Act6 後片付けは並んで肩を寄せながら

「モクバが喜んでくれて良かったな」
「あぁ。一番楽しそうだったのは貴様だけどな」
「確かに凄く楽しかったぞ。またやりたい」
「その不器用さを少し改善してからにしてくれ。指が無くなってからでは遅いからな」
「心配してくれているのか」
「我が家でそんな事件を起こして欲しくないだけだ」
「素直じゃないな」
「煩いな。怪我人は向こうに行っていろ!」
「お前一人では寂しいだろう?」
「寂しくないわ!邪魔だと言っている!」

 バシャ、と激しい水音と共に洗剤が大量に混じったお湯が隣に立つ男の顔へと盛大に降りかかる。悪戯っ気の多分に含んだ顔が見る間に泡だらけになり、微妙な悲鳴を上げた男は慌てて瀬人に縋りつき、そのエプロンで顔を拭く。

「ちょ……!何故オレのエプロンで顔を拭くのだ!」
「お前が人の顔を泡だらけにするからだ。いきなりはやめろ」
「されたくなかったら人の周りをうろうろして邪魔をするなと言っている!」
「モクバももう寝てしまったし、暇なのだ」
「知った事か。大体何故オレが一人で片付けをしなければならないのだ」
「仕方ないだろう。濡らすなと言われているのだから」
「本当に役に立たないな貴様!」
「大丈夫だ。指を使わなくてもお前を抱いてやれる」
「誰もそんな心配はしていないわ!むしろ治るまで大人しくしていろ!」
「たまには雰囲気を変えてここでとかどうだ?」
「尤も衛生面に気を使わねばならない場所でふざけた事を考えるな!」

 そのままドサクサに紛れて瀬人を背後から抱き締めた男に対して瀬人は「ああもう鬱陶しい!離れろ!」と大いに暴れるが、その腕は頑として離れようとはしなかった。鬱陶しいと口にはするものの、その実背中をすっぽりと包む温もりは妙に心地良く、三つ編みを解いて元に戻った長髪のさらりとした感触が頬をくすぐる。幾ら身を捩っても離れそうにないその身体に、瀬人は殆ど諦めた様子で溜息を吐くと、それ以上抵抗するのを止めにした。

 広い厨房内に、水音と食器がぶつかり合う甲高い音が響く。

「なぁ、瀬人」
「うるさい。離れる気がないのならせめて黙っていろ」
「お前の誕生日には何が欲しい?」
「は?」
「だから、お前の誕生日にはどんなプレゼントが欲しいのかと聞いている」
「何故突然オレの誕生日の話になる……?」
「いや、モクバの誕生日をこうして祝ったのならば、お前の誕生日も祝ってやろうかと思って」
「余計な世話だ。オレはもうそんなものに頓着するような年ではない」
「年は関係ないだろう。何歳になっても、生まれた日というものは大切なものだ」
「どうでもいい、そんな事」
「どうでも良くなどない。少なくてもオレにとっては」

 ふわりと男の気配が背から離れ、それまで腰に巻きついていた腕が極自然な動作で肩に触れる。何を、と瀬人が顔を上げ、今は綺麗に漱いでただ濡れているだけの皿を水の中に戻そうとした瞬間、唇が塞がれた。チャポン、という音と共に皿が水の中に沈み、濡れた瀬人の手はそのままシンクから取り上げられてしまう。

 何時の間にか瀬人とシンクの間に割り込んで来た身体は、真正面から瀬人を抱き締め、そして熱心に唇に吸いついた。シンクの中から聞こえる音とは全く違う種の水音と、途切れ途切れに聞こえる吐息が二人の間で熱く弾む。

「……ぁっ、少し、待てないのか!邪魔をするなと……言っている……っ!」
「お前は器用な癖に手際が悪い。もう待ちくたびれたぞ」
「勝手な事を言うな、そこを退け!」
「紅い顔をして唇を濡らしたまま言われてもな」
「うるさい。今度こそ思いっきり水をかけてやるぞ!」
「本当に可愛くないな」
「可愛いなどと思われなくて結構だ!」

 殆ど力の入らない身体でそれでも精一杯の余力を絞って眼前の男を押しのけると、瀬人はさっさと皿をシンクから引き上げて、それまでの倍のスピードで全ての作業を終えてしまう。収納してある場所までは分からないので、食器をそのまま水切りに放置して布巾を些か乱雑に投げ捨てると、それでも懲りずに傍から離れない男を睨み上げた。

 その視線をも全く気にせず、待ってましたとばかりに手を伸ばしてくる男の額を軽く叩く。ペシッという小気味いい音が響き渡り、ついでギュッと服が擦れる音がした。後者の音は勿論男の仕業である。

「ベタベタベタベタ鬱陶しいわ!」
「先程の答えを聞いていないぞ瀬人。ちゃんと言え」
「欲しいものなど何も……!」
「なら、願いでもいい。何を望む?」
「………………」

 身体を完全に密着させて、わざとらしく人の耳元に息を吹きかけながらそんな事を言う、男の事を心底小憎らしく思いつつも、瀬人は言葉とは裏腹に直ぐ近くにあった頭部を両手で軽く抱いて小さな吐息を一つ吐いた。そして、本当に微かな声でとある願いを口にした。

 男の唇が瀬人の耳元からゆるりと動き、再び口元に戻って来る。そして、緩い弧を描いたままのそれはその熱を移すように小さな願いを呟いた冷たい唇を柔らかく覆った。

 抱き締める腕の強さと、口付けてくる唇の柔らかさ。
 誕生日になど、特に何が欲しいとは思わない。
 ただ一つだけ願うのは、こうした日々が繰り返される事だけだ。
 瀬人が小さく口にした『望み』はそんな些細な事だった。  

「意外に欲がないな」
「欲まみれの貴様と一緒にするな」
「ふん。それを好き好んで傍に置いている時点で同類という事だ」
「減らず口を叩いてないで、場所を移動するぞ。ここにはもう用がないだろう」
「そんなに待ちきれないか」
「いかにもオレが急かしているような言い方をするな、馬鹿が!」
「その前にモクバにお休みを言ってこよう。二人でな」
「……そういうどうでもいい所に気が回るのだな、貴様は」
「まぁな。最後の仕上げだ」

 ベッドに寝るモクバの頬に両側からおめでとうのキスでもしてやろう。

 そんな碌でもない提案に、それでも異を唱える事はせずに瀬人は先を行く男の手に引かれる形で歩き出す。

 幸せな家族の図。一般的なそれとは大分かけ離れてはいたものの、それでもモクバがそう捉えるのならばそれでもいい。そんな事を思いながら、瀬人は左手にある温もりを確かめるように手に少しだけ力を込めた。
 

 それに応える力強い指先に、どこか心安らぐものを感じながら。


-- End --