続・携帯メール

「……チッ」

 目の前のスクリーンで流れる大迫力のファンタジー映画で白熱した魔法合戦が繰り広げられていると言うのに、モクバの視線はついついそれではなく、隣で苛立った顔をして舌打ちをする兄の姿を見てしまう。ぱっと部屋中が光る程の過剰な効果と共に響く大音響に、それでも全く意に介さずに動く指先にモクバは一人溜息を吐きつつ、心の中でこう思った。

(そんなにイライラするなら、映画の間位その携帯の電源切っておけばいいのに)

 そう思った途端、いつの間にか右手はリモコンを掴み取り、ピ、という音と共に画面の映像が一時固まる。

「兄サマ」
「………………」
「兄サマッ!」
「!……何だモクバ?」
「何だじゃないでしょ。映画を見るか携帯を弄くるか、どっちかにしてよ。携帯弄りするなら外でやって。オレ、兄サマの舌打ちが気になって映画に集中できないんだけど」
「は?」
「は?って。自覚ないんだ。もーあのねぇ、そうやって相手するから遊戯の奴が面白がってメール送ってくるんでしょ。無視すればいいじゃない」
「なっ、何故遊戯だと分かる!」
「自分で『遊戯め!』って独り言言っておいてそんな事言うんだ。とにかく、その携帯はオレが没収するからこっちにちょうだい。仕事関係の連絡が来たら返してあげるから」
「だが……」
「後一時間半だから。大体これ兄サマが見たいって言うから借りてきたんじゃん。よっこいしょ」
「な、なんだ?」
「たまにはいいじゃん。ね?」

 そう言うとモクバは瀬人の手から携帯を奪い去り、自分の上着のポケットへ収納しパチンとボタンまで嵌めてしまうと、そのついでとばかりに瀬人の膝の間に割り込んでちゃっかりと座り込み、身を預ける形で落ち着ついた。そして、手にしていたリモコンを操作して再び映画を再開する。

 突然響いた轟音に瀬人は一瞬ビクリと背を跳ね上げ、その様を触れた背中や足で感じたモクバは面白そうにくすくすと笑った。

「今どのシーンか分かる?」
「いや、全然?」
「ほらー。ちっとも見てなかったんじゃん。伝説の剣を手に入れた王子様が、神の龍を復活させに隣国にある巨大なダンジョンへ向かう途中に、敵のボスが邪魔しに入って来てるとこ。このボスは神の龍に対抗する暗黒龍を従えててね。これがまたすっごく強いんだよ」
「……なるほど」
「兄サマが見たがってた神の龍が出てくるのはもうちょい後だよ。確かに最初にやってた予告編ではちょっとだけブルーアイズに似てたかも。暗黒龍の方はレッドアイズかな」
「遊戯の話では大分似ていた、と言っていたが?」
「どっちの?」
「どっちとは……いつもの遊戯の方だが」
「アイツの方じゃないんだね」
「奴が映画など見ると思うか?」
「遊戯が観てるんなら一緒に観てるんじゃないの?この間アニメの話、通じたぜぃ」
「アニメ……というか、お前いつあの遊戯と話したんだ」
「うん?アイツたまに練習とか言ってオレの携帯にもメール、寄越すから」
「何?!お前にもか!」
「そうだよ。アイツよっぽどメールが気に入ったんだね」

 そんな事は後でいいから、映画観よ?

 そう言ってモクバは視線を頭上の瀬人から、スクリーンへと映して映画に魅入る。目まぐるしく変わる戦闘アングルに慣れない目は眩暈を起こしそうだったが、数多の龍が空を埋め尽くすその様はなかなかの迫力で、瀬人を直ぐに映画の世界へと引き込んだ。

 瞬間、微かに聞き慣れた音楽がモクバの方から聞こえてくる。瀬人の携帯メールの着信音だ。思わず意識して身体を動かすと、それを知ったモクバがすかさず携帯が入っている上着のポケットを手で押さえ、「駄目だよ」と言ってくる。そして空いていた瀬人の手すら捕まえて、自分の腹の前で軽く組ませて動きを封じた。

