Act4 愛の楽園で祝福を(Side.城之内/しげみ)

「っ…ぁ……!」

 息を詰めて達し、脱力した細い身体をオレは強く抱き留めた。首筋も背中も汗びっしょりで、オレに全体重をかけたままハァハァと荒い呼吸が止まらない。「大丈夫か…?」と声をかければ、微かに頷く気配がして安心した。
 そのまま二人して抱き合って息を整えていると、そこに冷たい秋風が吹いてきた。火照った身体には丁度いい冷たさだけど、このままここにいればあっという間に身体が冷えてしまう。温泉に来て風邪引いて帰ったとか洒落にならねーとか思いつつ、慌てて海馬の肌蹴けた浴衣を直してやった。
 ていうか…海馬のこの惨状をどうするべきか…。
 前はコイツが放ったもので、後ろはオレの放ったものでドロドロだ。とりあえず身を引いて海馬の体内から自らのモノを引き摺り出すと、案の定、そこからドロリとした粘液が零れ出てくる。
 残念ながらタオルとかハンカチとかそういう便利な物は持って来て無かったので、浴衣の裾でおざなりに拭っておいた。
 あ、結構濡れちゃった。これは…もう着れないなぁ…。後で換えの浴衣を持って来て貰おう。
 とりあえずぐったりしたままの海馬をオレの上から降ろして脇に座らせる。次に未だ怠さを訴える腰を叩いて立ち上がると、オレは地面に脱ぎ捨てられていた下駄を手に取って揃えて置いてやった。

「ほら、下駄履いて。とりあえず離れに戻ろう。このままここにいたら風邪ひいちまう」
「………」

 オレの言葉に海馬の答えは無いが、どうやら答えないのではなく答えられないらしい。未だ赤味を差したままの顔でコクリと頷くと、震える足でゆっくりと下駄を履いていた。そしてそのまま立ち上がろうとして…ぐらりと蹌踉めいてしまう。慌てて海馬の身体を抱き寄せたら、まるで甘えるように寄りかかってきた。支えている腰がガクガクしている。
 うーん…。ちょっと無理させ過ぎたか…?

「おい…、マジで大丈夫か?」
「………。だ…だいじょ…ぶ…だ…」
「そんな事言っても、足も腰もガクガクじゃん」
「う…煩い…っ。貴様が仕かけた癖に…っ」
「うん、そう。オレのせいだ。だから心配してんじゃん。離れまで歩ける?」
「余計な世話だ…っ」

 余計な世話だと言う割には自力で立てないらしく、海馬はオレの腕を掴んで離さなかった。仕方無く…というよりはむしろラッキーと思いつつ、海馬の腰を支えつつゆっくりと離れへと歩いて行く。
 こんな風にヨレヨレになった海馬に頼られると何となく嬉しいというか…やっぱり守ってやりたいって思うんだよな。普段が守る必要が全く無いヤツだから、余計そう思うのかもしれない。まぁ、ヨレヨレにしたのは誰でもない、このオレなんだけど。
 あんまり嬉しくてニヤニヤしていたら、いつの間にかその顔を海馬にじっと見られていた。心なしか睨んで来ているような気はしたけど、今は幸せ一杯だから敢えて気付かないふりをする。試しに「何?」って聞いてやったら、海馬も「別に」と言って自ら視線を外していた。

「身体冷えてきたから、離れに着いたら風呂に入ろうな。さっきも言ったけど、離れにも個別の露天風呂が付いてるからさ」
「………」
「何?どうしたの?そんな難しい顔して」
「何が露天風呂だ。どうせ貴様も入ってくるのだろう?」
「うん、入るよ。当然じゃん」
「っ………!」
「ちょっと…何でそんな嫌そうな顔してんのよ。あ、あれか!風呂でオレが何かしてくるのを心配してるとか?」
「良く分かっているではないか」
「大丈夫大丈夫、風呂では何もしないよ。一緒に仲良く温泉に浸かるだけだって」
「………。信用出来んな…」
「本当だってば。約束するから安心して」

 そんな事を話している間にオレ達が泊まっている離れへと着く。
 ガラスの扉を開けて玄関に入り込み、部屋には行かずそのまま風呂場に直行した。汗が冷えて大分身体が冷えていたので、早く風呂に入ろうと脱衣所で一緒に浴衣を脱ごうとしたその時。海馬の手がオレの手を掴んで止めた。

「ん?何?」
「五分…、いや十分待て。先に入って身体を洗うから…」
「………。あぁ、なるほどね」

 海馬の言う身体を洗うって言うのは、ようは体内の処理をするって事だ。
 海馬は自分で処理をしている場面をオレに見られるのを極端に嫌う。オレ的には別に見ていても構わない…っていうか見ていたいんだけど、それを言うと泣く程怒るから敢えて言わない事にしている。
 つーか、そんなに怒る事かねぇ?入り口どころか、中身までバッチリ見られてるっていうのにさ。ホント今更だよなぁ。
 そう思いながらも仕方無く頷いて、海馬が浴室に入っていくのを黙って見送った。やがて内風呂の方からお湯を被る音が聞こえてくる。
 どうせこの後風呂に入るから部屋に戻るのも面倒臭いと、オレは脱衣所に備え付けられていた椅子に座ってずっとバシャバシャとお湯が流れる音を聞いていた。結構待ったからそろそろ大丈夫かと思って、オレもさっさと浴衣を脱ぐと内風呂に続く扉を開け放つ。
 ズカズカと入り込むと、身体中泡だらけにした海馬が驚いた表情でオレの事を見詰めていた。

「なっ…。き、貴様!十分待てと言っただろう!」
「十分かどうか分からないけど、結構待ったぜ。いいじゃん。どうせ中の処理は終わって、今身体洗ってただけなんだろ」

 未だ文句を言いそうな海馬を無視して隣に腰を下ろし、オレも桶にお湯を汲んで肩から浴び始める。身体はさっきの大浴場でしっかりと洗っていたから、ざっと流すだけにする事にした。
 ちらりと隣を見ると、神経質そうにスポンジを身体に滑らせている海馬の姿が目に入ってくる。
 ったく…。普段はおざなりにしか洗わない癖に、セックスの後だけはしっかりと身体を洗うんだからなぁ…コイツは。何か如何にも「意にそぐわない事をされました」って言われているみたいで、微妙にショックを受ける。
 勿論海馬がそんなつもりでいる訳じゃないって事は分かってる。でもさぁ…、せっかくオレが付けた匂いや痕跡を、まるで親の敵みたいにガシガシ洗われたりするとさ、そんなに嫌だったのかって思いたくもなるよな。海馬としてはただ汗とか唾液とか精液なんかの汚れが嫌なだけなんだろうけど。

「はぁ………」

 暖かいお湯を被りながら深く溜息を吐いたら、同じようにお湯を被って身体の泡を流していた海馬と目が合った。

「何だ?」
「何が」
「今溜息を吐いただろう」
「あぁ、コレは気にしなくていいよ」
「そう言われると余計に気になるのだが」
「別に大した事じゃ無いから。ただちょっと…世の無常を感じちゃっただけ」
「はぁ………?」

 全く意味が分からないらしい海馬は、オレの言葉に不思議そうな顔をしてちょこんと首を斜めに傾げた。その動作が凄く可愛らしくて、単純なオレの脳みそは即座に欝から躁へとスイッチを切り替える。
 うっ…!この罪作りな男め…っ!とそんな事を思いつつ、オレは何でも無いような顔をして立ち上がった。
 結局海馬には勝てないんだよなぁ…。ま、そんな事分かってて恋人やってんだけどさ。
 内風呂で身体を綺麗にして露天風呂へと続く扉を開くと、目の前に現れたのは立派な檜の浴槽だった。
 外から見られないように木の板で囲いがしてあって、周りの木々が美しく紅葉している様は下からのライトアップで美しく映えている。
 全風呂かけ流しの温泉の為、勿論離れの個人風呂もかけ流しだ。こんこんとお湯が溢れている浴槽に手を入れてみると、少し熱めの温度が指先から伝わってくる。心なしか先程の大浴場よりお湯の温度が高いような気がする…と思って、背後にいる海馬を振り返った。

「何かあっちの風呂より熱いような気がするんだけど」

 腕を肘まで入れてお湯を掻き回しながらそう言ったら、海馬が「ふむ」と言って同じように湯の中に手を差し入れた。そして合点がいったように軽く頷く。

「なるほど。源泉の温度は変わらないからな。大浴場よりこちらの風呂桶の方が小さいだろう? その分湯温が下がりにくいんだ。まぁこの程度だったら入っていればすぐに慣れる」

 そう言って海馬はさっさと足を突っ込んで、その場にゆっくりと身を沈め始めた。海馬の体積の分のお湯が檜の風呂桶から盛大に流れ出す。
 ある程度まで入り込んで深く息を吐き出した海馬を見て、オレも風呂桶の中に片足を突っ込んだ。やっぱり先程の大浴場より大分熱く感じて、時間をかけてじっくりと身体を湯温に慣らしていく。

「あちち…。お前よくこんな熱い風呂に肩まで入っていられるな…」
「別に。慣れれば大した事は無い」
「意外だなー。お前は絶対温い風呂の方が好きなんだとばっかり思ってた。普段だってシャワーだけで済ませたりしてるしさ」
「疲れが溜まった時は、よくこうして熱い風呂に入ったりしてるぞ。お前が知らないだけだ」

 檜の風呂桶に半分寄りかかって、海馬は実に気持ち良さそうに溜息を吐いた。そうこうしている内にオレ自身も大分湯温に慣れてきて、上半身までしっかり温泉に浸かる事に成功する。ザバリと再び大量の湯が風呂桶から零れ落ちた。と、その時…。

「っ…!いって…っ」

 湯に浸かった途端に、鎖骨の辺りに鋭い痛みを感じて飛び上がった。熱いお湯がじわりと浸みるようなそんな痛みに慌てて視線を下に向けると、そこに見事な歯形があるのに気付く。
 こ、これは…、さっき外でヤッた時の…。

「痛いなぁ…コレ。超浸みるんですけど…」
「煩いわ。自業自得だな」

 恨みがましく視線を向けても海馬は素知らぬふりで温泉に浸かり、こちらを見ようともしない。まぁあんな場所で無理させちゃったのは間違い無くオレのせいなので、ここは大人しくお湯に浸かる事にする。
 今度はいきなり身体を沈めないで、なるべくゆっくりと肩までお湯の中に入り込んだ。胸元の傷は相変わらず痛みを訴えるけど、さっきよりは酷く無い。最初は熱いだけだったお湯も、長く浸かっていればだんだんと身体に馴染んできた。
 うん、確かに慣れれば大した事ないな。外気温が冷たいから意外と長湯出来そうだ。
 そう思いつつ空を見上げたら、そこには白く清らかな美しい月が輝いていた。空気の澄んだ秋の夜空に輝く月は本当に綺麗だって思う。月って何か海馬に似てるしな。あの白さとか、一瞬冷たく見えるところとかさ。
 でも実は月光がとても優しい事をオレは知っている。太陽みたいに直接的で攻撃的なギラギラした光じゃなくて、もっと間接的で優しい癒しの光ってヤツだ。
 海馬が放つ光は一見すると太陽の光に見える。直接的で攻撃的でギラギラしていているから。でもそれは海馬が放つ本当の光じゃないって事を、オレはコイツと付合って初めて知った。
 太陽の光はタダの虚構。がむしゃらに直進する海馬の姿勢に隠されて見えない本来の光は、優しく辺りを包み込むような柔らかい月光だ。海馬が心から気を許した人間にしか差し込まないその光は、いつしかオレの全身を照らしていた。
 だからオレは愛した。オレを愛してくれるその光を、心から愛しいと思ってより愛した。

「海馬。ちょっとこっちに来てよ」

 風呂桶に凭れかかっていた身体を引き寄せて背後から抱き締めると、海馬が一瞬慌てたように肩越しに振り返った。オレはそんな海馬になるべく安心させるように微笑むと、海馬の身体を抱き締めたまま反対側の風呂桶に寄りかかって軽く息を吐いた。再び空を見あげると、そこには変わらず白く輝く月がある。柔らかな月光の下、温泉の温かな湯気が夜空に消えていく様も風情があってとても綺麗だった。

「あぁ…。本当にいい月夜だな」

 オレを警戒して身体を硬くしている海馬をギュッと抱き寄せて、夜の空気に冷たくなった栗色の髪に頬を寄せる。

「そんなに警戒しないでよ。ここじゃこれ以上何もしないから」
「それを安易に信じろと言うのか…? 何もしないと言って酷い目に会った事ならいくらでもあるのだが」
「あはは、ゴメンゴメン。でも本当に何もしないから。実はさっきので結構満足しちゃったし」

 オレの言葉で先程の行為を思い出したのだろう。サーッと首筋まで赤くした海馬は、そのまま黙って俯いてしまった。
 この赤味は…温泉に浸かっているからってだけじゃないよなぁと思いつつ、目の前に晒された綺麗な項をじっと見詰める。お湯と…それから汗と。まるで玉のような水滴が白い肌に浮かんでいた。男にしては細い首筋と、俯いている為に皮膚の上に現れた頸椎の形の色っぽさに、ドキリと胸が高鳴る。周りの汗と融合した大きな水滴が形を保てなくなってつつーっと流れ出したのを見て、思わずそれをペロリと舐め取ったらビクリと反応された。
 あ、ゴメン。何もしないって言ったのにやっちゃった…。

「き、貴様…っ。何もしないと言っただろう!?」

 案の定怒られちゃったけど、あんな色っぽい光景見せられちゃったら…仕方の無い事だよな?
 むしろ男としてあんなものを見せられて何も出来ないようじゃ、そっちの方が健全じゃないような気がするんだけど。

