Act10 なつくとたのもしいそんざいです

 ザリッ、という嫌な音と共に長い年月と共に歪んでボコボコになったコンクリートに擦られて痛みを感じた瞬間に、視界にすらりと長い足が見えた。皺一つない紺色のズボンの先に見えるのは完璧に磨かれたどこからどう見ても高級そのものの新品ローファー。

 ……あれ、なんで?と思う前に、その足は転がったオレの顔を靴の爪先で持ちあげる。そして偉く無感動な声が頭上から降って来た。

「こんな所で何をしている」

 ……何って。お前それが体中砂埃だらけで額から血を流している人間に聞く言葉か?!

 分かれよ、状況で!

「……えーと……喧嘩、です……」
「こんな学校に近い目立つ場所でするな。邪魔だろうが」
「じゃ、邪魔って。仕かけたのはオレじゃねーし」
「相手をしているのなら同じ事だ。全く、汚らしい事この上ないな」
「き、汚いってお前……!っつか、足蹴にすんな!」
「手で触ったら汚れるだろうが」
「ちょ……酷過ぎる!!」

 つい数分前に相手から蹴っ飛ばされた腹がズキズキと痛い。けれどそんなモノはどうでも良くなる程オレはこの状況に驚いていた。

 最近海外に支社を複数立ち上げた所為で学校とオレそっちのけであちこちと飛びまわっていた海馬が、いきなり制服姿で人を足蹴にして来た。しかもこのタイミング。吃驚するなっつー方が無理だろうこの場合。

 なんで一切連絡を寄越さねぇかな、こいつは。
 いや、今はんな事言ってる場合じゃねぇんだけど。

 ちなみに、喧嘩はまだ続行中だ。それなのにこの飄々とした態度。……なんだかなーもう。
 

「なんだてめぇ、見かけねぇツラだな」
「克也の助っ人じゃねぇの?それにしては人種が違うみてぇだけど」
「小綺麗な格好してるもんなー。ダチか?」
「ははっ!ないない。こいつにこんなお上品なダチ居る訳ねぇだろ」
「まーなんでもいいけど、おい、そこのあんた。オレ等今お話中なんだけどよ。邪魔しねぇでくんねぇかなぁ?あんたも一緒に混ぜて欲しいっつーんなら話は別だけどー?」
「………………」
 

 案の定、オレにちょっかいをかけて来た中学時代からのお知り合いが、学ランに付いた汚れを払いながらこっちに近づいて来る。結構な余裕をかましちゃいるが、状態はオレとあんまし変わりは無い。くそっ、しつけぇな。こいつら昔っからスタミナだけはあるからやっかいだ。蹴っても蹴っても立ち上がる。マジ性質悪ィ。しかもそれが三人がかりだ。さすがのオレも分が悪い。

 しかしこいつ等、さすが未だに悪ガキから脱却しねぇ馬鹿だけあるな。どこの世の中に倒れてる人間を足蹴にするダチがいるよ。ありえねぇよ。……尤ももっとありえねぇのは、コレがダチじゃなくって恋人ってとこなんだけど。それはまぁ、それとして。

 とにかく、奴等に早速目を付けられた海馬は、暫し無言でにやにや笑いを浮かべながら声をかけて来る奴等を眺めていた。もとい、ゴミを見る様な目つきで思いっきり見下している。

 ちなみに海馬がこう言う場面に遭遇したのは一度や二度じゃない。オレが不良時代のつけをきちっと清算しないまま来ちまった所為で、かなりの頻度で喧嘩を吹っかけられていたからだ。

 最初はそれこそオレもいっしょくたに冷ややかな目で一瞥して、一言も口にしないでその場を去ったりしたもんだけど、こーいう関係になってからはとりあえず立ち止まってオレの傍に立ってくれるようになった。優しく助け起こしてくれたり、オレの為に怒ってくれたりっつーまでにはまだなってはいないけれど(足先で小突く位だし)、それでも十分な進歩には違いない。純粋に嬉しく思う。

