Sweet christmas 2008

「ねぇ、サンタさん。今日は私の家に来てくれる?ちゃんと靴下用意しておくから」
「ああ、ちゃんと行くよ。はい、約束のキャンディ。どの色がいい?」
「わぁ!えっとねーえっと……ピンク!」
「オッケー、ピンクね。はいどーぞ。おまけで黄色もあげるよ」
「ありがとう!」
「あ、ちゃんとママにここのケーキ買ってって言っておいて?サンタさんのお願い」
「うんっ!ママに言って来る!」
 

 そう言って両手にしっかりと10円飴を握り締めた女の子はこの深い雪の中を飛び跳ねながら人ごみの中へと消えて行く。飴玉懐柔作戦は成功したかな?少しだけ背を伸ばして母親らしき女性の前で駄々を捏ねるその子の様子を眺めながら、城之内は直ぐに引っ張られる服の裾に再び満面の笑みを浮かべて下を見る。
 

『サンタさん!』
 

 ここ数年、毎年の恒例行事のようになってしまった、クリスマス期間のケーキ屋のアルバイト。凍えるような寒さの中、サンタクロースの格好をして華やかな街角でそう呼ばれつつキャンディや風船を配る仕事は今まではかなり憂鬱なものだったが、今年は少しだけ違っていた。

 正確に言えば、今年から、と言うよりも去年からだったが。
 

 

「なー海馬ー今年のクリスマスはどーする?」
「どうするもこうするも仕事だ」
「……やっぱり。まぁ、オレもだけど」
「またケーキ屋のバイトか」
「うん。だって一番割りいいし。今年は雪が降らないといいなぁ」
「どうだろうな。何の因果が知らんが、この町はきっちりとホワイトクリスマスを実践してくれる町だからな」
「オレ、サンタは嫌じゃないんだけど、雪かきは嫌なんだよなー」
「それも仕事の内だろうが。文句を言うな」
「お前した事無い癖に生意気」
「フン、貴様がオレの仕事をした事がないのに大口を叩くのと同じ事だろうが。……それで、クリスマスだが……どうせ去年と似たような事が出来ればいいのだろう?泊まりに来い」
「ケーキとご馳走食わせてくれるんなら行く!」
「散々ケーキを売った後にまだケーキがみたいとは、呆れるな」
「馬鹿、売るのと食うのじゃぜんっぜん違うだろ!オレアレが食べたい!ブッシュ・ド・ノエル!」
「……地味だな」
「いや地味って。人が食いたいものに文句つけんな」
「一応考慮しておく」
「絶対、な?」
「一応だ」
 

 数日前の終業式の日。一ヶ月ぶりに学校へと姿を現した海馬と珍しく一日過ごした城之内は、彼とそんな話をしながら帰った事を思い出す。

 一年前のクリスマス。二人が恋人関係になって始めて迎えたその日は、特に何かをする事もなく、ごく普通に過ぎて行った。ただ、本当に何もしなかった訳でもなく、海馬の好意でさり気なくクリスマスらしい食事をしたり、自分はプレゼントというには余りにも酷すぎるものを相手に恭しく贈ってみたりして、それなりの雰囲気は楽しんだつもりだ。

 傍から見れば子供騙しにもならないクリスマスだったが、それでも十分印象に残った出来事の一つで。出来れば今年もそんな夜が過ごせたらいいな、と城之内は密かに思っていたのだった。

 本当は、クリスマスなんてものは二の次で……ただ一緒にいることが出来れば十分幸せだったが、余り些細な事を要求すると鼻で笑われてしまうのがオチなので、それなりに『特別』を強調してはみたのだ。

 果たしてそれが上手く伝わったのかどうか定かではないが、普段滅多に言わない「泊まりに来い」という台詞が海馬の口から聞けたという事は、それなりに想いは通じているようだった。
 

 

「あー結局、今年もなーんも用意してねぇや。オレって超甲斐性なし」
「なんだよ城之内。彼女にプレゼントも買えないってか。この不景気とは言え、酷い男だなーお前も」
「うるせぇ。つーか相手オレよりも金持ちだし。モノじゃ喜ばねーんだよ」
「そういう問題じゃねぇだろ。要はプレゼントをやるって言うその気持ちだろ!」
「お、そこまで大口叩くって事は、お前は凄いプレゼント用意してやってんのか。なになに?服?靴?指輪?」
「いや。安いピアスとオレのハート。プレゼントは金じゃないってね」
「……なんだそれ」
「高校生なんてそんなもんでしょ」
「そっかぁ。じゃーオレも気張んなくてもいいのかなー」
「どーせお前が気張ったところで大した事できねーんだから、何か手近なとこで手を打っとけよ」
「……はぁい。じゃあキャンディ貰っとこ。あ、この袋もいー感じ」
「ん?」
「なんでもない」
「そういやさー去年話題になった青いリボンのサンタクロース、今年も来たんだってな。また新聞に載ってたぜ?えっと……あ、すげぇ一面だ。世の中には奇特な人間もいるもんだね。どういう奴がそんな事するんだろうな?すげー顔とか見てみてぇ」
「あーいたなぁ、そんなの」
「オレのとこにも来てくれないかなーサンタクロース。もうこの際贅沢いわねぇからさ」

 そんな事を言いながら同僚がバサリと広げた新聞の一面には、大きな写真と共に去年とほぼ同じ記事が大々的に取り上げられていた。白い箱にブルーのリボン、その中身はM&Wカードではないらしいが、今年も余り代わり映えしないモノらしい。しかし、去年よりも大分景気が落ち込んでいた分、その賞賛度合いは尋常ではなかった。

 そのサンタクロースなら今頃仏頂面で仕事してますよ。

 何度も紙面を眺め、しきりに興味関心を示す同僚の顔を眺めながら、城之内は心の中でぽつりとそう呟いた。ここの所やけに忙しそうにしていると思ったら、やる事はきっちりやってんじゃねーかあの野郎。今日会ったらちゃーんと褒めてやらないとな。凄い嫌な顔するだろうけど。

 ついその場面さえ想像し自然と緩んでしまう口元を引き締めながら、城之内は同僚の目を盗んでこっそり入手した配布用のキャンディをその辺に放置されたままのラッピング様のセロハンやらリボンやらで丁寧に包んでしまう。勿論それは海馬用のクリスマスプレゼントで、結局金銭で何か購入する事も態度で示す事も諦めた城之内の苦肉の策だった。
 

(なんかすげーショボイけどいっか。海馬もそれでいいって言ったし)
 

『来年もどうせクリスマスはサンタクロースになるんだろうが。おまけのキャンディで我慢してやる』
 

 去年のクリスマスの日。確かに海馬はそう言ってそっぽを向いた事をはっきりと覚えている。尤も、相手が確実に喜ぶ物や事柄など分からないし、相手もこちらにその点の期待など一切していない(むしろすれば嫌がられる勢いだ)だろうから、それ以外にやりようもないのだが。

 こういう時、男と言うものはつまらないと城之内は思う。これが女の子だったら一つ一つにもう少し有り難味を感じてみたり、感激したりするのだろうが、そういうものとは一番縁遠い相手だけに全く持って楽しみが無い。まあ、逆を考えれば自分も女の子の様に可愛らしく喜べるか、と問われれば自信を持って「それはない」と言い切れるのだが。

「まーしょうがないよなー性格だし」
「お前さっきからブツブツと何言ってんだよ。そろそろ休憩終わりだぞ。髭つけろ、髭!」
「もう髭とかいらなくね?別にいーじゃん。サンタのお兄さんでも」
「お前はじゅーぶんお兄さんでやってるだろうが。ガキの夢壊すなよ」
「はいはい。あーちょっと外すげー降って来た!今日帰れっかなぁ」
「去年と一緒じゃん。明日の朝大変だろうな、雪かき」
「うええ。そろそろ除雪機買えって店長に言えよ」
「馬鹿。こんな街中で除雪機使えるかっつーの」
「くそっ、憂鬱だ……」
「ごちゃごちゃ言ってないで行くぞ。今日どーせお前お泊りだろ。幸せが待ってんなら頑張れ」
「……うう。頑張る」

 ちらちらと降っていた細雪が、次第に大粒のぼた雪に変わり始める。それを些かうんざりした面持ちで眺めながら、城之内は手した赤い帽子をしっかりと被り、大きな溜息を一つ吐くと、寒い夜の中へと飛び出した。

 途端に目に映る華やかなイルミネーションや、楽しそうに道を往来する家族連れやカップルの姿を目に留めつつ、彼は一際明るい声で呼び込みに精を出した。

「あ、サンタさんだ!」

 小さな子がそう言って笑顔で駆け寄ってくるのを、少し微笑ましく見つめながら。

 

2


 
「よ、モクバ。あれ、お前まだ起きてんのかよ。もう12時だぜ」
「あ、誰かと思ったら城之内じゃん!今年はあの格好してこなかったのかよ」
「あはは。今年はさすがにやめた。お話にならないほどびっしょびしょになってさ。寒くって」
「今日雪凄かったもんなー。今も凄い?明日積もる?」
「ああ、もうどっさりだぜ。ったくお子様は無邪気でいいよなー。オレ等大人の憂いなんて分かんねーんだろうな」
「オマエも子供だろ」
「まぁ、それはそれとして。はい、プレゼント。今年も代わり映えしねーけど」
「やったー!オレ、この中身結構好きなんだ」
「そりゃ良かったね。ところで、兄サマは?」
「ついさっき顔合わせたから、部屋にいると思う」
「お、今日は日付変わる前に帰ってきたのか」
「うん。一応お前に気を使ったみたいだぜぃ。ここのとこずっと会社に泊まりこんでて帰ってきたの久しぶりだし」
「へー。やっぱ忙しかったのか」
「うん」
「じゃーあんまり疲れさすのはアレかなぁ」
「うん?」
「なんでもありません。んじゃ、お子様は早く寝ろよ」
「はーい」

