不良城之内×初期海馬

 その日、城之内がいつもの習慣で連絡もせずに屋敷を訪れ、無遠慮な動作で豪奢な木製の大扉を開くと、知っている筈の人間が気味の悪い変化を遂げていた。常なら眩しい位に光に満たされた部屋の中で、一際目に痛い様相で自分を出迎えるその男は、いつの間にか城之内が知っている彼ではなくなっていた。尤も、それは外見だけの話で、口を開いた瞬間男が海馬瀬人だと言う事が嫌という程分かったが。

「……どうしたんだ?それ」
「染めてみたんだ。どう?」
「どうっつーか……」
「君がボクの事を余りにも眩しいって言うもんだから。こうすれば少しは良くなるかなって」
「いや、眩しくは無くなったけどよ。変わり過ぎだ。別人じゃねぇか」
「うん。ボクも驚いた。ただ、髪を黒く染めて、瞳の色を隠すためにカラーコンタクトを入れただけなのにね。鏡の中に移った自分は、ボクの知らない人だったよ」
「イメチェンした感想は?」
「気味が悪いね」
「ああ、そうだな」
「でも、ボク自身はなにも変わってはいないのに」

 そう言って白と黒の二色に染まった海馬瀬人は、立ち上がって城之内を出迎えた。常に光を反射してより鮮やかに見える緑色の髪は、すっかり黒く染め上げられ質の違う輝きを放っている。幾重にも重なる天使の輪。けれど決して美しいとは思えない。

 ゆるりと上げられた見慣れない漆黒の瞳も暗すぎて落ち着かない。入れたレンズの所為なのか、光すらも失ったその二つの眼差しは、城之内に底知れぬ闇を感じさせた。彼が内包している心の闇が色となって目の前に現れているかのように。

 青白い顔に少しだけ色味を加えている紅い唇が、緩やかな弧を描く。

「モクバは、喜んでくれたんだけど」
「モクバが?」
「ああ。『お揃いだね、兄サマ』って」
「お揃い、ね」
「思いっきり笑ってしまったよ。外見の色を変えただけで、同じだなんて馬鹿馬鹿しい。ボクとあの子が同じになんてなる訳がないんだ。例え全てを同じにしたって同一にはなり得ない」
「当たり前だろ。幾ら兄弟だって同じになれる訳ねぇじゃねぇか」
「そういう意味じゃないよ」
「じゃあどういう意味だよ」
「ボクは、モクバがボクと欠片程も似て無い事を心の底から嬉しく思うよ」
「何で」
「似ていたら愛せないじゃないか。気持ち悪い」

 まぁ尤も、血の繋がりがあるというそれだけで、気持ち悪くはあるんだけれど。だからどうしてもボクはあの子に優しくする事なんて出来ないんだ。

 そう言って、瀬人は何がおかしいのか一人小さく声を立てながら本当に楽しそうに笑っていた。そして、少しだけ、本当に少しだけ悲しげな顔をした。じっと見つめていても分からない程の一瞬の出来事。しかし、それを拾い上げて慰めてやる義理など城之内にはない。また、望まれてもいなかった。

 ならば、何故自分は今ここにいるのだろう。

 小さな溜息と共に浮かぶ疑問は、不意に触れられた冷たい指先の温度に押し退けられ、霧散する。

「克也」

 何気なく呼ばれた己の名前。ぞっとするほど甘い、その響き。いつもながら、この声を聞くと背筋が寒くなり、吐き気がする。まるで悪魔の手中に引きずり込まれた気分になる。尤も、目の前のこの男は数多の人間からその呼称で呼ばれている事が多かったから、強ちただの夢想では無い。

「お前、そうしてると本当の悪魔みてぇだぜ。意外に似合うな」
「そう?ありがとう」
「背中に羽でも生えたら完璧なのにな」
「ふふ。そうしたら、君は差し詰め生贄って事になるのかな」
「冗談。オレはオカルトは嫌いなんだ。死んでも近寄るか」
「その割に大人しいよね」
「いっくらそれらしい格好をしたってお前はオカルトじゃねぇからな。怖くねぇよ。力だってオレの方が強い」
「そうだね」
「ま、悪魔を食うってのも、そう悪い事じゃねぇけどよ」

 艶やかな黒を鷲掴み、唯一の紅を貪る様に口にする。指先の冷たさとは裏腹に酷く熱を持ったそれは不気味な程城之内の雄を刺激した。気味が悪いのに、嫌悪さえも覚えるのに、何故こうして一つになりたがるのだろう。顔を歪めながらも、ここに訪れてしまうのだろう。
 

 答えなど、城之内にも分からない。
 

 つ、と銀色の糸を引く唇が離れたと思った瞬間、二つの黒が城之内を映し出した。闇にも似たその中にはっきりと見える己の顔。その表情はどこか恍惚としていた。

 闇に囚われたのだ、とそう思った。

 手を伸ばしたその瞬間から、今は悪魔に身を窶している元は不可思議な色をしたこの、闇に。
 

「なぁ、お前って本当はなんなの?」
「人間だよ。昔も、今もね。何度も言ってるじゃないか。信じられないのなら、自分で確かめてみればいい」
 

 尤も、それには高い代償が付くかもしれないけど。

 そう言って艶やかに笑うその口元を眺めながら、城之内は半ば諦めの気持ちを抱えたまま緩く首を振って嘆息した。そういう事は早く言えよ、と心の中で呟きながら。
 

「もう遅ぇよ、馬鹿」
 

 既にこの身は、深い深い闇の中へと引きずり込まれてしまっているのに。

03.In the dark