海馬兄弟の憂鬱 Act4(Side.モクバ)

『あ、モクバ?今どこにいる?』
「何だよ城之内。電話して来るなんて珍しいじゃん。今って……えーと、学校の帰りだけど」
『じゃー丁度いいや、お前ちょっとそのままオレん家に来い。場所分かるだろ?』
「はぁ?突然何だよ。何か用?兄サマなら……最近全然顔見て無いから分かんないけど、会社にいると思うぜ。そっち当たれよ」
『あーえっと。実はその兄サマをオレのとこで保護してんだ』
「えぇ?どういう事だよ!」
『そのまんまだけど。今隣の部屋で爆睡中。別にオレはこのまんまこいつを泊めてもいいんだけど、問題あるんなら引き取りに来いよ』
「一体、何がどうなって兄サマがお前のとこに……」
『それも詳しく話してやっから、とにかく来い』
「……分かったよ。じゃあ今から行く。車を呼んで……十五分位掛かるけど」
『了解』

 オレが城之内からそんな奇妙な電話を受け取ったのは、兄サマと言い争いをしてから大分経った平日の夕方だった。あれから兄サマとは顔は勿論声すらも聞いてない状況で、兄サマに対して大口を叩いたもののやっぱりちょっと気まずくて、オレは兄サマの前に顔を出す事を躊躇っていた。

 今のままで兄サマと顔を合わせてもオレも兄サマも譲る気がない以上、結局また喧嘩になってしまうと思ったからだ。かと言ってオレは諦めるつもりもないし、兄サマも多分折れてくれるつもりはない。じゃあ一体どうしたらいいんだろうと悩んでいるうちにこんなに時間が経ってしまった。

 城之内の電話で答えた通り、丁度校門から出て直ぐの所を友達と歩いていたオレは直ぐ様そいつに別れを告げて、城之内の家に向かうべく反対方向に向かって走り出した。

 オレが通う私立中学から城之内の住む場所までは結構な距離があったから、ダラダラ歩いていたら真っ暗になってしまう。オレは直ぐに携帯を手に取って家に車を出す様に連絡すると、そのついでに傘を一本持って来る様にと言付けた。

 昼過ぎから降り出した雨は徐々に強さを増して今もオレの制服のズボンの裾を濡らすほどの勢いだ。兄サマがどういう状況で城之内の家に行く事になったのかは分からなかったけれど、多分傘なんか持っていなかったんだろうな、と勝手に思い込んだ結果だった。

 近くにある大型書店の外にあるベンチに座って雨宿りをしながら車を待っていると、直ぐに見慣れた高級車が一台止まった。相変わらず何処に潜んでいるのか対応が早い。ドアが開いて促されるままに乗り込むと、オレは即座に城之内の住所を口にして、そこに行ってくれと強く言った。

 つい最近オレ付きとなった少し年を取った運転手は、その言葉に何も言わずに車を走らせる。車内で他愛の無い学校の話をしながらオレは胸に過ぎる複雑な感情を押さえ込んだ。

 兄サマは何故城之内の家なんかに行ったんだろう。爆睡してるって何だよ。何で人の家で寝ちゃってるの?弟のオレの事は凄く嫌がって避けていた癖に、特に親しくも無い奴の所には簡単に行く事が出来るんだ?兄サマはああ見えて隙が多いから、城之内と変な事になってたらどうしよう。ああもうなんだってこんな事に……。

 幾ら押さえ込もうとしても後から後から浮かんでしまう嫌な想像にオレはなんだか堪らなくなってぎゅっと両手を強く握り締めた。

 力を入れ過ぎて、痛い位に。   
 それから少しして城之内が住むアパートまで辿り着くと、オレは運転手に「後は適当に帰るから。必要だったらまた呼ぶよ」と言って兄サマの分の傘を片手に城之内の部屋へと向かった。余り新しくない、入居件数もそんなに多くない建物だったから、目当ての部屋は直ぐに見つかった。

 少し古ぼけた扉の向こうにある光景を思って凄く嫌な気分になったけど、いつまでもこうしてはいられないから、オレは意を決して扉を叩いた。すると、直ぐに城之内がひょっこりと顔を出す。その顔は、いつもと同じ、しまりのない笑顔だった。

「お、お疲れ。案外早かったじゃん」
「兄サマは?」
「うん?まだ寝てるけど。とにかく中に入れよ」
「お前、兄サマに変な事してないだろうな」
「……あのなぁ。ま、いいから入れ。風邪引くぞ。オレ実は風邪引いてんだ。悪化したくねぇから早く扉閉めて」
「………………」

 開口一番出てきた笑顔にそう刺々しく言ってしまったオレの事を城之内は一瞬呆れた様な顔で見下ろして溜息を吐くと、直ぐにオレの腕を引いて家の中へと引っ張り込んだ。雑然とした玄関に踵を潰したスニーカーが転がっていて、その傍には見慣れた革靴がきちんと揃えて置いてあった。

 兄サマのだ、そう思った瞬間思わず先を行く城之内を睨んでしまう。

「城之内!」
「しー!お前いきなり大声出すなよ。海馬が起きちゃうだろ」
「起きちゃうって、何で兄サマがお前の所で寝てるんだよ!」
「ちゃんと話すから騒ぐなっつーの。海馬、今日学校に来てたんだぜ。そこで偶然会って、まあこういう事になった訳で」
「学校?こういう事?」
「とりあえず座って話しようぜ。オレもお前に言いたい事があるんだ」
「何だよそれ……」
「海馬の様子が見たけりゃ見てもいいよ。寝てるだけだから」

 そう言うと城之内はさっさと目の前の部屋に入ってしまい、オレに座る場所を指し示して何を飲むか聞いて来た。それに適当に答えを返しながら、オレは言われた通り兄サマが寝てるらしい部屋へと向かって、そっと扉を開いて隙間から中を覗いた。

 すると……城之内の言う通り、部屋の窓際に敷いてある布団の中で本当に兄サマは眠っていた。少し覗いた肩の辺りに見える見慣れない白い服に目を瞠ると、それを後ろで見ていたらしい城之内が「あ、それオレの貸したんだ」と事も無げに言い放った。

 ……貸したって何だよ?!お前、ホントに兄サマに何やったんだ!?

 そう叫びたいのをぐっと堪えて扉を閉めた後城之内を睨んでやると、奴は特に気にもしないでいつもの笑顔を見せつつオレにジュースを差し出した。そして自分の定位置らしい場所へと座ってしまう。

「な?ぐっすりお休み中だろ?なんか最近あいつさっぱり眠れなかったみたいで、寝不足だって言ってたから少し寝かせてやろうぜ。その内起きんだろ」
「お前……」
「言っとくけど、オレ海馬に何もしてねぇからな。お前がそうだからって人も皆そうだと思うなよ。はっきり言って超失礼だぞそれ」
「え……。な、なんでそんな事……」
「話してやるからそこに座れ。学ラン、窮屈なら脱いだ方がいいぞ」

 そう言って自分も同じジュースの缶を手にしていた城之内は、プルトップを開けて中身を一気に飲み干した。少し上向けた顔が元の位置に戻る頃、その顔からはさっきの優しい笑みは消えていた。そして、怒った風に眉を寄せる。

 その表情の意味が分からなくてオレは口を噤んでしまう。

 暫くの間、狭い部屋には大きな雨音だけが響いていた。   
「……で、何なんだよ」
「そんな怖い顔すんな。オレに凄んだってしょうがねぇだろ。大体誰の所為で海馬がここに来る事になったと思ってんだよ。オレ、アイツから全部聞いたんだぞ」
「え……兄サマ、お前に話しちゃったの?!」
「まぁ無理矢理聞いた様なもんだけど。悩んでたみたいだったから」
「……そっか」
「何をどう思って手を出しちゃったは知らねぇけど……多分海馬の方も無意識で炊きつける様な事をしたんだろうから、お前も悪いって思いっきり叱っておいた」
「………………」
「でも一番悪いのはモクバ、お前だと思う。兄貴に手ぇ出すか、普通?」
「だって!」
「だってじゃねぇよ。合意ならまだしも不意打ちとかありえねぇだろ。そりゃお前海馬だってビビるだろうよ」
「う……そ、そうだけど。でも兄サマは」
「抵抗されなきゃいいってもんでもないと思うけど。つか、お前相手にあいつが力づくで何か出来ると思う?」
「……やっぱり、出来ない、かな」
「分かっててやった癖に」

 お前って案外ズルイ奴だよな。そう言って、城之内は手にしたジュースを再び煽る。コン、という小さな音を立ててテーブルに戻されたそれは既に空だったのかそのまま倒れて転がった。気になって、オレが手を伸ばすより早く城之内の手がそれを取り上げてゴミ箱に放る。その動きを目で追いながら、オレは次に言う言葉を見失って口を噤んだ。
 

『ねぇ、どうしてちゃんと抵抗しないの?』
 

 オレはあの時本当はそんなつもりはなかったけれど、やっぱりどこかで兄サマのオレに対する甘さとか隙とかを利用してしまったんだと思う。強引に事を進めてしまえば兄サマがオレに対して力で抵抗して来る事はないと分かってたし、実際兄サマは抵抗らしい抵抗をして来なかった。どうして?と一応聞いてはみたけれど、答えは返って来なかった。

 あの時の兄サマが何を考えていたのかなんて分からないけど、もし本当に嫌でオレから真剣に逃げる素振りを見せたならオレだってそれに逆らってまで先に進める事なんてしなかった。物理的にも出来なかったと思う。けれど、兄サマは……言い訳だって言われるかも知れないけど、オレの好きにさせてくれたんだ。