 バイトが終わって数時間後。大雪の中さっさと海馬邸に帰って来た城之内は既に人気のない邸内を迷いなく歩き、一番初めにモクバの部屋へと足を踏み入れ、去年と同様バイト先からくすねて来たお菓子入りの長靴をぽいと放り投げた。

 それをやけに嬉しそうな顔で受け取ったモクバにかなり満足しつつ少しだけ話をした後、城之内は直ぐに海馬の部屋へと直行する。そして何時見ても無駄に大きく頑丈な扉をノックなしで開き、さっさと内部へと侵入した。

「海馬〜?」

 明かりだけは煌々と点いただだっ広い部屋の入り口で、城之内はとりあえず自分が来た事を知らせようと、部屋の主の名を呼んでみる。しかし、しんと静まり返った室内は物音は愚か人の気配すらしなかった。

 あれ?部屋にいるって聞いたんだけどな。そんな大きな独り言を言いながら雪に濡れた鞄や自身から滴り落ちる水が床を濡らすのを気にしながら、城之内はパタパタと靴音を立てながら部屋の中央へと歩み寄る。そして、いつも海馬が腰を落ち着けている人が優に5人は座れそうな豪奢なソファーをひょいと覗き込んだ、その途端。

 城之内の口から驚きとも呆れともつかない妙な声が漏れる。

「……あー……静かだと思ったら、お眠中かぁ……」

 城之内の視線の先、目に痛いほど眩しい真っ白なソファーの上に、探し物は存在していた。いつもはきっちりとそこに座している筈の海馬は、今は無造作にそこに横になり、少し寒いのか僅かに身を縮めて安らかに肩を上下させていた。寝るつもりなどなかったのだろう。周囲にはそれまで彼が見ていたらしい書類らしき紙が散乱し、テーブルの上には半分も減っていない中身入りの珈琲カップが放置されていた。それは超がつくほど几帳面な性格の彼からは考えられない惨状で、こうなったのは明らかに海馬に取って不測の事態だったらしい。

 その様子を城之内は聊か驚いた顔で数秒間凝視した後、大きな溜息を一つ吐いて、とりあえず床に散らばった書類をかき集めてテーブルに置いた。そして、持って来た自分の荷物をもその場に置いてしまうと緩やかに海馬に近づき、少し遠慮がちにその横顔に声をかける。しかし、幾ら大声を上げても、しっかりと閉じた瞳はぴくりとも動かない。

「海馬。かーいーば。遅くなったけど、貴方のダーリン城之内克也ただいま帰りましたー。起きて下さーい」
「………………」
「……ガン無視かよ。おーい!海馬ってば!瀬人ちゃん!起きてっ!」
「………………」
「起きないとちゅーすっぞ」
「………………」
「駄目だこりゃ。すげー爆睡。絶対無理」

 耳元で叫んでみたり、少し乱暴かと思いつつも肩を掴んで大きく揺さぶってみたり、挙句の果てには呼吸を邪魔するが如く本当にキスまでしてみた城之内だったが、何をしても海馬が起きる気配はないようだった。普段の眠りの浅さからは考えられない程の熟睡ぶりに、城之内は段々と気の毒になってしまい、声をあげる気もなくなってしまう。

 こうして至近距離でよくよく顔を眺めてみれば、最後に会った時よりもほんの僅かに頬のラインが鋭角を帯び、目の下には光線の加減の所為ではない薄い陰が出来ていた。疲れてるんだろうなー。ぽつりと呟いたその声に、くしゅん、と可愛らしいくしゃみが応える。

「お前、自分で今日泊まりに来いとか言っておいて、寝落ちってどういう事だよ。オレすげー楽しみにしてたんだけど、クリスマス」

 相変わらずすやすやと眠り続ける顔に向かって、城之内は少しだけ恨みがましい口調だが、それでも全く暗さのない声でそう囁く。応える声は勿論ない。多分この調子ではソファーから引きずり落としでもしない限りどうにもならないだろう。

 そんな状態の相手をそれでも無理矢理叩き起こそうと思うほど、城之内は身勝手でも薄情でもなかった。今日のこの時間の為に、寒さにも辛さにも耐えて頑張っては来たものの、それは多分自分だけではなかったのだ。それ位、わざわざ本人に聞かなくても良く分かる。あの新聞の一面を飾ったサンタクロースの話を見ただけで、すぐに。
 

「……すっごくさみしーけど、今日はもう諦めっかな。一緒に寝るだけで我慢してやるよ」
 

 まぁ、まだ24日だし。

 そう言って、緩やかに上下するその肩を軽く抱いた城之内は、やれやれ、と余り困っていない声を出しながら、未だ城之内が来た事すら知らないだろうその身体を持ちあげると、隣の寝室へと運んでいく。

 外は、未だに大粒の雪が音も無く降り続いていた。

 明日は間違いなくホワイトクリスマスになるだろうと、ちょっとだけ憂鬱な気分になりながら、城之内は自らも早く休めるようにと、一人シャワールームへと歩いていった。
「……うっわー!なんだこりゃ?!オレ店まで辿りつけっかな」
 

 次の日の朝。

 昨夜、結局眠る海馬相手に会話一つ出来なかった城之内は、せめてもとばかりに死んだように眠るその身体をがっちりと抱き締めて眠りに付き、直ぐ傍に放って置いた携帯のアラーム音で目を覚ました。かなりの音量で響き渡ったそれにも相変わらず身動き一つしない腕の中の住人に苦笑しつつ、かなり後ろ髪を引かれながら寝台から抜け出した彼は、まず最初に一番気になっていた外の世界の様子を確認する為に窓際に歩んで勢いよくカーテンを引き開けた。

 シャッ、という小気味いい音と共に目に飛び込んできたのは眩しい位の純白の風景。それは街が雪化粧をした、などと言う生易しいものではない。一晩にして町中が雪中に埋まってしまった、的な勢いだった。

 その余りな光景に思わず大きな声で叫んでしまい、はっとして背後を振り返る。しかし、寝台に一人残された海馬の背中は今の騒ぎにも全く持って静まりかえったままだった。ここまで来ると「本当に大丈夫か?」と思ってしまう。それほどまでにその様子は至極珍しい事だった。

「……あー、もう超やる気ねー。バイト行きたくねー」

 はぁっ、と大きな溜息を吐き、とりあえずバイトに行く準備だけは開始する。髪も碌に乾かさないまま眠った所為で酷い事になっている寝癖を直し顔を洗い歯を磨き、服まできちんと着替えた後も、やっぱり海馬は熟睡したままだった。

 上着を羽織り、ベッドに投げ捨てていたままだった携帯をきちんとポケットに収めた後、位置的に丁度真下にある寝顔を凝視する。明るいと寝辛いかな、と気をきかせて引き開けた遮光カーテンを再び閉めてしまった所為で、薄暗くなってしまった寝室内でもはっきりと見える白い横顔に、再び嘆息するとそのまま何気なくキスをする。それに一瞬眉を寄せる事で反応を示した事に少しだけ満足し、城之内はまるで子供にするように二、三度軽く枕に半分埋まった頭を撫でてやると、僅かに潜めた声で努めて明るくこう言った。

「それじゃ、バイト行ってきまーす。ほんとはこの大量の雪かきをしなきゃなんない事に対する労いの言葉一つ位欲しかったけど、おねむじゃしょうがないよな。今日また来るから、今度はちゃんと起きて相手してくれよ、海馬くん?はい、約束」
「………………」
「あはは、ちょっとかわいーかも。んじゃ、サンタさんは出勤と行きますかねー」

 柔らかな羽布団の隙間から少しだけ出ていた右手を勝手に掴み、指きりげんまん、とばかりに小指同士を絡め合わせると、城之内は遠くから聞こえた小さな足音に顔を上げ、さっさと寝室を後にした。できるだけ音を立てないようにそうっと隣室と繋がる扉を後ろ手に閉めた途端、廊下側の扉がノックすらもどかしいように勢いよく開き、足音の正体がひょっこり顔を覗かせた。

「おはよう城之内!兄サマは?」
「お、モクバ早いじゃん。兄サマはまだ超熟睡中だぜ」
「え?兄サマまだ寝てるの?珍しいじゃん」
「うん。昨日起こそうとしたんだけど全っ然起きなくてさー。オレも諦めてそのまま寝かせたんだけど、よっぽど疲れてるみたいだな。今日あいつ予定入れてんの?」
「あーなんか細々とした事はあるって言ってたけど……」
「そんなに急ぐもんじゃなければキャンセルしちまえよ。クリスマスで、丁度土曜だしさ。真面目に仕事する奴なんていねーだろ。休ませろ」
「でも、勝手にそんな事したら兄サマ怒るよ」
「オレの所為にすりゃいいじゃん。オレからのクリスマスプレゼントって事で」
「うーん……」
「どーせここんとこずっと休んでねぇんだろ。大丈夫だって、一日二日位。お前だって兄サマに休んで欲しいだろ?」
「そりゃ、そうだけど……じゃあ、わかった。磯野に言ってみる」
「うんうん。海馬が怒ったら『お前昨日オレとの約束すっぽかした癖にえばんな』って言ってやれ。絶対黙る」
「あはは。でもお前兄サマ起こさないでくれたんだ。優しいね」
「起こして不機嫌なままだと嫌だろ」
「そういう事にしておいてやるよ。あ、朝食の用意出来てるよ。兄サマ寝てるんならとっておくから、お前はオレと一緒に食べようぜぃ」
「おう。今日は肉体労働込みで体力いるから海馬の分も食べてやるよ」
「朝から凄いなぁ。じゃあ、オレ、先に行ってるから」

 どうでもいいけど雪凄いよな!超嬉しいぜぃ!

