Act10 それからの優等生

 衣替えという季節の変わりを見た目で感じる日が過ぎてから一週間。その日は朝から少し汗ばむ陽気で、誰もが目に眩しい白いシャツを纏っていた。毎年その最中でも、『彼』は周囲から一線を描くように、他の季節と同じ様に厚い学ランを来ているのが常だった。

 その理由を影でひそひそと憶測する者は多かったが、『彼』自身に直接的に訊ねる勇気のある者は武藤遊戯以外にいなかった。その遊戯でさえ、とってつけた様な適当な理由であしらわれて、無理矢理納得させられる始末だった。幾ら食い下がっても結果は同じで、その内遊戯も諦めてしまい、それはクラス内では特に珍しくないモノになってしまった。
 

 『彼』こと海馬瀬人が学ランを着続けた理由を知るのは唯一人。彼に「全く興味がない。むしろ存在が目障り」と豪語していた、城之内克也だけだった。
 

「おはよう海馬くん。衣替えになってから初めてだよね?……えっと、三年生になってから何回目?」
「最初のテストの時に来ただけだから、二回目かな。仕事が忙しくてね」
「最近KC凄いもんね。僕も良く海馬ランドに遊びに行くけど、毎回違うアトラクションがあってとっても楽しいよ」
「そう。ありがとう」
「それにしても……海馬くんのカッターシャツ姿って始めて見たよ。今まで絶対学ラン脱がなかったのに、今年はどうしたの?」
「必要が無くなったからね」
「え?」
「学生服を着続けていなきゃいけない理由が無くなったから。だから、脱いだんだ」
「?そうなんだ」
「ああ」
「でも海馬くんの肌の色って真っ白過ぎて半袖になったら直ぐに焼けちゃいそう。さっき杏子が文句言ってたよ。男なのにズルイって」
「少し位焼けた方が健康的だなんて弟には言われてるよ」
「あはは、そうだね」

 海馬が教室に足を踏み入れるのとほぼ同時に駆け寄って来た遊戯に、笑みさえ浮かべながらそう答える彼が身に着けていたのは、遊戯が言う通り他の生徒と同じ白いカッターシャツだった。そこから見える色素の薄い首筋や細い手首に色素の変化はなく、何処までも綺麗な乳白色。少し前まで濃紺の学ランと袖の少し長い長袖シャツに頑なに隠されていた、見るに耐えない傷跡や紫色の痣はもうどこにも見えなかった。

 何時の間にか身に纏っていた柔和な雰囲気も相まって、そこに存在するのはかつて小悪魔の様に人を魅了したあの海馬瀬人ではなかった。

 遠く離れた自席からその様を眺めていた城之内は、こちらは少しも変わらない様相のまま、小さく溜息を吐く。その口の端は先日下校中に殴り合いの喧嘩をした名残が残っていて、今でも指で触れると少し痛む。けれど、その後の処置が良かったのか、思ったよりも酷くならずに治りそうだった。今朝付けた消毒薬の匂いが鼻を擽る。

「城之内くん!ほら、海馬くんが半袖なんて珍しいでしょ?」
「んなどーでもいい事をオレに報告すんな。体調良くないんだからよ」
「……また喧嘩?君はいい加減考えるよりも先に手が出る癖を改めた方がいいみたいだね、城之内くん」
「うるせぇよ優等生。殴るぞ」
「暴力は駄目だよ。でもほんと、この間の全国模試もトップだったもんね。海馬くんってやっぱり凄いなぁ」

 薄いカーテンの隙間から入り込んでくる初夏の風が頬を撫でる。酷く穏やかな日常風景。柔らかな朝日が相変わらず金に染めた城之内の髪を輝かせ、変わらないその色に海馬は少しだけ目を細めた。その様を腕を組んで机に突っ伏した姿勢でいた城之内は、僅かに空いた隙間から眺めていた。
 