 だから、オレは。

「……兄サマは、何か言ってた?」
「何かって?」
「アレが凄く嫌だったとか、もうオレの顔を見たくない、とか……」
「………………」
「オレ、これでも必死に我慢してたんだ。我慢っていうか、最初は何かの間違いだと思ってた。お前の言う通り、兄サマに手を出すなんて有り得ないと思ったし、そういう気持ちを持つ事自体凄く悪い事なんだって分かってるつもりだった」
「うん」
「でも、兄サマとエッチする夢を何回も見る様になって。そんな夢ばっかりみてたら、現実でも兄サマをそういう目で見ちゃって……段々苦しくなってきて。けど、そんな事兄サマには言えないから黙ってなるべく考えない様にって距離を置いてたんだけど、そんな事を知らない兄サマは、オレが反抗期か何かで自分を避けてるんだって勘違いして。それであの日、その事を問い質しに、寝る前にパジャマでオレのとこに来たんだ。パジャマだよ?それで話の成り行き上抱きしめられちゃったりしたら……」
「まぁ、好きな子がそんな事して来たら、限界突破するよな。男なら」
「分かる?!」
「そりゃ分かるけど、対象とやり口が問題だっつってんの。兄貴泣かせてどーするよ」
「……もう兄サマ、一生オレと口利いてくれないかも……」

 段々と勢いを無くして行く言葉が、雨音に紛れて消えて行く。オレは城之内に話をしながら、改めて自分がしてしまった事の身勝手さと重大さを噛み締めていた。良く考えたら凄い自分勝手な話だよな。一人で勝手にそういう気持ちになって、相手が何気なくしてきた仕草に煽られたからしちゃいました、なんて。そりゃ兄サマも吃驚するよね。どうしたらいいか分からなくなるよ。

 でもあの時のオレはそんな事を考えてる余裕なんて全然無かったんだ。こんな事になるなんて本当に予想も付かなかったし、兄サマがあんなに傷つくとも思ってなかった。もっと凄く軽い……この認識自体が間違ってるとは思うんだけど……大した事ない事なんだって、そう、考えて。だから少し時間が経っても理解してくれない兄サマに苛立ったりして、八つ当たりして。

 オトナになったなんて偉そうな事言ってたけど、やっぱりオレはまだまだ子供で。結果を予測出来ない駄目な奴なんだ。どんなに反省したところで、もう遅過ぎる事なんだけど。そして反省している筈なのに、やっぱりまた兄サマに触れたいと思ってる。抱きしめて、キスをして、セックスしたいって思ってしまう。

 深い深い溜息が零れ落ちる。これから先、オレはどうしたらいいんだろう。兄サマに謝れば済む事なら幾らだって謝るけれど……問題は兄サマが許してくれるくれないじゃなくて、どうしても消えない、兄サマに対するこの気持ちをどうすればいいのか。

 押さえつける事なんて出来ないよ。

 それがそんな事を考えて、きつく唇を噛み締めたその時だった。それまでじっと黙ってオレを見ていた城之内が、少しだけ表情を緩めてそして声の調子まで優しく変えて口を開いた。

「……海馬は、別にお前にヤられた事自体はそんなに気に病んでなかったぜ。あいつが悩んでたのはモラルの問題」
「え?」
「可愛い弟が、自分の所為で変な道に走っちまったって。これからどうすればいいのか分からないって」
「……嫌がって、なかった?」
「勿論本当の所は海馬じゃねぇからどうか分かんねぇけど、オレが見る限りはそう見えたね。後、お前の悪口は一言も言わなかったぜ。当然顔を見たくないとか、そんな事も一切言ってない」
「………………」
「要は話し合いだな。どうすればいいか、二人で話し合え。それは他人に聞く事じゃねぇだろ。自分達がどうしたいかだろ。ちゃんと顔を付き合わせて、真剣にやってみろよ」
「でも兄サマは、オレと何を話しても無駄だって」
「前は駄目だったかもしんないけど、今は多分大丈夫だろ。お前だってちゃんと分かってるみたいだし」
「そう、かな」
「そうだよ。ちなみに、オレは別にお前等の事をちょっと特殊だと思うけど、別にすげぇ変だとも思わない。元々の環境が環境だし、好きになっちまったもんはしょうがないよな」
「……城之内」
「ま、周囲に迷惑かけなきゃー別にいいんじゃね。上手くやれよ。……と言う事で。今日は兄サマお持ち返ってちゃんと話をする事。OK?」
「……分かった」
「よし。じゃー海馬起こして来いよ。もう四時間位寝てるから丁度いいだろ」

 言いながら近くにあったビデオデッキを指差して城之内がにこりと笑った。その笑顔には、もう数分前までの咎める様な厳しさはなく、いつものちょっと気の抜けたあいつの顔だった。けれどオレはその笑顔に心の底からほっとした。分かってくれた。その事が、凄く凄く嬉しかった。

 城之内の声に押される様に手にしたジュースを一気に飲み干したオレは、まだ隣で眠ってるだろう兄サマを起こす為に立ち上がり、隣の部屋へと歩いて行く。そんなオレの背中に、城之内は半分笑いを堪えながら楽しそうにとんでもない事を言って来た。

「しっかしお前の兄サマ、普段は物凄くガードが硬い癖に弱ると駄目過ぎ。こんなに簡単に他人の家に上がりこんで素直に寝るとかするなって、ちゃんと教えておけよ。オレは超紳士的だから一緒に寝ても何とも思わないけど、そうじゃない奴に捕まったらヤバイぞこれ」
「い、一緒に寝たってなんだよ!」
「うん?布団一組しか無かったから一緒に昼寝したんだ。いいだろー羨ましい?」
「お前、やっぱり兄サマに変な事したんだろ!」
「してないしてない。強いて言えば海馬が抱きついて来た事位?抱きつかれちゃー応えないわけには行かないよなー」
「兄サマがそんな事するかよ!」
「そんなムキになんなよ、冗談だから。何にもしてませんって」
「城之内ッ!」
「お前等兄弟ってほんっと面白いよなー飽きない飽きない」

 何がそんなに面白いのか、腹を抱えて笑い転げる城之内を完全に無視する形で、オレは兄サマがいる部屋へと足を踏み入れた。分厚い遮光カーテンが引かれたままのとても薄暗いその部屋で、こんな騒ぎにも関わらずぐっすりと眠り込んでいる兄サマの傍に寄ったオレは、暫くその寝顔を眺めていた。
 

 余りにも無防備で穏やかな、その寝顔を。

 

2


 
 手に取っただけで、特に見る気もない雑誌をパラパラと捲る。店内に流れる静かな曲調の流行曲はまた強く降り出した雨音に掻き消されてメロディすら途切れ途切れにしか聞こえなかった。オレは自然と強張る肩を息を吐いて解しながら、硝子の向こうにある真っ暗な外の世界を見る。兄サマの姿は、まだ見えない。

 兄サマの返事も聞かないでただ一方的に待ってると口にして、あの部屋を出て来てしまったけど、兄サマはちゃんと来てくれるんだろうか。まだオレと向き合う事に躊躇していて、城之内の所から出て来れないでいるんだろうか。

 ……不安だ。どうしようもなく不安になる。
 

『……海馬は、別にお前にヤられた事自体はそんなに気に病んでなかったぜ』
 

 城之内はああ言ったけれど、本当の所は兄サマにしか分からない。これから二人で話し合って「凄く嫌だった」と言われてしまえば、オレはそれでも、と食い下がる事は多分出来ないと思う。兄サマを抱きたいとは思うけど、その所為で嫌われたり、ましてや避けられたりするのは凄く辛い。

 実際この数日間はオレだって眠れなかった。……半分は悩んで、というよりも身体の問題だったんだけど。

 あれから一人で処理をしようとしても、自分の手だけじゃ全然物足りなくなってしまって、幾らやってもちっとも満足する事が出来なかった。年が年だから回りの連中ともあけすけに話をして、どうやったら一番気持ちがいいのか、とか、病みつきになる方法とか色々聞いたけれど、どれもオレには当てはまらなかった。

 その話を聞いてオレが思ったのは「兄サマにしてあげたいな」っていう事ばかりだ。そんな時までオレの頭の中は兄サマで一杯だったんだ。避けられてるのに、嫌がられたかもしれないのに、全然諦められなくて、苦しくて。本当にどうにかなってしまいそうだった。
 

 今、この瞬間も。
 

「いらっしゃいませ」

 不意にこの天気で余り人の出入りがなく静かだった店内に、店員の少々投げやりな声が響き渡る。ついで近づいて来た鈍い水音交じりの足音に、そしてそれがオレの横でピタリと止まった事に少しだけ気になってふと顔をあげる。すると、そこに立っていたのは前髪から少し雫を垂らした兄サマだった。

「……!兄サマ!」
「外は酷い雨だぞ。車を呼んだから、じきに来るだろう。もう少し待て」
「一緒に、帰ってくれるの?」
「お前はオレを迎えに来たんだろう?凡骨にも追い出されたし、帰るしかないだろう」

 そう言って兄サマはそれ以上何も言わずにオレの横に立って同じ様に雑誌を手に取って眺め始めた。少しだけ着崩した紺の学ランはその頭と同じ様に肩の部分が少し濡れて、染み込まずに弾かれた水滴がキラキラと光っていた。こうして並ぶと昔はとても遠く感じたその横顔も、今は大分近くにある。