 最後にはしゃぎながらそんな台詞を口にしたモクバは、その言葉どおりまるで飛び跳ねるように元気よく部屋を出て行く。

「はー。お子様は羨ましいよなー。オレもそんな頃に戻りたいぜ」

 雪だるまやかまくらとか作ったり、雪合戦やってみたり、スキーを担いで近所の山まで遊びに行ったり、そんな思い出が暖かな気持ちと共に蘇って自然と口元が緩んでくる。しかし現実に待っているのはこの大量の雪を少人数で片付ける憂鬱な作業のみで、それ以前にその場所まで辿り着かなくてはならないのだ。電車やバスが止まっていなければいい。そんな事を思いながら、ソファーの傍に放り投げ、着替えを取り出した時に口を開けたままだった鞄に手をかけた、その時だった。

「あ、そういや大事な事忘れてた」

 ぽつりとそう呟いて、がさごそと鞄を探り、ひっくり返す。そしてぼろぼろと落ちてきた少ない中身の中に混じっていたある物を手に取ると、城之内は直ぐ様寝室に取って返した。そして数分後、満足気な顔をして戻ってくる。

「メリークリスマスは夜でいいかな。あ、メール送ればいっか」

 そそくさと散らかした中身を元に戻しながらそう呟いた彼は、最後の財布を鞄に収め、今度はきっちりとファスナーを閉めると、さっさとその部屋を後にした。

 しかし、不運な事に城之内が居たその場には一つだけ置き去りにされたものがあった。
 

 彼はその事にバイト先に辿り着くまで気づく事はなかった。

 

3


 
「兄サマ!兄サマおはよー!」

 城之内が海馬邸を出てから数時間後。相変わらずしんと静まり返った薄暗い寝室に、甲高いはしゃいだ声が聞こえた。次いで優しく肩を揺らす小さな手の感触にさすがの瀬人も覚醒を促され、漸く重い瞼を半分開いた。瞬間、視界に入り込んで来たのは目一杯の笑みを見せる弟の顔で、海馬が起きた事を確認した彼は直ぐ様その傍を離れ、窓際へと歩いていく。

「……ん……モクバ……?」
「見て見て兄サマ、外凄い雪だよ!オレ、友達と遊びに行って来ようかな」
「……は?……雪?」
「うん。昨日一晩降ったみたいでさ、もうどっさり!朝ニュースみたらあちこちで運休とかあるみたいだぜぃ」
「朝?……ちょっと待てモクバ、今……何時だ?」
「うん?今?丁度お昼ちょっと前かなぁ。兄サマ凄い一杯寝たね。あんまり起きて来ないから、オレ様子を見に来たんだよ」
「……昼、だと?!」
「そうだよ。ほら、外明るいでしょ」
「?!……本当だ。では今日は」
「25日だよ。クリスマス!」

 大きくカーテンを引き開けると共に部屋に入り込んでくる眩しい程の白い光に、瀬人は一瞬反射的に目を閉じてしまう。その後、光に慣れる様に徐々に瞼を持ち上げながら同時に身体をも起こした彼は、慌ててベッドヘッドに置いてある時計を確認してしまう。

 デジタル式のそれが差し示す時刻は確かに12月25日の午前11時45分。何度見返してもその時刻が変わる筈もなく、瀬人は寝台の上でただ呆然と時計を凝視したまま止まってしまった。彼にしてはありえない失態である。

「………………」

 長時間寝ていた所為で少しだけ癖がついてしまったらしい前髪のお陰で些か良好な視界の中に見えるモクバの顔はニコニコと嬉しそうで、一瞬余りの事態に頭が真っ白になっていた瀬人だが、不意に昨夜から今日にかけての様々な予定を思い出して青くなる。確かその予定はモクバも知っていた筈だ。なのに何故こんな時刻まで放置されていたのだろう?そう思い今も変わらず楽しそうに話を続けるモクバに、瀬人はその言葉を遮る形で口を開いた。

「モクバ」
「何?」
「……寝坊をした身で言うのも何なのだが……どうして、起こさなかった?お前も今日のオレの予定を知っていた筈だろう?磯野はどうした」
「うん。知ってたよ。磯野も知ってる」
「ならば何故」
「城之内が兄サマを『寝かせといてやれ、今日の予定は全部キャンセルにすればいいじゃん』って言ったから」
「何?凡骨が?……というか、あの男昨夜来ていたのか?!」
「そりゃ来るよー。約束してたんでしょ、兄サマ達。でも兄サマが全然起きないからしょうがないって言って、昨日はすぐに寝ちゃったみたいだけど。今日も7時位に起きて来て、バイトに行ったよ?」
「………………」
「オレは兄サマに怒られるからどうかなぁって思ったんだけど、磯野に聞いたら別に今日しなくてもいい事ばっかりだって言うし、兄サマ全然休んでなかったし……だったらって言うんで、今の時間まで黙ってたんだ」
「そう、か」
「怒ってる?」
「いや、別に怒ってはいないが……」
「良かったー。じゃあ兄サマ、一緒にお昼ご飯食べようよ。オレ今日朝早く食べたからもうお腹ペコペコなんだぜぃ」
「わかった、付き合おう」
「じゃあオレ先に食堂に行ってるね。昨日兄サマ達が食べなかったケーキとか一杯あるし。早く来てね?」

 兄サマ起きたよー!と、勢いよく閉ざされた扉の向こうに勢いよく響き渡るモクバの声を遠くに聞きながら、瀬人はのろのろと背をベッドヘッドから離し、既に見る影もなく皺くちゃになった衣服を眺め、部屋着のまま着替えていない事に気づく。

 そう言えば自分は昨夜、城之内を待ちながら隣室のソファーの上で仕事をしていた筈で、そこから先の記憶は見事にない。勿論寝るつもりで寝台に入ったという覚えも無い。そもそも服のまま寝るという事を余り良しとしない瀬人に限って、着替えもせずに寝台に潜り込むなどある筈もないのだ。
 

 と、いう事は、ここまで『誰か』が運んで来た、という事で。

 その『誰か』とは城之内の他にいる筈がないのだ。
 

 それに気づいた途端、隣の空間を凝視してしまう。彼が早朝に家を出たのならその形跡が温度としてそこに残っている訳もないのだが、思わず腕を伸ばして触れてしまった。その指先に偶然にも絡んだ、一本の短い金髪。

「………………」

 やはりあの男は昨夜ここに来て、この場所で眠ったのだ。薄情にも帰宅を待たずに眠ってしまっていた自分を起こす事もなく、ただ黙ってここへと運び、寝るだけ寝て仕事へと出て行ってしまった。考えようによってはとてつもなく素っ気無い行為にも思えるが、妙な所に気遣いを見せる彼の事だから、敢えて自分を起こそうとはしなかったのだろう。
 

『もうオレすっげー楽しみー!今日一日バイト頑張れそう!』
 

 24日の朝、早い時刻にそんなメールを寄越す程期待していたのだから、こちらの事など考えずさっさと叩き起こせば良かったのだ。その実自分も疲れてはいたが久しぶりに彼と過ごせる時間を密かに楽しみにしていたから少々残念な気持ちになる。けれど、仮にもしこの立場が逆転していたら、きっと自分も同じ行動を取ったに違いないのだ。

 ……結局は寝てしまった事が一番問題だったのだが。

 色々な気持ちが混ぜこぜにになり、それらを全て吐き出すようにはぁ、と肩が上下するほど盛大な溜息を吐いた瀬人は、とりあえず降って沸いたこの休日をどう過ごそうかと考えた。

 そういえばたった今モクバに昼食を取ろうと言われた気がする。ならば着替えて行かなければと、瀬人はゆったりとした動作で寝台から降りようとした、その時だった。

 ベッドサイドに置いてある同高さのチェストの上に、見慣れないものを見つけた。手に取った瞬間、すぐに記憶の奥底にあったあるモノとそれが一致する。

 そのモノ……瀬人の手の中に納まった、然程大きくも無いセロファン製の透明袋。そこにぎっしりと詰められていたのは、去年よりも格段に色数が増えた沢山のキャンディだった。どうみてもいびつな形に結ばれた青いリボンに、自然と瀬人の口角が釣りあがる。
 

「本当に、同じものを寄越すとはな。芸のない犬だ」
 

 彼にしては珍しく半分噴出しながらそう呟いた瀬人は、金髪のサンタクロースから送られたらしいそのキャンディをやや丁寧に両手で包み込みながら、モクバの元へ行くべく寝台を後にした。
「ちょ、なんだこの寒さ!ありえねー!」
「今年一番の冷え込みとか言ってたもんなー。ここまで来るとホワイトクリスマスとかどーでも良くなるよな」
「ううう、死ぬ。もう帰りたい」
「何言ってんだ。昨日ホットな一夜過ごした癖に贅沢言ってんなー!」
「あーホットっつーかなんていうか……」
「今日お前絶対遅刻してくるって他のヤツと賭けてたのに。ちくしょー若いっていいなぁ」
「ははは。まぁ、ぐっすり寝ましたし」

 別にあれから疲れる様な事もしなかったし。

 最後の台詞は心の中でぽつりと呟いて、城之内は手にしたスノーダンプに山盛りにした雪を街路樹の根元に綺麗に積み上げた。ぎゅ、と大きな音がして、見る間に雪の小山が出来る。こんな時、子供だったら遊び半分でこの作業も楽しめるのに、と思いつつ、いまだ膝丈まで積もっている雪を掻き分ける。昨夜十分に寝た所為で気力体力の回復具合は十分で、コンディションは最高だ。けれど、心はほんの少しだけ寒かった。

