BorderLine

 静かな音を立てて大きな二つ扉が左右から閉じられた瞬間、まるで針金でも入っているのかと思う程真っ直ぐに背筋を伸ばしていた隣の身体がぐらりと揺らいだ。それに特に動じる事もなく、素早く、けれども優雅に長い腕を伸ばして頽れそうなその背を支えると、海馬モクバは慣れた様子で身を屈め、背後にあるベルベットで覆われた豪奢な長椅子に支えていた人物を落ち付かせた。

 もう安心だよ、誰も追って来ないみたいだし。とかけた声にただ首を僅かに動かす事で応えた相手に大きな溜息を一つ吐くと、扉の横にある真新しいカードリーダーに内ポケットから取り出したカードを滑らせ、最上階へのボタンを押した。静かな機械音と共に僅かな浮遊感に包まれる。

 瞬間、眼下の相手……モクバの兄である瀬人が身じろぐ気配がした。視線を送ると、瀬人は僅かに身を強張らせ口元を押さえている。振動の殆ど無いこんなに静かなエレベーターの中でも駄目なのかと、モクバはやや呆れた風に肩を竦め、屈めていた身体をそのまま下にずらし、緋色の絨毯の上に膝を着けてしまうと、瀬人の顔を下から覗き込む様に仰ぎ見た。

 そんな彼の仕草に瀬人は漸く僅かに顔を上げ、いつの間にか閉じていた瞳を薄く開く。少しだけ熱に浮かされた様に潤んだ双眸は、頭上にあるオレンジの光を受けて美しいセレストブルーの輝きを放っていた。いつもならある種の熱と感慨を持ってそれを観賞するモクバだったが、今はただ小さな溜息が洩れ出るばかり。

 全く、少しも懲りないんだから。その精悍な容貌からは余り想像出来ない子供めいた言葉を吐き出して、彼は眼前にあるやや火照った顔に大きな掌を押し当てると、まるで親が子供を叱る様に再びその口を動かした。

「兄サマ大丈夫?部屋まで持ちそう?」
「……ああ、なんとかな」
「もう。オレがちょっとでも目を離すと『こう』なんだから。あいつはヤバいって前々から言ってあっただろ。どうして警戒もなくグラスに口を付けたりするのさ」
「……シャンパンを持って来たのは磯野だった」
「誰が持って来たなんて関係ないよ。大体『その場』で仕込まれるんだからさ」
「………………」
「でも、未遂で良かった。取り返しのつかない事になってたらどうしようって心配してたんだ。安心したよ」
「……どういう意味でだ」
「色んな意味でだよ」

 そう言って必要以上に口の端を持ち上げて不自然な笑みを見せたモクバは、覗き込んでいた兄の顔から視線を外し、立ち上がる。その際偶然目に入ってしまった自らの右の袖に付いていた赤い血を不快な気分で眺めると、直ぐに手を伸ばして力任せに引き裂いた。

 布を裂く不快な音が狭い室内に響いて消える。上質なシャツが鉤裂きになってしまった事を少しも気にせず、元は袖の一部だったそれを床に投げ捨てると、彼は苛立ちを込めて革の靴底で踏み躙った。そして緩やかに視線を瀬人に戻し、先程とはまるで違った声色で一言、こう言った。

「オレは怒ってるんだよ。兄サマ」
 まるで王侯貴族の住居さながらの無駄に豪奢な部屋の片隅にある巨大なベッドの中央に、瀬人はぐったりとその身を預けていた。つい先程まで身に着けていた目に痛いほどの純白のスーツはモクバによって早々に剥ぎ取られ、薄いシャツ一枚のままバスルームに連行された後、そこで胃の中身を全て吐き出すように強要された。

 半分は自力だったが、もう半分はかなり強引な手法でだった。未だに無理矢理指を突き入れられた口の端や喉の奥が疼いている。そこまでする事もないだろうと弱々しいながらも抗議をしたが、そんな事を言う権利は無い、と即座に却下された。それ位モクバの怒りは激しかったのだ。