 店内の明るい照明を受けてさっきよりも大分鮮明に見えるそれは凄く綺麗でカッコ良かった。レジに立って手持ち無沙汰にしていた女店員もさっきからじっと兄サマを見ている。

 兄サマはそういうのに凄く鈍いから気にもしないだろうけど、オレはそれが気になってイライラする。気付けば兄サマはいつもそういう視線に晒されていて、今まではどうしてそれでオレが嫌な気分になるのか全然分からなかったけれど、今ならその理由が凄く良く分かるんだ。

 オレは兄サマが好きだから、独り占めしたいんだ。他の奴に取られたくなんか無い。見られるだけだって本当は我慢できない。

 好きで、本当に好きで。好きだからこそ、抱きたいって、そう思って。

「モクバ」
「えっ?あ、何?」

 兄サマの横顔を雑誌の隙間から眺めながらオレがそんな事を考えていると、不意に何時の間にか空になった手で髪をかき上げながら兄サマがオレを見て名前を呼んだ。それに一瞬ビクッとして少しだけ裏返った声で答えを返すと、兄サマは特に表情の変化もないまま、抑えた声でこう言った。

「車が来た。行くぞ」

 それにオレがうんともはいとも言わない内にさっさと背を向けて歩き出す。余りにも素っ気無いその態度。兄サマは、やっぱりオレの事を許せないままなんじゃないか。これから例え話をしたとしても、余り上手く行かないんじゃないか。また決裂してしまって、今度こそ修復出来なくなるかもしれない。先を行く線の細い背中を追っていると、そんな事ばかり考えてしまう。

 自動ドアが開き、店員の名残惜しそうな挨拶が雨音に掻き消される。それきり一度もオレを見ないまま、兄サマは横付けされた車の中に乗り込んだ。ざぁざぁと横殴りに叩きつける雨。オレも車内に入らないと。けど、中には兄サマがいる。
 

 オレは、隣に座ってもいいんだろうか?
 

 そんな戸惑いがオレの足を縫い止めて、雨の中に留まらせる。直ぐだから、ときっちりと窄めてしまった傘を片手にどこか呆然と目の前の車を見ていると不意にオレ側のドアが勢い良く開いた。そして鋭い怒鳴り声と共に兄サマの手がオレの腕を強く掴んだ。

「何をしているモクバ!早く中に入れ!」

 ぎゅ、と痛いほど握り締められる手。不意打ちに思い切りバランスを崩したオレはそのまま車内にいる兄サマの腕の中に倒れこむ形になった。頬と頬が一瞬触れ合い、その滑らかさと冷たさに心臓が跳ね上がったオレは、直ぐに兄サマから離れようとした、けれど、それは出来無かった。凄く不自然な体制だったけれど、兄サマがそのままの状態でオレを車内に引きずり込んだからだ。

 バタン、とドアが勢い良く閉まる音がする。同時に兄サマは運転手に発進の指示をした。

 雨の中、車は滑る様に狭いコンビニの駐車場を抜けて走り出す。城之内の家と海馬邸までは丁度学校を挟んで正反対の位置にあったから、車でも結構な時間が掛かる。……その間、オレは兄サマとこんな状態で二人でいなければならないんだろうか。それはある意味、拷問だ。

「ご、ごめん兄サマ。離れるから、もう少し向こうに行って」

 今のオレは、兄サマに無理矢理引っ張られて車に乗った様なものだから、殆ど兄サマの上に圧し掛かる様な状態になっていた。辛うじて膝はシートの上に乗ってはいたけれど、上半身は兄サマの肩に完全に寄りかかってる状態で、顔と顔が凄く近い。

 兄サマもオレを引っ張り込んだのは多分雨の中に立って濡れ鼠になった事を厭っての事だったろうし、こんな状態に置かれるのは多分、凄く嫌なんじゃないかと思ったんだ。だからオレは、本当はずっとこのままでいても良かったけれど敢えてそう言って兄サマの肩を押した。けれど兄サマは、その状態のまま動く事はしなかった。

「に、兄サマ?」
「……何故、直ぐに車に乗らなかった?こんな雨の中に立ち尽くして、お前はあの一瞬に何を考えたのだ」
「え?」
「オレがお前を避けたからか?」
「………………」
「……そうか。悪かった」

 そう言うと兄サマは、今度は少し身体をずらしてオレが座る場所を作ってくれた。ゆっくりと離れて行く兄サマの顔。動く一瞬に目の前に迫った顔は、少しだけ泣きそうな表情をしていた。

 うわ、ズルイ。……どうしてそこでそんな顔をするの。そんな顔でそんな風に言われたら、オレ、どうしたらいいか分かんないよ。

 兄サマの言う通り、直ぐに車に乗らなかったのは兄サマが嫌かなって思った所為。ずっとオレを避け続けてさっきだって素っ気無くして。自分でここまで歩いて来て帰るって言って来た癖に、まるでオレに無理矢理そう仕向けられたみたいな言い方して。

 確かにオレは兄サマと一緒に帰ってじっくり話がしたいと思ったけれど、最初からそんな態度でいられたらちゃんとした話し合いになんかならない。こうなったのはどう考えたってオレが悪いけれど、その後の事は兄サマにだって責任がある。兄サマが逃げたからこそ、こんな風に時間が経ってしまって難しくなったんじゃないか。

 オレは自分なりに兄サマの事を考えて行動したつもりだったけど、やっぱりそれは兄サマにとっては迷惑でしかないのかな。今この瞬間だって本当はオレとなんかいたくなくて、城之内の所へ逃げ帰りたいとでも思っているのかな。兄サマは何も言ってくれないから、本当に……訳が分からないよ。

 そう。兄サマは何も言わない。だから、どうしようもなくなるんだ。

「……兄サマ。兄サマは、本当はどう思ってるの。オレが兄サマに乱暴した事、怒ってるの?悲しんでるの?」
「……何?」
「兄サマが本当に嫌で今度そんな事をしたらオレと一生口をきかないっていうのなら、オレはもう絶対に兄サマにあんな事はしない。この間の事も真剣に謝る。ごめんなさい」
「………………」
「けど、そうじゃないんなら……兄サマが悩んでいるのが男同士とか兄弟とかそういう理由なら、オレはやっぱり諦められない。今もこうして近くにいると、ドキドキしてる。本当の事を言うと、兄サマとエッチしたくてしょうがない。誰に何て言われたって全然構わない」
「モク……」
「兄サマがオレをこんなにしたんじゃないよ。オレが勝手にこうなったんだ。だから、兄サマが悪いんじゃない。そこは間違えないで欲しいんだ。自分の事は自分でちゃんと責任を取るよ。誰の所為にもしない。でも、恋愛って一人じゃ出来ないから。オレだけがそう思っても、出来ないから。兄サマの気持ちが知りたいんだ」
「………………」
「オレは兄サマが好きだよ。本気だよ。好きだから、抱きたいんだ」

 一言一言しっかりと言葉を選んで、オレは真剣に兄サマに自分の気持ちを伝えていく。兄サマの顔に戸惑いの色が浮かぶ。何か言おうとして言えない唇が微かに動く。凄くじれったくて、早く自分の気持ちをはっきり言って欲しいと思うけれど、ここで追い詰めてしまうと兄サマは直ぐ逃げるから、オレは大人しく兄サマの言葉を待った。

 瞳から目を反らさないで、じっと見つめながら……待っていた。

「嫌、では、なかった……多分」
「え?」
「オレに本当に拒絶の意思があれば、お前の言う通りどんな手段を持ってしても撥ね付けていたと思う。けれど、それが出来なかった。しなかったんだと、思う」
「じゃあ、兄サマ」
「だが、オレが言えるのはそれだけだ。お前が言う好きと、同等かどうかは分からない」
「でも、嫌じゃなかったんだよね?」
「……ああ」
「じゃあ、もう一回出来る?してくれる?」
「……そ、それは。お前、今しがたオレの意志を尊重するとか言っていた癖に……!」
「尊重したよ。嫌ならしないって言ったじゃん。でも、兄サマは今嫌じゃなかったって言ったよね?って事はしてもいいって事でしょ?」
「し、してもいいとか、したいとかまでは言ってないだろう」
「んじゃ、言い方変える。エッチさせて?」
「何処が違うんだ!」
「あはは、違わないね。それだけしたいって事だよ。お願い、兄サマ」

 兄サマからついに飛び出した嬉しすぎる本音に、オレはもう心の底から幸せな気持ちになって、それまで考えていたマイナスな想像なんて全部いっぺんに吹き飛んでしまった。こうなるとオレにはもう怖いものなんてない。

「嫌じゃなかった」ただこの一言だけで、オレの中の禁止カードは全て有効になってしまったんだ。後はもう兄サマが逃げようとしても、泣いてもきっとオレはやめないと思う。

 止められるはずがないんだ。
 

「顔上げて、兄サマ」
 

 オレの怒涛の攻撃に、すっかり腰が引けてしまったらしい兄サマは、暗闇の中でもはっきりと分かるほど顔を真っ赤にして、俯いてオレの方から顔を背けてしまった。そんな仕草も今のオレにとってはただ煽られてるとしか思えない。天然って何よりも怖いよね。最強だよ。

