Act5 花火

 何時間経っても、やっぱり海馬の手は冷たかった。オレのかき過ぎた汗が気化して冷える様なそんなおざなりな冷え方じゃなくて、もう片方の手の中で相変わらず元気に弾んでいる水ヨーヨーみたいに気持ちいい位に冷えている。

 触れた皮膚の感触も相変わらずさらりとして、こいつ本当に人間なのか?とちょっと穿ってみたくなる。だってあり得ないじゃん、真夏の蒸し風呂の様な暑さの中で全然身体が暑くなんねーとかさ。

 確かに、大分川辺に近づいて川の水で冷やされた夜風が少し涼しさを運んでくるけれど、回りの動く人垣に遮断されてちっとも涼めない。まぁ、人より頭一つ分飛び出てる海馬はちょっとは風通しがいいかもしんねぇけど、それにしたって……。

 耐えきれずオレが「暑い」と呟くと、手を繋ごうとした時点で没収されたオレのリンゴ飴を舐めていた海馬が、小憎らしいほど涼しい顔で「そうか?」なんて応えて来る。

 シャリ、とリンゴを齧る音が余計涼しげに聞こえて、オレは思わず指先で飴を突いた。勿論飴は冷たくなんてなかったし、海馬からは怒られた。まぁ、オレの指もベトベトになった訳だけど。

「貴様何をやっている!汚いな!」
「汚い言うな。なんでお前暑くねーの?実はアンドロイド?」
「元々冷え症だからな。丁度いい位だ」
「確かに……そう言われてみれば社長室、いっつも温いしな。あれクーラー意味あんのかって思ってた。つかお前アレでフル装備とかしてなかったっけ?」
「アレでも寒い位だ。そういう意味では学校が一番丁度いいな」
「まー衣替えギリギリまで首元までホック締めて学ラン着てるもんなお前……ちょっとクーラー付けると杏子にカーディガン借りてるし。女子かお前は。見てて暑苦しいからやめろよ」
「やかましい。背に腹は代えられん」
「ま、オレ的にはいーけどな。夏は触ると冷たくって気持ちがいいし?」
「ベタベタ触るな」
「そう言わずに」

 言いながらわざとらしく指と指を絡め合わせ人波をかき分けながら、河原へと向かう流れに逆らう様に真っ直ぐに歩いて行く。この道路を道なりに歩いて行くと少し上の方に小さな社があってその周辺は綺麗に整備されているから絶好の花火見物スポットになってるんだ。

 尤もオレが知っている位だから他にも狙ってる奴等がいて、河原に降りない人間もちらほら居る。チッと小さく舌打ちをすると、それを横目で見ていたらしい海馬は「そら見た事か」と面白そうに口にして、更に「目論見が外れて残念だったな」とちっとも同情していない口調で呟いた。

「お前、全然残念がってないだろ」
「当然だ」
「オレはお前と二人きりで花火が見たかったのに」
「そうか。貴様と二人になったら花火どころではなくなりそうだが」
「んな事ねぇよ。だって今日は花火を見に来たんだぜ」
「何をしに来ようが最終的にはやる事は一つだろうが」
「そういう事言わない」
「偉そうに。自重出来るようになってから言うんだな」
「あーもう!減らず口ばっかだな!」
「どうでもいいがちゃんと前を見て歩かんか。躓くぞ」
「オレはガキじゃねぇ!……って、うわっ!」

 ゴリッ、と妙な音がしてつま先がむき出しの石の階段の側面にブチ当たる。瞬間物凄い痛みと共に思い切りのけぞった身体が揺らいでオレは慌ててヨーヨーを持った手で空を掻いた。そんなオレを半ば呆れて見ていた海馬は繋いだ手に思い切り力を入れてとりあえずオレが後ろに転げて行かない様にだけはしてくれた。

 もう片方の手にはリンゴ飴を持っていたから、両手で支えるのはまあ無理っちゃ無理なんだけど。指がいてぇ。力入れすぎ。

「あーびっくりした。つーか痛ぇ!爪とか割れてたらどうしよう」
「フン、だから言ったろうが。貴様はそれでなくても落ち着きがないのだから歩く時位集中しろ」
「お前には言われたかねーや!」
「どうでもいいがどこへ行くのだ。めぼしい所は皆塞がっているようだが」
「え?あー……ほんとだ」

 オレが足先を気にして視線を下に落としている間に隣の海馬はぐるりと周囲を見渡して、あちこちに見える人影にやや肩を竦めてそう言った。慌ててオレもそれに倣うと、なるほど座るのに良さそうな場所は既に何組かのカップルに占領されている。