「お酒や薬もそうだけど、何よりあいつとキスしたろ。名残があったら嫌だから」

 そう言いながら水の入ったグラスを差し出して来た弟に、瀬人は表だった反論も出来ずに大人しく水を飲み、落ち着くまで休めと言う言葉に従ってベッドの中に入ったのだ。そして、現在は軽い寝息を立てている。

 その様を相変わらず呆れた眼差しで見詰めたモクバは、自らも窮屈な礼服を脱ぎ捨ててラフな格好に着替えると、瀬人に与えたミネラルウォーターの残りをボトルから直接飲み干した。次いで大きな溜息を一つ吐く。

 酷いパーティだった。

 とある政治家の資金集めの為だけに行われた中身の無い集い。瀬人もモクバも心の底から下らない事だと思ってはいたが、大企業の看板を掲げる以上無視する訳にもいかず、渋々顔を出していたのだ。

 本来は社長である瀬人一人の出席で事は足りたのだが、最近では必ずモクバも後を追う様になった。 つい先日成人を迎え、酒宴の席にも着ける様になったという事もあるが、それ以上に外交の場を瀬人一人に任せておくのが不安だったからだ。そう思った矢先のこの事件である。

 瀬人は同じパーティに出席していた取引先の一人に言葉巧みに取り入られ、飲み物に非合法な薬を仕込まれた挙句、現在進行中の商談を餌に彼の個室へと連れ込まれたのだ。異変に気付いた磯野と二人で慌てて件の部屋に殴り込んで見らば想像通りの光景が広がっていた。

 その後、その部屋に響いたのは艶っぽい喘ぎ声や淫猥な音では無く、高級ホテルに似つかわしくない悲鳴と騒音、そして情けない呻き声だけだった。兄に不埒な真似をした男を力の限り殴り飛ばし冷やかな一瞥を投げ付けると、モクバは悪酔いにも似た症状でベッドの端に蹲っていた瀬人を速やかに回収し、今に至る。

 被害は身体の数ヶ所に付けられた毒々しいキスマークのみだったが、それだけでも万死に値するとモクバは思っている。自分の大切な兄を……否、今は兄というだけではなく恋人でもある瀬人に触れられるだけでも我慢ならない。

 持って行き場のない怒りは偶然にも握り締められていたペットボトルが原形を留めない程押し潰されて、投げ捨てられる事で解消された。

「………………」

 静かにベッドに乗り上げたモクバは、眠る瀬人の頬に手を伸ばす。ほぼ吐き出させたとは言え、既に吸収されていたアルコールの所為で仄かに赤い頬を緩やかに包み込むその掌は、存外に大きかった。遠い昔、遥かに大きい存在だった兄は、今では物理的にも精神的にも自分の手中にある。

 モクバが男としても高い方だった瀬人の身長を超えたのは、彼と同じ十七歳の時だった。その時点でモクバはそれまでの従順で脆弱な、どこまでも弟として庇護される立場から、弟として兄を支え守る側になり、最終的に恋人として対等な関係を築く事に成功した。むしろ今ではどちらかと言えば自分が兄を庇護する立場だ。

 頭脳やカリスマ性ではどうあっても瀬人に太刀打ちできないが、その他の面では決して彼にひけをとらない様に努力した。結果、元より深かった互いの愛情や信頼は絶対のものとなり、今や揺るぎ様がないものになっていた。

 掌に感じる瀬人の肌は温かい。そして指先に触れる栗色の髪もさらさらと手触りが良く、その首筋も耳元もそして唇も酷く柔らかだった。そう昔から……瀬人の全ては柔らかく、そして温かかった。優しい兄という印象は今も昔も変わらない。いつでも全てを包み込むような笑みを見せるその顔だけが、モクバにとっての瀬人の全てだった。