 惜しくもホットな夜を逃した身としては、それを前提にからかわれるのはなんだかちょっと寂しくて思った以上に心にチクチク刺さるもので、図らずも大きな溜息が出てしまう。

 まぁでも全部が駄目になった訳じゃないし、今夜だってあるんだから……と気を取り直した彼は、もうひと頑張りとばかりに後僅かとなった雪の中にスコップ片手に向かっていった。開店時間はすぐそこに迫っている。

「今日客来るのかな?」
「いや、予約分あるし。クリスマスにケーキがねぇと始まらねぇだろ」
「そうだよなーあーでもオレ今日早番で良かったー」
「オレも良かったかな。雪かきは嫌だったけどよ」
「お前今日も泊まり?」
「まぁね。羨ましい?つかお前どうだったんだよ、ピアスとハート」
「自慢しやがるし!……オレ?勿論守備は上々だぜ」
「そりゃおめでとさん。ホットな夜目指して頑張れ」
「うあー!なんかすげぇムカつくー!!」

 例え寝落ちですっぽかされたとしても、笑顔で我慢する位の余裕を身につける位にはね。

 ……そう考えると自分が大人になった気がして少しだけ気分が軽くなる。そう言えば海馬はベッドサイドに置いて来たクリスマスプレゼントには気づいただろうか。後で『メリークリスマス』とメールするつもりでついそのままにして来てしまったが、まだあれから2時間しか経ってないから寝ているかもしれない。

 これが終わったら、自らのサンタクロース姿の画像と共に派手なデコメでも送ってやろう。凄く嫌がられるのは目に見えてはいるけれど、まあこれもクリスマスならではって事で。

 最後の雪を雪山の頂点へと勢い良く乗せ上げて、城之内は何時の間にかしまりのなくなった顔を引き締めつつ、再び降りだして来た粉雪を仰いで眉を寄せる。瞬間今日も一日雪が降り通しになると言う天気予報を思い出して、彼はまるで抗議するように真っ白な息を空中に向けて吐き出した。
 

 

「城之内ーそろそろ開店だぜ?着替えろよ」
「お、もうそんな時間?はいはい、今行きますよっと」
「もう既にびしょびしょじゃんね。風邪引きそう」
「……お前体中にホッカイロ貼り付けてる癖に何いってんだ。なんだそれ、ジジくせぇな」
「寒さ対策にジジ臭いも何もねぇの。風邪引くよりマシだろ」
「オレは見てくれ重視派なんで、多少の寒さは耐えてみせます。っと、そうだ携帯携帯。まだメリークリスマスって言ってねぇんだよなー」
「え?おっそ!!一緒に居たのに言わないでメールとかどんだけだよ」
「うるせぇな!……あれ?」
「うん?」
「携帯がない。っかしーなー。朝ポケットに入れた筈なんだけど……」

 あれ?あれ?と言いながら城之内は服やコートのポケットを全部確認し、果ては鞄の隅々まで探したが今朝きちんと存在を確認し、間違いなく所持したはずの携帯は影も形も見当たらなかった。ジーンズではなく、上着の内ポケットに入れた事までは覚えているため、もしかしたら身を屈めた時にでもどこかに落としてしまったのかもしれない。

 まぁ別にバイト中は使わないし、どうしても必要という訳ではない為、彼は早々に携帯捜索を諦めて、同僚の揶揄するような声を無視しながら手早く衣装を身に着ける。けれど、メリークリスマスが言えないのは少しだけ残念だよな、そんな事をなんとは無しに思いながら最後の帽子を頭に乗せると、キャンディの大量に入った袋を抱え、大きな溜息を一つ吐いた。

「段々この格好に慣れてくる自分が嫌だ……」
「そう言うなよ。似合ってるぜ。彼女に見せてやったら?」
「去年見せた挙句そのままやったら嫌だって言われた」
「……そのままするなよ。サンタコスでHとかどこのAVだよ」
「普通は女の方がミニスカサンタとかだけどな」
「やるなよ」
「やらねーよ。殺される」
「まーとにかく、今日も頑張ろうぜサンタさん?」

 ポン、と軽く肩を叩かれる衝撃にゆらりと身体を揺らしつつ、城之内は既に慌しさを増している厨房を横目にゆったりとした足取りで、雪降る外へと歩いて行った。

 

4


 
「兄サマ、庭にスノーマン作ってもいい?」
「……先程お前は友達と遊びに行くと言っていなかったか?」
「そう思ったんだけど、この雪だと遊びに行くのも大変だなーと思って。久しぶりに兄サマも家にいるから一緒にいたいし」
「庭に作るのは構わないが、今日もこれから大雪だぞ。明日になったら埋もれているかもしれないな」
「そっかぁ。それも可哀想だよねー」
「退屈なのか?」
「うーん、だってテレビも面白いのやってないし、ゲームは飽きたしさ」

 時刻は正午を大分過ぎた辺り、久しぶりにのんびりとした昼食を終えた兄弟はリビングでアフタヌーンティ片手に何をするでもなく寛いでいた。

 おざなりにつけたテレビから聞こえてくる、既に飽きてしまったジングルベルのフレーズに大きく欠伸をしたモクバは、その直ぐ横……というより殆ど身体を預ける形となっていた瀬人の顔をちらりと見上げ、白いレースのカーテンで仕切られた窓の向こうを指差しながらぽつりとそんな言葉を口にした。

 それにじっとみていた新聞の紙面から目を離し、気にするように下を見る蒼い瞳と視線がかち合う。その事にほんの少しだけうれしくなったモクバは、更に甘えるようにその身体に擦り寄ると、丁度膝枕の形になるように仰向けに寝転んだ。そして特に意味もなく手を伸ばし、瀬人の胸元に揺れるカード型のペンダントに悪戯に触れて引く。

 まるで猫がじゃれるようなその仕草に苦笑した瀬人は、持っていた新聞を傍らに置いてしまうと宥めるように膝の上にある頭を軽く撫でてやった。彼もモクバ同様、突然与えられた休暇を持て余し、どう時間を浪費しようかと密かに悩んでいる所だったらしい。それに気付かないほどモクバも子供ではなく、そして今朝元気よく仕事に出て行った城之内が予測しない訳もなかった。

 ワーカーホリックの気がある瀬人は、休みを与えられても純粋にその時間を休息等に当てるということが出来ず、常に仕事に関わる何かをしていなければ気が休まらないらしい。現に今も手にしているものは普通の雑誌でも小説でもなく経済新聞で、短時間に何度もメールのチェックをしている。これでは、休暇の意味がないとモクバは思う。城之内の言う通りだ。

 彼曰く、瀬人は日頃から常にそんな態度でいるらしい。城之内が口を尖らせながら「海馬が全然構ってくれない」と拗ねてモクバの部屋にやって来るのを時たま経験しているモクバは、彼のその時の気持ちを今少しだけ味わっていた。こんなに近くにいるのに、その頭の半分以上を占めているのは仕事の事なんてつまらな過ぎる。だから、邪魔するつもりでわざと瀬人にじゃれついているのだ。
 

『お前、今日大事な予定とかないんなら、兄サマの傍にひっついててあいつが仕事しないように見張っとけ。いい機会だから遊んで貰えよ。普段全然構って貰ってないんだろ?』
 

 出勤する間際、城之内は食堂の席を立ちながら何気なくそう言って、モクバをほぼ無理矢理頷かせた。これもプレゼントの一環だから協力頼むよ、なんて念押しまでして鼻歌交じりに出て行ったその背を眺めながら、モクバは密かに思ったのだ。今日は一日、兄サマを仕事から遠ざけてやる、と。

 あまりの大雪で友達の所に遊びに行くのが億劫になった、と言ったのもその一つだった。その実瀬人が自力で休みに徹してくれるようなら元気に雪の中に飛び出していったのだが、やはり瀬人は自分が傍にいて監視していないと、すぐ仕事をしようとする気配を見せた。だから、今日は一日……城之内が帰って来るまで瀬人の傍にいようとモクバは決めた。

 勿論それはモクバにとっては嬉しいばかりで、全く苦になる事ではなかったのだが。

「ゲーム好きのお前にしては珍しいな、飽きるなど」
「最近のゲーム、つまんないぜぃ。一人でやっても盛り上がらないし。あ、でもこの間城之内とやった格闘ゲームは面白かったよ。あいつ超弱いんだぜぃ!」
「凡骨相手に勝利を収めたところで何の自慢にもならないぞ」
「テレビゲームだけじゃなくって、この間は将棋も教えて貰ったんだ。はさみ将棋!」
「……しょうもないものは良く知っているのだ、あの犬は」
「兄サマと城之内は、一緒にいる時何をして遊んでるの?デュエル?」
「あ、遊ぶ?別に、遊んでなぞいない。それに凡骨とデュエルなどするか」
「えー?遊びもしないで面白いの?なーんだオレ、今日城之内の代わりをやってやろうと思ったのにー」
「なんだそれは。……さてはモクバ、お前奴に何か言われたな?」
「別に。何も言われてないよ。オレが勝手にそう思ってるの」
「そうか。まぁ、何でもいいが……とりあえず、部屋に戻る」
「部屋で何するの?仕事は駄目だからね。兄サマは今日はお休みなんだから」
「仕事はしない」
「嘘ばっかり。じゃーオレも一緒に行く。邪魔しないから、いいでしょ?」
「……好きにしろ」
「はーい。退屈しのぎにゲームと漫画持って来る!」
「どちらにしてもゲームをするのではないか……」

 瀬人の呆れた声はさっさと部屋を出て行くモクバには届いていないようだった。それに小さく嘆息すると、彼は直ぐに近くにある自室へと戻っていく。扉を開けて中に入り、さてこれから何をしようかと考えを巡らせながら部屋の中心部まで歩いていくと、不意にソファーの下に敷かれた絨毯の上に隠れるように落ちていた物体に目が留まった。

