Act7 やっぱりこのサイズがいい

「確かに。嬉しい様な、残念な様な……複雑な気分だな」
「何の話だ」
「だから、何度も言うが。昨日一日お前は5歳の子供だったのだ」
「馬鹿馬鹿しい。寝言は寝て言え。そんなもの、貴様の見た夢の話だろうが」
「そうじゃない。証明してやるから後二時間程待て。モクバが起きて来る」
「ふん、モクバとグルになってオレを謀ろうとしたって無駄だぞ」
「誰も謀ってなどいない。本当の話だ。モクバだけじゃない。屋敷中の人間も、克也や遊戯だって皆見ている」
「嘘を吐け!しつこいと怒るぞ!」
「……可愛くない」
「何か言ったか」
「可愛くないと言ったのだ。昨日はあんなにもオレにべったりだった癖に。もう暫くあのままの姿でいれば良かった」
「煩いわ!」

 はぁ、という男の盛大な溜息に、瀬人のヒステリックな怒号が重なる。

 翌日の早朝、腕の重みに違和感を感じた男が目を開けてみると、そこにはあの小さな瀬人の姿はなくいつもの瀬人が常と変らぬ表情で穏やかな寝息を立てていた。

 結局原因は分からずじまいだったが、腕の中にすっぽりと納まっていた柔らかく温かな子供の身体は跡形もなく消え去り、細く冷たい、それでも愛しくてたまらない慣れた感触に、男は何処か寂しく思いながらも安堵と共に強くかき抱いた。

 その刹那、息苦しさにだろう起きた瀬人に、男は昨日一日の出来事を滔々と語って聞かせたのだ。

 未だに目の当たりにした当人も夢だったのか思えるほど非現実だった現象を、それを記憶に留めていない当人が受け入れられる筈もなく、瀬人は「起きぬけに何を馬鹿な事を言っている」と一蹴し、今に至る。

 男が真剣に話せば話すほど脳が拒絶するのか、段々と表情が険しくなる瀬人に、男は今更ながら映像にでも残しておけばよかった、と悔やむのだった。

「大体、そんな非ィ科学的な事がどうして起きる。そんなに簡単に退化したりするものか」
「だから、何度も言っているだろう。それが原因かは定かではないが、精霊界と人間界を繋ぐゲートが……」
「それ自体既に非ィ科学的だ!」
「だが、オレはここにいる」
「何?」
「お前は未だに精霊界を非科学的なモノと言うが。オレはこうしてここにいる。お前の前に」
「………………」
「それでも、お前はまだ信じられないと喚くのか」

 長い長い押し問答の後少しだけ疲労の色が見えた瀬人に、男は昨日遊戯が口にした言葉を思い出しながら、ぽつりとそう口にした。昨日のあの出来事が有り得ないと言うのなら、今自分と言う存在がこの場に在る事だって有り得ない。遊戯の中にもう一人の遊戯という存在がいた事も、この世に起こった不可思議な現象全てが有り得ない事になってしまうのだ。

 そんな、聞き様によっては脅迫めいた言葉を口にする男に、瀬人は暫し言葉を失った。そんな事を言われたのは初めての事だったからだ。

 何時もはあたかも自分は最初からここにいたと言わんばかりに自信たっぷりな笑顔を見せて鬱陶しいほどに絡んでくるこの男が、少し翳りのある切ない表情と共にそんな言葉を口にするとは。

