Act3 些細な優越

「あ、兄サマ!あれ城之内じゃない?デートしてるぜぃあいつ。でもなんかこの間見た子とは違うみたい」

 それは駅前の町の主要道路でもある大通りの片隅で、数百メートル先の交差点で起きたらしい多重衝突事故の所為で足止めを食らってしまったオレ達は、全く動く様子のない周囲の様子に溜息を漏らしつつ、力を抜いてシートに深く背を預けた時だった。

 何気なく見遣ったカフェの外に置かれた丸テーブルの所で、見慣れない高校の制服を来た女と向い合せに座り、何やら楽しげに会話を交わしているその姿。夜目にも目立つ鮮やかな金髪と、決して良くはないが悪くもなくやけに女受けのいいその顔は、紛れもなくあの男のものだった。こんな時間にこんな場所でブラブラしているという事は今日はバイトが無い日なのだろう。

 一瞬城之内の視線がこちらに向き、向こうはそんなつもりはないだろうがオレの眼差しと思い切りかち合う。間には車内が見えない様に加工されている防弾効果付きのプライバシーガラスがある為、オレの姿が分かるという事はまず無い。そんな事は分かり過ぎる程分かっている筈なのにオレは何故か酷く狼狽した。

 数秒後、特に興味もないとばかりに視線を外した城之内は、向かいに座る女に対して優しくもない仕草でメニューを押し付けている。それに情けない位に脱力した。そして、訳もなく苛立った。

 金が無い金が無いという割に、金を使う事ばかりしているのはどういう了見なんだ。他人事なのに何故か強く抱いてしまった理不尽な憤りに駆られ、オレが軽く眉を潜めたその時だった。

 同じ様に退屈を持て余し外を眺めていたモクバが、あれ?という声を上げて窓に張り付き、「ねぇねぇ兄サマ」とオレを呼ぶ。なんだ?と答えを返す前にモクバは酷く弾んだ声でオレに冒頭の報告をしてくれたのだ。正直それには触れて欲しくはなかったが、無視するわけにもいかず、オレは些か素っ気無いと思える態度で「あぁ」とだけ答えを返した。

「お前は案外目敏いな」
「だって暇なんだもん。なぁ、まだ?」
「申し訳ありませんモクバ様。まだ大分掛かりそうです」
「結構大きな事故らしいな。蓮田、後どれ位だ?」
「今救助活動が始まったばかりですので、少なくても30分は掛かるかと」
「30分〜?歩いた方が早いじゃん!ねぇ、兄サマ」
「……そう、だな」
「兄サマもたまには運動しないと体がなまっちゃうぜぃ」
「寄り道はしないぞ」
「もー。オレはもう子供じゃないんだから、そういうのやめてよね。ま、兄サマがしたいっていうんなら考えてやってもいいけどー」

 じゃ、早くいこ!

 そう言って笑顔を見せて先に出たモクバは、外からオレの方へと手を伸ばして早く降りる様にと急かして来る。その背後には距離は少し遠いが先程から視界の真中や端に存在し続けた城之内の姿。本当は今ここで外になど出たくなかった。『奴等』と同じ空気など吸いたくない。

 けれどそれこそ子供ではあるまいし、そんな下らない駄々が通る訳でもなかった。モクバに引かれる腕が痛い。仕方なく……本当に仕方なく、オレは緩慢な動作でモクバの後に続いて外へ出た。

 時刻はもう午後7時に近いラッシュ時で、駅の近くとあって人も車も溢れている。その中にオレ達二人が出た所で目立つ事はない、大丈夫。そう思いながら一刻も早くこの場を立ち去ろうと足を踏み出した瞬間、隣にいたモクバが何の屈託もない笑顔付きで尤も見て欲しくない方向を見て声を上げた。

「城之内ー!」

 この人ごみの中でも良く通る甲高いその声は、不幸にも雑踏に紛れる事無く城之内の元に届いてしまい、奴の顔をこちらに向かせてしまう。「あれ、モクバじゃん。何してんの?」とへらりと笑ったその表情と物珍しげな視線をダイレクトに投げつけられて、オレは再び狼狽した。けれどやはりそれを表面に出す事はせず、オレはいかにも興味がないという素振りで明後日の方向を向いていた。城之内の視線と、向かいに座る女の視線が否応なしに突き刺さる。