 白を基調とした部屋の中で一際目立つ黒いそれは、近づいて見てみると余りにも見慣れたものだった。チャリ、と小さな音がして下げられたレッドアイズのストラップがかすかに揺れる。

 それは、紛れもなく城之内の携帯だった。常にあちこちに落としている所為で傷だらけになる事を懸念した瀬人が親切にも張ってやったクリアタイプの保護シールド。それすらも見る影もなくボロボロで、彼がいかにこの携帯を乱雑に扱っているかが分かる。更にこうして忘れられる事も多い為、彼の携帯は既にただの電話とメーラーだった。全く持って意味がない。

「……全く、何をやっているのだか」

 溜息混じりにそう呟き、手にしたそれをテーブルにおいてしまう。するとふとその横に酷くぞんざいに積み重ねられた書類の束が目に入った。確認しなくともそれは昨日瀬人が暇つぶしにしていた仕事の一部で、寝てしまった所為で崩れでもしたのだろう。それを親切にも拾い上げて重ねておいた所までは評価できる。が、整えるという事まではしない所が城之内が城之内たる所以だった。普段は小言を言うレベルの話だが、今日は勿論そんな気持ちにはなれなかった。

 変わりに沸きあがったのは、ほんの少しの罪悪感。

「………………」

 瀬人は暫しテーブルの上の携帯と書類の束を見つめながら佇んでいた。そして、徐に視線を硝子窓の外と投げる。室温の所為で薄らと曇った透明な筈の窓の向こうは、相変わらず深々と雪が降っていて、酷く静かだ。そして考えるまでもなく寒いのだろう。この雪の中仕事とは言えよくやるものだ。その点は少し褒めてやってもいいかもしれない、そう思った刹那、彼はふとある事を思いついた。

「兄サマ!……あれ?そんなところに立って何やってるの?」
「モクバ。オレはこれから少し出かけるが、お前はどうする?」
「え?出かけるって、どこに?あ、仕事は駄目だからね!KCは今日はお休み!」
「そうじゃない。届け物をしに行くだけだ。後、ケーキを買いにな」
「え?」
「どうする?」
「い、行くよ勿論!!絶対行く!!」
「ならば外に行く格好をして来い」
「うん!!」

 すぐだから!

 そう言ってモクバは持って来た私物を勢いよくソファーに放り出すと慌てて自室へと駆け出して行く。

 その足音を背後に聞きながら、瀬人はテーブルの上の携帯を手に取り、ポケットに納めると、自らも外出するべくコートを取りにクローゼットへと歩んで行った。
「さ、寒い。けどやっぱクリスマスだから人多いなー!どいつもこいつもイチャイチャしやがって腹立つー!」
「サンタクロースのひがみはみっともないですよ、佐竹君」
「うるせぇよ。あーもー帰りたい!そういやまだオレケーキ食ってないんだよ。今日買って帰ろ」
「オレもだ。あ、朝は食ったかな。イチゴのケーキ、ワンピース」
「朝からケーキかよ」
「ケーキだけじゃねぇよ?チキンも食った」
「すげぇな、美味かった?」
「んー味は美味かったけど、気分的にちょっと……」
「あ、惚気お断りですから!」
「そんな嫌がるなよ」
「嫌に決まってんだろ。って、こんにちはー。写真?どーぞどーぞ。どうせならサンタ二人並んで取る?」
「オレはお断り。一人でどーぞ」
「ちぇっ。付き合いわりぃな」

 無愛想なサンタは嫌われんだぞ。とかなんとかぶつぶつ言いながら横殴りの雪の中サービス精神旺盛にピースまでしながら道行く人の写メールの被写体になっている同僚を眺めながら、城之内は、薄らと積もった肩の雪を振り払いつつ、こちらも寄ってくる子供達に笑顔でキャンディを手渡していた。「ありがとう!」と満面の笑みを浮かべて安いキャンディを握り締めて去って行くその姿に微笑ましさを感じつつ、海馬相手にこの瞬間を味わえなかった事に少しだけ残念な気分になる。

 去年は、その点凄く幸せだった。思いつきで手渡したキャンディに、一瞬何事かと呆けたような顔をして、その後何も言わずに口に入れた彼はそのままお返しとばかりに熱いキスをしてくれた。一つのキャンディを二人で舐める、という今思えばなかなか経験できない事を極自然にやってのけたあの瞬間は至極貴重で、どうせなら今年も同じ事がしたいな、なんておぼろ気に思っていた位だ。

 タイミングを外してしまったけれど、帰ったらやろうかな。そんな事を思いながら一つ、また一つとキャンディを配っていく。はしゃぎながらそれを口に入れて人混みに紛れていった女の子がその数分後母親と共に店のキャリーデコを手にして帰っていく姿を見るとなんだか幸せな気分になる。

 あーオレも早く帰りたいな。

 ぽつりとそう呟きながら、少し重くなった販促用のプラカードを持ち直した、その時だった。
 

「よぉ、雪塗れのサンタクロース!オレにもキャンディ一つちょうだい、だぜぃ!」
 

 勢いの割には然程強くもない衝撃と共にそんな声が上がる。やけに聞いた事のある声だと思うより先に、視界に入った黒と白との対比に、城之内は思わず持っていた物を全てその場に取り落としそうになった。
 

「えぇ?!モクバと……海馬?!」
 

 人通りの多い遊歩道の真ん中で相変わらず降りしきる雪の中佇んでいたのは、白いコートを身に纏った紛れもない海馬本人で。無遠慮にも人に体当たりして来たのは、今朝元気よく別れた筈のモクバだった。二人とも格好はきちんとした外出仕様で、いつも従えている黒スーツの男の姿も今はない。それ故に、近間に居たはずなのに声をかけられるまで気付かなかったのだ。

「ちょ、お前等、なんでここにっ!」
「兄サマがケーキ買いに行こうって言うから」
「ケーキ?!や、ケーキって。お前ん家パティシエいたじゃねーかよ!今日のケーキだって……」
「あいつには今日は休みをやったんだって。だから、買いに来たんだ。お前だってケーキ、食べたいだろ?」
「……あぁ、まぁ。でも別にこんなところに来ることねーじゃん。もっとこう高級なさぁ、専門店のとかぁ……」
「そんな事はどうでもいいから、キャンディ!」
「え?ああ、はい。何色にするよ」
「オレは赤かな。イチゴ味」
「ガキだなー。はい、どーぞ」
「サンキュー!じゃあ兄サマ、オレケーキ見てくる!」

 城之内が取り出した赤いキャンディを直ぐ様ぽいと口の中に放り込むと、モクバはさっさと人込みを掻き分けて店の中へと入ってしまう。その姿を目で追う暇もなく、それまで一切無言のまま何時の間にか直ぐ傍まで近づいて来た海馬に即座に目線を移した城之内は、暫し呆けたようにその場に立ち尽くしたままだった。幸いな事に子供はもう一人のサンタクロースの方に集中していて、こちらは丁度手すきだった。

 ……しかし、予想外の出来事になんと言ったらいいのか分からない。向こうも何も言わない分、沈黙の時間が無駄に長引いて何だか気まずい。嬉しい筈なのに何故か漂ってしまう妙な空気に城之内がとにかく何か言わなければと、口を開きかけたその時だった。

「携帯」
「はい?」
「忘れていったようだから、届けに来た」
「え?ああ、携帯ね。うん、確かにお前のとこに置いて来ちゃったなーって思ってたけど」

 そう言いながら無造作に差し出されたそれを受け取ろうと手を伸ばす。最初ミトンの手袋をしていたが、キャンディを取り出すのに邪魔なため、さっさととってしまった所為でその指先は赤く変色し酷く冷たかった。そんな指先で暖かそうな相手の手に触れるのも戸惑われて、そっと携帯だけ取ろうとした動きは即座に封じられてしまう。

「わっ、何?!掴むなよ!」
「冷たいな」
「あ、当たり前だろ!ずっとここにいんだから!お前、こんなとこで何やってんだよ。今日はオレが休みやったんだからしっかりと休んどけよ!」
「ああ、だからその『休み』を利用してモクバとここに来ただけだが。何か問題が?」
「や、問題って。つーかケーキ買いに来たとか嘘だろ。例え本当にそうだとしたって、なんでこんなふつーの店に来てんだよ!ここカード使えねぇんだぞ!」
「オレがどんな店に何を買いに来ようが貴様が口を出すような事ではない。それに、心配されずともオレとて現金位持ってるわ」
「ああそう。……じゃなくて!!」
「喚くな。煩い」

 一々過剰反応を示す眼前のサンタクロースを常と同じ一喝で黙らせると、海馬は何か言葉を紡ごうとしたが、それよりも早く人混みの中から戻ってきたモクバが背後から声を上げた。

「兄サマ!ケーキ、買って来たぜぃ!」
「そうか。ああ、凡骨。貴様の妹の住所を言え。メールで送ってもいい」
「はい?」
「いいから早くしろ」
「ちょ、ちょっと待てよ急に言われたって。ええと、確か携帯に住所が……あーもう手が動かねぇ!」
「まどろっこしいな、携帯ごと寄越せ!」

 余りの展開の速さに頭がついていかず、寒さの所為もあって全ての動作が鈍い城之内に耐えかねた海馬はイライラした表情で一度は手渡した携帯を奪い取ると、勝手知ったる他人のもの、とばかりに勝手に操作し、即座に目当てのものを探し当てる。その様を殆ど呆然と眺めていた城之内に、キャリーデコを三つも抱えたモクバが上機嫌で口を開いた。

