真夜中のHappy Birthday Act5

「海馬……おい海馬!!お前大丈夫か?どっか怪我とかしてねぇか?」

 それから、どれ位時間が経ったのか。殆ど呆然とその場に座り込んでいた瀬人は、真正面に膝をついた相手に強く肩を掴まれ正気づかせる為か軽く叩かれた頬の痛みに漸くはっと我に返った。視界を覆う見慣れたジャケットの向こう側に、先程の男達が見るも無残な姿で転がっている。どうやら、相当派手にやったらしい。一瞬「……生きてるのか?」と心配になる程に。勿論心配なのは男達の身ではなく、城之内が殺人を犯していないか、の方だったが。

「なぁ、返事しろって!!」
「……煩い。耳元で怒鳴るな」
「怪我は?!」
「ない」
「嘘吐いてねぇだろうな。ヤラれちゃったりもしてねぇよな?!」
「ばっ……馬鹿な事を言うな!なんでもないと言っている!!大体貴様、何故ここにいる?!何処から湧いて出た!」
「何故って……そりゃーお前を探してたに決まってんだろ。こんな格好で何にも持たずに会社飛び出して来やがって、挙句の果てにこれだよ。ほんっと馬鹿だなお前は。普段外出歩かねぇんだから迷うに決まってんだろ。地元で迷子とか笑わせるなよ」
「っ!誰の所為で……!」
「まあ、オレの所為だけど。それにしたってありえねーだろ。なんで会社で大人しくしてねぇの?……っとその格好はさすがにマズイよな、ちょっと待ってろ。ちゃんとコート持ってきてやったから」

 瀬人と目線を合わせるなり一方的にそう巻くし立てた城之内は、突然コートコートと呟きながら立ち上がり、くるりと背を向けて走っていく。同時に失われた温もりに、瀬人はすっかり忘れていた寒さを思い出し、身を震わせた。氷の様に冷たい指先が己の腕を掴んで離れない。立ち上がろうと思ったが、寒さに強張った身体ではそれすらもままならなかった。

 こんな状態では、もしあのまま城之内が現れなかったら自分は確実にあの男達が口にした通りの状況に陥っていたに違いない。それを思うと、少しだけ背筋が凍る気がした。本当に、危機一髪だったのだ。

「ほら、コート。きっちり着込めよ。腕解けって」

 瀬人がそんな事を思いながら額に冷や汗を浮かべていると、何時の間にか戻ってきた城之内が上から少々乱雑な仕草でコートをかけて来た。言われたとおり直ぐに袖に腕を通そうとするものの、固まった身体はそう易々とは動かない。そんな瀬人の様子を単なる反抗と取ったのか、城之内はいかにも仕方ないといわんばかりに嘆息して徐に手を伸ばしてきた。そして、未だ己の腕を掴むように包んでいた瀬人の手に触れる。その瞬間、呆れたようなその表情は驚愕に取って変わった。

「うわ、冷てっ!……お前、こんなになるまで外にいたのかよ?!」
「……好きでいたわけではない!」
「馬鹿野郎。お前ってホント、信じらんねぇ」
「馬鹿馬鹿言うな。馬鹿は貴様だ。この凡骨風情が」

 瀬人の手に触れた城之内は、そのまま強張った身体ごと包み込むように抱きしめて来た。外気に晒されて同じ様に冷たく堅いデニムジャケットはちっとも心地良くなかったが、背に回された掌だけはじんわりと熱を持って暖かく、冷え切った肌を徐々に温めてくれる様だった。……それはまさに、一ヶ月ぶりの温もりでもあった。

 再会して早々散々罵り合って、互いに痛い思いをして、二人別々に冷たい寒空へ飛び出した。そして今、漸くこうして触れ合う事が出来たのだ。全く、何をやっているのか分からない。分からないけれど、求めるものが得られた時点で、そんな事はどうでもよくなった。重要なのは結果であり、過程ではないのだから。
 
 