 オレはシートの上に自分の意思で膝立ちになると、身を乗り出して少し逃げた兄サマの肩を捕まえた。そして少しだけ熱くなった頬を両手で包んで、力任せに持ちあげる。

 凄く近くなったその顔に、オレは遠慮なく唇を落とした。濡れた額に、何時の間にかきつく閉じてしまった目の淵に、冷たい頬に、そして、硬く引き結ばれた唇に。

「……ん……っ、…あ…!」

 逃げ腰だった割に、兄サマは結構あっけなくオレのその唇に陥落した。完璧な防音処理が成されていて、運転席と後部座席の間の分厚い防弾硝子越しには絶対に聞こえないだろうけど、万が一にも音が漏れてしまったらと思うと気が気じゃなかった。気が気じゃないのは、運転手にバレるかも、という事よりも兄サマの声を聞かれるのが悔しいから、なんだけれど。

 それから、家に着くまでの数分間、オレずっと兄サマを触りまくった。いい加減に鬱陶しくなったのか、やめろ、っていわれてもやめなかった。だって何日お預け喰らったと思う?これ位するの、当然だと思うんだけど。

 一度開き直ると人間は結構強くなるものなんだと、オレはこんな時に初めて実感するハメになったんだ。
「ち、ちょっと待てモクバ、それは流石に……」
「えーなんで?この間まで兄サマ、オレを誘ってくれてたじゃん。何で今日は駄目なの?」
「この間まではお前が普通だったから」
「今だって普通だよ。何も変わってないよ。だから、ね?何もスゴイ事するなんて言ってないし」
「何かするのか?!」
「だからしないってば。もーずぶ濡れで寒いんだから早く入ろう。順番待ちしてる間に風邪引いたら大変でしょ」
「この屋敷に風呂が幾つあると思っている!オレは自分の部屋で入って来る!」
「あ、じゃあオレも兄サマの部屋のに入る」
「意味が無いだろう!」
「城之内とは一緒に入れて、オレとは入れないっていうの?」
「凡骨と風呂など入ってないわ!」
「あのまま泊まってたら入ってたかもしれないじゃん。大体一緒の布団に寝たのだってオレは凄く嫌だったのに」
「嫌って。何故お前が嫌がるのだ」
「当然でしょ。コイビトが他の男と一緒に寝るなんてありえないよ。嫉妬しまくるに決まってるじゃん」
「恋人?!誰がだ!」
「兄サマとオレ。一回エッチしちゃったんならもう恋人だよね。そうでしょ?」
「ち、違うと思うが」
「とにかく、一緒に入ろう。今更なんだからもう恥ずかしいとか無いでしょ。往生際が悪いなァ兄サマは」

 コンビニを出てから約三十分後。屋敷に帰って来たオレ達はメイドの「お夕食を…」の言葉を断って、さっさとオレの部屋に入った。車の中で何度も兄サマに迫ったオレに、最初は色々理由を付けて渋っていたけれど、結局オレの粘り勝ちで今夜は一緒に寝る事を約束してくれた。勿論寝るって言うのはその言葉通りの意味だけじゃなくて、セックスもするって事なんだけど。

 『あの日』は突然だったし、兄サマも混乱した状態で何が何だか分からなかったみたいだからそんなに抵抗もなかったけれど、今日ははっきりと頭で分かっている上での事だから、兄サマは物凄く意識しちゃったみたいで、この間よりもよっぽど緊張していて初めてみたいだ。

 このままじゃ、多分大変だろうなぁと思って、オレがどうしようかと色々と考えた結果、ふと思いついたのは兄サマとお風呂に入る事だった。

 オレが今言った通り、ほんの少し前までは……オレが兄サマにこんな気持ちを持つ前までは、お風呂に入る事なんてオレ達の間では当たり前の事だったし、何も特別な事でも何でもなかった。この前オレが兄サマに誘われた時は、アレの所為で全力で断ってしまったし……その埋め合わせ、というには余りにも下心満載だったけれど、そういう意味でもこれが一番いい方法かな、と思ったんだ。

 そんな事を考えながら、オレは雨で濡れた身体を拭く為に渡されたタオルで頭を拭きながら、兄サマにちょっとだけ甘えた声で「一緒にお風呂に入ろうよ」って言ってみた。

 そしたら兄サマはオレが兄サマに最初にキスをしようとした時と同じ位吃驚した顔をして、身体ごと思いっきり後ずさった。そして、殆ど必死に嫌だと拒否をした。

 けどそれは本当に嫌なんじゃなくって単純に恥ずかしがってるだけっていうのがもう分かったから、オレはそれを軽くスルーして兄サマの手を握って寝室の続きにあるお風呂に強引に引きずって行った。兄サマは途中何度か嫌がって逃げ出そうとしてたけど、オレは腕力はなくても握力だけは兄サマに負けない位強い自信があったから、兄サマがどんなに手を振り解こうとしても絶対に離さなかった。

 普通の家のものよりも大分広くて余裕がある脱衣所まで来て中に押し込めると、もう観念したのか兄サマは顔こそまだ嫌がってはいたけれど、逃げ出す素振りはもう見せなかった。

 オレはそんな兄サマに背中を向けてくすりと勝利の笑みを浮かべると、先にたって濡れた制服を脱ぎ捨ててしまう。バサバサと脱いだそれを勢い良く籠に放り込むと、その様子を呆然と見ているだけの兄サマを振り返った。

「どうしたの兄サマ、制服のままお風呂に入るつもり?」
「………………」
「濡れて脱ぎにくいなら、脱がせてあげよっか?」
「い、いい。お前は先に入れっ」
「そんなに恥ずかしがらなくてもいいのに。兄サマ、この前オレの前でどんな格好したか覚えてる?」
「!!……余計な事を思い出させるな!」
「そうやって一々反応するのが可愛いんだけど。じゃあ、先に入ってるから早く来てね」

 もう、面白いなぁ兄サマは。城之内の奴、オレ達を面白いって言ってたけど、オレはともかく兄サマが面白いっていうのは頷ける。オレの言葉に凄い過剰反応したりとか、ちょっとでも強気に出ると途端に弱腰になっちゃう所とか、数えるとキリが無い。それを言うと、多分兄サマは全力で否定するだろうから言わないけど。

 けど兄サマ。本当に……今更恥ずかしがっても遅いんだけど。

 冷たい雨に濡れた所為で大分冷えてしまった身体を温める為に、オレは少し高めに温度設定したシャワーを頭から勢い良く浴びた。ちょっと熱すぎて皮膚がピリピリするけれど、かなり凍えて鳥肌まで立っていたから、直ぐに丁度いい温度になった。暫くそうして満遍なく身体を流した後、半透明で薄いピンクの入浴剤が溶かされた湯船へと身体を滑らせる。

 最近オレのメイドはアロマテラピーか何かに凝っていて、オレにも頭がすっきりする香りだとか、リラックス効果のある香りだからと言ってこうして色んな所にさり気無く仕込んでくる。最初は自分から女の子みたいな匂いがして嫌だったけれど、慣れてしまうと特にどうとも思わなくなった。クラスメイトからはからかわれたりはしたんだけれど。

 ゆらゆらと揺れるお湯を掌で掬って水音を立てて湯船に戻す。暇を持て余してそんな悪戯をしていると、何時の間にか小さな音がして目の前に兄サマが立っていた。浴室全体が白い湯気で包まれているから、それに紛れてよく見えないけれど、兄サマは極力オレの方を見ない様にして同じ様にシャワーを浴びてる様だった。暖かな水飛沫が、時折オレの頬に飛んで流れていく。

 こうして眺めていると兄サマはやっぱり凄くスタイルがいい。足とか腰とか、ちょっと細過ぎて大丈夫かなぁとは思うけど、痩せ過ぎて骨が浮いてる訳じゃないし、スゴイって程でもないけど筋肉だってちゃんとついてるし、男のオレが見てもいい身体してるって思える。

 尤も、オレが目指すのは兄サマみたいな細身のスタイルじゃなくって、もっと男らしいがっしりとした体つきなんだけどね。まだまだ全然駄目みたい。

「……何を見ている」
「ん?兄サマの身体」
「?……もう珍しくなどないだろうが」
「珍しいとか珍しくないとかじゃなくって、綺麗だなぁって」
「綺麗?」
「ほら、オレと違って色も白いし、手足も長いし。いっつも羨ましいなぁと思ってるんだ」
「馬鹿だな。こんなもの、何の得にもなりはしない」
「少なくても、目の保養になるよ?色んな人の視線を集めてるの知ってる?兄サマは気付いてないかもしれないけどさ」
「なんだそれは。気色悪い」
「……本当に気付いてなかったんだ?うーん。問題だなぁ」

 シャワーの音に紛れて、オレ達の声が室内に木霊する。こんな風にしていると、まるで少し前の……あの何の他意もなく一緒にこうしていた頃に戻ったみたいだ。兄サマの声も大分落ち着いてさっきまでのガチガチな感じは無くなっていた。いつもなら、ここで背中を流してあげようか?とか始まるんだけど、今日はちょっと手順を変えて……。

 きゅ、とコックを捻ってお湯を止めた兄サマに、オレは笑顔で誘いをかける。

「兄サマも一緒に入ろ。暖かくて気持ちがいいよ。今日はね、えーと何て言ったかなこの香り」
「そんな狭い所に入れるか」
「全然狭くないよ。ほら」

 オレの部屋の備え付けのお風呂だから、確かに物凄く広いって訳じゃなかったけれど、兄サマが言うほど狭くもない。オレと兄サマ位なら余裕で一緒に入る事が出来る。そんな事は多分兄サマも分かっているんだろうけど、ついそんな言葉が出ちゃうんだろうな。そんなに警戒しなくても結局は同じ結果になるんだから諦めた方が簡単なのに。