「あ、見て見て兄サマ、神の龍が眠る洞窟だよ!すっごいね」

 ぎゅ、と組ませた手に自らの手を重ねてそんな事を言うモクバの声に、瀬人は漸く携帯に意識を向ける事を諦めた。モクバの声に合わせて画面に魅入り、現れた不気味な洞窟に釘付けになる。そこに剣を煌かせて勇ましく進入していく王子の首に光る黄金色の……鎖にも似た太いネックレスに、瀬人は何故か件のメールの差出人を連想してしまい、小さく舌打ちをして顔を顰めた。
 

『好きだぜ、海馬。愛してる。オレの言葉、届いてるか?』

『じゃー届くまで送るから。覚悟しろよ!!』
 

 既に一ヶ月以上にもなる、何気ないある日。

 何時の間にか携帯メールの打ち方をマスターしてしまった『遊戯』は、そう言って瀬人に捻りも何も無いストレート過ぎる『あいしてる』メールを送ってきた。一体何の冗談かと怒り狂った瀬人だったが、意外にも遊戯は至極真面目な気持ちでそのメールを送ったらしい。

 否、真面目と言われても瀬人には全くその気がない為、そんなものは迷惑以外の何者でもないのだが、幾らやめろといっても、そのメール攻撃は止む気配が無かった。それどころか最近では頻度がやけに増していて、内容も日に日にグレードアップして来ているのだ。

 今では顔文字は勿論、写メール、果ては動画までを駆使し、文面に使用される漢字も的確なものに変化していた。そのとんでもなく無駄な学習能力に、瀬人の顔は苛立ちに日々歪み、溜息の数が増えて行く。

 他の人間からみればそんなもの単純に迷惑メールフォルダにでも振り分けして見なければいいだけなのに、律儀な瀬人はどうしても開いて見てしまうのだ。そしてそこに綴られた文面に怒り狂う。その繰り返し。

 今日も今日とて、既に何通目か知れない、恒例の『あいしてる』メールに「ふざけるな!」と一言返してやったばかりだった。

 その返信の中身を、瀬人はまだ見る事が出来ない。

 この映画が終わるまでは。
『なぁ、相棒。携帯貸してくれ』
「駄目だよもう一人の僕。今日何回海馬くんに送ったと思ってるの。いい加減にしないと着信拒否にされちゃうからね。もうっ僕の携帯の送信履歴、海馬くんばっかりだよ!誤解されちゃうじゃん!」
『するするって言ってしないって事は、脈有りだと思うんだが』
「……君は海馬くんのあの態度で脈有りだと思ってるんだ?」
『ああ、もちろん。アレは奴のポーズとみたぜ』
「ポーズって……君、前世でも「空気が読めないファラオ」とか言われてなかった?」
『うん?空気なんてどう読むんだ?』
「……もういいよ。とにかく、しつこい男は嫌われるんだからね。大人しくしてて」

 はぁ、と深い溜息を吐きながら遊戯は他の友人に向けたメール打ちを再開した。静かな部屋にボタンを押すカチカチという音が響く。それを心の部屋から覗いているらしい『遊戯』は「この漢字はどう読むんだ?」とか「これを出すにはどれを押せばいいんだ?」とか、一々口を挟んでくる。

「もうっ、打ちにくいなぁ。ちょっと黙っててよ!君の所為で僕が送らなくちゃいけないメールが一杯溜まってるんだから!」
『そんなに怒るなよ。オレが変わりに打ってやろうか?』
「遠慮します。だって君、ラブメールしか作れないでしょ」
『最近はそうでもないぜ。モクバにもたまにメールしてる。昨日は相棒が好きなあのアニメの話をしたんだぜ』
「無駄に交流範囲広げなくていいから。あ、海馬くんからメール来た」
『えっ?!何て書いてある?』
「……ふざけるな、死ね!だって。また愛してるとか送ったの?」
『うん、送ったぜ』
「うんじゃないでしょ。海馬くん怒ってるじゃない。彼はねぇ、元々淡白なんだから数を打っても当たらないの。日本には名言があるんだよ『押して駄目なら引いてみな』って」
『?……どういう意味だ?』
「だから、好き好きって迫るんじゃなくって、一旦身を引いてみるのも効果があるって話。今まで熱烈な態度でいた君が急に静かになったら「なんだろう?」って気になるでしょ。そしたら海馬くんから何かアクションがあるかも知れないよ」
『へー相棒は物知りなんだな!よし、じゃあ今からそれを実行してみるぜ!』
「うん。頑張って」