「ゴメン。ついやっちゃった」
「ついって…お前は…っ。だから信用ならんのだ」
「悪かったって。もうこれ以上はしないから。あ、でももうちょっとだけ項触ってもいい? キスだけでもいいから」
「こ、こら…城之内っ! っ…ぁっ…」

 腕の中に細い身体を抱き締めて、目の前に晒されている項にオレはそっと唇を寄せた。今にも流れ落ちそうになっている水滴を吸い取るようにチュッと音を起ててキスをして、浮かんでいる丸い骨に軽く歯を当てる。
 普段から首筋への刺激が弱い海馬だけど、さっき野外でしたせいで大分感じ易くなってるみたいだ。頸椎の形に添って舌で舐めあげるだけで、フルリと震えて小さな声を漏らす。
 せっかくだからこのまま露天風呂エッチとかもしてみたいけど、でも今日は海馬の誕生日だから。オレの欲望だけに走らずに、ここは余り無理しない事に決める。
 首筋どころか耳まで真っ赤にしてる海馬を抱き締め直して、オレは再び風呂桶に上半身を預けて空を仰いだ。
 温泉に浸かりながらオレが黙って月を見ている事に気付いたらしく、オレの腕に抱かれたまま海馬も同じように空を見上げてくれた。

「静か…だな」
「あぁ…」
「月も…綺麗だな」
「そうだな…」

 交わした言葉はたったそれだけ。後は二人して黙って湯船に浸かっていた。
 見えるのは秋の澄んだ夜空、白く輝く月、ライトアップされた紅葉、海馬の白い項と栗色の後頭部。聞こえるのは木々を駆け抜ける冷たい風の音と、秋の虫が奏でる音色。湯口から檜の風呂桶に温泉が注ぎ込まれる音と、風呂桶から溢れ出た湯が排水溝に流れていく音。そしてオレや海馬が身動きするたびにチャプチャプと温泉の水面が起てる水音…。
 美しい夜だった。こんな静かで美しい夜をオレは知らない。こんなに静かで美しくて…そして幸せな夜を味わえた事に心から感動する。
 多少懐が寒くなったりはしたけどさ。たった今、この一ヶ月の苦労が全て報われたような気がしたんだ。

「ありがとう…海馬」

 白い首筋に顔を埋めてそう囁いたら、海馬が不思議そうに少し首を傾げるのを感じた。

「何がだ、城之内?オレはお前に礼を言われるような事は何一つしてないぞ?」
「そうでもないんだよ。オレ、来年も頑張るからな」
「は………?貴様、何を言っているんだ?」

 この期に及んで未だ何も気付いていない海馬に苦笑しつつ、オレは細い身体に回した腕に少し力を込めた。
 それから数刻後、まだゆっくり風呂に浸かっていたいという海馬を残して、オレは先に風呂から上がった。備え付けられていたバスタオルでざっと身体を拭いてしまうと、浴衣を羽織って部屋の中に戻って来る。そしてそのまま内線電話へと手を伸ばした。
 受話器を取ってフロント宛ての番号を押し、受話器を耳に当てたらワンコールで向こうと繋がる。

『どうなさいました?城之内様』

 間髪入れずに聞こえて来た丁寧な声に、オレは心底感心した。
 かかってきている部屋番号から、誰が電話をかけてきているのか分かるらしい。こういうところが素晴らしいというか…、流石老舗旅館ってヤツなんだろうな。

「スイマセン。さっき庭を散歩していたらちょっと浴衣を汚しちゃって…。換えの浴衣を持って来て欲しいんですが。あの…二人分」
『畏まりました。サイズの方は城之内様がご指定されたものと同じで構いませんか?』
「あぁ、はい。お手数かけますが宜しくお願いします」
『承りました。すぐにお持ち致します』

 フロント係の優しい声にホッと一安心して受話器を置く。
 うん、大丈夫。嘘は言ってないぞ、嘘は。『庭を散歩してたら汚しちゃった』事に間違いは無いからな。
 だって流石にさぁ…、この浴衣を着て眠るのはちょっと無いよなーとか思っちゃうんだよね。アレでかなり濡れちゃった浴衣は、未だにあちこちが冷たく感じる。まぁ殆ど海馬が出したヤツなんだけどさ。
 本当はオレは別に構わないんだよ。そんな細かい事気にする性格してないし。でも海馬は絶対嫌がるだろうしさ。今日は海馬の誕生日なんだから、少しでも快適に過ごして貰わないとな。
 そう思いつつ備え付けの冷蔵庫からコーラの缶を取り出して一口飲んだ時だった。玄関のガラス扉が数度叩かれた音に気付く。そのままいそいそと玄関に向かって鍵を開けたら、扉の向こうから現れたのはこの離れを担当している仲居さんだった。

「お待たせ致しました、城之内様。こちらが換えの浴衣でございます」
「ホントすいませんでした。ありがとうございます」

 差し出された浴衣を受け取りながらペコペコと頭を下げたら、仲居さんはオレを安心させるようにニッコリと笑ってくれた。

「いえいえ、とんでもございません。汚れた浴衣は脱衣籠の中にでも入れておいて下さいませ」
「はい、そうしときます」
「それではごゆっくりお寛ぎ下さいませ。何かございましたらいつでもお呼び下さい」

  仲居さんはその場で深々とお辞儀をすると、ガラス扉を丁寧に閉めながら帰って行った。仲居さんの気配が遠ざかるのを確認しながら、オレはガラス扉の鍵を閉 める。そしてそのまま浴室に戻り、海馬の脱衣籠に新しい浴衣を入れて置いてあげた。ついでに自分も新しい浴衣に着替えてしまう。
 浴室の扉の向こうからは、未だにザバ…とかバシャリ…とか不規則な水音が聞こえて来ていた。
 つーか長ぇな…。いつまで入っているつもりだよ。
 そんな事を思いながらも、海馬がこの温泉を気に入ってくれた様子が手に取るように分かって、何だか嬉しくなってきてしまった。
 まぁいいさ。そんなに気に入ったのならゆっくり入っているといいよ。今日はお前の誕生日なんだから、好きな様に過ごせばいい。
 上機嫌で温泉に浸かっている海馬を想像しながら、オレはとても幸せな気持ちで部屋に戻っていった。
 

 冷蔵庫の上に置きっぱなしだったコーラの缶を手に取って中身を飲みながら奥の部屋を覗いたら、そこには既に布団が敷かれていた。寝室の電気は消されていたけど、枕元に置いてある電気式の行燈が暗闇の中で優しいオレンジ色の光を放っていて、それがとても幻想的だと感じる。

「お、凄い。もう布団敷かれてるじゃん」

 ズカズカと奥の部屋に入り込んで上から布団を眺めてみると、二つの布団の間に隙間が空いていて思わず笑ってしまった。
 そりゃそうだよなー。男二人の『友人』同士の旅で、布団はくっつけないよな。
 うん。仲居さんは悪くない。という事でオレがくっつけておこう。
 片方の布団をズリズリ引き摺って隣の布団とピッタリくっつける。
 並んだ布団に「よし、これでオッケー」と満足して振り返ったら、丁度海馬が風呂から上がってきたところだった。首にかけているタオルで汗を拭いつつ、冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルを取り出している。
 熱い湯温だったのに無理して長風呂したらから喉が渇いているんだろうな。キャップを外して凄い勢いでゴクゴクと冷たい水を飲んでいた。

「スッキリした?」

 そう声をかければペットボトルから口を外した海馬は、オレの方をちらりと見遣った。その瞳が何か言いたそうなのにわざと気付かないふりをして、テーブルの上に置いてあったテレビのリモコンを手に取って電源を入れる。
  テレビ画面では丁度十時のニュースが始まったところだった。普段のオレだったら即バラエティにチャンネルを変えるところだったけれど、そろそろ海馬も ニュースを見たがるだろうと思ってそのままにしておく。思った通りテレビ画面に視線を移した海馬は、ペットボトルを持ったまま座布団の上に座り込んでテー ブルに肘をついた。
 そんな海馬を見つつ、オレは至極珍しい光景に感心してしまう。
 海馬はいつでも姿勢が真っ直ぐだ。テレビを見たりしている時でさえ、こんな風にテーブルに肘をついたりする事は無い。いつもの洋風リビングとは勝手が違うっていうのもあるんだろうけど、それにしたって貴重な光景だと思う。
 ここに着いたばかりの頃はあんなに警戒していたというのに、いつの間にかすっかりリラックスしているのだ。ペットボトルの水を一口ずつ飲みながらニュースに見入っている海馬の顔に、いつもの眉間の皺は見当たらない。
 そうだ。オレが望んでいたのは、こういう時間だった。
 つまらない事で言い争いをする時間でも、反対に激しく愛し合う時間でも無い。ただ海馬と共に同じ空間で息をして、ゆったりと流れる時間を楽しみたかったん だ。そしていつも生き急いでいる海馬にもそんな時間を望んで欲しい、そして楽しんで欲しいと願って用意したのが、今日のこのプレゼントだったって訳だ。
 だからといって激しく愛し合う時間を望んでいないかというと、そういう事でも無いんだけどな。
 ゆったりと、そして激しく海馬と共に愛し合いたい。両極端な愛をどっちも欲しがるなんて、オレは何て欲張りなんだろうと思う。
 だけど…仕方無いじゃないか。それだけコイツに惚れちまっているんだからさ。
 出来ればずっとこのまま…この時間を楽しみたいと思った。明日になったらまた日常に帰らなくてはならないと分かっていても、そう願わずにはいられなかった。

「好きだよ」

 飲み終わったコーラの缶をテーブルに置きながらポツリとそう囁いたら、海馬が一瞬だけこちらを向いてくれる。そして僅かに頬を染めながら「知ってる」と言って再びテレビに視線を戻してしまった。
 そんな素直じゃない海馬の態度にクスクス笑いながら、オレもテレビ画面に目を向ける。経済ニュースが終わった画面では、新しくスポーツニュースが始まっていた。日本シリーズの劇的な結果を伝えるアナウンサーの声が興奮気味に流れてきたが、オレの耳にはよく届かない。
 興味も無いスポーツニュースを必死に見ているふりをしている海馬を見詰めるのに、全神経を集中していたからだった。

 

2


 
 最後の天気予報のコーナーが終わって、見ていたニュース番組が終わってしまう。手元に持って来ていた携帯のフリップを開いてみると、ディスプレイに表示されている時計はそろそろ十一時になりそうだった。

(あと一時間…)

 そう、あと一時間で十月二十五日は終わる。そうしたら海馬にこのプレゼントのネタバラシをしてやろう。
 その時の海馬の顔を楽しみにしつつ、少々ニヤつきながら携帯を閉じた時だった。「城之内」と至極真面目な声でオレを呼ぶ声が聞こえて、そちらの方に視線を向けた。そこには青い瞳を真っ直ぐにこちらに向けている海馬がいる。その真剣な瞳に漸く気付いたか?とも思ったけど、どうやらそうでは無いらしい。
 テレビは番組が変わって、深夜の海外ドラマが流れていた。声を宛てている有名声優の声を聞きながら、じっと海馬が何かを言い出すのを待つ。暫く黙ってオレを見詰めていた海馬は、やがて小さな溜息と共に口を開いた。

「少し…聞きたい事がある」

 来た…っ!と思いつつも、オレはなるべく平静な顔をしながら首を傾げてみせた。

「何?」
「今日…オレがここに連れて来られた事に関してだ」
「うん」
「さっきからずっと考えていたが、どうやらこれは計画的な犯行だという事までは理解した。ついでに言うと、お前やモクバや磯野がグルだという事もな」
「犯行って、お前なぁ…。別に法に触るような事はしてないつもりだけど。うん、まぁ…それで?」
「その目的がオレに休養を取らせる為だという事も…何となく分かった」
「あぁ、そこはちゃんと理解してくれた訳ね」
「まぁな。だが…だがそこから先が分からない。どうして急にこんな事をした?何故突然拉致して連れて来るような乱暴な真似をしなければならなかった」
「急に…ねぇ」
「そうだ。さっきも言ったが、これは計画的に企てた事なんだろう?だったら予めオレにもそう伝えてくれれば、こちらもそれ相応の準備が出来た筈なのに…。どうして伝えてくれなかった?」
「予めっていうか、伝えてたら全く意味が無かったんだけどな」
「とにかくだ!オレをここに連れてきた理由を話せ、城之内!」

 オレを見詰める海馬の視線は至極真剣だ。まぁ確かに突然拉致されてこんな所に連れて来られれば、不信感も抱いてしまうのも仕方が無いんだろうけどな。
 それにしたって…鈍過ぎるだろ。自分の誕生日があと一時間程で終わってしまうというのに、この聡明な恋人はその事に全く気付いていない。普段は余計なくらいに回転する頭も、自分の事に関してはオレ以上に鈍感になってしまうのだ。
 本当に…困ったヤツだなぁ…。

「参ったね、こりゃ」

 苦笑しつつ、手に持っていた携帯のフリップを再び開く。そこに記された時間は十一時十五分。日付が変わるまで…あと四十五分だ。
 パチリと音を起てて携帯を閉じ、オレは真っ直ぐ海馬の瞳を見返した。そして笑みを浮かべたまま、なるべく真面目な声を出す。

「海馬。教えてやってもいいけど、もう少し自分で考えろ」
「何だと…?」
「今の時刻は十一時十五分。零時まであと四十五分。この四十五分で答えが出なかったら、教えてやってもいい」
「な…何だそれは…。そんな事に何か意味があるのか?」
「勿論。意味があるからしてるんだよ。とにかく自分で考えてみな。それまではオレは何があっても答えは言わねーから」