 瀬人がそんな事を考えている一方で、城之内もまた彼なりの幸せを噛み締め、また心の底からの安堵をしていた。

 モクバと共に社に戻り、磯野から瀬人の姿が見えないと聞いて、慌てて社長室へ向かってみれば、ソファーの上につい先程まで瀬人が纏っていた上着が放置され、その姿は忽然と消えていた。それと同時に置いていったはずの自分の鞄も無くなっていた事から、城之内は直ぐに瀬人が自分を追って外に出て行ったのだと確信した。

 その事を即モクバに伝えて探してくると一言告げると、置いてあった社員のものらしきバイクを借りて、目ぼしい所を探して廻ったのだ。長年住んでいる場所とは言え、土地勘などまるでないという事は分かっていたので、外部から来た人間が迷い込みやすい所を狙ったのは正解だった。まさか、本当にいるとは思わなかったが。

 しかし、本当に危ないところだった。後少し遅ければ、それこそ最悪の事態に陥っていただろう。瀬人らしき男が近間の風俗街の客引きらしいチンピラ二人に襲われている所をみた瞬間、心臓が凍りついた。即座に引き剥がし、喧嘩で培ったありとあらゆる方法で叩きのめし、通行人から目立たない所へ放り投げてやった。骨の数本は折れているかもしれないが、多分死にはしないだろう。

 瀬人に手を出したのだ、それ位は当然だ。というか、自分がそこまでしないと、後に瀬人から殺されるかもしれない。それよりはマシだろう。それは、ある意味城之内の思いやりでもあったのだ。

 ……ともあれ、危機は去ったのだ。
 
 

「……だから言ったろ。ああいう写真や記事はヤバイんだって。事の信憑性なんて関係ねぇ。お前がそう見られちまうんだって。オレは、それが嫌だって言ってんの。わかっただろ、これで」

 長い間の沈黙の後、城之内がぽつりとそう口にした。喧嘩の要因の一つとなったその話は、実際こうして被害を蒙ってみるとなるほど頷ける事はある。瀬人はそう思い、珍しく反論はしなかった。けれどその一言で、瀬人の心の奥に折角引っ込んで消えようとしていた城之内に対する様々な怒りが再び頭をもたげて来る。確かに危機を救ってくれた、それは純粋に感謝をしている。しかし先程何度も心で繰り返した通り、そもそもの原因を作り上げたのも城之内で。

 少々反省はしたものの、やっぱり悪いのはこの男ではないのか。それが何を偉そうに説教をしてくるのか。ふつふつと湧き上がるそれを、いつ爆発させようかと相手の肩に顔を埋めたまま瀬人が考えていたその時だった。そんな事も全く気づかない城之内は、一人暢気に声をあげる。

「どうでもいいけど、いつまでも外って寒くねぇ?お前もこんなだし、帰ろうぜ。勝手に借りてきちまったけど、そっちにバイクあるから、ちょっと待ってろ。立てるか?」
「………………」

 よいしょ、とどうにも間抜けなかけ声をかけて立ち上がり、一人さっさとバイクを取りに行く城之内の事を見る気もせず、瀬人もどうにか動けるようになった足に力を入れて立ち上がり、高くなった視界の中に入ってきた例の男達の姿を見遣った。薄暗くてよく分からないが、相当痛めつけられている事は見て取れる。いい気味だ、ざまぁみろ。これに免じて命だけは助けてやる。そう瀬人が鼻で笑いながらそんな事を思っていると、不意にその片隅にあるものが目に入った。そこに転がる男達よりも更に危険な、白い物体。

 それは、男の一人が撮った瀬人の画像が入っている携帯だった。

「──── !」

 瀬人は慌ててそれに駆け寄るとなんの躊躇もなく足を上げ、思い切り踏み潰した。グシャリと嫌な音がして、携帯が砕け散る。それでもまだ気が済まず、何度も何度も繰り返した。ついには細かい破片だけになったのを見て、漸く息を一つ吐く。これで大丈夫だ。これで……。そう思い無残な姿と化したそれをじっと見つめた。