 ……多分海馬くんは君から連絡が途絶えても喜ぶだけだと思うけどね。

 そう心の中で思いながら、すっかり大人しくなった心の中の住人に舌を出すと、遊戯は溜まりに溜まったメールの処理を手際良く行った。

 これで暫く送信履歴に瀬人の名前が載る事はないだろうと思いながら。
「……珍しい事もあるものだな」
「どうかしたの兄サマ」
「いや。昨夜のメールを最後に今朝まで一通も遊戯から来ていないのだ」
「え?それは珍しいね。いっつもメールボックスに何十通と入ってるのに。っていうか良くそんなに打つ事あるよね。感心するぜぃ」
「そんな感心はしなくていいぞモクバ。しかし、ついに奴も諦めたとみたな」
「うーん、どうかなぁ。……兄サマ、昨日の最後のメールなんて送ったの?」
「うん?いつもと代わり映えしない内容だが。「ふざけるな!死ね!」とな」
「そんな物騒な言葉、メールで送らないでよ。でもあの遊戯が諦めるなんて事あるのかな」
「まあ、平和で何よりだ。一生メールなど来なくていい」
「そんな事言って。結構楽しみにしてた癖に」
「何か言ったか」
「ううん。何でもないよ、兄サマ」

 次の日の朝。

 いつもと同じ時間に朝食を食べに食堂を訪れたモクバは、一足先に来て優雅にモーニング珈琲を飲んでいる瀬人の前へと座った。すかさず毎日の習慣になっている野菜ジュースをメイドから差し出され、それに口をつけた瞬間モクバは即座に異変に気づく。いつもはその時点で何をしていても顔を上げ「おはよう」の挨拶をしてくる瀬人が、今日に限って新聞すらも放置したまま、小難しい顔をして右手に持った携帯を睨んでいたからだ。

 遊戯からラブメールと呼ばれる奇妙なメールが届く様になってから、瀬人が携帯を弄る頻度は格段に多くなった。なんだかんだと文句や愚痴を言いながらも律儀に相手から送られてくるそれをこまめにチェックし一々返信をするその姿に、モクバは「まるっきり恋人同士みたいじゃん」と思わずにはいられなかった。

 昨日も思った事だが、鬱陶しければ見なければいいだけだし、返信をしなければ更に新しいメールが舞い込んで来る事もない。ただそれだけの事なのに携帯を手放そうとしない瀬人に、モクバは呆れた溜息を吐き続けた。

 結局、瀬人も相手にしているという時点で気にしているのだ。現に今もメールが来ないという事を気にしている。彼が言葉通り心底「腹が立つ」だの「鬱陶しい」だのと思っているのなら、メールが来ない事を手放しで喜ぶべきなのだ。なのに瀬人は、眉を潜めて不機嫌になっている。

 と言う事は、やはり兄はあのメールを待っている節があるという事で……。

 もー兄サマも訳分かんない人だなぁ。そう思いながら、モクバは空になったグラスを横に避け、頬杖を付いて未だ携帯と睨めっこしている瀬人を眺めるとぽつりとこう言った。

「そんなに気になるんならさ、兄サマからメールしてみればいいじゃない?」
「はぁ?」
「だからぁ、『どうしてメールを寄越さないんだ』って遊戯に兄サマからメールしてみればって言ってるの」
「なんでオレがわざわざ奴にメールを送らなければならない!」
「だって、兄サマすごーく気にしてるみたいだし」
「べ、別に気になどしていない!」
「ふーん?じゃあもう携帯に用無いよね。しまったら?」
「今は仕事のメールを見ていたんだ」
「そう。そろそろ食事が来るから早くしてね」

 口元に明らかに面白がっている笑みを浮かべてそう言うモクバに、瀬人は痛い処を突かれたという顔になり、先程の倍のスピードで指を動かし、そのままパチンと携帯を閉じてしまう。それを何故か近い場所に投げるように置いてしまうと、瀬人は漸く今朝は開いてないらしい新聞を手に取った。些か乱雑にバサリと広げた新聞の影に見える顔は僅かに赤い。

 それって照れるような事なのかな?