  そこまで言って、あとは海馬を無視する為にテレビに視線を移してしまった。普段は見ない海外ドラマだから、一体どういう展開になっているのかさっぱり分からない。だけどオレはそこから視線を外す事はしなかった。少しでも視線をずらしてしまえば、睨むようにオレを見詰めている海馬に気付いてしまうから。
 オレの頑なな態度に海馬も無理だと気付いたんだろう。結局はそれ以上は何も言わずに、深く考え込み始めた。

 そうそう、よーく考えな。無事に答えが出たら何かご褒美をあげよう。出なくてもあげるけどな。

 全く理解出来ないドラマの展開を見守りつつ、オレはそっと携帯を開いた。浮き出た時間は十一時二十分。あと…四十分。
 四十分後を楽しみにしつつ、オレはそっと笑った。
 何だかとっても…幸せだったんだ。
 携帯の時計が十一時五十五分を表示した辺りから、オレはずっと携帯と海馬の顔を交互に見ていた。海馬は顎に手を当てて、更に眉間に皺を寄せて必死に考えているようだけど、答えは一向に出て来ないらしい。
 ていうかさ、これって普通の人間だったら考える間もないくらいの簡単な問題だよな。でも自分の事に全く興味の無い海馬に取っては、この上もなく難しい問題らしかった。どんだけ考えても答えは出て来ず、時間だけが無意味に過ぎていく。

「あと一分」

 唐突にオレが告げたその一言で、海馬が慌てたように顔を上げた。

「ま…待て、凡骨! あともう五分くれ…っ」
「凡骨って言うな。あとそのご要望は承りかねます。あと四十五秒」
「せめてヒントを…っ!」
「ノーヒントです。あと四十秒」

 最初は渋々考えていたらしい海馬も、時間が経つに連れて本気で考えるようになっていた。どうやらこの真相当てが一種のゲームみたいになってたらしい。オレが決めたタイムリミットまでに答えが出なければ、それ即ち海馬の負け…という事になるらしくて、負けず嫌いの海馬が本気で焦っているのが目に見えるようだった。
 何とかしてタイムリミットを伸ばそうとした海馬の最後の足掻きも、オレには全く届かない。順調に進んでいく携帯の時計を見ながら、オレは淡々と口を開いた。

「ほら、もう時間がないぜ。あと三十秒」
「今考えている最中だ!くそっ…!」
「文句言ってる暇無いと思うけど?あと二十秒」
「わ、分かっている…っ!」
「マジで何も浮かばない訳?あと十秒」
「っ………!」
「あと五秒。さーん、にー、いーち、終了ー」

 終了の合図と共に、携帯にセットしてあったアラームが鳴る。ディスプレイに表示されている日付が十月二十六日になったのを見たら、何だか自然と笑えてきた。
 全くコイツときたら…。マジで自分の事には無頓着なんだからなぁ。
 海馬は結局タイムリミットまでに答えを出すことが出来ずに、悔しそうにこちらを睨んでいる。その顔にニッと笑いかけて、オレは身を乗り出して話しかけた。

「残念だったな。マジで全然分かんなかった?」
「くっ…!」
「そんな悔しそうな顔しないで。ちゃんと答え教えてあげるから。ほら」

 本気で苦虫を噛み潰したような顔をしている海馬に、オレは手に持っていた携帯のディスプレイを見せてやった。
 海馬に見せてやりたかったのは今日の日付。けれど海馬はそっちじゃなくてオレが設定している壁紙に注目し、「あぁ、KCで配信している『真紅眼の黒龍』だな」と見当違いの事を言ってのけた。
 違う違う。確かにこの壁紙はKCの公式サイトからダウンロード出来るヤツだし、凄く格好良くてオレのお気に入りだけどさ。オレが見せたいのはそこじゃねーっての。

「で?これが何だと?」
「違うって海馬。壁紙じゃなくて日付を見てくれよ」
「日付だと?確かに今日は十月二十六日で、貴様の携帯も狂っていないようだがな」
「ちょっ…お前…。本当に分かってないんだな」
「だから何をだ」
「今日が二十六日って事はだ…。昨日…つまりさっきまでは何日よ」
「さっき…?二十六日の前日は二十五日だろう?そんな当たり前の事が何だというのだ」
「そう、二十五日だ。十月二十五日。この日が何の日なのか、お前本当に分からないのかよ?」
「十月二十五日…?」
「そう、十月二十五日」
「そんなもの決まっているだろう。十月二十五日と言えばオレの…。オレの…。オレ…の…誕生日…?」

 気難しい顔から一転して驚きの表情に変わった海馬は、丸い目をキョトンとさせてオレの事を見ていた。その顔が予想外に幼く見えて、心の底から愛しく思う。
 全く…。ここまで来るのに、どんだけ手間かけさせやがるつもりだ。

「やっと気付いた?」

 少し呆れたように問いかければ、目を丸くしたまま微かに頷いた。

「まさか…。まさかとは思うが…城之内」
「ん?何?何か思い付いた?」
「思い付いたというか…。これは…まさか…」
「だから何?頭に浮かんだ事を言ってみろって」
「まさか…これは…誕生日プレゼント…だったのか…?」
「そう、大当たり。ちょっとしたサプライズってヤツかな」
「サプライズって…っ。こんな立派な旅館、一体誰の金で…。あぁ、もしかしてモクバか?」
「違う。ここを予約したのも、その代金全部用意したのもこのオレだ」
「お前が!?」
「そう、オレが用意した。これはオレからお前への誕生日プレゼントだよ」
「だ…だが…、そんなお金一体どこから…」
「うん、金は無かった。ものの見事に全く。だからこの一ヶ月一生懸命バイトして、何とか金貯めてたんだよ。お陰でこんな立派な旅館を予約出来たし、モクバに金借りるなんて情けない真似をしなくても済んだ。自分で自分を褒めてやりたいくらいだぜ」
「………。そうか…」
「ん?」
「それで貴様…、この一ヶ月間全く顔を見せなかったんだな…」
「そういう事」

 やっとネタバラシ出来た安心感でオレは上機嫌だった。唇を硬く引き結んで俯いた海馬に何を勘違いしたのか「何々?もしかして照れてんの?感動しちゃった?」なんて軽口を叩きながらその顔を覗き込む。だけど次の瞬間、オレは酷く後悔した。
 海馬は…何故か怒っていた。いつもは静かな青い瞳が熱く揺らめいている。

「か…海馬…?」

 理由は全く分からないが、海馬が酷く怒っている事に気付いてオレは狼狽した。
 何でこんなに怒っているんだ?オレ何かしたか…?何か変な事でも言っちまったのか…?
 どんなに考えても答えは出て来ず、焦りばかりが募っていく。

「えーと…、何で怒ってるのかな…?」
「………」
「このプレゼント、気に入らなかった?」
「違う」
「それともここの旅館がイマイチだったとか?」
「それも違う。オレが言うのもなんだが、ここは最高だ」
「あぁ、じゃあもしかして、オレの金なんかで温泉を楽しむ事自体が嫌だったとか…」
「そんな訳ある筈ないだろう!!」

 熱を持った青い瞳からじわりと大粒の水分が盛り上がって…、そしてポロリと零れ落ちた。その瞳からは怒りだけではなくて、悲しみや寂しさや悔しさや…とにかく色んな感情が見えている。
 海馬がこんな複雑で混乱した表情をオレに見せるのは、初めての事だ。
 溢れ出た涙を鬱陶しそうに浴衣の袖で拭いながら、海馬は怒った口調のままでオレに怒鳴った。

「感動なんかするものか!馬鹿者が…っ!この一ヶ月間、全く姿を見せなくなったお前を、オレがどれだけ心配していたのか分かっているのか!!」
「え………?」
「父親の事で何かあったのだろうかとか…借金がまた増えたのだろうかとか…働き過ぎで病気にでもなったのだろうかとか…、遂にオレに愛想を尽かしたのだろうかとか、色々心配しただろうが!!」
「なっ…!!ちょ、ちょっと待って!それは無い…っ。それだけは絶対無いから!オレがお前に愛想を尽かすなんて…、逆はあってもこっちからは絶対無ぇよ!!」
「分からんぞ。キスをしようがセックスをしようが、所詮オレ達は男同士だ。貴様の目の前に好みの女性でも現れたりすれば、そっちを選ばないとどうして言える!!」
「何で今更そんな事を言い出すんだ!!ずっとお前の事だけを好きだって、言ってるじゃんか!!オレを信じてないのか!?オレの気持ちを疑うのか!?」
「信じさせてくれないのは貴様の方だろう!?いつも巨乳のエロ本を持ち歩いて、街を歩けばケバイ女に振り返り、その度に好みだ何だと鼻の下を伸ばす癖に…っ!!しかも今回は何も言わずに突然一ヶ月も無視されて…っ!これでどうやってお前を信じればいいと言うのだ…っ!!」

 青い瞳からは絶えず涙が零れ落ち、せっかく温泉に入ってスッキリした顔はグシャグシャになっていた。
 こうやって二人きりで会えたのも一ヶ月ぶりなら、こんな派手な喧嘩をするのも一ヶ月ぶりだ。いや、もっとかな。最近はオレも海馬も大人になって、ここまで酷い喧嘩をするような事はすっかり無くなっていた。
 だからかな。久々に大声で怒鳴り合ったせいか、オレは海馬が本当に訴えたい事に気付く事が出来たんだ。

 そうか…。そうだったんだな。何で気付けなかったんだろう…。

 海馬の本心に気付いたオレは速やかに立ち上がって、テーブルの向こう側まで歩いて行く。そして未だ声を奮わせて泣き続けている海馬の側に膝を付いて、細い肩をそっと抱き寄せた。大した抵抗もなく引き寄せられる身体をギュッと強く抱き締めて、栗色の髪を優しく撫でる。

「ゴメン…ゴメンな…。お前、寂しかったんだな…」
「っ………!」

 海馬の身体がビクリと揺れて、オレの言葉を肯定する。
 滑らかな髪を撫でながら、オレは最初にこの部屋で顔を合わせた時の海馬の事を思い出していた。
 海馬は…ずっと苛ついていた。
 オレはそれを、何も知らされずに突然こんな場所に連れて来られた不安から来ているもんだとばっかり思ってた。だけど本当は違ってたんだな。いや、勿論それも関係あったんだろうけどさ。
 多分海馬は…ここに来る前からずっと苛々していたに違いない。
 他人の干渉を拒絶していつも胸を張って一人で頑張っている癖に、妙なところで寂しがり屋の海馬。寄るな触るな邪魔するなと酷い事を言ってくる癖に、本当に放っておかれると拗ねる海馬。
 そんな海馬が一ヶ月もオレに無視されて、不安にならない訳が無かったんだ…。

「心配かけてゴメン…。ホントにゴメン」

 海馬の胸の内を支配していた不安を消し去る為に、心から謝罪の言葉を述べた。

「海馬…。ゴメンな…」
「オレが…どれだけ…っ、不安…だったか…っ」
「うん…、ゴメン」
「もう…呆れられたのかと…そう…思って…」
「そんな事はしねーよ。呆れるなんてある訳ない」
「けれど…オレは…ずっとそう…思ってて…。いつかきっと…こんな日が来るんじゃ無い…かと…。それがいよいよ…来てしまったのか…と…っ」
「大丈夫だよ。そんな日は絶対に来ないから、安心して。約束するからさ」
「それを…信じろ…と…?」
「うん、信じて。ホントにゴメンな…。お前の為に良かれと思ってやった事が、却ってお前を不安にさせちまった。もうこんな寂しい思いはさせないから…」

 腕の中の海馬を心から大事に想って、そしてその想いを込めて強く強く抱き締めた。ただ為すがまま抱かれるだけだった海馬の腕がそろりと動いて、やがてオレの背に回って同じように強い力で抱き締め返してくれる。腕の中と、それから背中から感じる熱が愛しくて堪らない。

「好きだよ海馬、愛してる。オレはただお前に喜んで欲しかっただけだったんだ…。それがお前をこんなに寂しがらせる事になるだなんて…思いもしなかったんだよ。本当に…悪かった」
「もう…いい…」
「でも…っ!」
「もういいから…。本当は…嬉しかった。お前がオレの為にこの旅館を用意してくれたんだって知って…嬉しかった。凄く嬉しくて…幸せだと思った。だからもういい。もういいんだ…城之内」

 オレの背に回した腕をギュッと押し付けて胸元に頬をすり寄せた海馬は、至極幸せそうに微笑んでいた。泣いたせいで目元は真っ赤だったけど、涙はもう零れていない。それを見てオレは海馬の両頬に手を当てて少し上に向けさせ、自分の顔をそっと近づけた。痛々しく赤く腫れた目元に舌を這わせ、塩辛い涙の痕を丁寧に舐め取る。そしてこめかみや頬に軽いキスを幾度も落とし、やがて辿り着いた耳元で祝福の言葉を囁いた。

