Days of promise(Side.海馬)

 ダンッ、と力任せに扉を閉めた瞬間、遠くにいた教師が一瞬振り返り、咎めるような視線でオレを見た。それを何気なく見返して、おざなりに一礼するとさっさと踵を返しその場を後にする。

 閑散とした夕暮れの校舎内は薄暗く酷く不気味で、車を呼ぶためにかけた携帯電話の発信すらやけに響く。直ぐに出た運転手に指示を出しつつ、階段際にたどり着いたオレはふと立ち止まって背後を振り返る。遠くに聞こえるブラスバンドの音合わせらしい不協和音以外静かな空間。その中にとある音と姿を無意識に探していた事に気付いて、馬鹿馬鹿しさに首を振った。そして再び歩き出す。
 

 そう、あるわけがないのだ。
 ……奴がオレを、追いかけてくる事など。
 

『この大馬鹿野郎!お前なんか大ッ嫌いだ!』
 

 その日、いつもの通りの淡々とした言葉のやり取りの中で、何か気分を害する事でもあったのか、僅かに粗暴になった城之内の態度にオレもつい反応してしまい、口喧嘩に発展してしまった。意外な事に奴と話をするようになって双方の感情をぶつけ合う様な言い争いは初めてで、オレも何故あんな他愛のない事で感情を露わにしてしまったのか未だに謎だった。

 それまでは誰に何を言われても、ましてや凡骨ごときにどんな暴言を吐かれた所で、精々鼻先で笑ってあしらう程度で流せていた筈なのに、あの時は何故かそれが出来なかったのだ。

 結果、跋の悪さを隠す為に激怒している風を装って教室から飛び出してしまった。実際は扉を閉めた時点で怒りなど消えてしまった。

 そこにあったのは、自分自身に対しての驚きの感情のみだった。
『誕生日おめでとう。好きなんだけど、付き合ってくれねぇ?』
 

 そんな意味不明な言葉を城之内から投げ付けられたのは、約三ヶ月前の10月25日の事だった。

 その日はくしくもオレの誕生日で、たまたま時間に余裕があった為学校に顔を出していたのだが、登校したばかりの昼休みの時間に突然奴から「ちょっと顔貸せ」と声をかけられ、教室から一番近い人気のない音楽室へと連れ込まれた。

 それまで奴とは個人的に話をした事もなければ、そもそもその存在すらオレにはどうでも良く、必死になって考えた結果、遊戯と共にいた口の悪いヒヨコ頭の事だと思い出した。

 オレが遊戯の元仇であった所為か、顔を見せれば常に剣呑な眼差しをこちらに向け、口を開けば数少ないボキャブラリーの中から必死に選び出したらしいいかにも頭の悪い暴言を吐いてくる。そんな男に「顔を貸せ」と言われたら想像するのは余りよくない事ばかりで、奴の暴力や暴言に恐れなど微塵も感じなかったが、それなりの心の準備をしてその場所へと向かった。

 本当は断るか無視すれば良かったのだが、後々大きなトラブルに発展するのも面倒だと、オレは素直に従う事にしたのだ。

 そんな経緯を経て奴と僅かな距離を隔てて向かい合った瞬間、不自然な形に歪んでいた口が吐き出したのは、オレがどう足掻いても予想出来なかった台詞だった。

 奴がオレに投げかけたのは、暴力でも暴言でもなく、やけに真剣な……告白だったのだ。

 最初は意味が分からなかった。否、今でも意味が分からない。まさに晴天の霹靂、否、天変地異クラスだ。何がどうなって奴がオレにそんな感情を抱いたのか分からないが、オレが冗談だろうと一蹴すればするほど食い下がって来た。
 

『な、お願い。ずっとなんて言わねぇから。そうだなぁ……えっと、じゃあ三ヶ月!三ヶ月だけ付き合ってくれよ。お前の誕生日だった今日から、オレの誕生日まで!』

『よし。オレが忘れなければ、貴様の誕生日とやらに答えをやろう。それでいいな。何を言われても潔く諦めろよ』
 

 徐々に凄みが増してくるその表情に、段々と面倒くさくなってきたオレは、尚も真剣に言い募る奴の顔を見下す様に視線を落とすと、何時の間にか鳴り響いていた5時限目開始のチャイムに押される形で了承した。その時点で既に根負けはしていたのだ。