 その顔に更にツッコミを入れようとしたが、それ以上兄を動揺させるのも気の毒だと思ったモクバは、もう何も言わずに彼の背後にある大きな硝子窓を見遣り、素晴らしく晴れ渡った青空に今日も一日いい天気になりそうだと声に出して呟いた。

 

2


 
「相棒!メールが来ないぜ!」
『何怒ってんのさ、もう一人の僕』
「何じゃないだろ。もう三日経つのに海馬からメールなんて来ないじゃないか」
『うーん、やっぱり海馬くんには引いてみな作戦は通用しなかったか』
「……やっぱり?」
『あ、ううん。なんでもないよ、こっちの話。というかもう一人の僕、いい機会だからメールを卒業してみれば?』
「?メールをやめて、どうするんだ」
『海馬くんにダイレクトアタック!ってさ。ふざけないで真面目に、真正面から告白してみればいいじゃない』
「……オレは毎回真面目に言ってるつもりなんだが」
『あ、そうだったの?ごめんごめん。前々から思ってたけど、なんか君の態度って凄く不真面目に見えるんだよね』
「えっ?」
『だって君、「海馬好きだぜ〜」とか「愛してる♪」とか、言い方が軽いんだもん。あれじゃあ普通本気になんてしないよ。メールだってデコメとか写メとか色々使ったって、遊んでる様に見えるだけでちっとも気持ちなんて伝わらないし。だから海馬くんも「ふざけるな!」って言ってるんじゃないかなぁ。ふざけてるとしか思われてないんだよ』
「……なあ、相棒」
『だからさ、まだメールに拘るんならもっと真剣にちゃんと言葉を考えて、海馬くんに伝わるようにしなくっちゃ……って、何?』
「そういうアドバイスが遅すぎるぜ、相棒!!」
『普通はこんな事にアドバイスなんてしないよーいつ気付くかなって思ってたのに、君ってば全然進歩ないんだもん』

 本音を言えば君と海馬くんが上手く行って、僕の身体を使ってあれこれされるのは嫌だから黙ってただけなんだけどね。

 そう声には出さずに呟くと、今は表に出ている『遊戯』の手元を心の中から覗き込む。ここ三日、急に少なくなった送信履歴と受信履歴を眺めつつ、酷く落胆しているらしい『遊戯』は、ついさっき、何かが切れたように「そろそろ我慢も限界だ!」と騒ぎ出したのだ。今の会話はその後すぐに交わされたものである。

 限界って、まだ三日目だよ?と遊戯が嗜めるものの聞く耳を全く持たず、早速遊戯の身体を乗っ取ってベッドサイドに置かれていた携帯を握り締める。ここまで来るともう立派なメール依存症だ。現代人よりもまだ酷い。

 ああ、君にメールを教えたのは失敗だったよ。そう思っても、もう後の祭りである。『遊戯』が最初に自分が弄っていた携帯に目を輝かせながら興味を示し「それはなんだ?」と聞いてきた時に、先生気分で嬉々として教えてしまった自分を遊戯は心の中で思い切り罵った。

 しかし、何故『遊戯』はこんなにもメールに拘るのだろう。気持ちを伝える手段なら他に幾らでもあるというのに。ここから瀬人のいるKCまではそう遠くはないし、どうしてもと言うのなら直接尋ねて行けばいい。携帯でメールではなく電話をしてみればいい。どちらもそう難しい事ではない。

 ……尤もそのどちらも門前払いや即切りされてしまう可能性はあるのだが。それを素直に『遊戯』に告げてみると、『遊戯』はガラリと表情を変えて、こう言い切った。

「だって、あいつ嫌がるから」

 だったらメールも嫌がられてるって事に気づいてよ!このKYファラオ!

