Act6 泣きわめく

「酷いと思わないか?!なぁ!瀬人!!」
「なんだ?!一体どうした?!」
「あーもーだからカイ、兄サマに訴えたってどうにもならないんだってー!!ホラこっち来て!タオルタオル!お前布びしょびしょじゃん!」
「何があったんだモクバ。何故こいつが号泣している」
「……あー、何がって説明するのもなんかちょっとアレなんだけど……」
「人間は醜い!!」
「は?ちょ、貴様ドサクサに紛れて人の膝に乗るな!頭を伏せるな!濡れた顔を擦りつけるな!!気持ち悪いわッ!」

 それはとある休日の夕方の事。何の前触れも無しに突然部屋に飛び込んで来た男は入室早々何故か泣きながらオレの元へとやって来て、こんな訳の分からない事を終始喚き散らした。

 余りの事態に面食らっていると、今までヤツと共にいたらしいモクバが慌てたように駆け込んで来て、ヤツを必死に宥めている。普段頗る仲のいい二人だけに喧嘩するなど珍しいな、等とどこか他人事の様にそのやりとりを眺めていた結果、どうやらヤツの号泣の原因はモクバとの喧嘩ではないらしい事が判明した。が、それ以上はやはり分からない。

 そもそもこいつが涙を流す、などという現象を起こした事自体始めてなのだ。何にスイッチが入るかなど分かるはずもない。というか泣けたのかこいつ。

「別に詳しく聞きたくもないが。それはどういう意味の涙なのだ」

 相変わらずデカイ図体で人の膝を陣取り、ぐずぐずと泣きながら(ただし決してその姿に『可愛い』とか『可哀想』などという感想は抱けない)訳の分からない事を喚き続ける男にいい加減業を煮やしたオレは、とにかくこの鬱陶しい有様をなんとかしようと考えた。とりあえず原因を追究しない事には泣き止ませる事も出来ないからだ。

 姿形はそれなりに立派な男だったが、中身もそうとは限らない。実際共に過ごしてみるとある部分では成人した人間の知性を感じるところもあるが、極端なところでモクバなどとは比べ物にならないほど子供な面もあったりする。

 故にヤツの内面はそれはほとんど未知の領域だ。こればかりは経験を経て学習していくしかない。今回のこれも考えようによってはその一つとなるだろう。

 オレは内心そんな事を思いながら大きな溜息を一つ吐くと、既にしっとり湿ってしまった右肩を忌々しく思いつつ、これ以上被害が拡大しないように、ぐっとその顔を額を視点に持ちあげる。それにヤツは漸くゆるりと顔を上げたが、例の布が邪魔をして表情はよく分からなかった。

「……どういう意味とはなんだ」
「いやだから、種類というか……悲しいとか悔しいとか痛いとかあるだろうが」
「……全部だ!」
「なんだそれは」
「一番大きいのは怒りだな!」
「だから何にそんなに怒っているのだ」
「人間にだ!」
「……駄目だ。全く話が通じん」

 ヤツの答えはまさに意味不明。受け答えが合っているのかどうかすら分からない。オレは次の言葉すら紡げず、いよいよ対処に困ってこいつを持て余し始めたその時だった。それまでオレに負けじと劣らない困惑顔でこの事態を見守る様に立ち尽くしていたモクバが、殆ど恐る恐ると言った風に口を出して来た。

「あーあの、あのね兄サマ。カイは……えっと」
「?……なんだ、モクバ」
「こいつさぁ、今までオレと……」
「パトラッシュが可哀想だろうが!なぁ?!」
「── はぁ?」

 モクバの声を遮る形で殆ど絶叫じみた声を上げた男は、そのままネロだのおじいさんだの訳の分からない単語を矢継ぎ早に口にする。

 パトラッシュだと?なにやら聞き覚えるのある単語だがそれとこいつの号泣がどう繋がるというのだ。全く分からん。オレは助けを求めるように、最早意味不明の塊となった膝の上の男を無視する形で、傍のモクバの顔を見た。

 刹那、あっさりと……実に下らない回答が返って来る。

「兄サマ、こいつオレとさっきたまたまテレビでやってたフランダースの犬の総集編みたんだよ。ほら、昔アニメでやってたでしょ。世界名作劇場」
「……フランダースの犬、だと?」
「うん。それで、なんかしんないけどすっごく真剣になっちゃって。テレビに向かって文句言いまくりの泣きまくり。という訳」
「………………阿呆か貴様」
「瀬人は酷いと思わないのか?!」
「……いや、というか。興味が無い」
「よし、興味を持たせてやる。オレの話を聞け!」
「フランダースの犬位知ってるわ!知ってて尚興味がないと言っている!」
「お前もやっぱり人間だな!冷たすぎる!」
「当たり前だ!!血迷った事を言うな!!というかオレの上から降りろ!!」

 真相を知ってしまうと余りにも下らないそれに思い切り脱力したオレは、心底馬鹿馬鹿しいと思いつつ、未だ人の膝の上に陣取っていた意味不明の塊から鬱陶しさの塊へと変化した男を突き落とし、以降完全無視を決め込んだ。

 全く持って時間の無駄だった。下らな過ぎる!!

「モクバ!お前の兄は冷徹人間だな!!」
「はいはい。もー分かったから部屋に帰ろうぜ。今度はもっと楽しいやつみよう。な?」
「モクバ、名作劇場系はやめておけ。影響されるらしいからな」
「はーい兄サマ。ヒーローものにしておくぜぃ」
「ほどほどにしろよ」
「うん、嫌という程わかったからもう大丈夫」

 それから暫く何かを続けざまに叫んでいた男をモクバに撤収させ、漸く静かになった室内で、オレは途中で放り出していた書類に手を伸ばし、何事もなかったようにそれに目を通し始めた。
 

 数時間後、今度は全く別の事で同じような事が繰り返される事をこの時のオレはまだ知らなかった。


-- End --