 これも気持ち的には音楽室へと行く時と同じだった。この場で断ったとしても顔からして諦めの悪そうなコイツに付き纏われるのは必至で、だったら三ヶ月と期限を切られていた方がまだマシだと思ったのだ。

 この時、奴はオレに「自分の気持ちを分かろうとしてみて欲しい」と言っただけで、一切他の要求をして来なかった。オレも自分から積極的にこいつに関わる気は無かったし、請われもしないから特に何もしなかった。自分から話しかける事すらしようと思わなかった。

 しかしただ一つだけ。

 オレに対して何かとアクションを起こす城之内の事を、考えてみるようにはなったのだ。
 

『お前、オレの名前すら知らねーだろ。オレのフルネーム言ってみ?』
『凡骨』
『そりゃお前が勝手につけたあだ名だろうが。オレの名前は城之内克也。OK?』
『どうでもいいわ』
『そう言わないで。別に名前で呼んでなんて言わないから』
『心配せずとも呼びはしない。鬱陶しい、向こうへ行け』
『はいはい。向こうに行きますよ。次まで覚えておけよ』
 

 あの三ヶ月宣言以降、奴は万事が万事こんな調子で、必要以上に近づいても来なければこちらが拒絶の意を見せるとあっさりと引き下がった。その間特に何かを強要された事もない。だからこそ、こちらが嫌悪を覚える事もなかったと言える。

 最初は名前を覚えろと言われ、無視をしていてもしきりに繰り返すものだから嫌でも城之内克也という響きが頭にこびりつき、ふとした瞬間に思い出すようになった。それが奴がオレに接触し始めてから一週間目の出来事だった。

 それからと言うもの学校にいれば視界に常にあの姿が入るようになり、いつしか他の人間を交えなくてもぽつぽつと会話らしいものが続くようになった。そして気が付けば、誰もいない空間で二人でいても大して気にならなくなった。向こうへ行け、という言葉をかける事を忘れていた。

 それは余りにも極自然な距離の縮まり方で、オレさえも他人に指摘されなければ全く意識出来なかった。奴のこれも一つの手腕なのだろうか……そんな所に驚かされた。

 驚いて、ほんの少しだけ、心がざわついた。
 それをはっきりと自覚させられたのは、あの小さな諍いあってから少し経った時だった。図らずもその週は仕事の方が立て込んで、時間を取る暇もなく学校へと足が向かなかった。

 今まではそんな事は日常茶飯事で意識する事すらしなかったが、時たまカレンダーを目にしては今日で何日目、と心の中でカウントをしてしまう。そんな自分に気付いて少し苛立たしげに眉を寄せると、ふとその様子を見ていたらしいモクバが、無邪気な笑顔と共にオレの顔をみて、こんな事を口にした。

「兄サマ、さっきからカレンダーばっかり見てる。学校に行けないから気になってるの?」
「……は?どういう事だ?学校?」
「うん。だって兄サマ最近学校にマメに行ってたし、凄く楽しそうにしてたから。なんかいい事あるのかなぁって」
「オレが、か?」
「そうだよ。気付かない?」
「いや、心当たりなどない」
「そうなんだ。オレにはそう見えたんだけどなぁ」

 兄サマも学校で友達作ったり、もしかしたら好きな人でも出来たのかなって期待したのに。そんな小生意気な事を口にして再び笑ったモクバの顔を呆然と見返しながら、オレはまた心の奥底が波立つのを感じた。

 モクバには心当たりなどないと答えたが、その実一つだけあったのだ。オレの単調で無意味なつまらない学生生活の中に、ほんの僅かな……いや、今までの事を考えればそれは大きいと言えるかもしれない変化が。
 

 それから暫くして、磯野から昨晩会社に城之内から電話があったと聞かされた。その話を聞いた瞬間眉を潜めるオレに、実は…と前置きした奴が言うにはその電話が始めてのものではなかったらしい。余りに何度も掛かってくるから、一応伝えなくてはと思ったらしい。用件はと尋ねるとオレに直接話すと言って譲らず、更に追求したところ学校であった事に対する謝罪がしたいと言ったそうだ。

 何が謝罪だ。意味がわからん。そんなことの為に会社に電話をしてくる馬鹿が何処にいる、とオレは呆れた。そして同時に互いに連絡を取る手段を教えあってはいなかった事に気づく。