 ……とは、さすがの遊戯も言えなかった。『遊戯』曰く、直接尋ねていったり電話だと無視をするが、メールだと確実に瀬人は見ると言うのだ。その時はよく意味が分からなかったが、実際に彼等の事を見てみるとその言い分が正しかったという事が嫌でも分かった。

 何故なら確かに瀬人はどんなに下らない内容のメールでもそれにきっちりと返事を返してくるからだ。あんな性格だが根は律儀で几帳面な彼の事だ。「メールを送られたら必ず見る。そして返す」という習慣でもついてしまっているのだろう。それを上手く利用しているというのだから、『遊戯』もなかなか侮れない。

 が、そこまで分かっているのなら扱いもそろそろ分かってもいい筈なのに、そこだけすっぽりと抜けている所が『遊戯』が『遊戯』たる所以なのだろう。

 遊戯の口から大きな溜め息が零れ落ちる。  

 今のままでは彼等の関係は平行線を辿るばかりで一向に埒が開かないだろう。無駄に増えて行く意味の成さないメールのやり取りと比例するように遊戯の気持ちも萎えて行く。ああもう、何でもいいからいい加減飽きてくれないかな。そう思い後は知らないとばかりに奥に引っ込もうとしたその時だった。

 聞き慣れた着信音が、静かな部屋に響き渡る。

「相棒!」
『なぁに。僕もう心の部屋で眠るからごゆっくり』
「海馬からメールが来た!」
『えっ?!ほんとに?!』
「ああ!見てみるぜ!」

 嬉々としてメール着信有りのアイコンに飛びつく『遊戯』の顔を何時の間にか出てしまった外側から眺めながら、遊戯はその表情がいつ落胆に変わるのかと興味を持って眺めていた。

 どうせまた言い捨てるような一言しか来る訳が無いのだ。『遊戯』は「あれはポーズだ」なんて言い張るけれど、遊戯が見る限り瀬人の鬱陶しがり様は本物だ。本気でやめて欲しいと思っているのだろう。『遊戯』に迫られる度に嫌そうに顰められた顔を思い出し、遊戯は再び溜息を吐こうとした。

 が、それは目に飛び込んできた文面を見た瞬間喉奥に飲み込まれてしまう。

『今から貴様の家に行く』

 無機質なディスプレイに表示されたその一言に、二人は暫し呆気に取られ、互いの顔を見詰め合った。

『一体、どういう事?』
「一体、どういう事だ?」
「兄サマ。ねえ、兄サマ」
「なんだモクバ」
「遊戯からまだメール来ないの」
「来ないな」
「もう三日になるね」
「そうだな」
「寂しい?」
「そう……いや!それはない!」
「今ちょっと言いそうになったでしょ」
「なってない!」
「……四六時中携帯握り締めてる位なら一言メールすればいいじゃない」
「何故オレから……!」
「もうその台詞百回は聞いたよ。なんだかんだ言って兄サマ、遊戯のメール待ってるんじゃん。……でも三日も来ないっておかしいよね。兄サマがあんまり冷たくするから、あいつ本当に諦めちゃったのかもよ?」
「冷たくって、オレは何もしていないぞ?」
「……死ねとか送ってる時点で十分してると思うけど……」

 そう言いながらモクバはちらりと兄の右手を眺め、そこに随分と長く収まったままの携帯を凝視すると、呆れて肩を竦めてしまう。遊戯からメールが来なくなってから既に三日の時が経ち、当の本人が「瀬人からメールが来ない」と騒ぎ出したのとほぼ同時刻に、瀬人も携帯を眺めつつ深く大きな溜息を吐いていた。

 それは明らかに苛立ちや落胆を含んだ重苦しいもので、その理由が嫌という程分かるモクバは、見ている事すらイライラしてしまう兄のその態度に業を煮やして思わず語りかけてしまった。すると案の定常と同じ反応が返ってくる。