「海馬、誕生日おめでとう」

 そのたった一言で、海馬は今まで以上に身体を密着させてきた。そしてオレの胸元に顔を埋めている為にくぐもる声で「ありがとう…」と呟く。

「もう…こんな思いはさせないでくれ…。ただ側にいてくれるだけでいいんだ…城之内」
「うん、約束するよ。ずっと側にいるからな」

 外はもう、秋の夜の空気でしんしんと冷えている。けれどここはとても暖かかった。それが暖房のせいだけじゃない事はよく分かっている。
 触れ合う場所から感じるお互いの体温、そして大好きな相手と想いを分かち合うという暖かさに、オレ達は随分長い事浸っていた…。
 泣き腫らした顔を恥じて「顔を洗いにいく」と行って洗面台に消えていった海馬は、それから暫くしても帰って来なかった。
 深夜のテレビ番組を眺めながら海馬が戻って来るのを待っていたんだけど、普段見ない時間帯の番組は何一つ面白く感じられない。結局オレはテレビの電源を落として立ち上がり、奥の寝室へと向かって、敷かれていた布団の片方に潜り込んだ。
 高級そうな羽毛布団に首まで埋めながら、オレは少し落ち込んでいた。
 海馬を泣かすつもりは全く無かった。あのネタバラシの瞬間は、オレの中ではもっと幸せな瞬間だった筈だったのに。
 いつも仕事仕事でオレの事を邪魔者扱いするから、海馬があんなに寂しがっているなんて思いもしなかったんだ。むしろ仕事の邪魔をされなくて清々しているんだとばっかり思ってた。
 だけどそれは…オレの考え違いだったんだ。
 海馬と付合って丸三年経つというのに、オレは全然アイツの事を分かってあげられなかった。海馬の事ならもう何でも理解出来るつもりでいたのに、それはただの自意識過剰なだけだったんだ。
 結局オレは何一つ成長しちゃいない。ずっとあの頃の…海馬と付合い始めた頃の凡骨のオレのままだ。
 恩を返すつもりで企画したこの誕生日プレゼントが、心ならずもアイツを苦しめる結果になった事に、オレは大きなショックを受けていた。

「はぁ〜…」

 大きな溜息を吐いて、オレは隣の布団をチラリと見遣る。ただ顔を洗いに行っただけなのに、海馬はまだ戻ってきていなかった。
 もしかしたらまだ怒っているのかもしれないと思ったら、海馬が来る方向を見ているのも辛くなる。空の布団に背を向けるように、オレはごそりと向きを変えて、布団の中で身体を丸めた。そして、もう眠ってしまおうと目を瞑る。
 本当は…この後も海馬を抱くつもりでいた。この後もっていうか、むしろこの後がメインだった筈なんだけど。
 庭でのセックスはちょっとした事故みたいなもんだ。我慢出来なくてついつい手を出しちゃったけど、むしろあの事故が救いになっている。
 望んだ場所でのセックスは出来なかったけど、少なくても海馬を抱いた事には違いない。実際すっげー気持ち良かったしな。それに風呂上がりの海馬のリラックスっぷりを見ていたら、もうそれだけで十分なような気がしてきた。
 もうこれ以上自分勝手な行動で海馬を困らす事は出来ないと、少し意識が遠のいてきた頭で考えていた時だった。
 遠くの方でバタンと扉が閉まる音が聞こえ、次いでペタペタと裸足で畳を踏む足音が近づいてくる。パチンという音と共に瞼の向こう側が少し暗くなったのを感じて、海馬が居間の電気を消したんだな…と思った。
 ペタリと寝室に入ってくる気配と共に、シュッと襖が閉められる音がする。そしてその後は何の音もしなくなった。

 見られている…。

 何故か確信的にそう思った。オレは海馬がいる方向には背を向けているし、目も瞑っているから状況が目に見えている訳じゃない。でも背後からの視線を痛い程に感じていた。
 海馬は随分長い事オレの事を見詰めていた。視線は感じるけど、海馬が何を思っているのかまでは分からない。
 寝ないのか…?と訝しげに思い始めた時、背後でシュルッと衣擦れの音がした。ついでにパサリと大きめの布が畳に落ちる音がする。
 タオルでも落としたのかと思いつつ気配を探っていたら、背後の空の布団に海馬が膝を付くような動きを感じた。あぁ漸く眠るのかと少し安心する。海馬が本当にまだ怒っていたのなら、眠っているオレを叩き起こしてでも怒鳴るだろうと覚悟していたから。
 そのまま大人しく眠るという事は、もう海馬の怒りは解けたという事だ。
 良かった良かった。オレのせいとは言え、せっかく温泉旅館にまで来たのにいつまでも怒っているのは馬鹿らしいからな。だから海馬が隣の布団ではなく、こっちの布団を捲ってオレの背後に潜り込んで来ても何の不思議も…。

 って、えええぇぇぇぇぇーっ!?

 ゴソゴソとオレの背後に潜り込んで来た海馬は、オレの背中にピッタリと張り付き、更に横向きに寝ていたオレの腰に手を回しギュッと力強く抱き寄せてきた。背中からじわりと広がる熱が妙にリアルで、眠気は一気に覚めて心臓がバクバクと煩く高鳴りだす。

「な、な、な、ななな…何だっ。どうした海馬…っ?」

 余りの予想外の展開にしどろもどろしながら問いかけても、背後からの答えは無い。その代わり、オレの肩口に強く額が押し付けられる。
 こんな海馬の態度は初めての事だった。丸三年間付合ってきて、オレが海馬のベッドに忍び込む事は何度もあっても、その逆をされた事は一度も無い。
 普段とは真逆のシチュエーションにオレの緊張はMAXで、心臓の高鳴りは治まる事を知らず、激しい血流に手指の先まで震えてきた。その震える手で腰に回る海馬の手に触れ、滑らかな肌をそっと上へと辿っていく。手首から腕へ、尖った肘を撫でて上腕へ。そして少し無理な姿勢で肩まで辿りついた時、オレはとんでも無い事実に気が付いた。
 な、何で…。

 何でコイツ何にも着てないんだよ…っ!?

 余りの事にオレの目はついにバッチリと開いてしまう。
 オレの腰を抱き締めている手を強く掴みそこから引き剥がして、そのままくるりと身体を回転させる。柔らかい布団の上に縫い留めて上から見下ろしたその身体は…素っ裸だった。念の為布団の中で海馬の腰の辺りを探ってみたけど、予想通りというか何て言うか…下着も着けていなかった。

「っ………!」

 白い布団の上に同じくらい白い肌をした細い身体。薄闇に包まれた寝室は、枕元に置いてある行燈の柔らかいオレンジ色の光だけが照らしていて、海馬の肌がそのオレンジ色の光を受けて白く浮き上がっている。
 海馬を見下ろすこの光景は至極見慣れたものだったけれど、いつものベッドとは違う畳の上に直に敷かれた布団だとか、洋風のサイドランプでは無く行燈だとか、側に脱ぎ捨てられているのが白いパジャマでは無くて浴衣だとか、そういうものがいつもの雰囲気とまるで違って、それら全てがオレの興奮材料になっていた。
 更にオレに違和感を感じさせたのが、海馬の表情だった。
 いつもはまるでオレに挑むように鋭く睨み付けてくるその視線が、今は目元を赤くして熱っぽく潤んでいる。
 余りのその色っぽい姿態に、思わずゴクリと生唾を飲んだ。

「何…?一体どういうつもり…?」

 そのまま有無を言わさずがむしゃらに抱き締めたいのを何とか我慢してそう問いかけると、海馬は顔を真っ赤にしてプイッと横を向いてしまった。

「どういうつもりとは…?」
「だ…だから…その…、お前がこんな事してる意味を聞いてるんだけど…」
「そういう貴様こそどういうつもりなのだ。いくら凡骨でも、オレがここまでする意味を悟れない程馬鹿ではあるまい」
「うん…分かってるよ。だからそれを素直に受け止めてもいいのかって意味で聞いたんだ」
「では逆に聞くが、これを素直に受け止めなくて、一体どう受け止めろとでも?言っておくがオレは裸で寝る癖は無いし、何の用もないのに他人の布団に潜る趣味も無いぞ」

 横を向いたまま、視線だけでチラリとオレを見詰めてくる。目元とこめかみと頬が真っ赤に染まっていて、それがとても綺麗だった。
 再びゴクリと喉を鳴らして、オレはもう何も言わずに海馬の身体に覆い被さる。その白い身体に体重を載せると、首元に長い腕が絡まってきた。晒された細い首元に軽く唇を寄せただけで敷いた身体がビクッと震え、喉元がコクリと動くのが見える。
 はっきり言って、もう我慢の限界だった。
 せっかく人が黙って眠ってやろうと思っていたのに、この罪作りな恋人は一体どこまでオレを翻弄すれば気が済むのか…。余りの嬉しさに、にやついた笑みが止まらない。

「もう止まれないからな。覚悟しろよ…」

 興奮し過ぎて乾いてきた唇を舌で舐めながらそう囁いたら、上気した頬を更に真っ赤にさせて海馬が瞳を閉じた。

「分かっている。好きにするがいい…」

 まるで自棄を起こしているかのような海馬の言葉に、オレはクスリと笑ってしまった。
 何が好きにしろだ。巫山戯んな、いい加減にしろ。お前だってオレと同じくらい相手の事を欲しがっている癖に、本当に素直じゃないんだからな。
 小憎たらしい…だけど世界で一番大事なオレの恋人。愛しい愛しいオレの海馬。
 そんな最愛の恋人と深く愛し合う為に、オレはその身体に深く身体を沈めていった。

 

3


 
「んっ…。ふっ…ぅ…っ」

 静かな寝室にピチャピチャという濡れた音が響いている。激しく舌を絡め合いながら、オレは海馬の開かれた足の間に身体を割り込ませた。そして片膝でグイッと股間を刺激してやると、途端に「んっ…!」という余裕の無い声をあげてビクリと反応する身体に、更に深く欲情を煽られていく。
 熱く濡れた口内を一通り舐め回して一旦唇を離すと、まるで離れたく無いとでもいうように、互いの舌先からとろりとした粘液が繋がっていた。それをもう一度キスをして舌に絡め取り、チュッと吸い取ってしまう。
 散々吸い付かれて真っ赤に腫れ唾液に濡れた唇を開いて、海馬はハァハァと呼吸を荒くしていた。

「熱い………」

 まるで譫言のように紡がれたその言葉に、オレもいい加減邪魔になっていた上かけを剥いでしまう。途端に目の前に美しい白い裸体が現れた。枕元のオレンジ色の光を浴びて、身体全体が幻想的に浮かび上がる。
 思わず「綺麗だな…」と呟いたら、白い身体がサーッと桜色に染まっていった。

「嘘だ…っ」
「嘘じゃないよ。何で嘘だって思うんだ?」
「オレは…女じゃない…。男だぞ…」
「男でも綺麗なもんは綺麗なんだから仕方無いだろ?」
「だ…だが…」
「ストップ!それ以上下らない事言ったら許さないぜ。どうせお前の事だから、胸が無いだとか余計なモノが付いてるだとか言うつもりだったんだろうけど」
「っ………」
「図星だった訳ね。まだそんな事気にしてたのかよ」
「城之内…」
「ホント…困った奴だね。でもお前にそんな不安な気持ちを抱かせてしまったのはオレの責任だから、これ以上は何も言わないでおくよ。だからお前も余計な事気にしないで、こっちに集中してくれるかな?」

 そう言って、オレンジ色の光に浮かび上がる真っ赤な乳首に指を這わせると、海馬がビクッ…と大きく身体を跳ねさせる。
 そこはもう硬くしこっていて、勃ち上がった乳首を押し潰すように愛撫していると、海馬がイヤイヤをするように首を左右に振っていた。

「いっ…!痛…い…っ」
「ん…?痛い?」

 潤んだ瞳で睨み付ける海馬の視線を受け止めて、オレは改めて赤い乳首をじっと見てみた。さっき庭で散々弄った乳首は、確かにいつもより赤く染まってぷっくりと腫れてしまっている。
 うーん…、確かにこれじゃちょっと痛いかもしれないな…。慣れない環境に興奮して、やり過ぎちゃったのかもしれない。

「ゴメンゴメン。優しくするから」

 慌ててその場所から手を除けて、代わりに顔を近づけた。硬く勃ち上がった乳首にさっきと同じようにフッと息を吹きかければ、またピクリと身体が反応する。
 その敏感さに嬉しさを感じつつ、硬い突起を舌で柔らかく舐め上げた。唾液を擦り付けるように乳首や乳輪を丁寧に舐めて、灯りに反射する程濡れた乳首を口に含んで、ジュッと軽く吸いあげる。

「っ…!ふぁ…っ!」

 途端に仰け反って甘い声をあげる海馬に、オレは乳首を口に含んだまま笑みを浮かべた。
 何だかんだ嫌がってる割りに、やっぱり胸は感じやすいらしい。ビクビクと震える身体を押さえつけて胸への愛撫を続けていると、「あっ…あっ…」と断続的に喘いでくれた。
 その姿に心底可愛いなぁ…と感動しつつ、空いている手を下方に伸ばしてスラリとした足をそっと撫でる。膝頭をつっと撫でると、まるでそれが合図のようにゆっくりと片膝が立てられた。その一連の動作にニヤリと笑いつつ、掌を内股へと滑り込ませる。滑らかな肌をさわさわと撫でただけで、海馬の腰が揺らめいた。
 多分自分の腰が勝手に動いてしまっている事に、海馬自身は気付いていないんだろうな。オレが「腰、動いてるぜ」と指摘すると、途端にハッとした顔をして身体の動きを止めてしまった。それでもしつこく内股を撫でていると、またユラユラと腰が浮いていく。
 身体はこんなに正直なのに、御本人はどうして素直になれないのかねぇ…。
 でも、そんなところも可愛いと思ってしまうんだから、オレの方も重病だ。そんな事はとうに分かっている。そうなる事を選んだのは、他でもないこのオレだったから。

「海馬…、可愛い…」

 柔らかい内股の皮膚を撫で擦りながら囁いたら、海馬が潤んだ瞳を開けてオレを見た。その瞳が「もっと」と言っているのに気付きながらも、敢えてそれを無視してもどかしい愛撫を続ける。

