本田×海馬

「ヒロト、だったか貴様の名は」
「ぅえっ?!な、なんでお前がオレの名前を知ってんだよ?」
「クラスメイトの名前位は記憶している。出席番号は15番だったな」
「……や、というかよ、フツー名字で覚えねぇ?」
「苗字が思い出せなかったから名前を言ってみたのだ」
「なんだそりゃ。オレは本田だよ。ホ・ン・ダ。以後お見知り置きを」
「興味はない」
「……だろうな。お前が興味があるのは強いデュエリストだけだもんな」

 ま、そういう意味で言ったら一部でも名前を覚えてて貰えたのは光栄って所なんだろうな。

 そう言って、少しだけ笑みを浮かべた本田は、熱気に塗れた体育館の片隅で長い手足を持て余し気味に投げ出している、彼の前へとしゃがみ込んだ。そして「どれ」と小さな声を上げて目の前に放置された片足に手を伸ばす。それに素直に濃い藍色のジャージの裾を捲り上げた海馬は、心底忌々しそうに大きな溜息を一つ吐いた。

「見事に腫れてんなぁ。思いっきりやったのかよ」
「あの忌々しい凡骨風情がオレの靴紐を踏んだのだ」
「あーあいつそういうの得意だからよ。ラフプレーまではいかねぇんだけど、姑息な事ちょこちょこやるんだよなぁ」
「後で殴ってやる」
「まぁまぁ。どうせお前の事だから倒れた時に足払いでも掛けてやったんだろ?さっき派手にすっ転んでたもんな、あいつ」
「フン」
「それで?オレをご指名って事は保健室まで運んで欲しいとか、そういう事?」
「オレは別にいいと言ったんだが、遊戯が」
「ああ、血相変えて体当たりして来たな」
「試合がまだなら後でいい。別に急がん」
「っつっても痛ぇだろうよ。仕事に差し支えるんじゃねぇの?社長さん」
「オレが使うのは頭と指先だ」
「そうですか。まぁ、でも後少しだし、体育終わってからでいいか。あーでも冷やした方がいいかもしれないな。ちょっと待ってろ」

 そう言うと、つい数分前奇妙な顔でここに渋々やって来た男はまるで友達か何かの様に親身な台詞を吐き、急いで直ぐ側の水場まで走って行く。意外に体格の良い身体とそれに見合った体重が齎す震動が床を通して伝わって来る。

 直ぐに取って返して来た彼は水が滴る程濡れたタオルを右手に持ち、海馬の許可も取らずに手際良く靴も靴下をも剥いてしまうと、冷やりとしたそれを押し当て気難しい顔をした。真っ白なタオルの上に乗せられた指は存外太い。

「……大きいな」
「あ?」
「貴様の手だ」
「ああ、コレな。オレ、バイク弄っからいつの間にか丈夫になっちまって。ゴツゴツしててみっともねぇだろ?」
「まぁな」
「オレはデュエリストじゃねぇからよ。手なんて結構どうでもいいんだよ」
「それはそうだな」

 大きな手にそっと触れる様に重ねられた生白い手。カードを操るに相応しい優美でしなやかなそのその指先は、何かを確かめる様に無骨な指を辿り甲を撫でると、緩やかに離れていく。そして、その手の主はぽつりと小さくこう言った。
 

「まぁでも、悪くは無い」
「え?」
 

 ……何が?
 

 それを海馬に訪ねる前に試合終了のホイッスルが鳴り響く。同時に呼ばれた自分の名に、本田は慌てて顔を上げて「今行く!」と答えを返した。キュ、と靴底が床を擦る音と眼下の視線が上がったのは同時で、思わずそれを見返してしまう。妙な沈黙が下りてくる。

「……えぇと」
「出番なのだろう?早く行ってきたらどうだ」
「ああ、うん。じゃあ、行って来る」
「相手は凡骨か。精々足下に気をつけるんだな。貴様に足を捻られたらオレが困る」
「オレはお前と違ってそんなやわじゃねぇよ」
「そうか」
「ま、大人しく待ってろよ。社長さん」
「海馬だ」
「はい?」
「クラスメイトの名前位まともに呼べ」

 お前にだけは言われたかねぇよ。

 そう反論しようとした口は、不意に向けられた僅かな笑みに飲み込まれた。これって物凄いレアなものなんじゃ……そう思う前に、鋭い呼び声が追い打ちを掛ける。
 

 海馬、ともう一度その名を呼ぼうとして、その口は閉ざされた。

01.重ねた手