 非科学的な存在。有り得る筈もない出来事。
 けれど、確かに『彼』はここにいる。自らの目の前に、確かな存在感を持って。愛していると馬鹿げた言葉を囁きながら。

「……っ、馬鹿馬鹿しい。それはそれだっ」
「不思議な出来事にあれもそれもないだろう?いい加減認めてしまえ。すぐに証明されてしまうのだからな」
「もうどうでもいいわ!だからなんだ!」
「いや、別にそれに対してどうこう言いたい訳じゃないんだが。お前が躍起になって否定するからつい……ともかく、昨日一日はとても楽しかったぞ。幼いお前はとても小さくて可愛らしくて……」
「もういい。今はデカくて可愛くもなくて悪かったな!戻らない方が良かったか?!」
「だから何故そう不貞腐れるんだ。オレは褒めているんだぞ?それに、まだ続きがある」
「もういいと言っている!」
「いいから聞け。確かにあのお前は酷く愛らしかったが、オレは今のお前に戻ってくれて心底良かったと思っている。そして、あのお前に会えた事も感謝している」
「……何故だ。どうせ碌でもない理由なのだろうが。子供には手を出せないだろうからな」
「勿論お前が言う様な理由もあるが、オレは、オレの手が決して届かない所にいたあの子に会いたかったのだ」
「………………」
「あの頃に出会えていたならば、何かが変わっていたのかも知れないと。そう、思っていたからな」

 そう、あの頃に出会えていたならば、瀬人の辛く苦しい人生も少しは変わっていたのかもしれない。

 モクバの願い通り、この瞳でも目の当たりにしたあの眩しい笑顔を今でもずっと持ち続けている事が出来たのかもしれない。でも、と男は自分の言葉に心の中で異を唱える。自身と瀬人が今この時に交わる事が出来たのも、全て意味があるからなのだ。

 過去でも未来でもなく今と言うこの瞬間こそが運命であり、奇跡でもある。そんな事を口にしたら下らんロマンチシズムだと一蹴されてしまうのだろうが、男は確かにそう思ったのだ。

「ふざけるな。そんな幼い頃から貴様の様な輩に付き纏われるなんて真っ平御免だ。鬱陶しい」
「そうだろうな。だから『今』なんだろう?」
「……先程から妙な事ばかり抜かすが、昨日一体何があったのだ」
「それをお前に話してやろうとしているのに、お前が違うだの煩いだの言うから話が進まないのだ」
「オレの所為にするな」
「怒るな。頭を撫でてやるから。それとも、手を繋ぐか?ぎゅっとするか?」
「なんの事だ!」
「昨日のお前がオレに再三要求して来た事だ。意外に甘え上手だったぞ。お前も少し見習ったらどうだ」
「知らんわそんな事!」
「とりあえず、手始めにぎゅっとしてやる。こっちに来い」
「近づくな馬鹿がッ!」

 大騒ぎする言葉とは裏腹に伸ばされる力強い手に特に抗う事もしないまま、瀬人はいつの間にか捕らわれてしまった腕の中で、小さな舌打ちを一つする。

 それは、彼の数多くある照れ隠しの一つである事を十二分に熟知している男は、昨日あの瀬人に見せた穏やかで優しい笑みを口元に乗せながら、その言葉通り強くその身体を抱き締めた。そして、さり気なく口づける。

 全身で感じる仄かな熱。痩せ過ぎて余り抱き心地は良くないがそれでも愛おしく感じるその姿に、男はやはり瀬人はこのサイズが一番いいと至極当たり前の事を心の底から思うのだ。

 あの小さな瀬人にしてやれなかった色々な事をこの瀬人には沢山してやりたい。大きなお世話だと嫌がられるかもしれないが、それはポーズだけなのだ。

 本当はして欲しいと願っている筈だから。彼の中にいる小さな瀬人が必死に手を伸ばして「して?」と声を上げたように。

「よし、瀬人。折角だから今日は甘やかしてやろう。何をして欲しい?」
「何をたわけた事を言っているっ!昨日一日をふいにしたのなら今日は仕事だ。離さんかっ!」
「あぁ、そう言えば克也がお前にメールを送ったと言っていたぞ?ちゃんとみてやれよ」
「凡骨からのメールなどどうでもいい!」
「やれやれ、やはり幼いお前の方が可愛かったな。始末に負えない」
「ならば貴様が出ていけ!」

 広い寝台の上で喧嘩腰でそんな言葉を交わしながら、それでも二人はその体勢から離れようとはせず、結局長い時間をそうして賑やかに過ごすのだった。

 後に瀬人は城之内から送信された一通のメールと、それに添付された画像を見て絶句する事になる。

 しかしその画像は彼の携帯から抹消される事はなく、特殊なフォルダの中にご丁寧にも鍵付きで保存される事になるのだ。

 心底嬉しそうに笑顔を見せて、男の首に縋りついている幼い自分を少し羨ましく思いながら。


-- End --