 誰よりも優しく、誰よりも頼りになる兄だった。世界で一番強く、正しいと信じて疑わなかった。けれど、それらは全てモクバに『だけ』見せていた『兄』の顔だったのだ。義父との諍いが無ければきっと一生その顔だけを見せられていただろう。だが、『こう』なる事はきっと必然だったのだ。今ならば、そう思える。

 最初に『それ』を見た時は衝撃だった。

 数年前の或る日、まだ幼かったモクバは幾度目かの誘拐事件に巻き込まれていた。その手段は既に決まり切ったもので、下校途中に知らない黒塗りの車の中に強引に押し込められ、そのまま場所も分からない薄暗い倉庫の中へと閉じ込められた。目の前で莫大な身代金と引き換えに釈放するというありきたりな交渉を強いられ、即座に断られるや否や八つ当たりで罵倒される。その事に酷い恐怖を覚えた。

 一刻も早く助けに来て欲しい。そう願いながらただひたすら耐え続けた。長い長い一夜だった。

 その恐怖が終わりを告げたのは、まだ朝日も昇りきらぬ早朝だった。轟音と共に堅く閉ざされた倉庫の扉を破壊したのは常に市民の味方となる警察等では無く、良く見知った兄のSP達だった。手練の彼等に掛れば俄仕込みの犯罪者など一溜まりもなく、即座にその場は制圧され、無事モクバは救出された。

 監禁されていた場所は童実野港にある資材倉庫の一つで、辺りはまだ薄暗くしんと静まり返っていた。 早く屋敷に帰る様にと促されるままに見慣れた車に誘導される最中、モクバは見てしまったのだ。

 自身が立つ位置よりかなり距離がある倉庫の裏側で、右手に銃を持ち、倒れていた複数の『人間だったモノ』を見詰めながら無表情に佇んでいた兄の姿を。純白の制服が所々血に染まり、銃口の先から微かな硝煙が上がっていた事から、その惨状は瀬人が齎したものなのだと分かる。その足元にも、大柄な男が一人転がっていた。

 それを平然と踏み躙り、彼は笑った。弱冠十五歳の少年が、血塗れになりながら声を上げて笑っていたのだ。その事に、驚愕した。

 ……あの、優しい兄が。子供が好きで、貧しい子供達が分け隔てなく遊べるような遊園地を世界中に作るのだと瞳を輝かせ、その実現に邁進している筈の彼が。銃を片手に人を殺し、それを見詰めて笑っている。

 いつも柔らかな腕で自分を抱き、頬に優しいキスをしてくれるあの温かな雰囲気は、その彼には欠片も残されていなかった。声をかける事もできずその場に立ち竦んでしまったモクバに長い間気付かなかった瀬人は、不意に笑いの衝動をおさめ、踵を返す。

 その刹那、ぴたりと目が合ってしまった。そして互いに引き攣った声を出し、息を飲んだのだ。虚構と現実が交わった瞬間だった。

『……大丈夫か、モクバ。怖かっただろう』

 その不気味な静寂と均衡を破ったのは瀬人の方だった。彼はそれまできつく握り締めていた銃をまるでゴミの様に投げ捨てて、小走りにモクバの方へと駆けてくると間髪入らずにその身体を抱き締めた。その腕は普段通りの柔らかなものだったが、決して優しくも温かくもなかった。血濡れの指先から甘い鉄錆の匂いがする。

 それに少しだけ吐き気がした。そして初めてモクバは兄を嫌悪した。その腕を、一瞬強く拒絶する程に。 ドン、と力を込めて弾いたその身体は少しだけ後退し、やがて緩やかに留まった。何をするんだ、モクバ。そう呻く様に響いた声はやけに掠れて別人の様で、思わず見上げてしまったその顔は、やはり優しい兄のものではなかった。

 ……それから随分と長い間、瀬人は『その』別人の顔で、声で、モクバの前に立ち続けた。武藤遊戯にデュエルで敗れ、心を砕かれるまでずっと彼は冷徹でヒステリックな少年で有り続けた。その変貌の訳を知ったのは随分と後の事だったが、当時は兄がとても恐ろしかった。
 