「この渋滞でさぁ、車が動かなくて。仕方がないから歩いて行こうかなって」
「へー。っつーかお前等一瞬親子かと思ったぞ。めっちゃ凝視しちゃった。よ、お父さん。今日は子守りですか」
「うるさい」
「お前はデートかよ?この間と違う女の子連れちゃってさ」
「そんなんじゃねーよ、バイト仲間。これから一緒にバイト行くんだ。ただそんだけ」
「ほんとかぁ?」
「ガキの癖に生意気言うんじゃねーっての。おい海馬、お前弟の躾がなっちゃいねーぞ。なんとかしろよ」
「知らん。その前に貴様のその軽率な行動をなんとかしたらどうだ」
「なんだよ軽率って。バイトの子とちょっとお茶して行くののどこが軽率なんだよ」
「金も無いくせに」
「余計な御世話です。悔しかったらお前も女連れて歩いてみれば?弟と手ぇ繋いでないでさ」
「それこそ余計な御世話だ」
「あーあ、お前ってほんっと可愛くねーな!ま、せいぜい夜道に気を付けて帰れよ。お前等、そこに立ってるだけでめっちゃ目立つぞ」

 現にあいつ気づいてるみたいだし。

 そう言って城之内がくるりと背を向け、共にいた女の方へ取って返すと、途端に耳障りな黄色い声が聞こえる。

「え、あれやっぱ海馬瀬人?!すごーい、本物なんだー!かっこいいー!」

 そのいかにも頭の悪そうなセリフと共に女の目線が先ほどよりもしっかりとオレを捉え、至極興味深そうに身を乗り出す。それを邪魔する様に城之内は女の前に立ちはだかり、やけに冷めた声で面倒臭そうにこう言った。

「別に凄かねーよ。クラスメートだし」
「克也の友達?」
「友達……なんかヤな響きだな。ダチってもんでもねーよ」
「ね、紹介してよ」
「あー無理無理、あいつレンアイに興味無いらしいから」
「えー。残念」
「それよりもう時間だぜ、そろそろ行こ」
「もーバイトだるくなってきたぁ。サボろうよ」
「冗談。明日のメシ代かかってんだ。オレは行くぜ」
「あ、うそうそ。嘘だってば、待ってよ克也!」

 ガタリと大きく椅子が引かれる音がして、女は慌てて立ち上がると、さっさと先を行く城之内の後ろを小走りでついて行く。その間に幾度も呼ばれる「克也」の声にオレは出来るならば耳を塞いでしまいたいと思った。
 

 気安く呼ぶな。

 オレにはそんな事を言う権利も、思う資格すらない筈なのに。
 

「なんだよあいつら、なんだかんだ言ってラブラブじゃんね」
「その割に城之内は女の方を見向きもしないようだが」
「え?」
「なんでもない。行くぞ、モクバ」
「あ、うん」
「………………」

 未だ彼らの方を興味深く眺めるモクバの手を引いて、オレは店内へと消えて行く二人へと背を向けて歩き出す。一刻も早くこの場から離れたかった。訳の分からない苛立ちがモクバと繋がる手に力となって現れる。

「兄サマ、痛いよ。それにちょっと早い」
「っ……そうか?済まなかった」
「そんなに急がなくても会社は逃げて行かないぜぃ」
「……そうだな」
「……兄サマ、なんか怖い顔してるけど、大丈夫?」
「ああ、大丈夫だ」

 大丈夫。そう、大丈夫でなければいけないのだ、オレは。

 そう幾度も自分に繰り返し、今度は大分歩調を緩めて歩き出す。一瞬だけ振り返り、遠ざかる二人の姿を確認してその距離が余り近づいてない事にほっとした。

 馬鹿馬鹿しい、心の底からそう思いつつも、心臓を鷲掴みにされる様な痛みは消えない。
 

 それすらも、もう慣れたものだった。

 慣れたくなど、なかったのに。


-- To be continued...? --