 くそ、イチャイチャしやがってムカつくなぁ。やっぱもうちょっと早く移動しておけば良かったな。……そんな事を考えても、もう後の祭りだ。

「………………」

 仕方がないのでオレは社の丁度横にある巨大な木の根元に置かれている少し平らになっている岩に目を付けた。ちょっとごつごつして座り心地はあんま良くなさそうだけど、この際そんな贅沢は言ってられない。

 「あれ」とこそりと海馬に言うと、文句が出ない代わりに物凄い大きな溜息が聞こえた。嫌?と聞いたら「嫌に決まってる」だって。その割にちゃんと付いてくるんだからちょっと可愛いと思うわけだ。本当にちょっとだけだけど。

「今何時」
「丁度8時5分前だな」
「ジャストタイミングじゃん。早く始まんねーかなぁ」
「花火なぞまともに見るのはかなり久しぶりな気がする」
「海馬ランドで良く打ち上げてるじゃねぇか」
「花火大会の花火というのは、ああいう型通りの花火とは違うだろうが」
「そんなもんかね。まぁ確かに遊園地でナイアガラはないよな。つかお前がそんな事言うなんて意外なんだけど。好きなの?花火」
「嫌いではない」
「なんだそれ」
「花火に限らず、好きな奴と居られれば何でも楽しいものだと思うが」
「……えっ?!」
「勿論モクバの事を言っているわけだが」
「嘘吐けよ!」

 余りに唐突な海馬くんのデレに、オレは思わず頭突きをする勢いで海馬の方へと顔を寄せると、それは呆気なくかわされて、危うく岩の上から落ちそうになった。……くそっ、そうだこいつ今日はオレをからかって遊んでやがるんだっけ……それにしたって心臓に悪いだろこれは。調子狂うなぁもうムカつくー!

「うう。オレの純情を弄びやがって……!」
「何が純情だ。聞いて呆れるわ」
「お前、そういう事ばっかやって、後で覚えてろよ」
「覚えていたらな」
「んじゃー忘れないうちに今やってやろうか?」
「冗談は顔だけにしておけ」
「顔だけたぁなんだ!」
「まぁ落ち着け、花火が上がるぞ」

 再度ぐいっと海馬の方に顔を寄せて、噛みつく様にそうがなるオレの顎に手を添えて、海馬がふいっと顔を反らす。同時に掴まれたオレの顎も力任せに捻られて、思い切り動いた視界の先には確かに色取り取りの大輪の花が咲いていた。ドン、と言う大きな音が遅れて空気を震わせる。

「うわ、すげー!」
「やけにオーソドックスなものから始まったな。6尺玉か」
「花火大会ってこういうモノじゃねぇ?オレは普通のが一番好きだけどな」
「そうか」
「お前は何が好き?ナイアガラ?」
「あんな地味なものを好きになるか」
「…………地味か?」
「ああ、地味だ」
「お前ってわっかんねー」
「凡骨如きにそう簡単に理解されてたまるか」
「ま、最終的に全部分かればいいんだけど。とりあえずこの体制はちょっと辛いかな……顎放してくんない?ちゅーしてくれるんなら別だけど」
「誰がするか」
「やーでも花火見ながらキスって定番じゃね?むしろ嗜みじゃね?回り見てみろよ、皆してるじゃん」
「周囲は周囲。オレはオレだ」
「残念。オレは回りに合わせる方なの」

 結局なんだかんだ言い合いながら小競り合いを続けて数分後。オレの顎を掴んだまま散々粘った海馬を最終的に力で捩じ伏せて、思いっきり歯がぶち当たったけれど、オレ等も無事キスをする事ができました。勿論、ただでは済まなかったけど。後数ミリで失明の危機だったけど。

 ヒュッと鋭い音がして、オレの頬の横を太い飴の棒が突き抜けて行く。ちょ……飴の棒だぜ?飴の棒!!誰だよこいつに凶器持たせたの!あ、オレか。

「お前っ!ソレで顔狙うな!!洒落になんねぇだろ!」
「やかましい!放さんかっ!」
「キス位いいだろ!減るもんじゃないんだし!」
「減るわ馬鹿が!花火を見んかっ!」
「オレは花より団子なの!」
「誰が団子だ!」
「モノの例えだろ!いいから落ち着け!な?はい没収」
「手を離せ!暑苦しい!」
「お前さっき丁度いいって言ってたじゃん。温めてやろうか?」
「死ね!」
「死ねとか酷……」

 かろうじて海馬の手の中からリンゴ飴の棒をむしり取ったオレは(ちゃんと後で拾ったからな。ゴミはゴミ箱へ)追加攻撃を封じる為にそのまま奴の手をぎゅっと握りしめたまま、そんなに長くない花火を苦労しながら見守った。