 海馬の股間のモノは、もうとっくに硬く勃ち上がってしまっていた。海馬が腰を動かす度にユラユラと揺らめいて、先端からはトロトロと先走りの液を零れさせている。だけどオレは敢えて肝心な場所には触らずに、わざと際どいところを指や掌でスッと軽く撫でるだけの愛撫を続けていた。

「あっ…、っう…!」

 その度に海馬は首を振り、大事なところをオレに触って欲しいと腰を持ち上げて意思表示する。
 その余りの淫らな痴態に、こっちがどうにかなりそうだった。

「はっ…ぅ…っ。あぁっ…!」

 根本の辺りを指の腹で擽るように撫でていると、グイグイと海馬が腰を押し付けて来る。そして日本人離れした長い腕が布団から投げ出され、いつ見ても綺麗な形をした爪でカリリと畳の縁を引っ掻いた。
 いつもはベッドのシーツを掴む長い指が畳を引っ掻くその妖艶な様に、ドキリと胸が高鳴り頭にカッと血が昇っていく。

「海馬…。触って…欲しい?」

 興奮に震える声でそう尋ねたら、海馬がコクコクと頷くのが見えた。
 本当は言葉にして言って貰いたかったけど、流石にこれ以上の意地悪をするつもりは無い。今日は(正しくはもう昨日だけど)海馬の誕生日だから、なるべく優しくしてやりたかった。
 トロトロの粘液で濡れまくっているペニスに手を伸ばし掌で軽く握ると、それだけでヌルリと指が滑った。

「うぁっ………!」

 待ち望んだ刺激に海馬の身体が大きく跳ねる。強く瞑った眦から、涙がホロリと零れ落ちた。ゆっくりと手の中の熱を握り込むだけで、海馬の身体はピクピクと震え、口からは甘い喘ぎが漏れていく。
 ペニスを握ったまま先端にくちっ…と人差し指の爪を差し込むと、海馬はまた身体を跳ねさせて、涙で濡れた瞳でオレをじっと見詰めて首を振った。

「やっ…!それは…もう…嫌だ…っ」
「何で?気持ちいいんでしょ?」
「い…痛い…っ」
「だからさっきも言ったけど、お前は少し痛いくらいの方が気持ちいいんだってば」
「ち…違っ…!あぁっ…!」
「ほら、感じてる…」

 ぱっくり割れた先端に爪を深く食い込ませて、ぐちぐちと音を起てて刺激する。その度に海馬はビクビクと大きく身体を震わせて、畳をガリッと引っ掻いた。
 その様は至極色っぽいんだけど、口の方は余りにも「痛い」「止めろ」と騒がしい。本当は泣く程気持ちがいい癖に、困った奴だ。
 仕方が無いからペニスを弄る手を一旦止めて、溜息混じりに問いかけてみた。

「しょうがないなぁ…。じゃあ海馬、お前に選ばせてやるから」
「っ………?」
「このまま爪でイかされるのと、舐められてイかされるの。どっちがいい?」
「は………?」
「ね、どっち?」
「お…お前…、何を言って…」
「二択だよ。ほら海馬、どっちがいい?」
「うっ………!」

 海馬の答えを促すようにペニスをギュッと強く握ると、手の中の熱がヒクヒクと震え海馬が苦しそうな声をあげる。
 ほらほら、どっちだ?お前がもう限界なのは、オレにもよーく分かっているんだからな。
 オレが答えを求めてじっと見詰めていると、海馬もオレが本気なのを感じ取ったらしい。顔を真っ赤に上気させ、ブルッと大きく身体を震わす。そして細かく痙攣する口で、辿々しく答えを導き出した。

「つ…爪は…嫌…だ…っ」

 半分泣いている声でそんな可愛い事を言われて、聞いた瞬間に全身がカーッと発熱したのを感じた。
 潤んだ目元を紅く染めて、しゃっくり上げながら告げられた言葉に、息が苦しくなる程の興奮を覚える。何て言うかもう、想像以上の破壊力だ…。
 本当は「舐めて欲しい」とちゃんと言葉で言わせたかったんだけど、これでも十分過ぎるというか、これ以上興奮させられたらオレの方が先に参ってしまいそうだった。
 恥ずかしい言葉を言わされて、羞恥心に耐えきれなかったんだろう。充血した青い瞳から涙をボロボロ零しながらオレを見ている海馬にコクリと頷いて、オレは自分の身体を下方にずらした。

「舐めてあげるから、ちゃんと足開いて…」

 小さな膝頭に掌を載せてそう言ったら、その足は自らの意志でそろりと左右に開かれた。白い足の間にそそり立つペニスが、快感の期待にフルリと震える。
 グショグショに濡れているそれを手に取って、竿の部分をキュッと握り顔を近づけた。相変わらずトロトロといやらしい粘液を零している先端をそっと舐め取ると、それだけで海馬の腰がビクリと跳ね上がる。

「あっ………!」

 張り詰めたペニスを口に含んで、さっきまで爪で弄っていた先端に舌先を潜り込ませると、海馬の腰がブルリと震えて甘い声をあげてくれる。ヒクヒク震える下腹部を見ながら丁寧に舌を這わしていたら、畳を引っ掻いていた指がオレの頭に伸びてきて、髪の毛をギュッと強く掴まれてしまった。
 ちょっ…!い、痛い…っ!止めて、マジで止めて。そんなに引っ張らないで…っ!抜けちゃうから…っ!髪抜けちゃうから…っ!!
 感じ過ぎて訳分かんなくなってるのは仕方の無い事だけどさ、髪の毛掴むのだけは本当に止めて欲しい。爺になったら禿げるのは仕方無いとしても(ほら、オレ無駄にエロイしさ)、こんな若い内から禿げたくは無い。

「海馬…。ちょっと髪…痛いんだけど…」
「くっ…。はっ…あぁっ!」

 くびれの部分を指先でグリグリと刺激し、裏筋を根本からつつーっと舐めながらそう伝えてみたら、どうやらオレの意志は伝わったらしい。髪の毛を掴んでいた指がそっと離れていき、畳の上へと戻っていった。
 再びカリカリと畳が引っ掻かれる音がするのを聞きながら、オレはもう一度手の中のペニスを口に含む。パンパンに膨らんだペニスはもう達するのは時間の問題で、射精を促すように先端に軽く歯を当てれば、それはオレの口の中であっという間に弾けてしまった。

「ひぁっ!あっ…ぁ…ん…っ!あぁっ…あ…う…ぁ…っ…あ……ぁ………」

 細く長く悲鳴を伸ばして、海馬が果てる。布団の上にぐったりと身を横たえ、達した余韻でピクピク震えるその姿はとんでも無く淫らで…そして本当に美しかった。
 口内に溜まった精液をゴクリと飲み込みながら、目の前で繰り広げられている海馬の痴態に感動した。
 ヤベーよ、これ…。マジで超興奮する。
 ドキドキしながら横たわっている海馬を眺めて…、そしてオレは大事な事に気が付いた。

「あ、しまった。失敗した」

 オレの素っ頓狂な声に、ぐったりとしていた海馬が瞳を開けて訝しげに見詰めてきた。「何…だ…?」と少し掠れた声で尋ねてくるその声に、オレは頭をガシガシ掻きながら『失敗』の内容を告げる。

「ゴメン。後ろ慣らすのにお前が出したのを使おうと思ってたんだけど…。全部飲んじゃった」

 オレのその言葉に海馬は一瞬時が止まったかのように動きを止め、やがてみるみる顔を赤くしていった。そして畳の上に落ちていた手が動いて頭上の枕を掴むと、それをオレに向けてぶん投げて来る。バフンと枕がオレの顔にクリーンヒットすると同時に「この痴れ者が!!」という怒鳴り声が聞こえてきたけど、余り気にしない事にした。
 海馬が怒りではなく羞恥でこういう行動に出ている事はよく分かっているし、それに一々こんな事を気にしていたらコイツとのセックスなんて出来やしねーからな。
 トサッと海馬の下腹部に落ちた枕を除けつつ、オレはニヤリと笑ってみせる。

「飲んじゃったものは仕方無いしさ。それじゃぁ舐めて慣らしますかね」

 オレの笑顔と言葉に海馬がヒクリと頬を引き攣らせるのを見て、ますます興奮してくるのをオレは感じていた。
 顔を赤くして睨んで来る海馬を無視して、オレはその細い身体を布団の上に俯せに寝かした。そして膝を立てさせて腰だけを高く上げさせる。白い双丘を両手で割って、現れたピンク色の蕾にそっと唇を近づけていった。

「じ…城之内…っ」

 戸惑ったような海馬の声が聞こえたけど、それを無視してひくつく後孔にキスをする。そしてねっとりと盛り上がった穴の縁に舌を這わせると、海馬はそれだけで甘い声を漏らし身体をビクリと震わせた。
 後孔全体に唾液を擦り付けるように舐め回して、やがて綻んできたのを見計らって体内に舌を進入させる。
 そこはもう…発熱したかのように熱く濡れていた。

「あっ…、くぁ…っ!」

 じゅくじゅくとわざと濡れた音が鳴るように舌を出し入れするたびに、海馬が布団のシーツを力強く握ってブルブルと震える。いつもだったらこんな事をしようものなら「止めろ」とか「死ね」とか罵詈雑言が飛び出してくる筈なのに、何故か今日に限って海馬は大人しかった。
 白い身体を羞恥で紅く染め、ビクビクと震えながら強く瞑った目から涙を幾筋も流している。その光景が枕元の行燈の優しい光に照らされて、余りの扇情的な姿にオレの下半身もギンギンだ。
 幸い、既に一度挿入済みのせいか、海馬の後孔はあっという間に柔らかく綻んでくれた。すんなりとオレの二本の指を受け入れて、奥を探れば熱を持った襞が柔らかく締め付けてくる。その度にオレの股間も心臓もキュッと握り潰されるような痛みを感じて、自然に息が荒くなっていった。

「今日は…随分大人しいんだな…」

 体内でグリッと指の向きを変えれば、上手い具合に海馬の前立腺を刺激したらしい。「あぁっ!」と甘い悲鳴を上げて、海馬が背を反らせてブルリと震えた。
 そのままグプグプと前立腺を撫でるように愛撫を続けていたら、緊張していた上半身をへたりと布団に落として、海馬が泣きながら「あっあっ…あんっ…」と甘く喘いだ。オレの指の動きに合わせて揺れる腰がいやらしくて堪らない。

「いつもの威勢はどうしたの?」
「うっ…!あぅ…っ」

 ググッ…と更に奥の方に指を押し込みながらそんな事を聞いたら、海馬は充血した青い瞳を開いてこちらに視線を向けた。

「もしかして…プレゼントのお礼?だから大人しく我慢してるの?」
「ち…違…う…っ」
「じゃあ何で?お前ココ舐められるの嫌いだったよな。舐めればいつも酷い文句ばっかり言ってくるのに、今日は一体どうしたの?」
「っ………!えを…が…ったら…、しいの…か…?」
「え?何て言った?」
「オ…オレ…が…っ。オレが…お前を欲し…がったら…、おかしいのか…と…言っている…っ」

 ハァハァと苦しげに息を吐き出しながら、肩越しに振り返ってそんな事を言う海馬に、オレは完全にノックアウトされた。
 身体中の血液が全て頭に昇ったような感じがする。こめかみがピクピク動く程の血流を感じ、頭の奥ではザーッという血が流れる音さえ聞こえるようだ。
 慌てて海馬の体内から指を引き抜き、未だ羽織っていた浴衣も下着も乱暴に脱ぎ捨てて、もう一度両手で双丘を割り開いた。真っ赤に充血してヒクヒク震えながらオレを誘っている後孔に、完全に勃起したペニスの先端を押し当てる。先走りの液でヌルリと滑る先端に海馬が一瞬ビクッと反応したけど、もうそれに気を遣ってあげる余裕すら無く、オレはそのまま先端を押し込んでいった。
 いつもだったら海馬の体内をゆっくり慣らしながら挿入していくんだけど、悪いけど今回は無理だ。もうこれ以上一秒だって待ちたくない。少しでも早く海馬の体内に入り込んで、熱く蕩けたその熱を直に感じたかった。

「ひっ…あっ…!あぁぁっ―――――!!」
「くっ………!!」

 グググッ…と一気に最奥まで入り込んだら、海馬が激しく痙攣して悲鳴を放つ。オレを迎え入れた海馬の体内は期待を裏切らず、熱く柔らかくそして強く、ペニスを絞るように締め付けてきた。あんまり気持ちが良くてそのまま達してしまいそうになるのを、下唇を噛んで何とか我慢する。
 襲い来る射精感と闘いながらズクズクと腰を動かしたら、海馬の背筋が大きくうねって深く息をするのが見えた。
 オレンジ色の光に照らされて蠢く筋肉を見るだけで、その色っぽさに激しく興奮する。

「あー…、もうお前…ホント凄ぇ…っ」

 熱い体内に翻弄されながら熱っぽく囁いたら、海馬が喘ぎながら首を振って泣いていた。

「やぁ…っ!あっ…あぁ…っ!」
「何が嫌…?何にも嫌じゃないだろ?」
「うっ…くぁ…!あっ…ふ…深い…っ!奥…苦し…い…っ」
「あぁそっか。お前バック苦手だったっけ」

 喘ぐ声は甘いし、前もしっかり勃起して先走りの液をポタポタと布団に零している。だから決して気持ち良く無い訳じゃ無いんだろうけど、どうやら深く入りすぎて苦しいらしい。
 せっかくの誕生日に嫌な体勢を強いるのもどうかと思って、オレは半分だけ自分のペニスを引き抜いた。そして海馬の左足を持ち上げて、一旦身体を横にさせる。