 よくよく考えてみればそれは当然の話だ、オレ達は友達でもなんでもない。そんなものを教える必要も義理もない。大体電話などで何を言おうと言うのか。馬鹿馬鹿しい、付き合っていられない。そう、付き合っている暇などないのだ、凡骨などに。

 そう思い至ったオレは直ぐ様磯野に「その対応でいい。これからも仕事関係の電話以外は一切取り次ぐな」と言い捨て、何か言いかけたその顔に背を向けた。そして足早に自室へと帰って行く。けれど何故か心中は穏やかではなかった。普段と特に変わらない、何の変哲も無い言動をした筈なのに、どういう訳かほんの僅かな怒りを感じた。その怒りが何に係るかまでは思い至らずに。

 扉を開けて部屋に入った瞬間、オレはまた無意識の内にカレンダーへと目を向けた。今日は1月24日の日曜日。明日は月曜日だ。学校がある。……けれどスケジュールも詰まっている、行く事は出来ないだろう。

 そこまで考えて、ふと、ある事を思い出した。
 

『お前の誕生日だった今日から、オレの誕生日まで』
『こんにちは海馬くん。お仕事中にごめんね。童実野駅近くのファミレスに城之内くんと二人でいるよ。なんかよくわかんないけど喧嘩しちゃったんだって?城之内くん大分落ち込んでるみたいだよ』
 

 遊戯からそんなメールが届いたのは、窓の外も大分暗くなった夕方の事。溜まっていた仕事も粗方片付き、今日はモクバと共に夕飯が取れると密かに嬉しく思っていた矢先だった。そのメールを見た瞬間オレは声に出して「だからなんだ」と呟き、無視をしてやろうかと思ったがメールのヘッダーに記された日付を見て暫し悩んだ。
 

 1月25日、約束の日。
 今日はオレが、奴に答えを与えると宣言した日だった。
 

 携帯を片手に暫し悩む。オレは、どんな相手とであれ、一度した約束を破る事は嫌いだった。しかし、それを守るという事は答えを用意した上で奴に会わなければならないという事であり、その答えは可か不可かの二択でしかない。曖昧な事はもっと嫌いだった。

 徐々に闇に沈んでいく外の風景を視界の端に捉えながら、今までの事を思い出す。そして、これから先の事をシュミレートする。何時の間にか、オレの中に極僅かではあったが確かな場所を確保したその存在。城之内克也。

 無視しても、拒絶しても、決して諦めずに適度な距離を保ちつつ付き纏ってきた奴の根気強さを、オレは呆れ果てつつも確かに評価していた。心がざわめいたのも事実だった。それが、どういう意味なのかは未だ良く分からないが、面倒だから切り捨てようという気持ちは無くなっていた。
 

 それどころか、興味を持ったのだ。奴に。城之内に。
 

 そう思った瞬間、お節介な遊戯に「下らん情報を送ってくるな」と返そうとした携帯を即座に閉ざし、机上の受話器を取ると車を出すように命じ、遊戯が言っていた童実野駅近くのファミレスへ、とただそれだけを口にした。

 そして、ちらつく雪を忌々しく思いながら、オレは店内にいる奴を視界に捕らえつつ車から降りて、寒空の下に立ち尽くしたのだ。

 答えを、与える為に。
『えっと……なんて言ったらいいのか分かんねぇけど。いいんだよな?』
「何がだ」
『この番号教えてくれたって事は、そういう事だろ?』
「そうだな。物凄く不本意だが」
『そっか。なんでもいいや。お前がオレに興味を持ってくれるなら』
「その上で幻滅して終わりかもしれんがな」
『そうならないように頑張るし。……この間はゴメン。なんかオレ、調子に乗ってた』
「そうか。オレもだ」
『え?どういう事?』
「こっちの話だ」
『……なんかよく分かんねぇけど……。あ、そんな事よりオレお前に言いたい事があったんだ』
「なんだ?」
『ありがとう。今日は人生で一番幸せな誕生日になったぜ』
 

 もうほんとドキドキした。死ぬかと思った。

 そう言って、携帯の向こうで笑うその間抜けな声を聞きながら、オレは自分が奴に与えた答えが、奴にも、オレにも正しいものだったと言う事を知る。
 

『誕生日おめでとう。仕方ないから付き合ってやる』
 

 好きとか嫌いとか、そういう次元では決してないが。もう少しだけ、付き合ってみようと思ったのだ。
 

 海馬、と嬉しそうに口にするその声に、また心がざわついたから。


-- End --