 城之内があの屋上で海馬に告白めいた言葉を投げつけられてから、既に一年の月日が経っていた。
 

 元社長である海馬剛三郎の死によって、揺らぎながら劇的な変化を遂げて行った海馬コーポレーションは、社長である瀬人の尽力により漸く総合アミューズメント企業としての地位を確立出来た。地元である童実野町に設立された巨大遊園地、海馬ランドを初めとして様々な施設やゲーム等娯楽品を世に送り出し、瞬く間にトップ企業へと成長した。

 現役高校生社長である海馬は、昔こそその肩書きの特異性故に一部では注目されていたものの世間的には然程名が知れている訳ではなかったが、今やその名を知らない者がない程有名になってしまった。

 その一方で急成長を遂げた企業に対して下世話な勘ぐりをする事を常とするマスコミからは、あらゆる憶測も流された。虚偽と真実がない交ぜになり混沌とした情報に世間は翻弄され、その度に海馬本人に対するイメージも変化した。

 しかし、それらは全て海馬自身の手で払拭された。齎された裏的な情報の中には、それまでの海馬の素行を知る者からみれば真実である事も多かったが、その真実を虚偽だと握り潰してしまえる程彼は変わった。
 

 あの日以来、彼は仕事と称して意に沿わない男と寝るのはやめたという。
 

 その身体にまるで枷の様に刻まれていた陵辱の痕はうっすらとその痕跡を残すだけとなり、見える部分にある余りに目立つものへは皮膚移植を施した。そしてマスコミへの露出を増やし、クリーンなイメージを保つ為に、高校生という肩書きを嫌という程利用した。

 更に正当な手段を持って大企業との提携を結び、持ちえる技術を全て使い、世界唯一のソリットヴィジョンシステムなるものを開発した。それにより莫大な益を得、会社も安定した彼は今、漸く本来の学生生活へと戻ってきたのだ。

 余りにも大きな変化だった。一年前の出来事が嘘のようだと、その全てを知る城之内は複雑な思いでその姿を見あげる。
 

『貴様に言われて余りにも腹が立ったから、やり直す事にした』
 

 屋上での一件後、数日経ってから海馬はあの夜のバイト先にやって来てそんな事を口にした。時間が時間故にまた誰か男と過ごすのではないかと即座に詰った城之内だったが、彼はその事について事も無げに「もうやめた」と言い捨てた。

 そういう柵も後ろ暗い事も全て捨てて、希望も何もない死んでいるのと同じような生き様を改めるのだと、そう言って……彼は笑った。何の屈託もなく、笑ったのだ。
「学校に顔出すなんて何の気紛れだよ。そんな暇ねぇ癖に」
「学生が学校に来るのがそんなに可笑しいかな」
「てめぇの場合もう学生じゃねーだろ。社長さん。これ見よがしにそんな服装できやがって。何?これもイメージアップ戦略とやらの一つですか?」
「まさか。そんな事をしなくても、もう十分だからね」
「アイドルグループにでも入ったらいいんじゃね?この間も全く経済関係ねぇ雑誌の表紙モデルやってただろ。気持ち悪ぃ。大概にしとけよ」
「別にやりたくてやっている訳じゃないよ」
「じゃーすんな。調子に乗ってるとてめぇの過去全部マスコミにチクってやるからな。すげぇ金になるんだろうなー。その辺の三流紙に売ったらすげぇぞ。『淫乱高校生社長の真実』とか陳腐なタイトルで載るんだぜきっと」
「やってみればいいさ。その時は君も諸共だ」
「なんでオレもだよ」
「事ある毎に暴力を振るっていた癖に。警察に証拠と共に提出すれば立派な傷害罪だよ」
「証拠なんてあんのかよ」
「あるに決まってるだろ。僕はそこまで間抜けじゃない。自らが実行する時には証拠は残さず。他人にされる時は確実な証拠を残しておく。基本だろう?それさえあれば後々助かるからね。脅しの材料にだってなる」
「………………」
「まぁ、君を脅しても何の得にもならないけどね。叩けば埃しか出ない体じゃあね」