 オレは顔に笑みを貼り付けたまま、簡単に届いた兄サマの手を掴んで、やや強めに引いて促した。ほら、早く。そう言ってぱしゃりとお湯を跳ねあげると、兄サマは一瞬だけ顔を曇らせて……仕方なく、といった感じでオレの手に従った。

 兄サマの足がピンクのお湯の中に沈んで、バスタブの中の水位が一気に上がる。

「やっぱり狭い」
「そんなに縮こまってるからでしょ。足伸ばしていいよ」
「いい」
「じゃあ、抱っこしてあげようか?」
「は?」
「お湯の中なら、オレだって兄サマを膝に乗せる位できるんだぜぃ。こっち来て」
「ちょ、待て!モクバ!」
「暴れないでよ。お湯が顔に掛かっちゃうから」

 そう言いながら、オレは対面に座った兄サマの腕を思いっきり強く引いて引き寄せると、丁度膝を立てて座っていたオレの上に跨る様な格好で座らせる。直ぐに逃げられない様に、兄サマの身体が目の前に来た瞬間、オレはさっと両腕を後ろに回して兄サマの腰の中心辺りで抱える様に指先を組んでしまった。これで、兄サマは後ろに引く事が出来なくなる。

 目の前に兄サマの白い胸やお腹が迫る。凄い光景にオレは直ぐに反応して、それまで大人しかったオレ自身が硬く張り詰めるのを感じた。その上に丁度乗る形になっているから様子が分かったのか、兄サマは心底驚いた顔をしてオレをじっと見下ろした。

 そして、行き場が無くて仕方なくオレの肩を掴んだ兄サマの指先が、少しだけ痛かった。

「オレに抱っこされる気分はどう?」
「どう……って」
「兄サマは昔オレをよく抱き締めてくれたよね。こうやって胸に抱いて、頭を撫でてくれて……オレ、あれが凄く好きだった。オレには母サマの記憶が無いけど、多分母サマがいたらこうしてくれたんだろうなぁって思ったよ」
「………………」

 でも母サマは、オレ達がこんな事をするとは、多分思わなかっただろうけど。

 上にある濡れた兄サマの頭からぽたぽたと雫が垂れて、オレの頬を伝って落ちていく。その雫を遮る様に、オレは背に回していた筈の手を一つ引き寄せて、兄サマへと伸ばした。

 そして、少し高い位置にあるその顔を捉えて、ゆっくりと引き寄せた。

 

3


 
 ポチャンと小さく水音が響く。

 それに混ざって、小さく呼吸をする音とちゅ、と濡れた唇同士が触れ合う音がする。オレが促すままに兄サマはオレに顔を近づけて伸ばした舌に自分の舌を触れさせて、舐め合う様に絡め合わせた。こういうキスなんて、オレは勿論これが初めてだし、兄サマだってきっと初めてだと思う。

 やり方なんて良く分からないけど、今は大人が眉を寄せて規制するべきだと騒いでいるAVとか雑誌とかが世の中に溢れているから、それを見れば大体の事は直ぐに学習する事が出来た。男女の違いっていうのは、あるのかもしれないけど。

 そういうものに余り関心のなさそうな兄サマはきっと何も知らないんだろうけど、元々頭がいいから自分が経験したり教えられたものは直ぐにモノにしてしまう。きっとこのキスだって次にする時にはもっと上手くなるんだろう。今だってオレの動きを真似て器用に舌を動かして、それが凄く気持ちいい。うっかりしてると、主導権をもっていかれちゃいそうになる。

 兄サマにキスで負けるのはなんだか悔しくて、合わせた唇はそのままで、オレはお湯の中に入ったままだった左手をそろそろと持ちあげる。体制の所為で殆ど触れ合いそうな位の距離にある兄サマの胸にひたりと付けると、それを全く予想してなかった兄サマは大げさな位にびくりと身体を振るわせた。その動きに、一瞬唇が離れてしまう。

「…………っ」
「男でもさ、やっぱり感じるのは女の子と一緒なんだって。……そう?」
「……っく、あ!……や!」
「兄サマはこんなとこも凄く色が薄いから、舐めると甘いのかなぁとか思っちゃうよ」

 言いながら、きゅ、と目の前のまだ柔らかい薄いピンク色のそれを指先で摘んで、軽く弄る。塞ぐものがなくなってしまうと、途端に兄サマの口から声が上がってお風呂場に響き渡った。場所が場所だからちょっとでも大きな声を出すと何重にも木霊して凄く響く。それに驚いたのか、兄サマは慌てて口を噤んだけれど、きっとそれも直ぐに疎かになるんだろうな。

 唇へのキスはもう十分にやったからオレは少しだけ顔を下げて、指で触れている方とは反対側の乳首にキスをして、少し手ごたえがある事に嬉しくなって吸いあげる。すると兄サマは、肩を掴んでいた手の片方を口元に持って行って自分で口を塞いでしまった。止めさせようと思ったけどそれを阻止する為の手が足りないから、仕方なくそのままにする。

「兄サマ、勃ってきたよ。気持ちいい?」

 ゆるゆるともう片方の手は下に下りて、全然肉がなくて薄いお腹を軽く撫でた後、その下に潜り込む。全体的にピンクだけれど少し濁っているお湯だから目では確認できないけれど、兄サマのそれは凄く硬くなっていた。わざと触らないでするりと内股の方に指を伸ばすと、焦れる様に身体が動く。多分無意識だろうけど、それが凄くいやらしい。

「……う、ぐっ……んんっ!」
「苦しいでしょ、手、退けたら?それに手があるとキスできなくてつまんないよ」
「………………」
「もー、強情だなぁ、兄サマは」

 オレだったら我慢出来なくなる様な動きで兄サマの下半身を撫で回して、その度に息を詰まらせて苦しそうにしている兄サマに、手を外す様に言ったけれど、頑なに首を振る。

 別に誰かに聞かれてる訳でもないんだし、声が出たってオレが喜ぶだけなんだけど……。そう思いながらオレは小さく溜息を吐いて、足を撫でていた指を兄サマの腰に回して、後ろから兄サマの穴を探った。 まだ頑なに閉ざされているそこを指先で軽く撫でると、兄サマの身体がびくりと跳ねる。そしてついに口を塞いでいた手が外れてしまう。

「──ひ!……やめっ!そ、こは、嫌だ!……さ、触るな!」
「どうして?」
「…き、汚いだろうが!」
「あ、まだ洗ってないから?オレ、別に気にしないけど、全然」
「オレは気にする!」
「じゃ、洗ってあげようか?」
「え?!」
「兄サマがそんなに気にするんなら気の済むまで綺麗にしてあげるよ。いつもの通り、背中の流しっこしよう。このままだとのぼせちゃうし、一回出ようか?立てる?」
「………………」
「無理かな?じゃあ、ちょっとまって」

 少し力を入れて兄サマを膝の上から退けて一人立ち上がったオレは、一足先にバスタブから出て外から兄サマに手を差し伸べた。 兄サマはオレの腕を支えになんとか立ち上がると、やっとの思いで洗い場のタイルの上に座り込む。そんなに意地悪したつもりはないんだけど、兄サマは元々こういうのに弱いのかもしれない。

 タイルにぺたりとついた細長い指先が微かに震える。大丈夫?って覗き込むと、大丈夫じゃないって顔をしてオレを睨んだ。その顔が、あまりにも可愛くて、オレは直ぐに小さなキスをする。今度は唇じゃなくて、頬っぺたに。ちょっとずらして、耳元に。

「ひゃっ!」
「あ、兄サマもしかして耳弱い?そう言えば凄く首触られるの嫌がってたよね、昔。この辺とか」
「ちょ……っ、分かっているなら触るな…っ!気持ち悪いっ!」
「兄サマはさ、自分の弱いとこ自分で教えるから駄目なんだよ。『遊戯』が言ってたよ。『ポーカーフェイスが出来ない限り、あいつはオレに勝てない』って」
「……あっ!……い、今は関係ないだろう、そんな事!」
「うん、そうなんだけど、なるほどなーって思って」

 言いながら、唇で耳たぶを挟んだり、ふうっと息を吹きかけたりすると面白い位反応する兄サマで暫く遊んで、オレは漸く本来の目的だった『身体を洗う』事にする。まだ全然エッチな事もしてないのに既にすっかり疲れてしまっている兄サマを横目で見ながら、すぐ傍にあったボディーソープとスポンジを手に取って、丁寧に泡立てた。そしてまず最初に自分の身体を洗ってしまう。

 兄サマに洗って貰おうと思ったけれど、今日はそれどころじゃないみたいだから、それは次の機会にとって置こうと思った。

 兄サマはそんなオレの事をぼんやりとただ見ている。そのまま一気に頭まできっちりと洗ってしまうと、オレは髪をかき上げながら、まだそのままの姿勢で何時の間にかバスタブに身体を凭れて黙っていた兄サマに向き直った。

 さっきまで大分荒かった呼吸も落ち着いて来て、けど少しだけ唇を開いたままぼうっとしてる。 そんな兄サマを見ている内に……正直に言えばその口元を眺めている内に、オレは兄サマにやって貰いたい事を思い出した。今なら綺麗に洗ったばかりだし、兄サマもなんかもう何でも来いって感じだし、言えばやってくれるかなぁなんて、そう思ったんだ。

