Act9 そして迎えた新学期

「おはよう、本田!城之内!」
「おはよう二人とも。久しぶりだね」
「おう。遊戯、杏子、はよー。春休み、短かったなぁ。な?城之内!」
「………………」
「あれ?なんか元気ないわね、城之内」
「杏子、城之内くんはね……」
「補習とテストで春休みがなかったんだよなー!うははははは!進級おめでとう!」
「……あーもう、うるせぇうるせぇ!黙りやがれ!!」
「あっきれた……海馬くんにあれだけ付き合って貰って赤点取ったの?そういえばあんた、テストの日いなかったわよね?」
「城之内くんは凄く頑張ったんだよ!無事三年生になれたんだからいいじゃん、細かい事言わなくても」
「うるせぇって言ってんだろ!どいつもこいつも馬鹿にしやがって!」
「まーともかく。三年はクラス替えもないし、また一年宜しく頼むぜ」

 バン、という派手な音を立てて本田の掌がオレの背中を叩きつける。その勢いにちょっとだけ前につんのめりながら、オレは凄く複雑な気分で暖かな春の空気に似つかわしくない重い溜息を吐いた。

 四月の第一月曜日、新学期が始まる日。約二週間強の春休みを終え、オレ達は普段通りの通学路で顔を合わせ、軽口を叩きながら学校へと向かった。教室は、皆同じ三年生のクラスがある東校二階。二年の時に使っていた西校舎とは対の位置にあるこの部屋に、オレが足を踏み入れる事が出来たのは、まさに奇跡としか言いようが無かった。
 

 だって一回落第食らったし。実際学年末テスト、赤点まみれだったし。
 

 テストが帰ってきて、海馬にマジもんの決別宣言を突きつけられて、傷心のオレはその日かなり落ち込んで布団の中で丸まってふて寝した。次の日からは普通にバイト入れてたし、どんなに凹んで足掻いたとしてももうどうにもなんねぇし、成るように成れとしか思いようがねぇじゃねぇか。

 次の日の朝、そんな殆ど投げやりな気分で起き出して、久しぶりの新聞配達に頭をくらくらさせながら励んで学校に行ったら……朝一番でセンセイに呼び出されて、前の日とは全く正反対の、留年っていう二文字が綺麗さっぱり消える様な信じられない話をされたんだ。

 ……まあそれと引き換えにオレの春休みは無くなったわけだけど。こうして皆と仲良く同じ教室に入る事が出来た。三年、の文字が偉く眩しい。

「あ、海馬くんだ!おはよう!」

 不意にオレの少し前を歩いていた遊戯が、そう言って小走りで教室の中に駆け込んでいく。その後姿を追う形で視線をあげると、その先には確かに海馬の姿があった。三年生とは思えない、新品同様の学ランをきっちり着込んで、すっかり優等生モードで席に座ってやがる。

 初日の席順は出席番号順だから、海馬は珍しく前から二番目の真ん中にいた。遊戯の声がけに顔を上げて、何か喋ってる。奴の青い目が一瞬オレを見て、意味あり気に口の端が釣り上がる。人を完全に小馬鹿にしている憎ったらしい笑顔。うっわー新学期早々可愛くねー!

 ……けど。オレはこいつには絶対頭が上がらないんだ。

 何故なら、オレの進級に一役買ってくれたのは、海馬だったから。
 

 
 

『あぁ、それは……海馬がな。お前の事は自分が責任を持って面倒を見てやるから、もう一度だけテストを受けさせてやって欲しいと言ってきてな』
『えぇ?海馬が?!』
『学年で一人だけ落ち零れるお前を気の毒に思ったんじゃないか?まあ、オレとしてもクラスから留年者を出すのは正直なところ避けたいんでな。春休み中の二週間の補習と、最終日のテストで赤点を出さなければ進級させてやる、という事になったんだ』
『……はぁ』
『あの海馬だからこそ意見が通ったんだぞ。お前、あいつに感謝しろよ』
 

 呼び出された担任の話を一通り聞いて、最後にどうしてそんな事になったのかを訊ねたオレに返って来たその言葉を聞いたオレは……まさに唖然呆然だった。

 まさか海馬が、オレをあっさり見捨てて出て行けと大騒ぎしたあいつが、あの後わざわざ担任に連絡を取って、オレの事をとりなしてくれるなんて思わなかった。確かに、学年一優秀な生徒からのたっての希望をまるっきり無視するほど学校も薄情じゃない。担任の言う通り海馬だからこそ通った話だったんだろう。

 それを奴は絶対見越してたに違いない。不正は好きじゃないとか言っといて、しっかりそういう事をしてくれる海馬にオレは心底感動した。

 ……まあ、厳密に言えばとりなしは不正じゃないけどさ。頑張って勝ち取ったのはオレの実力だし。最高得点32点だったけど。

 その日オレはすぐさま海馬の元へと飛んで行って心の底から、真面目に感謝の言葉を口にした。そしたらあいつ、やっぱり小憎らしい顔をして、つんけんしながらも後二週間の地獄に耐えろ、とか言っちゃってさ。……実際地獄の二週間を過ごしたわけだけど、あの言葉通り海馬もちゃんと付き合ってくれて、今度はオレも余計な事はしないで真剣に取り組んで、見事今日、この教室に籍を置く事が出来たんだ。