「な…何…?」

 不安がる海馬に「いいから」と宥めつつ左足の膝裏に手を入れて、長くしなやかなその足を折り曲げてオレの身体の前から引き抜いた。抜いた足をオレの右肩にかけると同時に海馬の身体も仰向けに転がして、未だ不安そうな顔をしている海馬にニヤッと笑ってみせる。

「はい、これで松葉崩しの完成です」
「は…?ま…松葉…?」
「そう、四十八手の内の一つ。このまま出し入れすると、奥の奥まで入って気持ちいいと思うよ?」
「なっ…!!や…やめ…っ!ふあぁぁっ…っ!?」

 オレの左腿の下に敷いた右足はそのままで、オレは担ぎ上げた左足だけを支えて再び腰の動きを再開させる。グリッと奥の壁に当る程深く入り込んだオレのペニスに、海馬が目を大きく見開いて身体を仰け反らせていた。
 そのままグイグイと最奥を突いていると、海馬の下腹部がブルブル震えてギューッとオレのペニスを締め付けてくる。

「あっ…と…。まだダメだってば、海馬」
「うあぁぁっ!!」

 慌てて射精しそうになっていた海馬のペニスを強く掴むと、見開いた瞳からボロボロと涙が零れ落ちていった。  

「いやぁ…っ!じょ…の…うちぃ…っ!!」
「うん…ゴメン。だけどもうちょっと待って」
「嫌だ…っ!もう…イキたい…っ!!」
「海馬、我慢出来るだろ?」
「む、無理だ…っ!奥…深く…て…っ!あっ…あぁっ!も…ダメ…っ!!」
「仕方無いなぁ…」

 仕方無いとは言いつつも、素直に自分の限界を伝えて来た海馬に嬉しくなって、オレは思わず笑ってしまっていた。もうこれ以上意地悪するつもりは無かったので、一旦身体の動きを止める。そして未だオレの左腿に敷いたままだった海馬の右足を持ち上げて、さっきの左足と同じようにゆっくりと引き抜いてやった。持ち上げた右足を左足と共に肩に担ぎ上げれば、これでいつもの正常位の完成だ。

「ほら、これでいいだろ?」

 優しくそう囁いてやれば、海馬が濡れた瞳でオレを見あげる。オレンジ色の柔らかい光に照らされた白い顔をクシャリと歪め、震える両腕をオレに差し出してきた。身体を少し屈めてやれば、それはオレの首元に絡まっていく。
 そしてギュッと力を入れて抱き締められて、耳元で荒い吐息と共に「もっと…」と囁かれた。
 海馬にそんな風にされてしまえば、もはやオレが遠慮する理由も無い訳で…。

「海馬………っ!!」
「ひっ…!うあぁぁっ………っ!!」
 オレはそのまま身体を押し倒し、熱の籠もった海馬の体内を強く抉っていった。
 外は深まる秋の夜に吐く息が白くなる程寒いというのに、狭い寝室は二人分の熱が籠もってじっとりと熱いくらいだ。
 ハァハァという二人分の熱い吐息、ポタポタと流れて布団のシーツに染み込む汗、快感に耐えるオレの呻き声と、快感に翻弄される海馬の喘ぎ声。
 熱と快楽と相手に対する愛しさで頭の中は一杯で、もう気が狂いそうだった。

「あっ…!いっ…あっ…あぁんっ…!!」
「海馬…っ!海馬…っ!!」
「じょ…う…ちぃ…っ!!ひぁっ!はっ…あぁぁっ!!」

 海馬が強くオレに抱きついて、背中にガリッ…と爪を立てる。皮膚を抉られるその痛みすら、今は快感にしかならない。
 激しい動きに揺さぶられていた海馬の右足が、汗で濡れたオレの肩から滑り落ちて布団の上に落ちた。そしてそのまま無意識に膝を立てて、耐えきれぬ快感に足の指先をきゅうと丸めて布団のシーツに皺を作るのを、横目で確認する。
 余りに強くシーツを掴む足の指先が白く…そして細かく震えているのを見て、オレの興奮も最高潮に達した。ゾクゾクとした快感が下半身から湧き上がってきて、全身に広がっていく。
 海馬と繋がっている下半身が快感に重く麻痺して、もう自分の身体じゃないみたいだ。
 強く強く抱き締め合って、もう目の前に見えてきた頂点を海馬と共に越える事だけしか頭には無い。

「あぁっ!じょ…の…ちぃ…っ!!も…無…理…っ!!うっく…っ!うっ…あっ…ああぁぁぁ――――――――――っ!!」
「ふっ…!くぁ………っ!!」

 海馬がビクンッと大きく身体を震わせて、一足先にイッた。ビュクビュクとオレの下腹部に叩き付けられる生温い精液を感じながら、オレも狭くなった肉筒の最奥を一気に突く。途端に強く締め付けられる襞に限界を迎えて、そのまま海馬の体内で達してしまった。

「あ…あぁ…ぁ…ぅ…っ」

 海馬の内部に熱を放出するたびに細い身体はビクビクと震え、掠れた吐息で小さく喘ぐ。そして全ての熱を出し切ったオレがガクリとその身体にのし掛かるのと同時に、海馬も深く布団に沈み込んで大きく息を吐いていた。
 海馬の肩口に顔を埋めてゼェゼェと必死に呼吸をしていたら、背に回った手がそろりと動いてオレの頭に移動し、汗に濡れた項から後頭部の辺りを優しく撫でられた。その余りの心地良さに心からの幸せを感じて思わず泣きたくなってしまう。鼻の奥がじわっ…と熱くなって来たのを何とか我慢して、滑らかな肌に頬ずりをした。
 途端に香る海馬の身体から立ち昇る汗の匂い。それはいつも使っているバスオイルの爽やかで甘い花の香りでは無くて、心安らぐ温泉の微かなお湯の匂いだった。
 自分の身体と全く同じ匂いがする海馬に満足して、顔を上げてニッコリと微笑みかける。

「ちょっと…頑張り過ぎちゃったな。大丈夫だったか?」

 オレの質問に海馬は気恥ずかしそうに視線を彷徨わせていたけれど、微かにコクリと頷くのを見て安心した。

「ゴメン。嬉しくてつい張り切り過ぎた」
「っ………」
「どこか痛くしてない?奥とか…平気?」
「っ………!へ…平気だ…っ」
「そりゃ良かった。せっかく温泉旅館に来てるってのに、怪我なんかして帰った日にゃモクバにも叱られ…」
「そ…そんな事…今はどうだっていいだろう…っ!さっさと抜け…っ!この馬鹿!!」

 羞恥で顔を真っ赤に染めた海馬にそう怒鳴られて、オレは漸く自分がまだ海馬の体内に居座っていた事を思い出した。慌てて「ゴメン」と謝ってズルリと引き摺りだしたら、海馬が「んっ…!」と呻いてピクンと跳ねる。
 そんな事をされればまた欲情してしまいそうだったけど、残念ながら今夜はもう打ち止めだ。
 ここ一ヶ月の間、このプレゼントの為に無理して働きまくった身体はもう限界らしくて、流石のオレも今は性欲より睡眠欲を優先させなければいけないらしい。
 脇に除けておいたかけ布団を引っ張って来ると、それを裸のまま横たわっている自分と海馬の上に被せた。そして裸の身体をそっと寄り添わせ、海馬の身体に腕を回して優しく抱き締める。肩胛骨の浮き出た背中を掌で撫でながら、擦り寄る海馬の額に唇を押し当てた。

「とりあえず…今日はもう眠ろうぜ。色々あって疲れただろ」
「色々あったのは全て貴様のせいなのだが…」
「まぁ、そう言わずに。オレも眠たいし、これ以上はもう何もしないから安心して」
「………」
「おやすみ、海馬」
「………」

 海馬からの答えはすぐには返って来なかった。
 こういう何気ない一言を素直に言えないのは海馬の悪い癖だけど、それもまぁ…仕方無いかな。結果的には海馬を騙した事になっているし、さっきのセックスでもちょっと激しくし過ぎたから、それで拗ねているのかもしれない。
 それでも抱き寄せた身体が素直にくっ付いたままになっているのを感じて、心から安心すると同時に物凄く幸せだと感じた。

「好きだよ…海馬。おやすみ…」

 眠気で重くなってきた口で何とかそれだけを伝え、身体の疲れに任せてそのままウトウトと眠りに落ちようとした時だった。

「オレも…好きだ。おやすみ、城之内」

 オレの耳に至極優しい声が降りて来る。それと同時に唇に柔らかな感触を感じたけど、オレが覚醒出来ていたのはそこまでだった…。

 

4


 
 翌朝、窓の外で鳴いている鳥の声でオレは目を覚ました。
 東側の窓の障子が明るく染まっていて、丁度朝日が昇って来ている事を告げていた。枕元に置いてあった携帯を取り上げてフリップを開けてみると、もうすぐ六時になろうとしている。
 朝風呂に入るのはいい時間帯だなと思いつつ、自分の腕に抱いている海馬の顔を覗き見てみた。
 目覚めたオレがゴソゴソ動いていたのにも関わらず、海馬はぐっすりと熟睡している。いつも気難しそうな表情をしている顔は今はただあどけなく、まるで子供の様な顔をして安らかな寝息を立てていた。
 オレが携帯を弄った時に布団が捲れたせいで、肩が少しはみ出てしまっている。朝の冷たい空気が直接触れて寒かったんだろう。少し震えてゴソリとオレに擦り寄ってきた。肩口にぺったりと頬を擦り寄せ大きく息を吐くと、安心したかのようにまた寝息を立てる。
 その一連の行動の可愛さといったら…もう何物にも代え難かった!

「海馬…?」

 そっと耳元で名前を囁いてみても、海馬が起きる気配は無い。温かな熱を持ったその身体に掌をそっと這わせてみても、規則正しい呼吸を繰り返してピクリとも動かなかった。
 肩から背中へ、脇腹を通って腰へ…。尻の割れ目に指を差し入れれば、濡れた感触と共にくちゅりと粘着質な音が鳴る。
 それが昨夜海馬の体内にたっぷりと注ぎ込んだ自分の精液だという事に気付いて、ドキリと胸が高鳴った。そのまま指先で後孔をゆるりと撫でながら、もう一方の手を海馬の前面に回してそろりと下腹部に移動させる。

「勃ってる…」

 オレが後ろに触れたからか、それとも元々朝勃ちしていたかは分からないけど、そこは確かに硬く芯を持って勃ち上がっていた。
 根本からつつーっと指を這わすと、それだけでそこがフルリと震えて反応する。堪らなくなってキュッと握り込んだら、海馬が「んっ…」と微かに呻いて身動ぎした。

「可愛い…。起きないとこのまま悪戯続けちゃうぞ…」

 握り込んだペニスをゆっくり上下に擦りながら、後ろの入り口に宛てた指先を少しだけ潜り込ませる。予期せぬ異物感に身体が自然に反応して、熱い襞にキュウッと指が締め付けられた。

「うわ…。凄ぇ…」

 指先が熱くてとろけそうになるくらいの熱を感じて、それが気持ち良くて堪らない。その熱をもっと感じたくて更に奥に指を潜り込ませようとした時だった。突然ペニスを弄っている方の手を強く掴まれてハッと我に返った。慌てて海馬の顔を覗き込むと、鋭い視線で睨んでいる青い瞳とかち合ってしまう。

「貴様…っ。朝っぱらから一体何をしている…っ!!」

 ドスの効いた声に思わず頬が引き攣った。
 あー、そりゃそうですよね…。ただでさえ低血圧で朝は機嫌が悪い海馬くんなのに、寝起きにこんな事されたら怒っちゃうよね…。
 冷や汗を流しながらも何とか笑顔を保ちつつ、オレは海馬の体内から指を引き抜いた。

「ゴ…ゴメン。あんまり可愛かったから…つい…ね?」
「ついでは無いわ…っ。貴様…昨夜あれだけヤッておいて、まだ足りないのか!」
「まだ足りないっつーか、オレはいつでも足りてませんけど。どんなに抱いても、オレがお前に満足するなんて無いんだからな」
「なっ…!こ…この…変態が!!偉そうに言う事か!!」
「変態とか言わないでよ。それだけお前の事を愛してるって事だろ?」
「どの口がそんな事を言うのだ!!」
「この口が言ってます。ていうか朝っぱらから喧嘩するの止めようぜ。せっかくの温泉旅館での朝だろう?」
「そのせっかくの朝を貴様が台無しにしているのだ!!」
「はいはい。どうでもいいけど起きたんなら朝風呂入りに行こうな。朝日の中の露天風呂もきっと気持ちがいいぜ」

 海馬の身体から腕を放して、オレは「よっと」とかけ声をかけながら腹筋だけで起き上がった。そしてぐぐーっと背を反らせて伸びをする。眠っている間に固まっていた筋肉が解れていくのが分かって気持ちが良かった。
 オレが立ち上がって脱ぎ捨てた浴衣を身に着けている間、海馬もモソモソと起き上がって浴衣を手に取り袖を通していた。帯を締めてゆっくり立ち上がり風呂場に向かって歩いて行く後ろを、オレも黙って付いて行く。風呂場の扉を開けて脱衣所に一緒に入り込んだ辺りで、海馬がくるりと振り返った。

「城之内…。少しの間…」
「お断りします」
「………。は…?」

 海馬が何を言い出すのかなんてとっくに分かっていたオレは、最後まで言葉を続けさせずにそれを拒否してみせた。

「中の処理するからここで待ってろって言うんだろ?嫌です。一緒に付いていきます。ていうかオレがやります。やらせて下さい」
「き…貴様…っ!突然何を言い出すのだ!」
「突然じゃねーよ。本当はいつもオレがしてやりたかったんだ。昨日は黙って待ってやったけど、もう日が変わって誕生日じゃ無いからな。もう遠慮はしないから、そのつもりで」
「ちょ、ちょっと待て…っ!城之内…!!」