 粉々に砕けた男の携帯。それから何故か連想された、繋がらず役に立たない城之内の携帯の事を思い出し、悔し紛れにもう一度踏みつけたその時、背後からその張本人が声をかけてきた。

「帰るぞー。っておい、何やって……うわ、そこまでする必要あんのかよ。ひでぇなぁ」

 あーあ、と声を上げてそれを見遣った城之内を肩越しに振り返り、瀬人は怒りを押し殺した声で呟いた。
 

「繋がらなかったのだ。何度かけても、幾らかけても、貴様には、繋がらなかった」
 
「え?」
「繋がらないものに、どうやって連絡を取れというのだ。貴様は」
「ちょ、海馬……」
「さも自分だけが放置されて寂しいだの馬鹿にしているだのほざいていたが、その原因をオレだけに擦り付けるのは卑怯だとは思わなかったのか?」
「………………」
「しかもオレに反論の余地を与えず、勝手にキレたのは貴様だろう!こんな事になったのも殆ど、いや、全部貴様の所為だ、城之内!」

 それは、余りにも突然の怒りだった。身体ごと振り返り、射殺さんばかりの眼差しでこちらを睨みつつ声を張りあげる瀬人に、城之内は驚愕した。この騒動のうやむやで、殆ど忘れかけていたのだがそういえば自分達は喧嘩をしていたのだ。しかも、原因の大半は城之内の早とちりと思い込みだったのだ。瀬人を見つけたらまず最初にそれを謝らなければならないと思っていたのに、まさか先に糾弾されてしまうとは。

 先程まで寒そうに身体を強張らせていた相手は、怒りに興奮した所為で大分身体が温まったのか常と同じ尊大な態度を取り戻し、上から思い切り見下してくる。その様は本来なら少し恐怖を感じたり、偉そうにすんな、と苛立ったりするものだが、今日はなんだか違って見える。

 城之内の言葉に反論すらできなかった事、思わず言ってしまった不用意な言葉にキレて殴りつけてきた事、その後反省をしたのかどうか知らないが取るものも取らずに寒い屋外に飛び出して、探しに来てくれた事。

 それらの最後に今の糾弾があるのだとしたら、その必死さが、なんだかとても可愛く見えたのだ。当然、そんな事を本人に口にしたら殴られるどころではすまないが、本当に、そう思ったのだ。

 そして心底悪かった、と反省した。城之内なりに、真摯な気持ちで。
 

「黙っていないで何とか言え!」
 

 自分の精一杯の言葉に全く無反応の城之内に苛立ちが増したのか、瀬人が更に声を荒げる。外でそんなに騒ぐなよ、誰か来たら喧嘩だと思うだろ。つーか折角伸してる男共が起きたらどうすんの?そんな事を考えながらも城之内は、顔にしっかり反省の色を表して至極真面目に一行こう言った。

「それはオレが悪かった。ごめんな。腹立つんならもう一発殴ってもいいぜ。それ位の事をしたつもりだし。こうなったのも全部オレの責任だ。認めるよ」
「………………え?」
「お前の愛を疑って悪かったよ、海馬」
「──── なっ?!愛?……貴様何を言って……真面目に謝れ!!」
「真面目に謝ってるだろ」

 余りにも素直に己の非を認め、瀬人に予想外な言葉が飛び出したからだろうか。さらりとそう告げた城之内に、瀬人は目を見開いて固まっていた。心なしか頬を紅潮させている事から心的ダメージも受けているらしい。もちろんいい方向に。

「今度は、そんな事ないようにすっから。疑ったりもしねぇ。だから、喧嘩はやめようぜ」
「勝手な事ばかり言うな!」
「なんでだよ。もう争ってる理由ねぇだろ。全部オレの勘違いだったんだからさ。何回でも謝るから帰ろうぜ。モクバも心配してんだぞ。あいつが一番可哀想だろ、こんな事に巻き込まれて……!」