 ふふ、と小さく笑って、海馬の身体がフェンスへと凭れ掛かる。太陽を背にしたその姿は上半身の白さの所為で酷く目に痛い。じりじりと肌を焼く真昼の日差しは、余り外気に触れた事がないその皮膚に悪影響を及ぼさないのだろうか。既に小麦色を通り越して茶褐色になりつつある己の腕とフェンスに張りつく気味の悪い程細い腕を見比べて、城之内は僅かに目を細めた。

 頭上に広がる青空と同じくどこまでも爽やかな初夏の風が頬を撫でる。見上げた白い顔は穏やかな笑みを浮かべていた。

 最初は酷く作り物めいていると感じたその表情も、今ではこれが素なのではないかと錯覚する程板についてきた。自らの生そのものを諦め輝きさえ失っていた青の瞳も、仕方ないと全てを放棄するように言葉を吐き捨てていた色の悪い唇も、あの様相はまさに夢だったのかと思う程綺麗なものに変わっていた。中身が変わると言う事は外見さえもここまで見事に変えてしまうものなのだろうか。

 城之内はそんな下らない事を考えつつ、こちらは何一つ変わらない表情で小さな舌打ちを一つすると、制服の内ポケットから当たり前のように煙草を取り出し、ライターを探った。何処へしまったのかなかなか見つからない。もしや鞄の中に入れっぱなしだっただろうか。今朝からの記憶を辿りつつ空いた左手をあちこちつっこんでいると、不意に目の前が翳った気がした。何、と思う暇もなく右手の煙草の箱が消える。くしゃりと薄いビニールが擦れる音がした。

「!!てめぇ!何しやがる!」
「まだ、こんなの吸ってるんだ?メンソール系ならガムで十分だろう?」
「関係ねぇだろうが!返せよ!」
「返して欲しければ奪い取ってみればいい」
「ふざけやがって!調子こいてんじゃねぇぞ海馬ァ!」

 城之内の手の中から奪った煙草をこれ見よがしに掲げながら、何時の間にか目の前に立っていた海馬が薄く笑う。にやりと口を歪めた笑い方は既に懐かしいとさえ感じる一年前の海馬そのもので、その笑みに挑発されるままに距離をおいたその身体に飛び掛った城之内は、勢い余って掴んだ海馬ごと薄汚れたコンクリートの上に倒れ込んでしまう。鈍い衝撃音と短い悲鳴が重なり、ザリ、と靴底と砂が擦れる音が響く。

「……痛いなぁ。飛び掛る事はないじゃないか」
「るせぇ。てめぇが悪いんだろうが」
「そういえば最近、君から殴られる事、なくなったね。溜まったストレスはどうしてるの?」
「殴るだけがストレス解消法じゃねぇだろ」
「まぁ、そうだけど」
「いい加減、猫ッ被りはやめろ。腹が立ってしょうがねぇから」
「別に君に喜んで欲しいなんて思ってないんだけど」
「うるせぇよ。口塞ぐぞ」
「歯を磨いてからにしてくれないかな。煙草の匂いは嫌……」

 瞬間、ぐしゃりと海馬の手の中の箱が音を立てて潰された。同時に距離がゼロになる二つの顔。角度を変えて触れては離れを繰り返し、徐々に湿った水音と鼻に掛かった声や吐息が漏れ始める。

 真昼の、誰もいない屋上の真ん中で、殆ど対照的な二つの身体はまるで互いを貪る様に重なり合う。揃いの白いシャツは肌蹴、濃紺のズボンは傍らに脱ぎ捨てられ、傷だらけの身体同士を抱きしめ合い、名前を呼ぶ。
 

 一年前にはこの場では血生臭い暴力が繰り広げられていたと言うのに、それが何時の間にかこんな行為に変わっていた。
 

 城之内も、あの日以海馬に手をあげる事は無くなった。海馬が変わったように城之内もまた、多少の変化が見られたのだ。それは、あの告白めいた言葉が切欠になったのだろうと彼自身は思っている。

 頬を殴ろうと振りあげる拳の変わりに口付けを。腹にめり込ませようと蹴りあげる足の変わりに海馬の中に自分を突き入れ、欲望を解き放つ行為。それは城之内に暴力によって得られる快感の何倍もの心地よさと充足感を齎した。そして海馬にとっても、やめてしまった枕営業の変わりとなっているのか、その行為はプラス要素になっていた。