 自身を誘拐し、監禁したあの知らない男達よりも、ずっと。
「………?」

 それから、どれ位の時間が経ったのだろう。眠る瀬人に触れながら何時しか自分も寝てしまったモクバは、聞こえる微かな水音に目を覚ました。途端に喉の渇きを覚え緩やかに目を開けると、つい今しがたまで目の前で寝息を立てていた彼の姿は無く、捲られた薄いブランケットだけが残されていた。

 身を起こし、何度目かの溜息を吐く。するとまるで図った様にタイミング良く浴室から瀬人が姿を現した。少し休んで回復したのか、妙にスッキリした顔で歩んで来る。

「起きてたの?」
「ああ、つい今しがたな」
「身体の方は?」
「特に問題ない。……お前には、迷惑をかけた」
「全くだよ。これで何度目だと思ってるの?兄サマは肝心な所で抜けてるんだから、もう少ししっかりしてくれないと困るよ。触られたらアウトだろ。なんでキスまで許すのさ」
「悪かったと言っているだろう。そう怒るな。それにあんな非力な狒々爺にこのオレがどうこうされると思っているのか?」
「思わないよ。そうじゃなくて、殺生沙汰は勘弁して欲しいって言ってるんだよ。兄サマはもう子供じゃないんだから、バレたら『責任』を取らなきゃならないんだからね」
「分かっている」
「絶対分かってないでしょ。反省の色、ゼロだもんね」

 そう言ってモクバがベッドの上から手を差し伸べると、瀬人は素直にその手を取り、抗わずに寝台へと乗りあげる。そして未だぽたぽたと滴が落ちる髪を気にしながらも、己を抱き寄せるモクバに顔を寄せ、導かれるまま薄い唇を押し当てた。刹那モクバは素早く身体を起こし、瀬人を仰向けに押し倒す。おざなりに結ばれていたバスローブの紐が緩み、真っ白な胸元が露わになった。そこに見える幾つかの赤い痕にモクバは強く眉を寄せる。

 ただの戯れにしては度が過ぎているのは含まされた薬の所為か。それとも、単なる気紛れか。どちらにしても相手の唇が後数センチ下に降りていたら、あの部屋は緋色のカーペットよりも赤い血で染められていただろう。ソファーに放られた瀬人の白いジャケットの影から覗いているのは携帯用の小型拳銃。安全装置は予め外されている。

 その引き金が引かれるより先に、乱入したモクバに殴られた事は……否、『殴られただけ』で済んだのは、あの男にとって幸運だったと言えよう。

「…………んっ」

 花の様な芳しいバスオイルと瀬人本来の香りが混じった甘い匂いを楽しみながら、細い顎を掴みやや強引に顔を引き寄せて、再び深いキスをする。温かい舌を絡め、唾液を注ぎ、口内を探り合った。息継ぎの合間すら与えない激しいキス。鼻に掛った甘い声がモクバの鼓膜を熱く震わせ、雄を刺激する。

 やがて唾液の糸を引きながら唇を離し、小さな声で名前を呼ぶと、瀬人は至極嬉しそうに微笑んで甘える様に両手を伸ばし、モクバの背を包み込んだ。それに応える様に少しだけ頭を下げて今度は胸元に顔を寄せる。 目に眩しい程白い肌の中で一際目立つ、淡い色をした乳首を唇で優しく包むと、わざと音を立てて吸い上げ、舌で嬲る。時折歯に少し力を込めて噛んでやると、目の前の喉が微かに震えた。空いていたもう片方も無骨な指先で抓みあげる。

 唇を十分にしこった胸先から離すと、細い唾液の糸が引き、肌にぬめった軌跡を残す。転々と浮かび上がる薄い痕を追う様にモクバの唇は瀬人の肌を這い、先刻の痕跡をより鮮やかな紅へと塗り替えた。徐々に荒くなる吐息と衣擦れの音がより淫蕩に響き渡る。