 だが、さすがに三日目ともなると、瀬人の方も何かと限界に来ているのか、さらりと流す事など出来なかったようだ。たかがメールに大変な騒ぎだよ、何なのこの人達。そう心の中でぼやき、いい加減呆れを通り越して投げやりな気分になったモクバはひょい、と瀬人の携帯を取りあげる。

「?!何をするモクバ!」
「兄サマが送れないのならオレが送ってあげるよ」
「何をだ?!」
「どうしてメールを寄越さない、オレの事が嫌いになったのか?って」
「ちょ、待て!余計な事をするな!返せ!」
「だって兄サマ見てるとイライラするんだもん」

 近くにいるオレの身にもなってよね。これじゃー満員電車で女子高生が携帯弄りをするのを嫌がるオヤジの気分じゃん。そうぶつぶつと呟きながら横で騒ぐ瀬人を無視して本気でメールを打ち始める。しかし、それは途中で必死の兄の妨害により、綺麗にクリアされてしまった。モクバは思わず小さく舌打ちをする。

「もうっ!なんで邪魔するの!」
「勝手な事をするなと言っているっ!」
「じゃあもう携帯見てそわそわしないでよ!」
「してないだろうが!」
「してるよ!四六時中携帯眺めて舌打ちして!いい加減にしないと兄サマの携帯没収するよ?!それが嫌ならさっさとケリをつけてよ!」
「何に?!」
「遊戯とのラブメールに!兄サマが煮え切らない態度だから遊戯が送ってくるんでしょ!好きなら好き!嫌いなら嫌いってはっきり言っちゃえばいいんだよ!」
「な、何故話がそこに飛ぶ?!」
「だって、一番の問題はそこなんだもん。遊戯がメールを寄越し始めたのだって、兄サマがアイツの言葉に聞く耳持たなかったからでしょ?」
「…………う」
「ほら、やっぱりそうじゃない。ぜーんぶ兄サマが悪いんだよ!」

 ビシッ!とモクバに人差し指を突きつけられて、瀬人は大いにたじろいだ。確かにモクバの言う事は的を射ていた。そもそも瀬人が遊戯に対して煮え切らない態度で接していたからこそ、遊戯がしつこく言い寄ってくる事になったわけで。最初の段階でキッパリと拒絶していればこんな事にはならなかったのだ。

 しかし、拒絶する程嫌いではないのもまた事実で……結局は今も曖昧な気持ちなのは変わりが無い。決して好きではないが死んでも嫌だと思うレベルでもなく、その微妙な感情をどう表現したらいいか、瀬人は暫し真剣に悩んだ。

 そして数分後、彼がぽつりと呟いたその言葉は、モクバを大いに脱力させたのだ。

「……よく、分からん」
「……分からないんだ?」
「うむ」
「んー、じゃあさ、遊戯のメールは好き?嫌い?」
「鬱陶しい。内容が気持ち悪い。腹が立つ」
「……選択肢にないものを答えないでくれる?そこまで言うんなら嫌いなんだ?」
「という事になるだろうな」
「でも、貰えないと気になるんでしょ」
「別に」
「気になるんでしょ?」
「……なる」
「じゃー嫌じゃないんじゃん。はい決定」
「何が?」
「兄サマは、遊戯の事が嫌いじゃないんだよ。あれだね。嫌よ嫌よも好きの内」
「……何だそれは」
「だからー嫌だ嫌だって言ってるのに、結局相手してるって事は好きって事なんじゃないのって言ってるの」
「そうなのか?」
「そうなのっ!ああもう!面倒臭いからメールなんてしないで直接対決してきなよ!」
「何?!」
「えっと……よし!送信!!はい、兄サマ。もう遊戯のとこ行くってメールしたから。今すぐ行ってきて!」
「は?!」
「は?じゃないの。とっとと行く!」
「ちょっと待てモクバ!」
「ちゃんと本人と話して、その意味のないメールの遣り取りをどうするか決めて来てね。決めるまで帰ってきちゃ駄目だからね。オレもう限界だから!」