 最後の一発が上がる頃には汗だくになっていたけれど、まあそれはそれで美味しい状況だったから満足だった。

 そういやさすがに体温の高いオレに密着されると海馬も暑かったのか首筋に汗が伝っていた。速効親切心を発揮して舐めてやったら殴られた。……まったくもって理不尽過ぎる。

「花火終わっちゃったなー」
「そうだな。帰るぞ」
「お前ってほんとムードの欠片もないのな」
「どの面下げてムードだ。神社でモクバが待っている。待たせておけん」
「え?一緒に帰んの?別行動じゃなかったのかよ?!」
「別行動だっただろう?花火の間」
「時間制限付きですか……ちぇ」
「どの道こんな所には長くいられん。蚊に食われる」
「蚊?!」
「汗臭い貴様の所為か、結構たかっているぞ?ほら」

 言うが早いが海馬は手にわざとらしく力を強めてオレの頬をひっぱたく。バチン!という派手な音と共に見せつけられたのは無残にもぺしゃんこになったやぶ蚊だった。

 言われるまで全く気付かなかったけど、言われてみればあちこち痒い。慌てて腕を見たらぽつぽつと小さな盛り上がりが出来ていた。暗いから良く分かんねぇけど多分紅い。つーか何コレ何時の間に?!

「うっわー!なんだコレ!」
「だから言ったろうが」
「オレもって事は……お前も?!」
「いや、オレはそれほどでも……ああ、足に幾つか」
「何?!それは大変。今直ぐ見てやる!」
「結構だ。いいから行くぞ」
「もっとゆっくりしたいんですけどー」
「そんなにゆっくりしたければ一人でしていろ」
「意味ねぇっ!」
「焼きそばを買ってやるから」
「食いもんで懐柔すんな!オレガキじゃねぇし!」
「ならば何なら懐柔される」
「何ならって……」

 いつの間にか一人で岩を降りてしまった海馬は、意味あり気に口の端をつり上げながらオレを見上げてくる。その喉元に、ぽつりと小さな赤を見つけた。

 あ、こいつ蚊に食われてやがる。こんな栄養失調な奴の血を吸ったって美味しくねぇのに蚊もバカだねー。っていやいやそんな事では無く。今何なら懐柔される?とか聞いてたな。懐柔……懐柔かぁ……そんなん決まってんだろ。

 オレは暫らく無言で珍しく下にある海馬の顔を見下ろすと、今見つけた赤い跡を指差して「ここ食われてる」と言って指摘する。それに海馬が意識を下に向けた隙に身体ごとその顔に近づいて生意気な唇を塞いでやった。今度はしっかり顔を固定して、思いっきり。

 これに満足したら帰ってやるよ。

 息継ぎの合間にそう言ってやると、海馬は目だけで「ふざけるな!」と言っていた(多分)

 改めて吸い付いた海馬の唇は、やっぱり少し冷たくて気持ちが良かった。
「あ、兄サマー!城之内ィ!二人とも何やってたんだよ!遅いぜぃ!」
「悪い悪い。これでも急いで来たんだぜ?」
「嘘ばっかり。口の周りに青ノリ付いてるぜ。寄り路して来たんだろ」
「ちょっとそこの屋台で焼きそばを。お前も食う?海馬に買って貰えば?」
「いい。オレ疲れたから早く帰りたい。兄サマも疲れた顔してるぜぃ」
「ああ、疲れた」
「なんでだよ?!まだなんもしてねぇし!」
「聞いてねぇよ!……それにしても花火凄かったね。皆大はしゃぎだったぜい。今度家でも花火やりたいなぁ」
「お、いーじゃん花火!やろうぜ!家花火も結構面白いよな!海馬には持たせらんねぇけど」
「何故だ」
「だってお前ぜってぇ『炎のバーストストリーム!』とか言ってオレに向けるだろ。目に見えるね!」
「馬鹿か。そんな事はせん。精々ネズミ花火を口に放り込む位だ」
「余計悪いだろ!なんだそれ!」
「……二人とも大人げないぜぃ。線香花火勝負にしなよ、安全だから」
「地味だろそれ」
「地味だな」
「でも、いいでしょ。線香花火。帰りに買って帰ろうよ」

 浴衣にぴったりじゃん、花火。

 そう言って楽しそうに振り向いたモクバの笑顔にオレと海馬が勝てるわけも無く。楽しい夜の最後は線香花火で地味に盛り上がって終わったんだ。何て事無い時間だったけど、この夏休み中一番思い出に残る一夜だった。え?色んな意味で。浴衣って脱がせるの楽しいよなー。

 暫くの間蚊に刺されまくった腕の痒みに凄く苦労したけれど、それでも最高のひと時だった。

 来年は忘れずに虫除けをして行こうと思う。
 

 勿論、オレだけにね。


-- End --