 ぎゃーぎゃー騒ぐ海馬を無視して、オレは自分の浴衣をさっさと脱いでしまうと、ついでとばかりに海馬が羽織っていた浴衣も剥いでしまう。そして細い腕を掴んで、ずかずかと風呂場に入り込んでいった。内風呂の洗い場をさっさと通り抜けて、露天に繋がる扉に手をかける。キィ…と音を起てて扉を開くと、外から冷たい秋の早朝の空気が流れ込んできた。

 思わず「寒っ…!」と口に出しながら外を覗くと、そこには昨夜の光景とは全く別の世界が広がっていた。
 明るい朝日に照らされたどこまでも高い秋の空、澄み渡る朝の空気、色とりどりの紅葉、そんな空気の中で相変わらずたっぷりの温泉を貯えている檜の風呂桶。
 余りの景色の美しさに一瞬足が止まってしまう。

「うわ…っ!すげー綺麗だな!早く入ろうぜ」

 心から感嘆して掴んでいた腕をグイッと引っ張ると、何故か抵抗を感じた。訝しく思って振り返ったら、顔を真っ赤にしている海馬と目が合ってしまう。「何?どうした?」と問いかけてみれば、赤い顔を俯かせて内風呂に戻ろうとしていた。

「い…いきなり露天は…その…」
「何で?朝日が昇ってて綺麗だぜ。一緒に朝風呂を楽しもうよ」
「だ…だから…っ。中を…洗いたい…のだ…っ。そ、その…、もう…垂れ…て…気持ち悪い…から…」

 最後の方は尻窄みになってよく聞こえなかったけど、ようは中を綺麗にしてから露天に行きたいらしかった。若干引き気味の腰が気になって視線を下に向ければ、白い内股にトロリとした粘液が伝わっているのが見える。
 あーうん、なるほど。言いたい事はよく分かった。
 だけどせっかくの朝日を見逃すのも嫌だったから、オレは無理矢理腕を引っ張って露天まで海馬を連れてきてしまう。

「城之内…!!」

 多分「分からないのか!」とでも言いたいのだろう。オレを非難するような目で見ている海馬に振り返って、オレはわざとニヤッと笑ってみせた。
 もう遠慮はしないって言っただろ?分かってないのはお前の方だぜ、海馬?

「とりあえず露天入って」
「な…に…?」
「オレが中で処理してあげるから」
「は………?」

 目を瞠ってオレを見詰める海馬にクスッと笑って、オレは海馬の腕を引いて共に檜の湯船へと足を突っ込んだ。
 一緒に檜の湯船の中に入り込んで、オレは海馬の身体を引っ繰り返して湯船の縁に手を付かせ、少し前屈みで腰だけを突き出すような格好にさせた。白い身体が朝日に染まって本当に綺麗だ。
 こんな明るい場所で、しかもいくら周りの目が無いとは言え外で全身を晒している事に、海馬は本気で恥ずかしがって震えている。その様子に、オレはまた至極興奮してしまった。

「すぐ終わるから…」

 粘液で濡れた内股に指を這わすと、海馬がビクリと身体を震わせる。それを宥めるように滑らかな背中に唇を落としながら、熱くひくつく後孔に指を差し入れた。

「あっ…ん!」

 意表を突かれた海馬の口から、思わずと言った感じで甘い声が漏れ出た。慌てて片手で自分の口を押さえる海馬を見つつ、体内に入れた指をグリッと回して中の粘液を指に絡めて抜き取る。たっぷりと指に絡みついた粘液を温泉のお湯で外に流してしまうと、もう一度指を埋め込んだ。

 なるべく奥の方まで指を押し入れて、少しずつ体内を綺麗にしていく。その度に細かく痙攣している上半身がだんだんと落ちていって、まるでそれに比例するかのようにオレに弄られているお尻が高く上がっていく。多分無意識の行動なんだろうけど、まるで昨夜の囁きのように「もっと」と言われているようで、頭に血が昇って身体が熱くなって来た。

 とは言っても、流石にもう最後までやるつもりは無い。朝日に照らされているせいで、指で弄っている海馬の秘所が赤く腫れているのがハッキリと目に見えている。指程度だったらまだしも、流石にもうオレのペニスを受け入れるのは無理だろう。

 抱いても抱いても海馬の事が足りないと感じるのは本当だけど、海馬に無理させてまで抱きたい訳じゃ無い。オレだってそれくらいの分別ってものを持っているんだ。
 だからと言って海馬のこの状態を放っておく事も出来なくて…。
 体内を弄られて感じてしまったらしい海馬のペニスは、もうすっかり硬くなって頭を擡げていた。じわりと滲む先走りの液を見て思わず可哀想になってしまい、片手を前に伸ばしてペニスに指を絡めてしまう。

「なっ…!?城之内…っ!」

 慌てた風に肩越しに振り返った海馬に微笑みかけて、オレはそろりと掌を動かした。

「んぅ…っ。や…やめろ…っ」
「いいから…。気持ちいいんだろ?一回イッちゃいな」
「やっ…嫌だ…っ。こんな…場所で…」
「大丈夫。誰も見てないし聞こえないから。それにこのままでいたって苦しいだけじゃん。さっさと出しちゃいな」
「あっ…!や…め…っ!!」

 なるべく早くイかす為に、体内に埋め込んでいる指で前立腺を刺激しつつ、ペニスを擦る掌も激しく上下させる。海馬は自らの掌を強く口に当ててくぐもった悲鳴を漏らしながら、オレの手の動きに翻弄されてブルブルと身体を震わせていた。
 昨夜と違って性急にイかされる動きに耐えきれなくなった海馬は、やがて声にならない声をあげつつオレの掌の中に射精した。ドロリと纏わり付く海馬の熱い精液。それを今までと同じようにお湯で流してしまうと、同時に体内の指を引き抜いてしまう。
 ガクガクと震える腰を綺麗にした手で支えてやりながら、ふぅ…と軽く息を吐いた。

「これで…終わりかな」

 くちっ…と濡れた音を起てながら引き抜いた指にもう何も付いていない事を見て取って、オレは今にも崩れ落ちそうだった海馬の腰を支えていた手を離し、そっと小さな頭を撫でてやった。
 その途端に海馬はガクリと膝から落ちて、バシャ…ッと温泉の中に沈んでいった。上半身を湯船の縁にダラリと預けて、真っ赤な顔でハァハァと荒く呼吸している。
 「よく頑張ったなー」と頭をグリグリ撫でていると、今にも泣きそうな顔で睨み付けて来る。だからいつ罵詈雑言が飛び出してもいいように心の準備だけはしておいたんだけど、いつまで経っても海馬の口からオレを非難する言葉は出て来なかった。その代わり、潤んだ瞳でオレの下半身へと視線を移していく。
 まぁ…あんだけの事をしていたんだから当たり前の事だとは思うけど、オレのペニスはすっかり成長してしまっていた。

「あ、これ?」

 余りにじっと見詰めてくるもんで下半身に指を指してそう聞いてやれば、海馬はコクリと頷いて答える。

「これは…まぁ…しょうがない。朝からお前の色っぽい姿見ちゃって興奮したし。ゆっくり風呂に入っていれば、その内収まるよ」

 もうこれ以上『そういう事』はしないという意味を含めてそう答えてやったら、何故か海馬は眉根を潜めてオレを見た。その如何にも「心外だ」と言わんばかりの表情に、こっちの方が首を捻る。
 いや…オレは間違ってないよな?ちゃんと海馬の事を思いやった行動をとったよな?だって流石にこれ以上の性行為は無理だろうし…海馬だって嫌なんじゃないの?
 そんな風に思ってたら、海馬が自分が寄りかかっている湯船の縁を叩いてこっちを見た。

「ここ」
「え…?」
「いいからここに寄りかかれ」

 意味が分からず、それでもギッと睨み付けて来る海馬が怖くて大人しくその場所に寄りかかったら、湯船の中に身を沈めたままの海馬が近寄って来て、細い指で徐ろにオレのペニスを掴んできた。
 思わずギョッとしてマジマジと海馬の顔を見詰めたら、赤く上気した顔で海馬がオレを見上げて「フン」と鼻を鳴らして口を開く。

「こんな状態で辛くない筈があるまい。オレだって同じ男だからそれくらいの事は理解出来る」
「か…海馬…っ!?」
「今回の礼だ。抜いてやるから大人しくしてろ」

 海馬の言う『今回』がどの『今回』なのか、血が昇りきった頭では理解できなかった。
 それは高級老舗旅館に招待した誕生日プレゼントの事なんだろうか。それとも昨夜の最高に気持ち良かったセックスの事なのか、もしかしてさっき体内を綺麗にしてやった事だったりして?…いや、それは無いか…。
 そんな事をグルグル考えていたら、両手でオレのペニスを握っていた海馬の顔が近づいてきて、小さな口を目一杯開けてオレのペニスをパックンと咥えてくれた。
 口内の熱とヌルリとした粘液に包まれて、下半身にブルリと震えが走る。
 思わず「うっ…!」と呻き声を出したら、ペニスを口に含んだまま海馬がオレを見上げて視線だけで嬉しそうに微笑んだ。
 こういう瞬間に、海馬も男なんだなーと感じるんだよな。相手に快感を与えて、それで向こうがちゃんと感じてくれているのを知ると嬉しくなる。そう感じているのがオレだけではなく海馬も同じなんだと知れば知るほど、ますますコイツの事が愛しくなっていった。

「んっ…。ん…ぅ…っ。ふぅ…っ」

 チュクチュクと卑猥な水音を起てながら必死でオレのペニスをしゃぶる海馬に嬉しさを隠しきれず、オレは朝日に照らされていつもより明るく見える栗色の頭に手を伸ばし、サラサラな髪の毛にそっと指を通した。そしてそのままゆっくりと優しく頭を撫でていく。
 たまに潤んだ青い瞳が「どうだ?」とでも言うように見上げてくるのに、安心させるように頷いてやった。

「うん…、大丈夫。気持ちいいよ…」

 眼を細めて上がる息を耐えながらそう伝えてやったら、その返答に満足したらしい海馬はまたオレのペニスへの奉仕へと戻っていった。
 口に銜えきれない根本は掌で強く握って上下させ、裏筋とくびれの部分を親指でグリグリと刺激される。鈴口に強く舌先を押し込まれて、堪らずビクリと腰が浮き上がった。海馬の唾液と先走りの液でグッショリ濡れた茎を片手でグチュグチュと擦りながら、もう片方の手はオレの内股に潜り込んで袋まで揉んできやがった。
 海馬がオレのを舐めたり擦ったりする卑猥な水音に耳まで犯されながら、一体そんなテクニックをどこで覚えたのかと、変なところで感心してしまう。強い快感に「はぁー…」と深く息を吐き出せば、その吐息でオレが感じている事を知った海馬がますます本気で挑んできた。

「んっ!ん…んふっ…!」

 先端から溢れる先走りを必死で舌で舐め取りながら、海馬がまた深くまでペニスを咥えて鼻にかかった喘ぎ声を漏らした。
 海馬にフェラをして貰うのは、別にこれが初めてという訳じゃ無い。今までも何回かやって貰った事はある。
 けれど…こんな明るい場所でして貰った事はないし、ましてやしゃぶって貰っている光景をこんなにハッキリ見た事も無い。
 朝日に照らされて、オレのペニスを咥えて恍惚とした表情を浮かべている海馬の顔がよく見えた。その表情にまたゾクリ…と、下半身から背筋を伝わって脳天まで快感が駆け上がっていく。

 ていうか…っ。オレは今までコイツにこんな顔させてしゃぶらせてたのかよ…っ!!