 そんな叫び声と共に、殆ど無理矢理携帯片手に部屋を追い出される事となった瀬人は、モクバの強引過ぎるやり方に渋々従う他道は無かった。右手に握り締めた携帯にはモクバが送った『今から貴様の家に行く』という文章が表示されたままで、こんなメールを送りつけておいて「今のは無かった事に」とはさしもの瀬人も言えなかった。

 仕方なく……本当に仕方なく、瀬人は外出をする為に歩き出す。

「ああもう!行けばいいのだろう行けばっ!」

 そんな兄の背を扉の隙間から顔だけ出しながら、今回ばかりは諸悪の根源と称してもおかしくないモクバは、実に楽しそうに声を上げた。

「そろそろ夜の八時になるから、人様の家に行く時は礼儀正しくねー兄サマ」
「くっ、分かってるわ!」
「喧嘩しちゃ駄目だよ?」
「それは分からん!」
「頑張ってねー兄サマ!」

 何が頑張ってだ!というか何を頑張るのだオレは!たかだかメール一つに何故こうも振り回されなければならない。何故!!

 そう内心絶叫しながら、それでも瀬人はやはり律儀に遊戯の家へと向かうのだ。

 ちなみに、こんなものは何も来訪までしなくとも、それこそメールや電話で十分事足りるものだと言う事をここに付記して置く。
「遊戯!!」
「うわぁっ!海馬!!お前っ、何いきなり人の家に上がりこんでいるんだ?!」
「貴様の家の許可は取った!」
「取ったのかよ?!」
「ああ、『遊戯くんのクラスメイト海馬瀬人です』ってちゃんと言ったぞ!」
「意外に礼儀正しいなお前……」
「オレがいつも居丈高だと思うな!」
「自覚あるんならいつもそうしとけ!」
「やかましいわ!」

 瀬人のメールが遊戯の元に届いてから半時後、勢い良く開かれた自室の扉に、遊戯は……正確に言えば現在表に出ている『遊戯』は飛び上がらんばかりに驚いた。その衝撃のまま、狭いドアの中央に仁王立ちになった瀬人に食ってかかる『遊戯』を制するように、即座に入れ替わりを果たした遊戯は慌てて瀬人を室内に引っ張り込むとドアを閉める。

「ちょ、ちょっと静かにしてよ。二人とも。ここ、僕の部屋だよ?防音処理が完璧な海馬くんの部屋と違うんだからね。丸聞こえになっちゃう。……とりあえず海馬くん、どうして家まで来たか教えてくれる?まあ僕には大体分かるけどね」
「そ、それは。大体これはオレの意思じゃ……」
「もう一人の僕との事でしょ?メールが来なくなったから、乗り込んで来た?」
「………………」
「うん、良く分かった。じゃあ僕は奥に引っ込むね。お願いだから大声で喧嘩はやめてね。母さんが様子見に来ちゃうから」

 瀬人が何も答えない内に一人納得してしまい、瞬く間に再び内に引っ込んでしまった遊戯に、瀬人は暫し呆けてその姿を見つめたままだった。その眼前でまた唐突に前面に押し出された『遊戯』は、滅多に見る事の出来ない相手の呆け顔に、事態を忘れて暫し見入ってしまう。その事に数秒遅れて気付いた瀬人は、思わず手を上げてその視線を振り払った。

「貴様!何をじっと人の顔を見ている!」
「おっと。いきなり攻撃するなよ海馬。人の家に勝手に乗り込んできたのはお前だろ。少し客らしくしたらどうだ?」
「貴様に言われたくはないわ!」
「大体なんだよ。何か用か」
「何か用か、ではない!……その、何て言うか。今あの遊戯も言っていたが、何故オレにメールを寄越さなくなった!」
「なんでお前がそんな事を言うんだ。メールを寄越すと怒ってた癖に。来なくなって良かっただろ?」
「それは……そう、なのだが」
「それとも、オレからの『あいしてる』がないと寂しいとか?」
「寂しいわけあるか!」
「じゃあなんでケチ付けに来るんだよ?」