「ケーキ、静香ちゃんの分も買ったんだぜぃ。お前からって言って届けてやるって、兄サマが」
「え?」
「モクバ、余計な事はいわんでもいい。住所が分かったぞ。携帯に送信したからよろしく頼む」
「余計な事じゃないよ兄サマ。って、はーい。じゃあちょっとオレ行って来るぜぃ。あ、城之内、静香ちゃんの分のキャンディ!」
「へ?あ、はい」
「これでよしっと。直ぐに帰ってくるから!」
「ああ、頼んだぞ。気を付けてな」
「任せといてよ!」

 そういうが早いが、何時の間にかケーキ配達人と化したモクバは危なげない足取りで店の脇道へと入っていく。どうやらその道を通った反対側の通りにいつもの悪目立ちする黒塗りの車が控えているらしい。特にその姿を見送る事もなく、飄々とした態度で城之内の携帯を閉じていた海馬は、既に無用になったらしいそれを再びこちらに差し出した。それを受け取るよりも早く、城之内は今度は自分から海馬の手を掴んでしまう。

「なぁ、今のどういう事?お前、静香にもケーキ買ってくれたんだ?」
「オレではない。モクバが買えと言ったんだ」
「嘘吐け。瞬き増えたぞ今。……つーかありがとな。オレそんな余裕全然なくってさ。静香にプレゼントもあげられなくって」
「たかだか数千円のケーキごときに恩を感じられては迷惑だ」
「まぁそう言わずに。人の感謝の気持ちはちゃんと受け取っておけよ。な?」
「……煩い」
「可愛くねぇの。それにしても、モクバケーキ三つ持ってたけど、あんなにどうすんだよ。静香んとこは母親と二人なんだけど」
「後の二つは違う。一つはモクバが好きなのを買っただけだ」
「あ、そうなの?じゃあ後一つはなんだよ。お前の?」
「オレはケーキなど食べないと去年から言っているだろうが」
「じゃあ、誰の?あ、もしかしてオレの?!」
「……ブッシュ・ド・ノエルが食べたいと言っていなかったか?」
「え?じゃあ、アレは……」
「………………」
「マジで?!プレゼント?!うっそヤベェ!オレ超嬉しいんだけど!!」
「さ、騒ぐな凡骨。貴様は今サンタクロースだろうが!!」
「うあ、忘れてた。あ、でも今ちょっと人途絶えたみたい。子供いねーし」
「そういう問題ではない!」

 サンタクロースを独り占めしているという時点で既に道行く人の視線をさり気なく集めている事に気づいていた海馬は、慌てて中途半端に繋がった手を振りほどき、ほんの少しだけ距離を取る。また僅かに強くなってきた降雪に不明瞭になる視界の中で、それでもはっきりと分かるサンタクロースの満面の笑みに柄にもなく少し気恥ずかしくなった彼は、こほん、と小さな咳を一つして気持ちを切り替えると、遠くに見える小さな影を見つけつつ城之内に向き合った。

「まぁ、とにかく。今日は昨日のような事にはならないようにだけ気を付ける。だから、寄り道せずに帰って来い。わかったな」
「わー相変わらず威張りんぼうですねー。了解しました。今日は海馬くんがおねむにならないうちに帰ります。ケーキ楽しみだし!」
「ほう、楽しみなのはケーキだけか」
「んな事あるわけないっしょ」
「貴様は馬鹿だから大丈夫だろうが、風邪は引くなよ。移されたくない」
「わかったけどー、もうちょっと優しい言葉で言ってくれてもバチあたんねぇんじゃねぇの?」
「フン、頭に雪を乗せて何を言っている。間抜け臭いぞ」
「お互い様だろ。お前こそ風邪ひかねーうちにとっとと帰れ」

 自らのそれと同じように徐々に赤く染まっていく白い指先や頬にやや気遣わしげな視線を向けてそう言ってやると、海馬は小さく笑って帰ってきたモクバの元へ行くべく踵を返す。そして城之内の元から離れる一瞬、ぎゅ、と強く手を握り締めてきた。それは本当に一瞬の出来事で、気が付けばその姿は雪と人に紛れて見失ってしまう。

 それに喪失感を感じる事無く逆にやる気を貰った気がして、城之内は半分手放していた荷物を再びしっかりと担ぎあげると、呼び込みを再開しようとした。が、それよりも少し早く、城之内が海馬と話していた時間ずっと忙しく立ち動いていたもう一人のサンタクロースが抗議に来る。

「おい、城之内!!お前何さぼってんだよ!!オレちょっと休憩してくるからな!寒くってやってらんねーよ!」
「うん?あ、悪い悪い。オレこれから頑張るからゆっくり休んで来ていーよ」
「うぇ?何いきなりやる気だしてんだよ気持ち悪いな。つーかお前今誰かといちゃついてなかったか?雪で良く見えなかったけどさ」
「あー、うん。彼女がケーキ買いに来てくれたからさ。嬉しくて」
「はぁ?!」
「というわけで、オレ今元気100倍。さ、ケーキ売りまくるぞー!」
「やってらんねーっつの!」
「あ、そういえばメリークリスマスって言うの忘れた。まぁいっか。後でで」

 お前ふざけんな!と、言う同僚の声も何処吹く風で、城之内は雪塗れになった体でも寒さを感じる事無く、全開の笑顔で周囲の通行人に愛想を振り撒き始めた。

 徐々に輝き出すイルミネーションの青い光が、雪の町を幻想的に彩り始める。

 サンタさん!の呼び声に、城之内は身を屈めて子供の掌にキャンディを一つ、握らせた。

 

5


 
「お疲れー」
「ほんっと今日は疲れたよなー。もう寝たい」
「あれ、彼女のところに行くんじゃないんですか」
「うるせぇ。さっきからニヤニヤしやがって気持ち悪ぃな!」
「だって幸せだもーん」
「あークソッ!目障りだからとっとと帰れよ!」
「言われなくても帰りますよーだ」

 辺りもすっかり暗くなり、親子連れの姿が徐々に少なくなって来る時刻。城之内は既に見る影もなくよれよれになった衣装を脱ぎながら、器用に携帯を操っていた。その表情は誰がみても幸せそうだ。今日は開店前からの早番だった為、昨日よりも大分早く帰れる事に自然と浮き足立ってしまう。

 同僚の僻み全開の嫌味節を聞き流しながら、軽快な指先が紡ぎ出すのは『今終わったから直ぐに帰る。寝るなよ』の一文だった。それに直ぐに返って来た『しつこい!』の一言に、口元の笑みを更に深め、ジャケットを羽織る。

「なー、電車とバスと徒歩、どれが早いと思う?」
「あ?そうだなーさっきテレビみたら、大雪で電車もバスも超混みで遅延してるって話だぜ。地下鉄は大丈夫だけど、お前んち関係ねーもんな」
「そっかぁ」

 未だ降り止む事のない雪を恨めしそうに見つめながら、城之内は大きな溜息を吐く。ここから海馬邸まで、交通機関を使えば30分程度の道のりだったが、歩くとなると一時間はゆうに掛かってしまう。今朝も大分時間に余裕を持って出た筈なのに結局電車もバスも当てにならず、地道に歩いた結果店に着いたのはギリギリだった。

 どうせなら一秒でも早く飛んで帰りたいのに、この雪じゃ仕方ない。疲れてくたくただけれどこの後のパラダイスを考えたらそんな事は言っていられない。そう思った城之内は、帰り間際に入れた苦い珈琲を一気に飲み干すと、周囲に声をかけつつ店を出た。

「うあ、やっぱ寒いなー」

 上を向きながらそう呟くと、白い息が空にとける。それに即座に悴んで動かなくなりそうな両手をポケットに突っ込んで、城之内は黙々と歩き出した。しかし、数歩歩いた所で右手で握り締めたままの携帯が大きく震えて立ち止まる。その場でカチリと開いて見ると、メールが2件。その中でも上に現れた見慣れた名前に、思わず寒さも忘れて指を動かすと、そこには城之内と同じく幸せ一杯の笑顔の写真と共に、こんな言葉が表示された。
 

『お兄ちゃん、凄いクリスマスケーキありがとう。お母さんと大事に食べます。メリークリスマス!』
 

 静香が綺麗に写りこんでいることから、この写真を撮ったのはもしかしたら母親なのかもしれない。あの店にしては高額の部類に入る、チョコレート製のクリスマスケーキは小さなテーブルの上に置かれてしまうとなんだか妙な圧迫感があって、どう考えても二人で食べる大きさではない。お前、もう少し相手の家庭環境考えろよ。そう噴出しつつも心の中では感謝の気持ちで一杯になった城之内は、即座にそのメールに返事を書いた。
 

『あぁ、それ、青い目のサンタクロースさんから。食べ過ぎて腹壊すなよ』
 

 しかしあいつにサンタクロースって似合わないなー。しかめっ面だもんないっつも。

 ふと思ったそんな事に自分で笑いを誘われつつ送信ボタンを押した彼は、ほぼ同時に来たらしいもう一つのメールを開けようと指を滑らせる。が、その前に背後から訪れた衝撃にそのメールはついぞ開かれる事はなかった。

「迎えに来たぜぃ、城之内!」
「モクバ?」

 ぶつかったついでにぎゅ、と強くしがみついて来たのは先程別れたばかりのモクバだった。彼はこの雪の中弾むような足取りで城之内の前に回りこむと、突然の事に心底驚いているその顔を覗き込んで、悪戯っぽく笑う。