 学校で、互いの家で、外のどこかで。二人が顔を合わせれば、必ず『それ』が遂行された。互いにストレスの解消だと、溜まった鬱憤を晴らすためだとそう言い切って、幾度も幾度も繰り返した。そこに愛だの恋などという甘い感情は付随せず、終わった後に必ずどちらかがこう言うのだ。
 

『お前の事なんか大嫌いだ』と。
 全てが終わって、乱れた何もかもをおざなりに直しながら城之内は、隣で同じ様にシャツに手をかけている海馬を眺めていた。

 直ぐに隠されてしまった箇所には相変わらず醜い傷痕が残されてはいたが、服を着てしまえばそこには今時珍しい位何もかもが整った優等生に戻る。しかし、俯き加減のその顔には先程まで見せていた柔和過ぎる優しい笑顔は欠片もなく、小憎らしい笑みを湛えた昔の海馬瀬人がいた。

 否、昔というには少々語弊がある。正しくは城之内しか知らない海馬瀬人だ。

 海馬は、相変わらず城之内の前でだけはもう一つの顔を見せていた。そう在る事が当たり前だといわんばかりに、自然と表情も口調も変わってしまう。意図的かと思いきや、彼曰く無意識なのだという。貴様といる時は、何故かこうなる。少し首を傾げて本当に不可思議だと言わんばかりの表情でそう呟いた海馬の顔には嘘はなかった。

 その事が城之内にとって何に対してかは分からないが、ほんの僅かな優越感になっている事を彼は知らない。多分知る事もないだろう。

 そんな事を考えながら器用に動く白い指先を見つめて口を開く。
 

「いつまでこんな事続けんの?」
「さぁ。高校卒業までではないか。そこからはもう無関係だろう」
「無関係ね。確かにそうだな。てめぇはそのまま社長続けんだろうし、本気だしゃー世界も握れるってね。オレはオレでもっと稼ぎいい仕事探してとっと借金返して……そっからどうすっかな。良く考えたら夢なんてねーよな」
「夢か」
「そんなくだらねぇもんって思っただろ、今」
「いや?オレとて夢の一つや二つは持っていた」
「へぇ?死んだ魚のような目をしてたてめぇが夢とか笑わせるなよ」
「最初は夢の為に血反吐を吐く思いで地獄へと足を踏み入れた。が、その地獄がオレから夢を奪い、生きる希望も失った。モクバがいたからこそ耐えて来られたが、その代わり何もかもを諦めるようになった。一年前のオレは、死んでいるのも同じだった」
「……なんだよ急に。しかも全部過去形かよ。じゃあ今は?今は、どうなんだよ」
「生きている」
「なんだそりゃ。ふざけてんのか。見りゃ分かるっつーの」
「貴様のお陰で、夢も取り戻した。だから、生きている、と胸を張って言える。気力もある」
「な…………」
「全て嘘と偽りで固めた学生生活だったが、最後の一年ぐらいは『まとも』にやろうと思う位にな」
 

 最後のボタンをきっちりと嵌め直し、少し汚れてしまった箇所を払うように手で叩くと海馬は先に立ち上がり、城之内を見下ろした。口元には、淡い笑み。いつもの人を小馬鹿にしたようなそれではなく、本当に純粋な笑顔だった。
 

 その笑顔に、城之内は何故かドキリとする。こんな事は、初めてだった。

 そんな彼を特に気にせず見つめたまま、海馬は再び口を開く。
 

「また暫くは学校に来ない。今日も本当は、来るつもりなどなかった」
「じゃあ、なんで来たんだよ」
「理由を知りたいか?」
「別に、そんなのオレには関係ないからどうでもいいけど」
「そうか」

 海馬の笑顔と思いがけない言葉に、城之内は反射的にそう答えてしまう。すると海馬は存外素直に口を閉ざし、視線すら外してしまった。城之内の言葉をそのまま受け取って、本当に言わないつもりらしい。再び、風が吹き抜ける。少しだけ生温くなったその流れは、汗が引き始めた身体を心地良く撫でていった。

