カリスマ Act7

 ゆっくりと口に含んだ指を取りだして、少しだけ濡れているそれをシーツで軽く拭い、肩で大きく息をしている瀬人の顔へと静かに伸ばした。まだ本番前だっていうのに涙や唾液で濡れている熱い皮膚を軽く拭って、まるでオレに悪い事をされているみたいな目で睨んでくるその目元に軽く口付けた。

 そしてひっきり無しに浅い呼吸を繰り返す唇へ。閉じる事を忘れてしまったかの様なそこは、まるで迎え入れる様に柔らかくオレを包んで、伸ばした舌先にも積極的に舌を絡めてくる。口を塞がれている所為で出口を失った甘い声が、鼻に掛って妙な色を帯びて静寂を染める。

 ヤベ、もう限界だ。これ以上一秒だって待てない。

 なんだかんだ言って瀬人も此処まで来るともうオレに入れて貰う事しか考えて無くて、さっきまで何処となく反抗していた手足もしっかりとオレを捕らえて痛い位だ。特に髪を掴んでくる指先が凄い。このままほっといたら髪抜けるっつーの加減しろよ。でも、強請られるのは嫌いじゃないから「待て待て」って気持ちを込めて唇を啄みながら早く準備をしようと近間に放って置いたゴムに手を伸ばそうとしてふと考えた。

 うーん、今日はどうもそういう気分じゃねぇんだよな。今日はっつーか何時も本当はそうなんだけど。例えどんなに薄くて優秀な素材で出来て様が結局生には敵わない訳で。熱同士がダイレクトに擦れ合うあの感覚には程遠い。後がやっかいなのは嫌と言うほど良く分かってるけど、明日はどうせ休みだし、久しぶりだし、ちょこっと位サービスしてくれてもバチは当たんねぇと思う。うん。

 そう勝手に結論付けたオレは、折角瀬人が恥ずかしさに耐えて買って来てくれたゴムをあっさりと手放して、丁度オレの腰の辺りに絡んでいた奴の太股を掬いあげた。途端に合わせた唇の端から「待て!」と小さな声が上がって、瀬人はそれまで引き寄せるように掴んでいたオレの髪をぐい、と逆方向に引きあげる。

 ありゃ、バレたか。こいつ結構こういう細かいトコに気がつくんだよなーそう思いつつ、その動きに応えるように顔をあげると、案の定速攻抗議が飛んでくる。

「ん?何?」
「……っ何ではない!貴様、付けてないだろうがッ!」
「あれ、バレちゃった?だってさぁ、なんていうか今日は、もっとふかーく繋がりたいっていうかぁ」
「下らん事をほざいてないでとっとと付けんかッ!なんの為にオレが恥を忍んで購入してきたと思ってるんだこの阿呆が!」
「そうだよねー。でも、気分じゃなくなっちゃって」
「気分の問題じゃないッ!」
「いーじゃん別に。後始末面倒ならしてやるよ。むしろしたい」
「何?!このへんた……ッ!…んぁっ、あっ!……やめっ!」
「ここひくひくさせながらんな事言ったって可愛いだけなんですけど。ほんとはそんな事どうでもいい癖に。早く入れて欲しいんだろ?」
「なっ……!」
「極力中には出さないようにするからさ、ね?」

 予想通り猛然と噛みついて来るその言葉を封じるようにオレは少々ズルイかな、と思いつつ、散々弄繰り回して柔らかくなった後ろに指を伸ばして、焦らすように指先だけを入れて擦る。途端に口を噤まざるを得なくなった瀬人はぎゅっと目を瞑って必死に首を横に振った。

 その仕草がなんだか子供じみていてやけに可愛い。可愛いけれど、オレは言う事を聞く気はなかった。そのままの状態で瀬人の動きを強引に封じながら、さり気なく指を抜いて既に張りつめて痛い位の勃起を押し付ける。

 瀬人が半ば諦めて疲れた様に身体の力を抜く瞬間がチャンス。

 ひくり、と一瞬目の前の喉が震えた。

 同時にオレの身体がゆっくりと前に進む。

「── ひっ……う…っ……あぁっ!」
「──── くっ!お前、力、抜けっ!」

 幾分力を込めて先端を潜りこませると、ぐちゅり、とヤラシイ音を立ててオレの熱が飲みこまれていく。慣れてる行為とは言え、前回とのブランクがあるから瀬人の身体はなかなか拓いてはくれなかった。入れてるオレも結構痛い。