「え、なんで吃驚してんだよ。兄サマがお前にメールしたろ?見てないの?」
「あ、そうなの?じゃー今見ようとしたメールがそれだったんかな」
「なんだよお前トロいなぁ。今日はこの雪で交通機関が麻痺してるから、迎えに行ってやれって兄サマが言ったんだぜぃ。本当は車だけ寄越すつもりだったけど、オレが行くって言ったんだ。お前気付かないと悪いしさ」
「そっか。サンキュー。しっかし自分で来ないところがあいつらしいよな。弟をパシリに使うかふつー」
「あはは。兄サマが素直にそんなことすると思う?」
「いんや思わない」
「とにかく、帰ろうぜ。待ってるみたいだから」
「はいはい。まーた待たせて寝落ちされたら切ないもんな」
「今日はオレ、兄サマとずっと一緒にいたから、夜はお前に譲ってやるよ。ごゆっくり」
「それはそれはお気遣いどーも」
「明日も兄サマ休みだからね」
「マジで?!超嬉しい!」
「だからって何してもいいって訳じゃないんだからな」
「ちょ、何してもいいとかすげぇ事言うなよ。このマセガキ」
「なんで顔赤くするんだよ。オレ別に変な事言ってないだろ。城之内ってばやらしー」
「っかー!にくったらしい!兄サマに言いつけてやる!」
「言いつければ?兄サマはいつでもオレの味方だぜぃ」
「だろうなぁ。彼氏としてはちょっぴり切ないぜ……まぁ、とりあえず、行くか」
「うんっ」

 流石に雪の降り積もる中、動きもしないで立ち話は寒いもので、防寒服を着ている自分はともかく先程とは違ってどう考えても屋敷にいたそのままの格好で出て来ているモクバに風邪を引かせてはいけないと、城之内は何時の間にか強く握ってくるその手を取ると『お迎え』が来ているという場所まで歩いていった。

 こんな大雪の中でも一際目立つ黒塗りの車は相変わらずの存在感で、その中に乗り込もうとしている極普通の格好をした子供二人に通りがかった人々の視線がさり気なく寄せられる。それに少しだけ苦笑すると薄らと積もった肩や頭の雪を払いつつ、二人はさっさと車内へと身を滑らせた。

「今日はどうだった?ケーキの売れ行き」
「まークリスマスだからな。それなりの数捌けたんじゃねぇの」
「静香ちゃんの所に無事ケーキ届いたかな?」
「あーさっき写メ来てたぜ。すげー喜んでた。ありがとな」
「そっか。良かった」
「でもなんだよあの大きさ。どう考えてもファミリー用だろアレ」
「大きい方がいいだろ、豪華で。どうせだからって兄サマが」
「ほんっと派手好きなんだか地味なんだか分かんねぇよなぁ。今年もサンタクロースやったんだろあいつ。新聞に出てたぜ。どうせするんならちゃんと名前出してやりゃいいのに。企業のイメージアップにも繋がるだろ」
「うーん、どうなんだろう。オレも良くわかんないけど、そういう意味で目立ちたいわけじゃないんだって」
「海馬ランドはあんだけ堂々と『クリスマスは無料!』ってやってんのにな。この不況のご時世に良くやるよ。KCってそんなに儲かってんのか」
「んなわけないだろ。どこも一緒だよ。だから兄サマくたくたになってたんだろ」
「………………」
「でも、絶対に無理な事はやらないから、お前が心配する事は何もないんだぜぃ」
「うん」

 それでも、海馬は夜中まで起きている事が出来ないほど疲れていた。持ち上げた体がほんの少しだけ軽かった。無理はしていない、といいつつもそれは最早ただの口癖だから。鵜呑みにしてはいけないと、そう思う。

 とりあえず、今日は優しくしてやりたい。今年もサンタクロースご苦労さんって言って多分嫌がるだろうその身体を力一杯抱きしめてやろう。そうする事によって、自分もまた癒されるから。大変だったバイトの疲れなんかどこかに行ってしまうだろう。
 

「なぁ、モクバ、お前はサンタクロースっていると思う?」
「……なんだよ急に。サンタクロース?」
「うん。オレはさ、いると思うんだけど。ていうかいる」
「はぁ?お前、いくつだよ」
「だってさ、オレの恋人、サンタクロースなんだぜ?」
「……あぁ、そういう事。って事はオレは兄サマがサンタクロース?」
「そうそう」
「なんか、変な感じ」
「でも、そう考えるとすげぇだろ?」
「確かに、凄いよな。まぁ兄サマはサンタクロースにぜーんぜん見えないけどね」
「でもオレは大好きなんだぜ。仏頂面でもさ」
「はいはい。オレに言うなよ」
 

 ほんっとお前ってやらしーよな。

 なんて呆れた声を思い切り投げ付けられたけれど、城之内は緩みっぱなしの頬を引き締める事なく、至極楽しそうに車窓の外を眺めていた。

 何処からか聞こえる、スピーカー越しのジングルベルに、思わず鼻歌で合わせながら早く海馬邸に着けばいいのに、と心の中で呟いた。
 扉を開けた瞬間から全身に感じた暖かな空気に、漸く心の底から力が抜けた城之内は思わずその場で思い切り伸びをした。いつ見てもかなり大きく広いこの屋敷はどこにいても快適で玄関から一歩内部に足を踏み入れるとまるで別世界だ。

 ここに来ると今が凍えるような真冬の季節だという事を忘れるんだ。そう城之内が呟くと、モクバはそうだね、と軽い調子で同意した。そして直ぐにオレの荷物を奪い、クリーニングするものとそうでないものを手早く分類すると、何時の間にか近間に控えていたメイドに「宜しく」と言って預けてしまう。それらは明日の朝、元よりもかなりいい状態できちっと返却されてくるのだから凄い事だと思う。

「なんかいっつも悪いよなー」
「今更何言ってんだよ。いいから早く兄サマの所に行けば?オレ、もう夕食食べちゃったし、自分の部屋に戻るから」
「え?お前もう来ないの?」
「え?邪魔していいの?」
「いや、よくない」
「なら言うなよ。それじゃ、また明日な」
「おう、色々ありがとな」
「どういたしまして」

 そういって盛大な笑顔を見せつつ、ひらひらと手を振りながら自室へと向かうその背を見送ると、城之内は大分軽くなった鞄を片手にどこか勿体ぶる足取りで館の主の部屋へと歩いて行く。

 クリスマスという事で休暇でもとらせているのか、いつもは必ずすれ違う使用人達の誰とも顔を合わせずに目的の場所まで辿りついてしまうと、一瞬ノックをしようか迷った挙句、持ち上げた手はそのままドアの取っ手にかけられた。そして、小さな音と共に引き開ける。

 すると篭った暖かさと共に無音だった昨日とは違い控えめなテレビの音声が聞こえてきた。直ぐにソファーへ目を向けると、そこにはちゃんといつもの姿勢で座している海馬の姿。彼は城之内が入って来た事に気付かないのか、膝の上に乗せた雑誌に目線を落としたまま動かない。けれど、ページを捲る動作をしている事から眠ってはいないようだった。

 当たり前だと思いつつ、城之内はどこかほっとしたようなただそれだけで凄く嬉しいような、そんな幸せな気分になる。

 何気なくその場に立ち尽くし、自分の存在をどう伝えようか数秒悩んだ城之内は、結局すぐに声をかける事はせずにそっと海馬の傍まで近寄ると、ソファー越しに両手を伸ばして徐にその身体を抱きこんだ。
 

 瞬間、声にならない声を上げて、海馬の身体がびくりと跳ねる。
 バサリと落ちた雑誌のページが完全に閉じてしまう前に、身を屈めて白い頬に唇を押し当てた。
 

「ただいまー!待った?」
「き、貴様いきなりなんだ!驚いただろうが!」
「そりゃー驚かせたんだもん。当然だろ?……あーもう今日は一日長くって大変だったぜ。お疲れ様は?」
「そんなものを強請るか普通」
「だって、おかえりもいってらっしゃいも言ってくんなかっただろ?」
「……そういえばそうだったな」

 言外に昨夜の事を匂わすと海馬は予想通り素直に頷いて顔を上げ、己の頬に当たるまだ幾らか濡れている髪をその頭ごと掌で包み込むと、自ら首を捻って外から入って来たばかりで冷たくかさついているその唇にキスをした。

 軽く触れ合わせるだけだったはずなのに、暖かく湿って柔らかいその感触が酷く心地良くて、城之内はすぐに身を伸ばしてもっと深く口付ける。舌を伸ばししっかりと絡め合わせ、呼吸の合間を縫って幾度も繰り返す。

 互いにお世辞にも楽な姿勢とは言い難かったが、それでも彼等は長い間そうして一日分の隙間を埋めあった。背後に流れる淡々としたニュースキャスターの声は、何時の間にか聞こえなくなっていた。

「今日は甘い物は食べなかったんだな」
「ああうん。これから一杯食べるから、外では我慢してた」

 お前そうやって人の口の中分析するのやめろよ。城之内は僅かに離れた唇の間に光る唾液の糸をついと拭って、生真面目な顔でそんな事を言う海馬に笑いながらそう言ってやる。それに肩を竦めつつ薄らと微笑んだ彼は窮屈な姿勢を元に戻して、床に落ちた雑誌を拾い上げた。ちらりと見たそれは珍しく経済関連のものではなく、海馬が「仕事をしない」という約束をきちんと守っていた事を知り余計に嬉しくなる。

 偉いなぁ。そう言って頭でも撫でてやろうと思ったが、どちらかと言えば嫌がられる可能性が高い為、とりあえずはそう思うだけで我慢した。

 そんな城之内の心境を知ってか知らずか再び後ろを振り仰いだ海馬は、常と同じく淡々とした口調で「それで、どうしたい?」と聞いて来た。主語がないその言葉はいかようにも解釈できるが、それをどう受け取ろうがさして文句も言わないのだろう。まぁ、これだけ長い付き合いをしていれば彼が言わんとしている事など手に取るように分かるもので、けれど敢えて分からない不利をするのもなかなか楽しい。