 直ぐ傍で、5時限目終了のチャイムが鳴る。
 

「……なんだよ。気になるじゃねぇか。言えよ」
「その前に、今日はまだ言われていないと思うが」
「?何をだよ」
「恒例の、あの台詞だ」
「あの台詞?……ああ、いつものアレか。もうどうでもよくね?お互いに分かってるんだしよ」
「そうだな」
「じゃあ、いいだろ。そんないちいち確認しなくてもオレはお前の事なんか……」

 ── 嫌いだ。

 そう、いつもの調子で城之内が吐き捨てようとしたその時だった。

 遠くにあるはずの海馬の顔が急に近づき、目の前に迫る。何時の間にかその場に膝をついていた彼は緩やかに城之内の身体に手を回すと耳元に唇を寄せる。
 

「好きだ」
 

 鼓膜を震わせる、甘い声。まるで悪魔の囁きのようなそれは、一瞬にして城之内の背を強張らせた。

 その様をやはり笑みを浮かべて見下ろして、海馬は直ぐに立ち上がる。

「城之内。オレは昔、オレを好きだという人間を信用しない、と貴様に言ったな。だからオレもこの言葉を決して口にはすまい、と思っていた。だが、今は違う」
「………………」
「貴様は変わり、オレも変わった。今なら、この言葉を信じられる気がする。だから」
「だから、なんだよ」
「別に。オレが言いたいのはそこまでだ」
「なんだよそれ?!」
「答えは自分で考えるんだな。次回必ず聞いてやるから必死に考えてみるがいい」
「ちょっと待てよ!」

 自分からとんでもない事を仕かけたにも関わらず、至極あっさりとその場を後にするべく歩き出す白い背中に、城之内は手を伸ばす。しかし、歩幅が大きな人間と未だ地べたに座り込んでいる人間とでは余りにも機動力の差が大きく、結局城之内が立ち上がって駆け出す前に海馬は出入り口の扉に手をかけてしまう。

 最後に、一瞬だけ振り向いて、彼はにこやかな笑みつきでこう言った。
 

「今日は君に会いに来たんだよ、城之内くん。告白をしにね」
 

 扉が閉められる音と共に、城之内の膝が屑折れる。まさに唖然呆然というか、予想だにしない事態だった。あの、海馬が。海馬瀬人が、自分に向かって好きだと言った。一体なんの冗談なのだろうか。
 

「……なんだそれ」
 

 思わず、口元から笑みが零れる。腹を抱えて笑いたい気分だった。こんなにも可笑しい気分になったのは生まれて初めてだった。実際、気が付けば声を立てて笑っていた。

 大声で、笑いながら、泣いていた。
 

 ── てめぇの事なんか大嫌いだ。
 

 そんな一言から始まった非常識な関係は、何時の間にか思いもしないものになっていた事を、城之内はその時初めて気づいたのだ。気付いて、そして自覚した。自分も、海馬が口にした言葉とまるで同じ台詞を叩きつけてやりたかったのだと。畜生、先を越された。本当にクソ生意気な野郎だ。一発殴ってやらないと気がすまない。そうだ、昔のように。

 そう思った城之内は、すぐさま勢い良く駆け出すと、海馬の消えた扉を明け、階段を一気に駆け下りた。長い廊下を全速力で走り、内履きのまま昇降口を抜け、遠い門の向こうに見える黒塗りの高級車とそこに向かう白い後姿に追いすがる。そして、驚いて振り向いたその身体に手を伸ばした。

 しかし、彼が次に取った行動は拳を振りあげるでも、足で蹴りあげるでもなく、全く別の……海馬がそれまで心の底から嫌悪していた恋だの愛だのに付随する、甘やかな行為だった。
 

 『不良』城之内克也と『優等生』海馬瀬人。
 

 彼等には、彼等にしか知らない秘密と想いがある。
 両極端の二人がそれからどういう関係を築いていったのか、知る者はただ一人。
 

 瀬人の弟の、海馬モクバだけである。


-- End --