 今まで考えもしなかった事実に快感が最高潮に達して、急に我慢が出来なくなる。慌てて海馬の顔を掴んで離そうとしたけど間に合わなくて、海馬の口からペニスを引き抜いた瞬間にそれは暴発してしまった。

「ん………っ!!」

 白い精液が海馬の綺麗な顔にビシャリとかかるのを、オレは呆然としながら眺めていた…。
 オレの精液塗れになってしまった髪と顔を洗ってから出るという海馬を残して、オレは一足先に部屋に戻ってきた。
 冷蔵庫に入っていた瓶牛乳を腰に手を当てて飲んでいると、部屋の電話が鳴る音が聞こえる。慌てて受話器を取り上げたら、担当の仲居さんの声が聞こえてきた。
 『七時になりますが、朝食をお持ちして宜しいでしょうか?』という仲居さんの声に「はい、お願いします」とだけ答えて受話器を置く。
 そうか…もう七時か。一時間近く露天風呂でイチャイチャしてたんだな…。
 思い出したら急激に顔が熱くなって来た。昨日からちょっと色々ハメを外し過ぎたな…と少しだけ反省し、火照った顔を冷ます為に窓を開けて外の空気を吸い込んだ。
 山の冷たい秋の空気が肺一杯に入って来て、頭の中がスッとする。

「気持ちいいな…」

 朝の空気に映える紅葉を見ながら、そんな言葉が自然に口から漏れ出た。
 こんな満たされた気持ちになるなんて、一体いつ以来の事だろうか。
 海馬を愛して…そして海馬に愛されて、三年という年月を共に過ごしてきたけれど、オレ達はいつの間にか相手をただ純粋に『好き』だと感じる気持ちを忘れてしまっていたかのように思う。
 高校を卒業して大学に入学して、海馬は相変わらず海馬コーポレーションの社長と学生との二足草鞋だし、オレもオレでバイトに明け暮れて忙しかった。空いた時間を掻い摘むようにして海馬と会って、まるで義務のように愛の言葉を囁き合ってセックスをする日々。心から相手を愛しているのに、思うように愛せないジレンマ。
 今思うと何だか色々と履き違えていたような気がするけど、二人揃って忙しさにかまけてそれに気付けないでいた。いや…気付かないふりをしていた。
 けれど、オレは今回の旅行でその事実に気付いて、もう自分を繕うのは止めようと心に決めた。
 海馬もオレも忙しいのは、きっとこの先も変わらないだろう。それでも何一つ焦れるような事は無いんだ。思うように会えなくたって、言葉を交わす事が出来なくたって、海馬はちゃんとそこにいるんだから…。

「城之内…?何を考えている?」

 いつの間にか風呂からあがってきた海馬が背後に立って、不思議そうに首を傾げていた。
 その顔が余りに可愛くて幸せで仕方が無くて、オレは笑みを浮かべつつ海馬の腰を引き寄せた。そしてまだ温泉の保温効果でほんのり赤い頬に軽く唇を押し付ける。

「別に…何も」
「そうか?何だかニヤニヤしていたぞ」
「そうだな。強いて言えばお前の事を考えていた」
「オレの?」
「うん。オレさ、お前の事を本気で好きだなって思って」
「な…っ!な…にを…言い出すのだ…」
「照れてんの?可愛いなぁ」
「や、止めろ馬鹿…っ」
「あはは。でも好きなんだからしょうが無いだろ?」

 笑いながら風呂上がりの暖かい身体を抱き寄せたら、大人しく海馬がそのまま凭れ掛かってきた。背に回った手がオレの浴衣をキュッと掴む。

「好きだよ、海馬」
「………。あぁ」
「誕生日おめでとうな」
「あぁ」
「来年もこうやって過ごせるといいな」
「………。そうだ…な…」

 秋の冷たい空気が流れ込む中、オレ達は互いの体温を分け与えるかのようにいつまでも強く抱き締め合っていた。
 他にはもう何もいらない。海馬がいればそれでいい。
 全身で感じる海馬の熱が愛しくて、オレを抱き締めてくれる腕に力がかかるのが本当に幸せで、オレは少しだけ泣きそうになっていた。
 数刻後、仲居さんが純和風の朝食を持って来てテーブルに並べてくれた。

 お櫃に入った白い御飯に茸と根菜の味噌汁、焼き魚はカマスの干物、大根下ろしが添えられているだし巻き卵と温かい豆乳豆腐、青菜のおひたしにヒジキの煮付け、それに沢庵と梅干しの香の物に焼き海苔や納豆まで付いている。
 シンプルだけど物凄く食欲を誘う朝ご飯のラインナップにオレの胃袋はぐーぐー鳴りっぱなしだった。部屋の中にも味噌汁や出汁のいい匂いが充満していて、忘れていた食欲が甦ってくる。

「美味そぉー!!早く食べようぜ!!」

 いそいそと下座に座って箸を取ると、海馬も上座に移動して同じように箸を取り上げた。
 一応礼儀として二人で目を合わせてから「頂きます」とお辞儀をして、オレは早速味噌汁の椀を持ち上げてズズッ…と一口啜った。空っぽの胃の中に温かい味噌汁が落ちていく。昨晩は久しぶりにアルコールの摂取もしていたから、荒れた胃に具沢山の味噌汁が優しく染み渡っていった。
 炊きたての白い御飯も美味しくて、用意されたおかずはその御飯に対してどれもバッチリ合っている。焼きたてのカマスの干物も旨かったし、だし巻き卵も最高だ…っ!
 余りに腹が減っていた為に海馬の事も気にせずにガツガツ食べて、一杯目の茶碗を早速空にしてしまう。まだ口の中に残って居た御飯とおかずを味噌汁で胃の中に流し込んでしまって、早速二杯目を盛ろうとお櫃の方に目を向けた時だった。

「何だ?お代わりするのか?」

 丁度お櫃の蓋を開けた海馬が手を伸ばしてくるので、「あ…うん…」と頷きつつその手に茶碗を載せる。海馬は丁寧な動作でオレの茶碗に御飯を盛って、再びそれを返してくれた。それを「ありがとう」と受け取ってそのまま黙って見ていると、驚くべき光景が目の前で繰り広げられていく。
 海馬が…っ。あの海馬が…っ!

 お代わりをしている…っ!!

 余りにも意外な光景に目を離せないでいると、自分の茶碗に御飯を盛ってキチンとお櫃の蓋を閉めていた海馬が、オレの視線に気付いてこっちを見た。食事中にじっと見られる事が好きでは無い海馬は、訝しげに眉を寄せてオレに視線を寄越す。

「何だ、城之内。食事中にぶしつけに他人を見詰めるものではないぞ」
「ゴ…ゴメン…。ていうか…意外なものを見ちゃったなぁ…と思って…」
「意外?」
「うん。お前…今までお代わりなんてした事なかったじゃんか」

 オレの言葉に海馬は一瞬きょとんとし、そして左手に持っている茶碗に目を移した。その視線を再びオレに返して「あぁ…そういえば…と」と呟いた。
 いつも小食の海馬はあまり物を食べない。昨日の夕食だって全体の三分の一程度で食べるのを止めてたしな。夕食すら食べないのに朝なんかはもっと食べなくて、酷い時には珈琲一杯だけって日も少なくない。
 だからこそ、オレは今自分が見た光景が信じられなかった。

「えーと…珍しいというか…信じられないというか…」
「何をそんなに驚いているのだ。昨夜は自分で三杯飯を食えと言っていたではないか」

 海馬の言葉に「いや、そうだけどね」と頷きつつ、それでもオレは未だに目の前の光景が信じられずに目を瞠っていた。
 確かに昨日大浴場でコイツを無理矢理体重計に乗っけた時、余りの悲惨さに「明日の朝は飯三杯食え」とは言ったけどさ…。まさか本当にお代わりしてくれるとは思わなかった…。
 「お腹空いてたの?」というオレの質問に、海馬は素直にコクリと頷いて、新たに盛った御飯を箸で掬って口に運んでいた。
 多分慣れない環境と旅先での色々な出来事に、少しストレスがかかったらしい。
 ストレスとはいってもこれは悪い意味ではなくて、どちらかと言うと普段の凝り固まった生活を一旦リセットするという意味でのいいストレスだ。現に普段の朝だったら全く湧かない食欲を感じて、海馬はいつも以上にしっかりと食事を摂っている。
 御飯や味噌汁や様々なおかずを美味しそうに食べている海馬を見て、オレは至極満足していた。
 やっぱり海馬をここに連れてきて良かったと…心底そう思いつつ笑みを浮かべる。

「何だ?食事中にニヤつくな」

 沢庵をパリッと囓った海馬がオレの笑顔に気付いて不機嫌そうにそう言ってきたけど、本当に機嫌が悪い訳でもなさそうだから「ゴメン」と一言謝って、自分も目の前のおひたしに箸を伸ばした。
 あとは会話も無くお互いに黙々と食事を続ける。至極静かな朝食だったけど、そんな時間もまた幸せだと感じたんだ。
 朝食を済ませた後は身支度を整え、あとは帰る準備をするだけになった。
 計画的に海馬を呼び寄せたオレは、勿論自分の分だけじゃなくて海馬の着替えも用意してある。せっかく温泉でゆっくりしたというのにスーツで帰らせるなんて野暮な真似は出来なくて、海馬がいつも邸で寛いでいる普段着を持って来ていた。
 「ほら、これに着替えて」と差し出すと、海馬もオレの意図を組んだのか、黙って私服に着替えてくれる。

「チェックアウトは十時だから、それまで珈琲でも飲んでようか」

 荷物を全部纏めて旅行鞄のファスナーを締めながらそう話しかけたら、海馬が「珈琲?」と少し嬉しそうな顔をして食いついてきた。
 ったく、コイツは…。本当に珈琲が好きなんだなぁ。分かりやす過ぎだ。

「本館の中庭が見えるところに、午前中だけやってる喫茶店があるんだって。美味しい珈琲煎れてくれるらしいから、そこ行って少し休もう」
「ふむ…いいな。お茶だけでは少し物足りなかったところだ」
「そう言うと思ってた。あとついでだから、本館の売店行ってお土産買おうぜ。モクバと磯野さんの分」
「お土産…?モクバは分かるが、何故磯野の分まで?」
「お前は関係無いかもしれないけど、オレには関係あるの。計画に協力してくれたんだから」
「………。三人揃ってオレを騙しおって…」
「もう怒らないで機嫌直してよ。モクバも磯野さんも十時のチェックアウトに間に合うように迎えに来るって言ってるし。その後皆で少し観光とかしような。で、お昼を食べたら帰ろうぜ。オレ達の童実野町に」
「ふん…。まぁ…いいだろう」
「じゃ、行こうか」

 旅行鞄を手に持って、海馬の背を押して部屋を後にした。玄関から外に出て一度だけ振り返る。
 オレ達に夢のような時間をくれた特別な離れ。ちょっと値段がお高くて財布の中は空っぽになっちまったけど、それに見合う…いやそれ以上の幸せをくれた離れだった。
 ついさっきまではまるで自分達の家のようにのんびり寛げていたというのに、また明日からはオレ達の知らないどこか別の誰かが利用するなんて…想像出来なかった。
 ここに連れて来られたばかりの海馬が苛つきに任せて掌で叩き、その後は夕食や朝食を摂ったあのテーブルも。リラックスした海馬と共にニュースや深夜番組を見ていたあのテレビも。夜は二人で月を眺め、朝は朝日を浴びて海馬の白い身体を輝かせたあの檜の露天風呂も。そして濃密な空気の中で熱く抱き合って、共に幸せな朝を迎えたあの寝室も。
 明日にはオレ達じゃなく他の誰かが使うんだ…。
 その事実に、ちょっとだけ…ほんのちょっとだけ寂しさを覚えた。

「城之内?」

 数歩先を行っていた海馬に心配そうに呼びかけられて、オレは慌てて「今行く」と行って歩き出す。
 何となくサヨナラを言いたくなかった。だから「また来るから」なんてちょっと格好いい事を心の中で呟きつつ、あとはもう振り返らずに海馬と共に本館へと向かっていく。
 海馬と共にまたここに来られる確証なんて何一つ無い癖に、何だかそう言いたかったんだ。
 

 本館の売店で温泉饅頭と名物の最中とサブレを購入して、オレ達は中庭が見渡せる喫茶店に腰を落ち着かせていた。
 晴れ渡った秋空に鮮やかな紅葉が美しい。ただこの場所からじゃ、昨夜散歩の途中に愛し合ったあの場所は見えなかった。本当に絶妙な場所でしてたんだなって思ったら、何だか可笑し
くなって吹き出してしまう。
 オレがクスクス笑い出したというのに、海馬は何も言わなかった。ただ眉間の皺を深くして、無骨な焼き物のカップに入った珈琲を黙って啜っている。
 多分オレが考えている事を見抜いたんだろうなって思ったら、また可笑しくなって笑ってしまった。

「いい加減にしろ。みっともないぞ」

 カチャリとカップをソーサーに置きながら、海馬が不機嫌そうな顔でオレを諫めた。
 怒っている風に見せているけど、頬が赤く染まっているから迫力なんて全く無い。
 まぁ…見た目程機嫌は悪くないんだろう。この珈琲も如何にも海馬が好きそうな味の濃さで、凄く美味しかった。

「珈琲、美味いな」

 海馬の機嫌をこれ以上損なわないように、『そっち』方面を意識しないで別の話題で話しかける事にする。
 オレの意図が伝わったのかどうかは分からないけど、海馬は至極満足そうに「ふぅん」と呟いた。

「さすがは老舗旅館というところだな。和食だけでなく珈琲もこれだけ美味いとは…感心したぞ」
「そりゃ良かった。オレも無理してお前をここに連れてきたかいがあったって事だな」
「勘違いするなよ、城之内。オレが感心しているのはこの旅館であって、お前自身では無い。このプレゼントを選んだセンスは認めてやってもいいが、その前段階が頂けない」
「あぁ、一ヶ月間無理して働いて、お前を完全無視してた事ね…。よく考えたら確かにアレは無いな。悪かったよ。もうしないから」
「分かればもういい。次からはもっと計画的に動くんだな」
「………。え?何が…?」
「何だ。分からんのか?」
「へ?は?何…?」
「来年もここでいいと言っているのだ」

 ニヤッと笑ってそう告げた海馬に、オレは二の句が継げなかった。完全に驚いてしまって、だけど次の瞬間に天にも昇りそうな程の嬉しさを感じる。
 だって、海馬のその言葉は今回の出来事全てを認めてくれた証拠だから。
 オレの計画を、オレの努力を、オレのプレゼントを、海馬は全て認めてくれたんだ…っ!!
 海馬の為にオレが用意した全てを認めて貰えて、心底嬉しくて仕方が無い。

「海馬…っ!サンキューな…っ!オレ、来年も頑張るから…っ!!」

 感動の余り思わず素直にそう伝えたら、海馬は「礼を言うのはこちらの方だろう?変な奴だな。まぁ…せいぜい頑張って金を稼ぐがいい」と言って、眼を細めて幸せそうに笑っていた。

 窓の外は美しい秋景色だ。どこまでも澄み切った高い青空と、鮮やかな紅葉と、眩しい程の陽の光。
 来年もこの景色を海馬と見られる事を願って、オレはカップの底に残っていた珈琲を飲み干した。

 とりあえず次回は、夏くらいから計画立てとけば…大丈夫だよな?


-- End --