 オレがそうなんだから受けている方はいわずもがなで、痛そうに顔を顰めてきつく閉じた目の端から涙を滲ませながら、それでも必死にオレにしがみついて力を抜こうとしてる。なんか可哀想だ。けど、その姿に余計興奮する。

「──いっ!貴様、ふざけ、るなッ!」
「ご、ごめん。さっきもそうだけどこれは不可抗力で……もうちょいだから頑張れ」
「……うっ……くっ……んんっ!」
「……あ、いい感じ。……全部、入ったじゃん。大丈夫?」
「ふぁっ……あっ……!だ、大丈夫とか…っ!そういう問題じゃないわ!」
「やっぱゴム無し最高に気持ちいいわ。ちっと痛いけど」
「……っ死ね人でなし!!オレの方が何倍も痛いわ!」
「じゃあ抜こうか?」
「……………………」
「あはは。お前、大人になって素直になったよな。感心感心。じゃー素直ないい子にはご褒美上げないとな」
「な……あっ!……あぁっ、あ、は、ァあっ!!」

 その瞬間、瀬人は何か言いたげに口を開きかけたけど、それを遮る様にオレが緩く動きだしたから、それっきり、言葉らしい言葉は言えなくなった。未だ締め付けは緩む気配が無かったけれど、準備が出来るまで待っている時間すらもどかしくて、強引に、それでも一応相手の事も気遣いながら徐々に律動を早めて行く。

「はぁっ…!……あっ、やっ……んあぁ、あッ!」

 高く持ち上げた瀬人の足を肩にかけるように押し開きながら、限界まで腰を引いて、再び沈める。酷く単調な動きの筈なのに、どうしてこんなに気持ちがいいんだろう。幸せなんだろう。オレの皮膚にキツク食い込む長い爪の痛みさえも、余りにも心地良くて。

 オレはそれこそ夢中でその身体を抱き締めた。

「っ!せ、と……っ!」
「ひっ!……くっ……あっ、──あああっ!!」
 

 強く強く、このまま抱き殺してしまうんじゃないかと思う程、強く。
「なー海馬ーいい加減機嫌直せって。謝ったじゃんちゃんとー」
「……煩い。黙れ変態」
「ひでぇ。そんなちょっとハメ外した位で大げさな……」
「『ちょっと』?」
「あ、いやその……だ、大分……で、でもさぁ!」
「でももだってもへちまもないわ。死ね!貴様は何一つ自分で言った事を守らなかったではないか!」
「……だって気持ち良かったんだもん……んぎゃっ!!」
「ふざけるな!!」

 ドシャッ!と盛大な音がして、そば殻のたっぷり詰まったオレ愛用の巨大枕が顔面に激突する。衝撃で鼻が思いっきり潰されて、オレはその場にひっくり返ってズキズキととんでもない痛みを発するそこを押えて身悶えた。いってぇ〜!!これは痛い!痛すぎる!!羽根枕ならまだしもそば殻だぜ?!死ぬっての!!自然と出て来る涙をぼろぼろ零しながら起き上がると、目の前には不機嫌にも程がある海馬くんの怖い顔。

 あー、やっぱり怒ってらっしゃる。しかも尋常じゃなく。

 

 あれから結局オレの気が済むまで抱き合って、気付けば空が明るくなっていて。汗やら精液やらで酷い事になったシーツの上でぐったりしている海馬を恐る恐る綺麗にして、朝の爽やかな小鳥のさえずりを聞きながら、遅いんだか早いんだか分からないベッドメイキングをし直したオレは、とりあえず疲れたから既に爆睡してるんだか気絶してるんだか分からない海馬と共に眠ってしまい、宅配便の兄ちゃんが押したチャイムの音で漸く目が覚めた。

 不意に見た時計の針は既に12時を大きく回っていて、貴重な休日はもう既に半分過ぎていた。なんだか凄くがっかりだ。

 疲労で軋む身体を引きずって荷物を受け取り、そのまま珈琲でも飲もうかと一人でいる時は滅多に使わないコーヒーメーカーを棚の奥から引っ張り出して、これも一人では滅多に飲まない高級豆を手にする。