「疲れちゃった?」
「ん、別に、そんな事はない……」
「あの、さ。オレ、一つだけ兄サマにして欲しい事があるんだけど」
「……何だ?」
「これ、さっきから勃ちっぱなしでもう痛い位だから、一回抜いて欲しいんだ。一人でやってもいいんだけど、折角兄サマが目の前にいるし…まだ入れるのは怖いだろうし……ね?」
「ね?……って。オレにどうしろと」
「口でして」
「は?」
「オレがこの前兄サマにやった様に……舐めて欲しいんだ」
「!舐めっ……これをか!」
「今洗ったばっかりだから汚くないよ」
「そ、そういう意味ではない!」
「じゃあして?どうやってもいいから。お願い」

 少し俯き加減だったその顔を覗き込む様にしながら、オレは兄サマに極力強要しない様にやんわりとそう言ってみた。それでも嫌だって言うんなら、オレもそこまで無理は言わないし、また別の機会にって思うだけなんだけど、意外にも兄サマはちょっとだけ戸惑いを見せた後、かなり小さかったけれど「分かった」って言ってくれた。

 余りにもか細い声で言うもんだから、オレはちょっとだけ気の毒になって、嫌ならいいよって言ったんだけど、一度口にした事を翻すのが余り好きじゃない兄サマは、今度はしっかりと顔を上げてオレを見てくれた。これは、肯定の証だった。

「ほんとに無理しないでね?」
「……分かったからそれ以上言うな」
「オレも後で兄サマにしてあげる。あれ、気持ちよかったでしょ?」
「しなくていい!」
「痛っ!痛いよ兄サマ、思いっきり掴まないでよ!」
「文句を言うな!」

 もう、そんなに顔真っ赤にして怒る位なら嫌って言えばいいのに!けど、こんな事をしてくれるのも、もしかしたら最初で最後かもしれないし、チャンスを逃すのは悔しいから、オレはもう何も言わずに、兄サマがしやすい様にバスタブの淵に腰をかけて丁度座る兄サマの口元にそれが来る様に調整した。

 兄サマは最初どうしたらいいか迷ってるみたいだったけど、とりあえず口に入れればいいんだろう、みたいな顔で勃ち上がったそれを軽く握りこむと、最初はおっかなびっくりって感じで先端にキスをして、それからゆっくりと舐め始めた。オレの腰が無意識に跳ねる。兄サマの舌は当たり前だけど凄く暖かくて柔らかかった。

 口の中に入れてしゃぶって貰うのが一番いいかな、なんて想像してたんけど、これはこれで凄く気持ちがいい。

 やり方が分からないからか、オレの反応を見る様にお試しであちこち這い回る兄サマの舌が、思ったよりもピンポイントで感じるとこに触るんだ。うう、これって凄いよ。兄サマ、わざとやってるんじゃないよね?

 思わずオレが、兄サマの口元に押し付ける様に身体を動かすと、兄サマは苦しくなったのかちょっとだけ口を開いて、呼吸を整えようとした。その瞬間をオレは見逃さないで、今度は殆ど無理矢理にその口の中にオレ自身を突っ込んでしまう。

 兄サマの顔が、苦しそうに歪む。目に涙が滲んで、懸命に吐き出そうとしてもがく口内で歯がオレのに当たってちょっとした痛みを感じる。けれど、それさえも今のオレには快感だった。

「……っふ、……ん、…んっ!兄サマ…っ!」
「!!んくっ……う、ぐ……んんっ」
「……あ、ごめん、……もうっ、駄目かもッ」
「?!……ぐ……ふっ……んあぁ!」

 余りにも気持ち良すぎて、自分を全然制御できなくなったオレは、兄サマの事なんかお構いなしに好き勝手に動いて、思いがけず早く果ててしまう。けれどいきなり口の中に出すのはさすがにマズイと思ったから、最後の最後は勢い良く兄サマの顔を押しのけて、その上に思い切り出してしまった。

 目の前の顔に、オレの精液がべっとりと降りかかり、頬や鼻を汚しながら糸を引いて落ちていく。兄サマは、勢い余ったオレに喉奥を突かれてしまい、思いっきり咽ていた。

「かはっ……うぁ、…う…はっ……はぁっ…」
「ご、ごめん兄サマ大丈夫?!」
「う……く……っ…」
「目、開けない方がいいよ。入ると痛いから。今流すからちょっと待ってて」

 まだ衝動が収まらないのか、口元を押さえて軽くえづく兄サマの背を擦りながら、オレは直ぐに少し温めにしたシャワーで兄サマの顔を綺麗に流した。折角の顔射で、直ぐに流してしまうのは勿体ないと思ったけれど、さすがにそれは気の毒で手を使って撫でる様に落としてしまうと、優しく髪をかき上げてキスをした。 すると兄サマがキッ、とオレを見る。

「……いきなりは無いだろう、死ぬかと思ったぞ」
「だからごめんって。だって兄サマ上手なんだもん。本当に初めて?」
「あ、当たり前だ!誰がするか、こんな事!……うぐっ」
「マズイでしょ。口濯いだら?」
「……いい、大丈夫、だ。……お前、こんなものを飲んだのか」
「え?あの時の事?うん、飲んだって程口に入れてないけど……兄サマのだから別に嫌じゃなかったし……」
「………………」
「でも普通は嫌だよ。確かに美味しくないもん。好きな人のじゃないと無理だね、絶対」

 そう言うと、オレは兄サマから身体を離して、漸く兄サマの身体を洗う事にした。 兄サマはまだ複雑な表情で口元を押さえたまま眉を潜めていたけど、結局口を漱ぐ事はしなかった。無理はしなくていいのに。

「じゃ、洗うから背中向けて」

 再びボディソープで泡立てたスポンジを手に素直にオレの言う事を聞いた兄サマの背に回ってオレは目の前の身体に手を伸ばす。……けど、それで肌に触れる一瞬、ふと考えを改めたオレは、手にしていたスポンジを横に置いてしまうと、泡だけを手に纏わせて、素手で兄サマの背中に指を滑らせた。

「…………っ!」

 つ、と背骨に沿って指先を縦に動かすと、兄サマの背が揺れる。その動きにちょっと不審に思ったのか兄サマがくるりと後ろを振り向いて、オレの顔を問う様に見つめてくる。それにオレは全開の笑顔を見せてこう言った。

「何?洗ってるだけだけど」
「……動きが妙な気がするんだが」
「それは兄サマの気の所為だよ」
「……そうか?」
「感じ安くなってるんじゃないの?兄サマってエッチだね。ほら、ここも勃ったままだし」
「!……っあ!馬鹿ッ!」
「この間テレビでさ、身体を洗うのは素手の方がいいんだって言ってたよ」

 兄サマの背中にぺたりと身体をくっつけて、泡だらけの手を前に回して胸の辺りを軽く撫でる。さっきの余韻をまだ引きずってるのか兄サマの乳首は相変わらずつんと立っていて、オレの指先に引っかかった。

 そのままちょっと力を入れて抓んだり、くるくると指先を回して遊んでいると、兄サマは息を飲んでオレの腕をぎゅっと掴んで、身体を堅くする。けど、元々力なんて余り入ってないから、オレの動きがその手で邪魔される事は殆どなかった。

「……っ……ん!……ぁ…や、めっ!」
「こうしてるとオレもぬるぬるして凄い気持ちいいかも。ここも綺麗にしてあげるね。それとも、舐めた方がいい?」
「……や!……嫌、だ!」
「じゃあじっとしてて。絶対気持ちいいから」
「普通に出来ないのかっ!」
「普通?こういうのに普通も何もないと思うけど。嫌なら兄サマがオレの前で自分で洗ってくれてもいいけど?」
「!!…………」

 身体を密着させたままわざと耳元で息を吹きかける様にそう囁くと、兄サマはびくっと肩を竦めてただ首を振るだけになる。嫌がる仕種とは裏腹に身体にはもう力なんて入ってなくて、オレに背中を預けてへたり込んでいる状態だ。

 オレは掌を満遍なく兄サマの身体に滑らせて、一番綺麗にしたい場所は最後にとっておいて、耳とか脇とか首筋の辺りとか、兄サマが特に高い声を上げて身を捩る箇所を重点的に『洗って』あげた。

 ……今まで兄サマの身体なんか、スポンジで背中を洗う位しかした事がなかったけど、こんなにあちこち弱いんじゃ普通の生活をしてても大変なんじゃないかなぁって心配してしまう。あ、だからカッチリした服しか着ないのか。そう言えば風邪をひいて熱を出してお風呂に入れない時、オレやメイドが身体を拭いてあげようかって聞いた時、凄い勢いで拒否ってたっけ。

 ……なるほどなぁ。

 後ろから手を伸ばすにも限界があったから、オレは兄サマの背中をバスタブに寄り掛からせて、前に回って緩く開いて片膝を立てていた足の間に座り込んだ。一緒に持って来たボディソープを再び手に出して泡立てると、とりあえず手早く両足を洗ってしまう。

 兄サマの身体はさっきから快感からか小さく震えていて、中心にある兄サマ自身はとろとろと液を零して勃ち上がっていた。元の色が白い分余計に目立つ濃い薔薇の色にも似たそれを見つめながら、オレはゆっくりと根元に指を添える。兄サマの身体が、一段と大きく跳ね上がった。

「も、もういいモクバ!……やめっ、て、くれっ」
「まだ全部終わってないよ。兄サマが洗ってないと嫌だって言ったんじゃない」
「……後はっ、自分で……!」
「そんなにくたくたになっちゃったら無理だと思うけど。もうちょっとだから我慢して」
「ひっ!……あっ!」
「最後はここと……後ろね。一番丁寧に洗ってあげる」
「ちょ……っ、待てッ!」
「兄サマも一回出さないと辛いでしょ。イっていいよ」
「……っあ、…やぁッ…!」