 そう思った城之内は、弾みをつけてソファーの背から身体を離すと、ぐるりと横から回り込み、今度は座る海馬の前に立つ。その動きに合わせてこちらも姿勢を戻してゆっくりと見上げて蒼の視線を静かに見下ろし、意味有り気にその両肩に手を置くと、まるで悪戯を仕かける子供の様に口を開いた。

「どうしたいって、何を?」
「何をって、だから」
「なんかすげー特別な事でもさせてくれんの?サンタコスでエッチとか。さっきモクバにクリーニングって出しちゃったけど、使うんなら持って来よっか?上だけ」
「は?!ち、違う!オレが言いたいのは、食事がしたいのか風呂に入りたいのか……とにかくそういう意味で聞いたんだ!というかなんで上だけだ!」
「だって下はいたらエロくないじゃん。って、お前真面目に返すなよ。つか、今の選択に一番肝心なものが入ってないんだけど。今すぐやる、とかはないわけ?それと、お風呂は一緒じゃないの?」
「馬鹿か貴様。オレはとっくに入ったわ」
「なぁんだ。つまんねぇ。もう一回入ろうぜ」
「嫌だ。下らない事を言ってないでさっさと選べ」
「だから一番やりたいのがー」
「それは最後にしろ!」
「分かってるんじゃん。ったくだったら最初っから二択にしろよなー。じゃあさ、とりあえず寒いから風呂に入ってくる」
「そうか。行って来い」
「お前も一緒……」
「断る!」

 最後までしつこくその言葉を繰り返すと、長い腕が伸びて来てパチンと小気味いい音と共に城之内の額に小さな痛みが走る。それすらもどこか甘さを含んだ刺激にしかならなくて、余りにも望んだ通りの反応にすっかり気を良くした彼は笑いながら海馬の前を離れると素直に、浴室へと歩き出す。

 部屋を隔てる扉を閉める前にちらりと海馬を振り返ると、彼はテーブルの上に置き去りになっていた子機を手に取り、素っ気無い口調で何処かへ連絡を取っていた。料理、という単語が聞こえた事から、この隙に準備でもするつもりらしい。自分がこの部屋に帰って来る頃にはあの何もないテーブルにまるで魔法のように豪華なご馳走が並んでいるのだろう。それを考えるだけで自然と浮き足だってしまう。

 その喜びを苦労して身の内に押し込んで扉を後ろ手に閉めた城之内は、それまでよりも大分早い足取りでその部屋を後にした。
「うわ、すっげぇ!!なんだこれ?!」
「……凄いのか?」
「え?凄くないの?!すげぇじゃん、これ去年よりも豪華じゃね?!」
「そうか?オレには良くわからん」
「お前はこういうの見慣れてるからだろ。やべー、超嬉しい!いっただきまーす」
 

 殆ど烏の行水で済ませてしまった入浴の後、部屋にとって返した城之内を待っていたのはまるで映画やテレビドラマの世界でしか見た事のないような、素晴らしい料理の数々だった。挨拶もそこそこに早速それらに手を付け始めた城之内を半ば呆れて眺めながら、海馬は申し訳程度に取り分けた自分用の料理を緩慢な動作で咀嚼していた。その様を目ざとく見つけた城之内は、骨付きチキンを手にしたまま、口を尖らして指摘する。

「お前さぁ、こんなに美味いメシそれっぽっちしか食べねぇとかどういう事だよ」
「……オレはもうモクバと共に夕食は取ったのだ」
「嘘吐け。絶対そういう事しない癖に。何、食欲ねぇの?」
「別に、これが普通だ。貴様は口出しをせずにとっとと食べろ」
「食事ってのは楽しんでしなきゃ美味しさも半減するんだぜ。お前がそういう食い方してると、なんか楽しめないんですけど」
「煩いな。気にするな!」
「無理。気になるんだもん。ったくしょーがねーな。オレが食わせてやろうか?よいせっと」
「いらん!余計な世話だ!……こっちに来るな!」
「お前子供じゃねんだから駄々捏ねるなよ。可愛いなー」
「気色悪い事を言うな!」

 広いテーブルを挟んで向き合っていた二人だったが、城之内のおせっかいの所為で何故か並んで座るハメになり、気がつけばほぼ触れ合っているという状態で風呂上りの暖かい身体がそこにあった。それに心底鬱陶しがる海馬とは裏腹に何が楽しいのか笑顔全開の城之内は、相手の意向などまるで無視でつい今しがたまで自らの口の中に入っていたフォークで目の前の肉料理を突き刺すと、徐に海馬に向き直る。それに思い切り引き気味の身体を容赦なく引き寄せて、殆ど無理矢理フォークを眼前の口の中に突っ込んでやる。

「ほらー美味しいだろ?」
「確かに不味くはない。が、別に食べたいとは思わん」
「お前が思わなくても入れれば入るんだから食え。オレもお前が食べてくれた方が美味しいし」
「関係ないだろうが」
「関係あるんだってば。あのな、お前が一生懸命に仕事して色んな人を幸せにしたり、サンタクロースになってみたり、そういうのって凄く偉いと思うよ。でもさ、そういう事をしてる本人が、殆ど眠れなかったり、メシもロクに食えないような生活をしてるんじゃー素直に喜べねぇよ。そうだろ?無理をしてまでやって欲しいなんて、誰も思ってないんだからさ」
「……別に、無理などしていない」
「お前がそう思っても、オレにはそう見えないから言ってるの。昨日の事だってそうだろ」
「………………」
「オレ、何も怒ってそう言ってるんじゃないぜ?本当に、心配してんだ」
 

 お前が色々と他人に気を回す分のほんのちょっとでいいから自分の事を考えてくれるとすげー嬉しいんだけど。
 

 未だフォークを手にしたままでそんな事を言う城之内の顔を呆然とした表情で見返しながら、海馬は改めて眼前の顔や自分の身体、そして直ぐ傍に並べられた沢山の料理に視線を流す。つい先程までは全くと言っていいほど食欲など沸かなかったが、真剣な顔で真摯な言葉をかけられると、不思議な事に少しだけ……本当にほんの少しだけ、口にしてみようと言う気になってくる。

 そうする事で、僅かでも隣にいるこの男の機嫌を向上させる事が出来るのなら、とそんな殊勝な心がけになっている事は本人は気づいてはいなかったが。
 

「な?今日はクリスマスなんだから、特別って事で」
 

 海馬のそんな気持ちなど特に気にもせずに、何が特別なのか具体的には言わないままそう強引に話を持って行った城之内は、それ以上何も言わずにただ黙って別の料理に再びフォークを伸ばし、海馬の口元まで持ってくるという作業を遂行した。結果、常の倍の時間をかけて彼は二人分の食事を海馬の協力の元一人で綺麗に片付けてしまった。

 最後は殆ど使われる事がなかった海馬のフォークに残っていた肉の一欠片にまで手を伸ばし、色んな意味で大満足の夕食を終えたのだった。
「美味しかったー幸せー!お前も結構食べたじゃん。偉い偉い」
「……お陰で胸焼けがするんだが」
「大丈夫大丈夫、普通の人の半分位しか食ってないから、その内直るって」
「貴様の底なしの食欲に気分が悪くなったわ。何故まだ食べている!」
「へ?だってスウィーツは別腹じゃん。お前の買ってくれたブッシュ・ド・ノエル、最高だぜ?食う?」
「……いらない。近づけるな」
「ほんっと甘いもん嫌いなんだなーキャンディは舐める癖に」
「今年はまた随分な量を持って来たな」
「去年三つだったから、今年は三倍にしてみた。大事に食えよ」

 食べきれない時は協力してやるからさ。そう明るい声で口にした城之内の唇の端には茶色のチョコレートクリームがついていて、ケーキ皿に付着した残骸まで丁寧に掬って完食を果たした彼は、両手を合わせて「ごちそう様!」と深々と頭を下げた後、それまでの賑やかさとは打って変わって隣の海馬を振り仰いだ。
 

 入浴も済ませたし、食事もした。後、彼等がする事は、ただ一つだ。
 

「あれ、何笑ってんの?余裕じゃん」
「別に」
「オレさ、去年のクリスマスも人生で一番幸せだって思ったけど。今年はその記録更新したかも」
「それは良かったな」
「来年は、もっと幸せになりたい」
「そうか。精々頑張るがいい」
「……なぁ、だからなんで笑ってるんだよ。今すげーいい事言ってるのに。しまらねぇな」
「貴様の顔に……」
「え?オレの顔?」
「ケーキの残骸がついてるから、おかしくて。間抜けすぎる」
「ちょ、そこかよ!そういうのは黙ってなんとかしろよ!お前ほんっと性格悪いな!」
「だが好きだろう?」
「うん」
「オレも好きだ」
「うん、知ってる」
「その残骸なら、舐めてやってもいいと思う位にはな」
 

 その言葉の最後が城之内の耳に届く前に、柔らかな舌がクリームに塗れた口の端を掠めて唇が塞がれた。ついで回される細く長い腕の感触に、城之内は心底喜びと幸せを感じながら、こちらも負けじと眼前の身体を抱き締めた。仄かに香る甘い香りと互いの口内で感じるチョコレートクリームの味。しっかりと伝わる暖かな体温と相まって、それは二人に例えようもない心地よさを与えた。

 出来れば、ずっとこうしていたい様な、直ぐにでも場所を移して邪魔な衣服を取り払いたいような、そんなもどかしい感覚と共に。
 

 クリスマスの夜は長い。

 プレゼントを配り終えたサンタクロースは、これから恋人と穏やかな時間を過ごすのかも。
 

 僅かな合間を縫ってそうぽつりと呟いた城之内の言葉に二人は同時にくすりと笑って、もう何度目か知れない深い深いキスをした。


-- End --