 数分後、コポコポという音と共に強く漂う香ばしい香りに、鼻歌を歌いながら揃いのカップを取り出してそこに注いで、意気揚々とベッドサイドへ歩み寄ろうとしたオレの目に飛び込んで来たのが、今も容赦なく突き刺さっているこの殺気だった眼差しだ。

 ひぃっ!と思わず声を上げて手にしたカップを取り落としそうになるのをなんとか堪え、オレはそうっと珈琲をちょっと遠い場所にあるキャビネットの上に置いて避難させると「おはよう」と言ってみる。それに返事が無かったから、今度はごめん、と言ってみた。そうしたら、海馬くんのお怒りに火がついた様で、掠れて殆ど聞き取れない声で何やら盛大に怒鳴っていた。

 要約すると、昨日のはやりすぎだって事らしい(結局途中で外に出すの忘れたし)。

 ……ごめんなさい。
 

「ま、いーじゃん。今日は外雨だぜ?家でゆっくりしよ」
「そういう事を言ってるんじゃないわ!」
「怒らない怒らない。今日一日下僕になってあげるから。なーんでも言う事聞きますよ、女王様」
「やかましい!」
「っつーかさーお前はそうやってオレばっかり責めるけど、なんでこうなるのかって考えた事ある?」
「……何だと?」
「お前が二ヶ月も三ヶ月もオレの事ほっとくからだろ。三ヶ月分を一晩で取り戻そうとするとこうなるんですー」
「はぁ?屁理屈を言うな」
「屁理屈じゃないし、立派な理屈だし。……だからさぁ、もうちょっと頻繁に帰って来てくれよ。せめて……そうだな、この髪に施したトリートメントが切れる前に。そしたらオレもお前の理想通りのセックスしてやるよ」
「何を偉そうに。してやるだと?自分がしたいだけだろうが」
「うん」
「あっさり頷くな!」
「ちなみに、今回のは高級で物凄く効果がある分持続性がないから、持って二週間だからな」
「二週間?!」
「そ、二週間。結構持つだろ?オレも頑張るから、お前も頑張って約束守れよ」
「待て、誰が約束すると言った」
「次は二週間後かー楽しみだなー。カレンダーに印付けておこ」
「おい凡骨!」
「あ、珈琲忘れてた。はい」

 そう言うと、オレはまだキーキー煩い海馬の口を塞ぐ為に、中身がたっぷり入った珈琲カップを強引にその手に押し付けて、言葉通り勝手に取りつけた約束の日……二週間後の日曜日に印を付けた。ご丁寧に、ハートマークで。

「これでよし、と。さて、動けない海馬くんの為に愛情たっぷりの手料理でも作りますかね。何かリクエストは?」
「貴様の作れるものなどたかが知れてるだろうが。殆どレパートリーが無い癖に」
「ばれてたか。とりあえず、たまごがあるからオムライスにします」
「殻を入れるなよ」
「任せとけよ。これでもオレ、手先器用なんだぜ。ゆくゆくはカリスマ美容師になるんだからさ」
「どうだか」
「そんときはお前、店のオーナーしてくれな。オレ経営さっぱりだから」
「それなりの腕になったらな」
「これ以上ない練習台があるから大丈夫。後でまた頼むわ」
「嫌だ」
「またまたー結構好きな癖に。愛情込めてしてやるから」

 な?

 そう言って、オレは殆ど空になった海馬の珈琲カップを取り上げて、まだ強く珈琲の香りがするその唇に小さなキスを一つ落とす。そして、オレが端正込めて作り上げた、絹の様な手触りの茶色の髪を軽く撫でた。
 

 サラサラと肌を擽るその感触が、例えようもなく愛しく思う。

 幸せだなぁ……と、心の底からそう思った。
 

 とりあえずは、今にも悲鳴を上げそうな腹の虫を抑える為に、完璧なオムライスを二つ作ろう。

 そして、その後は心行くまでこの手の中にある宝物を愛おしむ事に専念しよう。
 

「好きだぜ海馬。愛してる」
 

 ── これも一つの未来の形。


-- End --