「……んっ」
「薬、ちゃんと抜けたかな」
「……っ、さぁ……な」
「あいつも馬鹿だよね。兄サマに薬なんて飲ませたって楽しめないのに」
「ふっ……あっ」
「それに……オレ以外、触る事も出来ないのにさ」

 細い身体の線をなぞる様に緩やかに滑り降りた指先は、殆ど解けていた白い紐を取り去り、身を包む用をなしていないバスローブの裾を軽く払って、既に熱く形を変えている瀬人の雄へと辿り着く。そして僅かに滲んだ透明な液を絡めるように全体を握り込み、先端に親指で爪を立てた。ひっ、と息を飲む音がして、華奢な腰が浮きあがる。

 頬に触れた乳首は痛々しい程腫れあがり、それが更に欲を呼んだ。モクバは僅かに顔を上げ、薄く開かれたまま閉じる事のない唇に舌を伸ばし、零れていた唾液を軽く舐め取って、そのまま深く口付ける。温い唇に反して酷く熱い口内は、やはり酷く気持ちが良かった。

「んんっ……ふっ、あっ……モク、バ……!」
「兄サマ」
「あっ……ぁ」
 

── 兄サマ。
 

 幼い頃ならまだしも二十歳を超えた大男が使うには酷く拙い響きを持つその呼称を、モクバは敢えて口にする。それは過去から現在へと続く兄への愛執の証であり、己に対する防護でもあった。きつく掴んだ雄をゆるゆると揉みしだき、焦れて震える頃を見計らって強く扱く。

 びくびくと跳ねる体を愛おしげに抱き締めて、モクバはキスを繰り返していた顔を下げると手にしたそれを喉奥まで飲み込んだ。そして舌と歯で責め立てる。それを悲鳴の様な声を上げて受け止めた瀬人は、無意識に腹の上に散るモクバの髪を頭ごと掴んで強く己へと引き寄せた。きしりと頭皮が軋む痛みすらも兄を口腔に含んだモクバにとっては快感となる。

 熱く震える熱の塊を一際強く吸い上げて、兄の一度目の吐精を促す為に彼は緩く歯を合わせ、舌でそれを締めつけた。

 瞬間息を飲む音と共に饐えた匂いのする生温かい体液が口腔内に注がれる。それを余す所なく受け止めて、モクバは喉を鳴らしてその全てを飲み干すと、だらりと力なく垂れたそれを解放し、身を起こして肩で息をする瀬人へと深く口づけた。眉を寄せてそれを受け入れる兄の姿は、酷く淫らで浅ましい。けれど、とても美しく目に映る。

 僅かに開かれる熱に潤んだ蒼い瞳は、モクバの姿を鏡の様に映し出し、ゆらゆらと揺れている。再び伸ばされる細い指先。まるで縋る様な素振りを見せたそれは、モクバの背では無く、いつの間にか幾筋もの汗を滴らせている太い首筋へと回される。そして何かを探る様に皮膚を撫で、突き出た喉仏の感触を楽しむと、確かめる様に名前を呼んだ。

 モクバ、と甘く掠れる声に、そうだよ、と答えを返す。

 オレだよ兄サマ。だから安心して身を委ねて?

 まるで子供相手にする様に優しく囁きながら届く範囲全てにキスをすると、喉元にあった指先はするりと下へ落ちて行く。その軌跡を見届けながら、モクバは瀬人の白い太股に手をかけた。緩やかに開かせて、その先にするりと手を差し入れる。一度熱を吐き出して力を失った筈の彼の雄は、いつの間にか元の硬度を取り戻し、とろとろと新たな蜜を滴らせていた。