 そこまで口にした瞬間城之内の声が急に途切れ、その視線が瀬人じゃないもの……左腕の腕時計に吸い寄せられた。そんな彼に一体何事かと顰め面を崩さないまま瀬人が声をかけようとしたその時、その口は再び開き今の会話と全く関係のない一言を紡いだのだ。

「誕生日おめでとう、海馬」
「…………は?!」
「まだギリギリ間に合ったよな?な?!後5分あるし!」
「なんだいきなり!!」
「言うの忘れてたと思ってよ。やべーやべー逃しちまうとこだった」
「……凡骨、貴様……」
「オレ、お前が生まれてきてくれて良かったなーって心底思うぜ。大好きだ」

 ついさっきまで知らなかったけどよ。12時5分前……ギリギリセーフだ。

 そんな事は心の中にしまいこんで、城之内は満面の笑みを浮かべ、少し離れた場所に立つ瀬人の腕を捕らえ、そのまま強く抱きしめた。まだ瀬人の勢いは収まらないままだったので、抵抗されるかと思ったが、意外にも彼は逃れようとはしなかった。

 ……まさにそれは不意打ちというのだろうか。畳みかけるように数々の暴言ではない言葉を浴びせられ、終いには嬉しそうにぎゅっと抱き締められては、どんなに激しかった勢いも消え失せるというものだ。
 

 ── 誕生日、おめでとう。
 

 色々な人間にそう言われる度に常日頃は冷え切っている心の中がじんわりと暖かくなるその言葉。好きだと思える人間に本当に嬉しいという表情で伝えられれば、その効果は格別だ。素直に、幸せだと思えてくる。
 

 史上最悪だと思っていた一日が、最高かもしれないと思える位に。
 

「……馬鹿が」
「おめでとうって言った人間に返す言葉かそれは」
「煩い。今日一日は貴様の所為で最悪だった。人生至上尤も最悪な誕生日だ」
「だから悪かったって。今、日付変わったし、今日変わりに最高にすればいいだろ。改めてやろうぜ、誕生日」
「そんなのは改めてやるものではない」
「いいからいいから。じゃあまず始めにおめでとうのキスな。一番乗り」
「死ね」
「……ったく。ちょっと黙れよ」

 盛大な溜息を吐きながら、それでも言葉にした事は実行する城之内は、不貞腐れて顔を背ける瀬人を強引に引き寄せ、頭を抱える形で口付ける。深く舌を差し入れようとした瞬間に、切れていた唇の傷が開いて少し痛んだが、気にせず思うように貪った。息をつく暇も惜しむように、何度も。

「久しぶりだから、すっげー気持ちいいな!」
「……デリカシーの欠片も無い奴め。人に言えた義理か」
「それも撤回するわ。なー早く帰ろうぜ。オレも寒くなってきた」
「心配するな、帰りに寄ってやる。鞄はそこにあるだろう」
「ちょ、ひでぇ。オレを帰す気かよ!泊まらせろ!」
「断る。オレはまだ許すとは言っていない」
「海馬ぁ〜ごめんってばー」

 濡れた唇を拭う事もしないままそんな事を言い合う彼等の顔には柔らかな笑みが浮かんでいた。日付は変わり、もう特別な日ではなくなったけれど、そんな事はその実どうでもいい事なのだ。

「来年はこんな事がないようにするからよ」
「来年があると思っているとは……おめでたいな」
「だからさっきからひでぇって」
「フン、これ位甘んじて受けろ。最悪男め」
「ちくしょう、覚えてろよ。帰ったら一ヶ月分ヤッてやる」

 そう悪態を付きながら帰路ついた二人は、待ち構えていたモクバに最後の仕上げとばかりに叱られる事となる。

 10月25日の誕生日。
 それ以来毎年訪れるその日になると、二人は少し苦い思いと共に、幸せな気分になるのである。


-- End --