 もうオレのメールなんていらないだろ。全部消してる癖に。口元に浮かびそうになる笑みを必死に押し隠しながら『遊戯』は素っ気なく瀬人に言う。

 やっぱり相棒の言う事は正しかった。メールを送るのをただやめただけで、瀬人は本当に気にしてここまで押しかけて来てしまったのだ。今まで押せ押せで来たけれど、たまに引くのも重要なんだな。そう、しみじみと思いながら『遊戯』は面白半分に瀬人に話しかける。

「ふふん、この勝負、オレの勝ちだな海馬!」
「は?なんだ、その勝負とは」
「前に言っただろ?メールでデュエル!って」
「ならば負けは貴様だろう。早々にサレンダーしたではないか」
「オレはサレンダーなんかしてないぜ。ただちょっと休憩しただけだ。それなのにお前は勝手に勘違いしてオレに会いに来たんだろ?わざわざ聞きたくもないオレの言葉を聞きに」
「…………ぐ」
「という事は、ちゃんとオレの言葉がお前に届いてたって事だよな?それが途切れたから気になったんだよな?」
「………………」
「そうだよな?」

 カイバ、アイシテル。

 そのたった十個のカナ文字から始まったラブメールは、一ヶ月経った今漸く瀬人の元へきちんとした意味を持って届いた様だった。否、『遊戯』は知らない。自分が送り続けたメールの全ては瀬人の携帯の中にきちんとフォルダ分けされて、未だに残っている事を。

「なあ、海馬。オレ、凄く不真面目に見えるけど、本当に真面目な気持ちで言ってるんだぜ。だから、真剣に考えてくれよ」
「何を、真剣に考えるのだ」
「オレがお前に送り続けてる言葉をさ。せっかくわざわざここまで来てくれたんだから、もう一回言ってやるよ」
「結構だ」
「そう言うなって。『海馬、愛してる』」
「!!まっ、真面目な顔で言うな!」
「だから真面目だって言ってるだろ。今度はちゃんと届いたか?届かないのなら何回でも言ってやる。またメールでも送り続ける。さぁ、どうする?」

 確認するまでもなく、今の言葉に仄かに頬を染めた相手の顔を見れば、届いているのは明白だった。『遊戯』は今度こそ隠さずににやにや笑いを浮かべながら、思わぬ連続攻撃に完全に押し黙ってしまった瀬人の顔を眺めていた。否、真剣に、見つめていた。

 そんな状態が続いて、数分後。

 怒りと羞恥と困惑がない交ぜになった顔を漸く上げて、瀬人はキッ!と『遊戯』を睨み付けると、殆ど無理やり踏ん反り返ってこう吐き捨てた。

「ふん、その位でオレが落ちると思うのか?」
「へっ?!」
「甘いぞ遊戯!貴様、本気でオレを惚れさせたいのなら、もう少し努力してみるんだな!まだまだ足りん!」
「……足りないって、お前、散々嫌がってた癖に……」
「オレは過去は振り返らない主義だ!」
「振り返れ!くっそーあったま来た!見てろよ海馬!オレはお前を絶対に陥落させてやるぜ!後で泣くなよ!」
「誰が泣くか!望むところだ!」
「よーし!今夜から覚悟しろよ!寝かせないぜ!」

 ちょっと!その携帯のパケ代払うの僕なんだけど?!

 白熱する二人の間で本体の遊戯がそう悲鳴をあげるけれど、勿論その声は彼等の耳に入る事は全く無かった。
『海馬!愛してるぜ!』
『全く誠意が見えない!』
『じゃあ今度デートしようぜ!』
『意味が分からないわ!馬鹿が!何が「じゃあ」だ!』
『次の日曜日、童実野公園の前な』
『勝手に決めるな!!』

 かくして、彼等のメールのやり取りは、それから先もずっと途切れる事なく、前よりも頻繁に行われる事となった。それを間近で見ている周囲の人間は、馬鹿馬鹿しいと既に気にもしなくなり、最早誰も彼等を止めるものはいない。

 賑やかな携帯の着信音が鳴り響く。

 今日もまた恋人にすらなっていない二人の、恋人同士よりも熱烈なラブメールが童実野町の何処かで行き交っているのだ。
 

 『海馬愛してる』……その言葉に、きちんとした返事が返ってくる、その日まで。


-- End --