 それを丁寧に指に絡め、奥を探る。そして堅く閉ざされた場所へと辿りつき、二人が繋がる場所をこじ開ける。

「……っ、うあっ……」

 微かな苦悶の声が聞こえたが、構わず濡れた指をねじ込んだ。柔らかな肉は直ぐに馴染み、拒んだ事も忘れて奥へと誘う。頃合いを見て指を増やすと、自然と骨ばかりの腰が浮き、足がモクバを抱き締めた。いつの間にか、行方不明になっていた瀬人の手はモクバの雄にかけられている。

 握って扱き、粘った音を立てながら急激に育てて行く。最早二人の半身は体液に塗れ、どちらがどちらのモノかすら分からない。上がる声も、トーンこそ違うものの同じ響きを連れていた。こんな所に『血』を感じた。兄弟なのだと確信した。互いに限界まで昂ぶった熱を、重なる事で解放する。

 一つになる瞬間、きつく指先を絡め合わせた。モクバの甲に瀬人の長い爪が食い込んで痛みを齎す。そして瀬人もまた、モクバの握力の強さに骨が軋む痛みを感じた。

 だが今は、その全てが快感になる。

「ひあっ……あっ……くっ……んんっ!……」
「……兄サマっ……!」

 もし瀬人を抱くこの手が、弟である自分ではなかったら、容赦なく殺められていただろう。先程、喉元に伸ばされた指は、そう言う意味だ。

 弟だからこそ、許される。

 それ以外は、排除する。

 徹底されたその思考は、今も根強く瀬人の中で息づいている。そしてそれはこれからも変わる事はないだろう。結局彼はどんなに心を砕かれても、数多の人間と交わって愛を知り、成人を迎えても、『あの顔』を捨てる事は叶わなかった。

 身の内に巣食った残忍な感情は既に彼の心と同化していて、一欠片のピースを形成し、切り離せなくなっていた。廃人となった彼がもう一度立ち上がる為には、その穢れたピースをも嵌めこまなけらばならなかったのだ。

 ── だから、今も。

 幾度か同じ行為を繰り返し、すっかり疲れ果てたその身体を横たえながら、モクバは兄の胸元に頭を寄せた。そして甘える様に額を強く押し付けると、抱き締めてよ、と口にする。それに少しだけ呆れた様な溜息を吐きつつ、瀬人は口元に笑みを刷くと、既に自分よりも大きくなったその身体をそっと抱き締めた。

 柔らかく、温かな腕。

 愛と慈しみに溢れたそれは、昔から変わらない。

「ねえ、兄サマ。オレの事が好き?誰よりも一番大切だと思ってる?」
「……突然なんだ?」
「別にいいでしょ?聞かせてよ」
「勿論好きだぞ。大切だと思っている」
「何よりも?誰よりも?」
「ああ」
「一生、好きでいてくれる?」
「当たり前だ」
「……ありがとう。オレも一生兄サマの側にいるよ。何があっても。どんな事が起こっても」
「随分大げさだな」
「兄サマ相手じゃ大げさに成らざるを得ないんだよ」

 その身の内に潜む余りにも冷たく暗い、もう一人の兄の存在ごと、愛する事が出来るのは自分一人だ。いつか『彼』が兄弟と言う枷を壊し、瀬人の心の境界を越えてこの命を脅かす様になったとしても、それをねじ伏せるだけの力はある。気持ちもある。愛もある。心配する事は何もない。

「愛してるよ」

 柔らかく温かな腕の中を抜け出して、モクバは万感の思いを込めてそう口にする。そして今度は自らが両手を伸ばして瀬人の背を抱き締めた。

 少しだけ戸惑うその唇に、小さなキスを一つ落とす。まるで、幼い頃のお休みのキスの様な軽やかな口付けを。

 それに少々面映ゆい表情をして見せる顔はさながら天使の様な清らかさだ。昔から変わらない、自分だけに見せる特別の顔。

 何よりも大事にしたい、この宝を。
 生白いその身体をもう一度強く抱き締めて、モクバは再び陳腐な愛の言葉を囁いた。
 

 ── 優しい温度が、温かな闇を連れてくる。