 兄サマの静止の声なんてただの喘ぎ声と一緒だから、オレは無視して最初は形に添ってゆるゆると手を滑らせた後、両手で握りこんで本格的に上下に擦りあげる。手が滑るのはボディーソープの所為なのか、兄サマから出る液体の所為なのか良く分からなくて、でもどっちでも同じだよな、と夢中になって同じ動作を繰り返した。

「ぅあ!……あっ!……んっ、はっ…!……ああッ!」

 兄サマの声が段々と高くなり、強過ぎる快感の所為か涙混じりになって悲痛にすら聞こえる。 最後に先端の液が滲み出るくぼみの部分を強く親指で擦ると、兄サマは悲鳴の様な声を上げてあっけなくイってしまった。

 同じ様に泡だらけのオレの身体や顔に、兄サマの精液が飛んでとろりと流れる。それを目で追いながら、顎に飛んだそれを指先で掬ってぺろりと舐める。独特の匂いと味が口の中に広がって、確かにこれは美味しくないやと心の中で思いながら飲み込んだ。

「っふ……はっ……はぁっ……」
「兄サマって自分でってしないんだ。結構濃いね」
「……モクバッ!」
「なんで怒るのさ。別に変な話してないでしょ。学校でもちゃんと教えられる事だよ」
「…………っ!」
「勉強熱心な兄サマも、こっちの方はあんまり関心なかったんだ?絶対オレの方が詳しいぜぃ。悔しかったら兄サマも知識や技術を身に着ければいいんだよ。でも、とりあえず……」
「……ぅくっ!」
「力抜いて?痛い事しないから」

 オレの余りにもあからさまな台詞にやっぱり過剰反応した兄サマを面白く眺めながら、オレは指先を前から後ろへと滑らせた。

 さっき兄サマが凄く嫌がったその場所に泡を纏わせたそれを緩く擦り付ける。今までの姿勢じゃちょっとやりにくかったから、兄サマにタイルに両足を曲げて膝をつく様に促して少し腰を浮かせると、相変わらず硬く口を閉ざすそこをゆるゆると撫で付けて優しく、時間をかけて解していく。

「あっ!……やっ!……んんっ!」
「凄いここ、兄サマが声を出す度にひくひくする」
「ぐ、具体的な事を言うなッ!……いっ……嫌だっ!」
「力入れないでってば。オレの指太くないから……あ、入った」
「んあぁ!……あ!……気持ち、悪いッ!」
「直ぐに、慣れるよ。痛くはないでしょ?」
「ぁっ…あんッ…っあ、…っ!……ひぁっ!」

 兄サマに負担が掛からない様にゆっくりと人差し指だけを差し入れて、心持ちくるくると回しながら兄サマの中を探る。一応目的は洗う事だから、上からちゃんとボディーソープを追加してその滑りも借りて、ぐっと奥まで押し込んだ。

 オレの指と兄サマの入り口が擦れあって、くちゅ、と凄い音がする。ついで上がる兄サマの声に夢中になる。そのまま何回も同じ事を繰り返していたら、オレの指が兄サマの中のいい所を擦ったのか、兄サマの腰がびくん、と跳ねた。半開きになった目の前の唇の端から、唾液が零れて透明な糸を引く。  

 オレは舌を伸ばしてそれを上手く舐め取りながら、慎重に指をもう一本追加した。元からちょっときつかったそこが、驚いた様にぎゅっと締まる。

「いっ!……い、たッ!……無理ッ!」
「無理じゃないよ。この間オレの入ったでしょ。幾らオレのだって指二本よりは太いよ」
「うあっ!……あっ!へ、んな風にっ……うご、かすなっ!」
「奥まで丁寧に洗ってあげてるのに。あ、ほら、ちゃんと全部入ったでしょ」
「…あっ!いや、だ…っああ…ッ!」
「後ろでもイく?いいよイって。その方が楽だから」

 言いながら、オレはほんの少しだけ締め付けが楽になったそこを二本の指で少し強く掻き回す。次第に慣れてきたのか、兄サマは足の強張りを解いてオレにしがみつくと、自分から緩く腰を振ってオレの指の動きに合わせて来る。それに助けられる形で、オレは更に奥まで指を押し込めると、くい、と指先を曲げて兄サマの声色が変わった場所を強く擦り上げた。

「……ひっ……あっ……ああぁッ!」

 一瞬兄サマの身体が痙攣して、また生暖かい精液が降りかかる。今度は一度出した後だった所為かさっきよりは濃くなくて、直ぐに泡に混じって分からなくなってしまった。ずるずると兄サマの腕が力を失い、足もガクガクしてタイルへと崩れ落ちる。巻き込まれない様に早めに兄サマの中から抜け出した指は熱くふやけて妙な感触になっていた。

「気持ちよかった?」

 殆どしゃくりあげる様に呼吸をしながら、イッた余韻に浸っている兄サマにそんな声をかけると、兄サマは涙声で「疲れた」と言ってぐったりとオレに体を預けた。

「綺麗になったし、これでやっと『出来る』ね」

 洗っていたのにも関わらず、汗まみれになってしまった兄サマの顔にキスをすると、オレはシャワーを手に取って丁寧に洗い流した。

 その後、ちゃんと頭も洗って、オレ達は随分長居をしてしまったお風呂から漸くベッドへと移動した。兄サマはもうすっかり疲れたみたいで、半分眠そうな顔で枕に顔を埋めたけれど、勿論本番はこれからで、オレはベッドの真ん中で長く伸びてるその身体の横に座ると紐すらも結んでいないバスローブの合わせに手を伸ばした。

 

4


 
「兄サマ、眠くなっちゃった?」
「………………」
「眠くてもいいけど、オレ、やっちゃうよ?」
「……ん……っ……!」
「兄サマ寝ぼけてた方がやり安いかも知れないけどねー」

 オレの声にも兄サマはやっぱり反応が鈍くて、殆ど微酔んでる感じだったけど、オレは構わずにバスローブの中に手を差し込んで、まだお風呂上りの暖かさが残る体を撫で上げた。

 眠さの所為で感覚が少し鈍いのかさっきよりは大分大人しいけれど、指先が柔らかい箇所を掠めると時折ちょっとだけ鳥肌になったりして、全然感じない風ではないみたいだった。

 微かに聞こえる声も寝息に混じった鼻にかかった甘ったるい声で、さっきの悲鳴みたいな響きとはまた違ってちょっと興奮する。

「あ、凄くいい匂いがする。ちょっと甘い系の。さっきの匂いがついちゃったのかな」
「……んぁっ……ん…」
「あんまり遊んでると、兄サマが本当に寝ちゃうと困るから……ちょっとゴメン」
「!!……なっ!……ふぁっ!」
「脚開いてくれると助かるんだけど……そうそう。って、いたた!髪は引っ張らないで!」
「いっ……あ!……あぁっ!」
「もう意地悪はしないから、協力してね」

 兄サマが余りにも気持ち良さそうに寝ちゃおうとしてるから、オレはちょっとだけ力を込めて何気なく舐めていた兄サマの胸の先を噛んで吸った。噛んだっていっても緩く歯を合わせただけだからそんなに痛くもないんだろうけど、後一歩で眠りに落ちそうだった兄サマにとっては凄い刺激になったみたいで、それまでのくぐもった小さな声は吹き飛んで、さっきの鋭い声が一瞬にして迸る。

 思わず伸びて来た兄サマの手は近くにあったオレの頭を思い切り掴んだ。なんとか髪の毛を死守したオレは兄サマの手に自分の手を重ねて緩く擦りながら、逃げる様に下へ下へと身体ごと顔をずらしていく。

 触れる柔らかな肌に強く吸いついてちゃんと痕を残しながら、さっき二回出したのにも関わらず、緩く立ち上がってる兄サマ自身には口は寄せないで、その下、お風呂で十分に洗って解した場所へと直接舌を伸ばした。するとやっぱり直ぐに兄サマから声が上がる。

「なっ!やめろモクバッ!!そ、んなとこ、舐めるな!」
「さっき十分に綺麗にしたじゃん。汚くないよ」
「あっ!!……そ、れでも駄目だッ!……っひ!……くっ」
「だってこうしないと、兄サマのコレだけじゃ不十分だし、何か助けになるものなんて持ってないし。だから我慢して」
「あっ、あ……嫌、っだ……んんっ!」
「さっきのお陰で大分柔らかいよ。ちょっと赤くなってて、可愛い」
「!!……やっ!やめっ……!」

 少し長く伸ばした舌で、きゅっと締まった皺の一本一本まで丁寧に舐め尽して、兄サマの息と共に緩く口を開いた瞬間に舌先を直ぐに押し込む。再び滲んできた兄サマの先走りをちょっと手を伸ばして掬い取ると、そこに少しずつ塗りつけて、徐々に穴を埋めるものを舌から指へと変えていった。ちょっと名残惜しくて、ちゅ、とそこにも吸いつくと、兄サマの悲鳴が上がる。

 別にこんなのどうって事ない事なのに、兄サマに取っては何よりも恥ずかしい事だったみたいで、指を一本深くまで埋め込んで少し顔を上げて頭上にある顔を眺めると、兄サマは泣きながらまだ嫌がっていた。けれどもう、オレを押しのける力は残ってない。

