Act6 後遺症

「……えぇえ?今度は声が出なくなったぁ?!なんで?」
「今度はオレの所為じゃないぞ!」
「?……今度はって。元々お前の所為じゃないじゃん」
「……そうか。そうだな……って、痛いぞ瀬人。なんだ?」

 翌朝。モクバが瀬人の寝室を訪れてみると、昨夜よりも更に調子の良さそうな瀬人と、それに対峙する男がなにやら不穏な空気を纏わせて睨み合いをしている所だった。そんな緊迫した空気をもろともせず二人の間に割って入ったモクバは、直ぐに彼等がしかめっ面をつき合わせている原因を知る事になる。

「あぁ、なんでも、瀬人が声が出ないと騒いでいてな」

 モクバがとりあえずと言った調子で男に事情を尋ねると、さらりとそんな返事が返って来た。

 その軽い態度が酷く癪に障ったのだろう、眼下の瀬人はキッ!と音がしそうな程鋭い眼差しで男を睨み、指を差して必死に何かしら言葉を紡ごうと努力するのだが、いかんせんその口からは僅かな呼吸音が漏れ出るばかりで意味がない。

 仕方なくモクバは瀬人から何かを読み取る事を諦め、男との会話に集中した。けれど真新しい情報は特になかった。男曰く、朝起きた時点で既にこの状態で、原因は全く分からないのだという。

「とにかく、オレ今度は喉の薬貰ってくる……」

 結局今のモクバに出来る事はこれ位しかなくて、溜息混じりにそう呟くと剣呑な雰囲気を纏っている彼等を置き去りにして部屋を出て行ってしまう。パタン、と扉が閉められた瞬間、男は右手に感じる鋭い痛みに少々苛立ちを覚えつつも、先程から無言の抗議を続けている瀬人を再び見遣った。
 

「なんだと言っている。……何?それもオレの所為だといいたいのか」
「………………」
「昨日は何もしていないだろう。お前が一人で騒ぐから声が嗄れたんじゃないのか」
「…………!!」
「怒るな。そんなものは薬を飲めば一日で治る。仕事?ああ、仕事ならオレがお前の声の代わりをしてやろう。どうせ似ているのだから問題はないだろうが」
「……っ……!」
「大丈夫だ。任せろ。お前の事はオレが一番良く分かる」
 

 そんなわけで、その日男は瀬人に付き切りでその声の代理をする事となった。
 

 ……それは相手の声が出ない分酷く大きな独り言にも聞こえるが、一応会話は成り立っているらしい。途中何度も瀬人がペンと紙を取れ、とジェスチャーで訴えたのだが男は聞く耳を持たず、彼は瀬人の仕事も私生活においても全て『勝手に』理解して事を進めた。

 余りにも違う解釈には瀬人は表情と仕草で違う!と示すのだが、不幸な事に男にはそのサインだけは読み取れなかった。否、敢えて読み取れないフリをしていたのかもしれないが。
 

「あぁ、今日の会食はキャンセルしてくれ。というかあの会社の専務との同席は永久にキャンセルだ、いいな」
 

 瀬人が、ではなく男が気に入らない相手からの誘いをいい機会だと悉く断ってみたり、瀬人が難色を示していたものについて勝手に了承の意を示してみたり、モクバに普段言わないようなことをさも瀬人が言っていると言わんばかりに面白おかしく告げてみたりと、その日一日男は瀬人の代わりと称して色んな事を『やらかした』。

 その度に瀬人は物理的な抗議をしてみたものの、意思を伝える手段がボディランゲージ以外許されない彼にはどうする事も出来ず、ただただ呆然と翻弄されていく周囲の様子を見守る以外に術はなかった。思い余った瀬人が紙にペンで書いてもそれを即座に取り上げて握りつぶす始末。まさにやりたい放題だった。

 男にとっては最高の、瀬人に取っては最悪の一日はこうしてあっさりと過ぎて行ったのである。
 

「やはり、たまにお前は寝込むのがいい。なかなか面白かったぞ」
「(だ、誰が面白いか!!貴様後で覚えていろ!!)」
「なんだ。そうでもなかったか?でも、面倒ごとを全部切ってやったんだ。少しは感謝して欲しいものだな」
「(ふざけるな!)」
「……そんなに口をぱくぱくさせてもちっとも伝わらないんだが。……したいのか?」
「………………!!」
「嘘だ。完全に治るまでは余計な事はしない。早く元に戻れ、瀬人」
「………………」
「そして出来れば、普段からもう少し可愛げがあって欲しいものだ」
「────!!」

 寝る直前、ベッドの上で二人向かい合い男が一方的な話をしながら、今だ出ない声で何かを言い募ろうとする瀬人を引き寄せる。そしてもう熱くはない額に己の額をこつんとあてて、男はもう幾度目か分からない笑みを見せた。

 何もかもをごまかすに相応しいある種不敵な笑みだったが、結局瀬人はその笑みに騙されてしまうのだ。
 

 ……本当に、悔しくてたまらないけれど。
 

 その後二人は仲良く……普通に眠りにつく。なんだかんだと争いはするものの、しっかりと手を繋いだまま。
 

 ともあれ、瀬人の声は翌日無事元に戻り、晴れて完治するに至ったのだが。

 それから暫く、瀬人は男を側に寄せ付ける事はしなかった……らしい。


-- End --