しなのは分かった」
「オレが大きくなったらさ、今度はお前を助けてやっからな!」
「フン、このオレが貴様の様な駄犬ごときに助けられる事があるとは思えんがな」
「そんなの分かんないだろっ」

 めちゃくちゃカッコよくなるかもしんないし!

 そう言って何故か得意気な顔で胸を張る凡骨に、オレは思わず噴き出して、まぁ精々頑張る事だな。と告げてやった。すると奴はやっぱり嬉しそうな顔をして、再び元気に駆け回っていた。……駄目だこいつは。

「……時間の無駄だった。帰って寝る」
「うん。オレも帰る」
「貴様は窓辺に登って来れんだろうが」
「海馬が下にくればいいじゃん」
「断る。オレはモクバと眠るのだ」
「モクバばっかりずるいだろ!オレも混ぜろよ!混ぜないと混ぜてくれるまでずーっと床で鳴くぞ!鳴くどころか吠えてやるっ」
「煩いわっ!」

 なんだこいつは。それで脅してるつもりなのか?

 ウザい、ウザすぎる。誰かなんとかしてくれこの馬鹿犬を!

「……もういい、好きにしろ」
「好きにするもーん」

 もう何もかもが面倒臭く、さっさと背を向けて元の部屋に帰るオレの後ろを……というか前後を忙しなく行き来しながら凡骨が付いてくる。ほどなくしてモクバが待つ居間へと辿り着くと、奴は真っ先にモクバの元へと駆け寄って「皆で下で寝ようぜ!」などと声を掛けた。勿論優しいモクバは断らない。

 ……結果的には何もかも奴の思い通りになるのが癪に障る。

「ここだって十分あったかいじゃん。気持ちいいな」

 出窓の下の辛うじて日が届いている場所に陣取って、オレとモクバを巻き添えにころりと転がった凡骨は許可も得ない内に人の上へと圧し掛り、満足気にそう言った。

 ……重いぞ馬鹿犬!オレを潰す気か!そう訴えた所で聞いてる筈も無く、も即寝息を立て始めた奴は今度は直ぐに反対側に転がった。ほらみろ、貴様の寝像は最悪なのだ。何が大丈夫だ、片腹痛いわ。

「城之内って幸せな奴だよねぇ」
「全くだ」
「こいつさ、大きくなったら兄サマと結婚するとか言ってたぜぃ」
「……正真正銘の阿呆だな。犬と猫、オスとオス、さらに年の差でどうするというのだ」
「それだけ兄サマが好きだって事だよ」
「フン、下らん」
「でもさ……皆ずっと一緒にいられたらいいよね」

 耳元に顔を寄せたモクバが余りにも嬉しそうにそう言うので、あからさまに否定も出来ず、オレはただ黙って顔を伏せて身体を丸めて目を閉じた。途端に蹴り飛ばされる反対側の脇腹に反射的に顔を向けると、再び凡骨の間抜け面がドアップで現れた。本当に、なんだこいつは。

 けれど駄犬に何を言っても仕方がない。溜息と共にそう心の中で呟くと、オレは湿った奴の鼻先をぺろりと舐めて、前足で小さく額を叩く程度で我慢した。

 その衝撃に小さく立てた鳴き声が、何故か酷く可愛らしいと思った。

 ……全く、どうしようもない馬鹿犬だ。まあ、嫌いではないがな。

 心の中で呟いたその声は、どういう訳が後日奴の元へと伝わって、纏わり付きがエスカレートするのだが、この時のオレが知る由もなかった。
 

 駄犬の子守も大変だ。


★ 散 | 2011.09.28