 さっきと同じくゆっくりと指を動かして既に十分柔らかくなっていたそこをもう少し広げようと力を込めて、二本がそれほど苦労なく動かせる位になって、オレは漸く兄サマの中から指を抜いた。とろりと透明な液が糸を引いて、シーツに染みをつける。

 ひくりと動いて、緩く開いた場所が再び閉じない内にオレは手早くオレ自身をそこに当てた。一度も触れられなくても兄サマを見ていただけで十二分に興奮したそこは熱く硬くなっていて、早く兄サマの中に入りたいって鼓動にあわせてドクドクと小さく脈打ってる。

 オレはもうとっくに緩んでいる兄サマの足をもっと大きく広げると、片手でオレ自身を支えながらゆっくりと、本当にゆっくりと、その身体に入ろうと力を込めた。

「兄サマ、入れるよ。力抜いて」
「!!……つっ!……あっ!……いっ…痛っ…んんっ!!」
「痛っ!だ、駄目だってば!息吐いて!」
「……くっ、あ!……そ、んな事を、いっても……っ!……自分ではどうにも……うあっ!あ!」
「大丈夫。息、止めないで……そうっ……もう、ちょっと!」
「ッあ、…あ、ああ…ん、っ!」
「……っ!……あ、入った、よ!」
「……うぅっ、……ん……ふっ……」
「もう少し、落ち着くまで、このままで、いる、から。……へ、平気?」
「……うっ、……ぜ、全然、平気、では、ないっ!」
「ごめんね、兄サマ。大好きだよ」

 何とか奥まで押し込んで、兄サマとオレの身体が完全に密着する。二回目だし、十分に慣らした後だから怪我するって事はないみたいだけど、それでも強く締め付けられて痛い位だ。

 オレも兄サマもここまででもう息が上がってしまって、暫くオレ達はそのままの姿勢で浅い呼吸を繰り返した。触れ合ってる場所がじんわりと暖かくなって凄く気持ちがいい。

 けれど何時までもこうしてはいられないから、オレは兄サマの足を掴んでいた手を前に回して、痛みの為か少し萎えてしまったそこを握りこんでゆっくりと指を上下に滑らせた。瞬間兄サマの腰が跳ねてまた少し後ろが締まった様な気がしたけれど、今度は気が少し反れたのか直ぐに痛い位の締め付けは無くなっていた。そのまま、ゆっくりと腰を引く。

「……はっ……ぅん!」

 ずる、と肉同士擦れあう音がして、オレは兄サマの中からギリギリの所までオレ自身を引きずり出す。そうすると、あんなに嫌がっていたはずなのに、兄サマはオレが抜けない様に少し力を入れてそれを包む。その動きに誘われる様にまた入れる。

 最初はたどたどしく、慣れてくると段々と一定のリズムを持ってオレ達はその動きを繰り返す。身体中が熱くなる。

「あっ!……うぁっ!……く、んっ!モク…バッ!」
「兄サマ凄い……凄く……気持ち…いいよ!」
「んあぁっ、あ……っ!」

 兄サマの長い足がオレの身体を挟む様に摺り寄せられ、その膝に軽くキスをするとオレは思い切り身体を前に倒してシーツの上に片手を着いた。片方は兄サマ自身を強く握って腰の動きに合わせて強く扱き上げ、次から次へと溢れる液に手が滑り、その滑りを追う様に更に握る。慣れた腰は要領を覚えて深い所まで潜りこみ、それが兄サマのイイ所を擦ったようだった。

 目の前の白い体がほんのりと赤く染まり、限界まで反らされた背がシーツから浮く。行き場がない手は既に濡れて皺くちゃになったそれを強く強く握り締めて震えている。

 ふと、その手に触りたくなって指を伸ばすと、兄サマは直ぐにシーツから手を離して応えてくれた。そのまま強く指先を絡めあって、お互いに握り締める。

 下からぞくりと寒気にも似た何かが走り、腰が浮く。兄サマの声のトーンが変わる。限界だ、そう思った瞬間、兄サマの身体が一際大きく仰け反って、ぎゅっ、と強くオレの手を掴んだ。そして。

「うっ、くっ!……に、兄サマっ……!」
「ひっ、あっ……あああぁっ──────!!」

 オレ達は殆ど同時にイってしまった。

 兄サマの中に入ったオレ自身と、兄サマに覆い被さる様に倒した身体に熱い精液が弾け飛ぶ。息を弾ませた兄サマのきつく閉じた両の瞼の淵から大粒の涙が零れ落ちた。いつもは表情を余り出さない冷たいその顔は、甘く歪んで涙と唾液でもうぐちゃぐちゃだった。けれど、オレはその顔が凄く綺麗だと思った。

 身体を離さないまま少しだけ背を伸ばして、その顔に舌を伸ばす。肌を濡らす体液を全部丁寧に舐め取って、最後に深くキスをした。兄サマの瞼が、少しだけ持ち上がる。そこから覗いた鮮やかな青に、オレの顔が映っていた。
 

 好きだよ、兄サマ。
 

 何度言ったか分からないその言葉を、もう一度繰り返す。その声に兄サマは、特に応える事はしなかった。

 その代わり……これ以上ないほど強い力で、オレの身体をぎゅっと抱きしめて、小さく……本当に小さく、頷いた。   
「兄弟で恋人っていいよね。だっていつでも一緒だし、どんなに喧嘩したって、結局絆って切れないもんね」
「……それは『兄弟』だけの話であって、『恋人』とはまた別だろうが」
「オレと二回もエッチして、兄サマはまだ恋人って認めてくれないの?」
「その単語が……どうにもしっくり来ないだけだ。別にわざわざ名称をつけなくてもいいだろうが」
「それはそうだけど……やっぱり、ちゃんとした証みたいなのが欲しいじゃん。オレの彼女です!みたいな」
「……オレはお前の彼女でも彼氏でもなんでもない。兄だ」
「でも普通の『兄』は『弟』とエッチしないよ?」
「!!お、お前が強引にしたんだろうがっ!」
「兄サマだって結局夢中になった癖に。そういう事言うんだ?」
「知るかっ!もうお前とは口をきかんっ!」
「あ、嘘だよ。もうからかったりしないから、こっち向いて?」
「嫌だ」
「もー兄サマー」

 あれからくたくたになってしまったオレ達は、結局あのままこのベッドで寝てしまって、気がつくと……多分、真夜中だった。

 多分って言うのは、時計の針が三時を指していたからで、この部屋に入ったのが大体夜の八時位だったから、丁度その位の時間だと思ったんだ。

 タイミングよく目が覚めてしまった所為か、いつもよりも直ぐに頭がすっきりしていたオレは、本当にあのまま寝てしまった所為で酷い状態になっているベッドに気付いて慌てて飛び起きると、べたべた……というかぐちゃぐちゃになっていたシーツをどうしようかと考えた。

 オレよりももっと疲れてしまっていた兄サマは当然爆睡中で、ちょっと肩を揺すっただけじゃ全然起きない。かと言って兄サマがいたら当然シーツを換える事なんか出来ないし……。

 オレが抜け出た所為でちょっと捲くれてしまったブランケットの中に見える白い背中を眺めながら、オレはやっぱり兄サマよりも大きくて力も強くなりたいと思った。兄サマと並んでも見劣りがしない様にっていうのもあるけれど、やっぱり男としては好きな人を抱きあげる位の腕力が欲しい。そうすれば、こんな時絶対に役に立つ。兄サマは大きいけれど軽いからそれはそんなに難しくないと思う。

 そんな事を考えていると、何時の間にか兄サマが小さなくしゃみをした。あ、ちょっと寒かったのかな?兄サマは軽く寝返りを打って、ごそごそと居心地のいい場所を探すと、不意にふっと目を開けた。

 少し腫れぼったい、ぼんやりとした目がその姿をじっと見ていたオレの目と思いっきりかち合う。そしてその後、当然何も着ていないオレと、寝返りを打った所為で身体に触れてしまったどろどろのシーツに、兄サマは吃驚して固まってしまった。
 

 それをオレが上手く宥めた後、さっきの会話に繋がっていく。
 

「兄サマ」
 

 オレの言葉にちょっとムッとして、ブランケットを頭から被って背を向けてしまった兄サマの肩に触れながら、オレは真面目にその名を呼ぶ。兄サマにはああ言ったけど、何をしたって、どんな関係になったって、オレ達は兄弟だから、オレはずっと兄サマの事は兄サマって呼び続けると思う。
 

 ただ、その響きは……今までよりも、ほんの少しだけ甘いけれど。
 

 オレの呼ぶ声に結局は勝てない兄サマは、まだ表情は拗ねたままでくるりともう一度身体の向きを変えるとブランケットを下にずり下げて顔を出した。その顔は、もういつもの余り表情のない顔に戻ってしまってはいたけれど、少しだけ赤く染まったほっぺたと耳が凄く可愛い。

 可愛いねって言うと、また怒るから言わないけどね。

 オレはそれ以上兄サマを怒らせない様にもう口を噤んでしまうと、その代わりにそっと顔を寄せて、不機嫌になりきれてないその顔に、そして、悔しそうに噛み締められているその唇に、柔らかいキスを一つ落とした。

 初恋は実らないっていうけれど、兄サマ曰くこれは『恋』じゃないから、確実に実る筈。そんな屁理屈を口にしたら、兄サマは予想通り「屁理屈を言うな」と呟いた。

 けれど、その顔は笑っていた。

 兄サマとこんな事が出来るんなら屁理屈でもなんでもいい。オレはそう思いながら、もう一度だけ……。
 

 ……兄サマに「大好きだよ」と念を押した。


-- End --