 え?別れる別れないはどうなったかって?そりゃ勿論無効だろ。無事進級できたんだし、テストが終わった日はちゃんと普通の時間を過ごしてやる事やったしさ。だから、結果的には完璧なほどの円満解決だったんだけど、どうにも心の底から喜べないんだよな……。つーか、これまた自業自得だけどさ。

 何故なら……。
 

「えっ、城之内くん、休み明けテストで30点以上取れないと進級取り消しなの?!」
「あぁ、その様だな」
「じゃあ、まだテスト期間、終わってないんだ?!……って僕もまだ宿題終わってないから一緒なんだけどさ」
「テストは、三日後じゃなかったか?」
「うん、確かそうだった」
「では、今日から徹夜でもするんだな。あの男はそうするぞ」
「……え。それはちょっと。僕はまだ、大丈夫だし。……でも、城之内くん、徹夜するんだ?また、海馬くんちで?」
「さぁ。それは奴の判断だろう?オレは付き合ってやる気があるんだがな」
「………………」
 

 …………そう。そう、なんです。

 オレのバトルフェイズはまだ終了してないんです。
 

 天使の様な海馬くんには、やっぱり悪魔の尻尾が生えていて……奴は勝手に担任と変な約束を交わしてやがったんだ。
 

『今後のテストで全教科30点以上を取らないと即落第』
 

 ちょっと!!20点でもがいていたオレに30点を取れとかマジデスカ?!

 そう騒いだら海馬は「大丈夫だ。貴様はやれば出来る」とか超無責任な事を言って放置プレイと来たよ!お陰でオレは直ぐそこに迫っている休み明けテストの為の勉強をしなくちゃならなくて、引き続き海馬邸にやっかいになっている。

 海馬はオレに条件を出してクリアをさせる事や、出来なかった場合のペナルティをいたく気に入ったらしく、今や何から何まで条件付だ。キス一つ、セックス一回するのまで!

 不満を漏らすと「一体誰のお陰で貴様は留年を逃れたと……」とか恩着せがましく言ってくる。……あの、それって全部お前の思い通りにするって事じゃん。超卑怯だろ。キスぐらい自由にさせろよ!

 最近の海馬は新入社員の教育でかなりピリピリしてるから、オレがいるといいストレス解消になるのか、勉強にかこつけてやりたい放題だ。お陰で身体はあちこち痛い。勿論いい意味じゃなくて単純にボカスカ殴られてるからなんだけどさ。

 ……って言うかなんだよそれ!!お前何様だ!!襲うぞコラ!!
 

「凡骨」
 

 昨日やられたあれやこれやを思い出して、オレが怒りに拳を震わせていると、海馬が漸くオレに声をかけてくる。はぁい、と気のない返事をして、遊戯とすげー仲良く話をしている奴の元へと歩いていく。……相変わらずいい笑顔だ。嫌味ったらしい。
 

「……なんですか」
「今日オレは午前の授業を終えたら社に戻る。帰ってくるのは日付が変わる頃だから、それまでに昨日渡したアレをちゃんとやっておけよ。せめて半分は解け。出来なかったら……」
「はい。やっておきます」
「……どうしたの二人とも。なんか、会話がおかしいよ」
「ぜ、全然おかしくないですよ、遊戯くん」
「気にするな遊戯。何でもない」
「そ、そう?二人がそう言うんなら……別に、いいけど」
 

 ……ああもうほんとに、この世からテストなんて無くなっちまえばいいのにッ!!
 

「……が、頑張ってね、城之内くん」
 

 遊戯が、凄く気の毒そうにオレを見る。その横でやっぱり笑いをひっこめないでオレを見る海馬の顔。ちくしょう。ここが教室じゃなかったら、その首根っこ引っ掴んで思いっきりキスかましてやんのに!
 

「……オレ、落第してもう一回二年やった方が良かったかも」
「今からでも構わんが?次で落第すればいい話だ」
「折角ここまで来てそんな事できるか!!」
「なら、やるしかないだろう。オレと付き合っていたいならな」
「……はい、頑張ります」
 

 ぽつりと呟いた言葉に嬉しそうに返って来る弾んだ声。あー楽しそうで何よりで。

 でも結局頑張るっていう選択しかオレにはなくって。高校生活最後の安息を手に入れる為、海馬のイジメに耐えながらも今日も必死にやるしかないんだよな。

 目の前に、テストがある限り。
 

 恋愛も、ただじゃ出来ない高校生活最後の春(最後かどうか分かんねぇけど)。
 

 ── オレの戦いは、まだまだ終わらない。


-- End --