 懐かせるまでは大変だったけど、懐いてくれるとかなり有難い存在だ。なんせ、全てにおいて完璧なステイタスを持つ猛獣だからな。味方につければ百人力だ。

「……さて、ゴミが何やらほざいているが、貴様、まだやり足りないのか?」

 数秒後、まだ何かごちゃごちゃ言っている奴等から、ワザとらしくゆっくりと顔を背けて、海馬は心底馬鹿馬鹿しいと言った顔でオレを見下げて、至って平静な声でそんな事を聞いて来る。

 あーうん。かれこれ1時間はやり合ってますし、今日は不運な事に昼飯を食い損ねたからそろそろ限界なんです。某サイヤ人風に言えば「腹が減って力がでねぇ」、そんな状態。

 そうオレが正直に口にすると、海馬は「そうか」とこれまた無感動に頷いて、ゆっくりと身を屈めてオレの事を起こしてくれた。

 ……ただし、首根っこを掴む形で(酷過ぎる)

 そしてそのままぽいっと邪魔にならない場所へと捨ててしまう。ちょ……なんと優しいオレの恋人。丁寧な扱いに涙が出るね。捨てられた場所近くにあった古い電信柱に捕まってのろのろと身を起こしたオレは、余りの出来ごとに半ば目を丸くしている相手に心の中でこっそり「ご愁傷様」と、呟いた。
 数分後、髪の毛一本乱す事無く、本人曰く『目の前のゴミ処理』を終えた海馬くんは、留めとばかりにぶっ倒れている奴等を足で転がして一か所に纏めると、何気ない顔をしてオレの元まで戻って来た。そして、ポケットからハンカチを取り出して「その汚らしい顔をなんとかしろ」と優しく言う(あくまで『優しく』)

「……相変わらずお強い事で」
「フン、喋るゴミに手こずるとは、貴様もヤキが回ったな」
「そういう言葉言わないの。似あわねーぜ」
「言葉に似合うも似合わないもあるか」
「しっかしお前、どうしたの突然。学校に課題でも届けに来たのか?」
「それもあるが、会いたかっただろうと思ってな。ついでに迎えに来たのだ」
「はい?」
「そうしたら、たまたまゴミと戯れていた。それだけの事だ」
「はいぃ?」
「何だ」
「いや、何だって。お前の発言が何だよ」
「何が」
「……会いたいって」
「会いたかっただろう?」
「う、うん。オレは勿論」
「それが何か?」
「何かじゃねーよ。なんでそんな遠回しな言い方すんだよ。まるでオレ『だけ』みたいに!」
「違うのか?」
「違うね。言葉足りないだろ?」
「どこが」
「お前『も』会いたかったんだろ?」
「誰に」
「あーもー!!可愛くねぇっ!!」

 どうしてこう素直に「一刻も早く会いたいから探しに来ちゃいました」って言えねぇかなぁもう!!躾がなってねぇ!!最悪だッ!!
 

 ……まぁ、でも。

 どんなに遠回しでも、気持ちを伝えてくれるだけ幸せだと思わなくっちゃな。
 

「まぁいいや。なんでも」
「汚い顔を近づけるな」
「汚いって言うな。むしろ怪我してんだから傷口舐める位してくれ」
「誰が舐めるかッ!」

 そうハンカチ片手にぎゃーぎゃー言い争っていたオレ達は、結局そのまま抱き合って再会の喜びをやや一方的に噛み締めちゃったりしちゃうのでした。

 その後オレの汚れが海馬に移って手痛い一撃を食らう事になるんだけど、いつもの事だから気にしない。

 とりあえず、早く帰って一緒に風呂でも入ろうと思う。
 その後は目いっぱいよしよししてやらなきゃな。

 家で我慢出来なくて、オレを探して会いに来ちゃうほど、寂しがり屋の海馬くん。
 猛獣だって、懐いてしまえば子猫みたいに愛らしい。

 例え、主人を足蹴にして得意気に胸を張っていたとしても。  
 

 それはそれで、なんだか凄く可愛いんだ。


-- End --