本田×海馬

「えっ……この子本物?!すっごい!!可愛いっ!本当に同じ男かしら?!ちょっとヒロト!あんた何こっそり連れて来てるのよ!ズルイじゃないの!こう言う時はちゃんと言いなさいよ!!」
「ちょ、何やってんだ姉貴!!出てけよコラァ!!」
「出てけよじゃないでしょ!こそこそしちゃって。どうでもいいけどアンタお客様にお茶も出さないつもり?しかもこんな……」
「うるっせぇな関係ないだろ!」
「関係あるわよ!!ああもうこれだから考えなしの馬鹿って嫌よ!ブランキーの散歩ついでに近所のケーキ屋に行って来なさい。お小遣いないなら上げるから、ホラ」
「ばっ……てめ、馬鹿じゃねぇのか?!客おいて行けるかよ!」
「アラ、大丈夫よ。アタシが相手しておいて上げるから」
「はぁ?!ジョージはどうしたよ?!」
「旦那が連れてったわよ。今日はアタシが留守番だったの。退屈でさぁ、買い物に行こうと思ってた所なんだけど、行かなくて正解だったわ」
「チッ……電話すりゃよかった」
「何でもいいから早く行って来て。あ、アタシはいつものアップルパイね。焼きたて買って来るのよ!」
「誰が行くっつった……」
「早くねッ!」

 バタン!と大きな音がして、それまで顔を突き合わせて大騒ぎしていた二人の間が安っぽい木の扉で仕切られる。風圧で長い巻き毛がふわりと空を舞い、微かな甘い香りを撒き散らせながら背に落ちた。

 「今日は誰もいねぇから」と、誘われるがままについて来た休日の本田邸。

 閉ざされたドアの向こうでは、殆ど追い出される形となった本田が何やら大暴れをしながら喚いていたが、激しく蹴り上げられたドアの音と「とっとと行って来な!」とおよそ目の前の彼女からは想像出来なかった荒々しい一喝と共に、遠ざかる足音と共に消えて行った。

 その様を半ば呆然と眺めていただけの『来客』である海馬瀬人は、やや肩を怒らせていた彼女が極上の笑みと共に振り返り、ゆっくりとベッドに座る己の元に歩み寄って来るのをやはり微動だにせずに受け入れる事しか出来なかった。それほどまでに彼女の迫力たるや凄まじいものだったのだ。

 誰もいないなんて嘘だったじゃないか。……そんな事を思う余裕も今の彼には全く無い。

「えぇと……突然見苦しい所をお見せしてごめんなさいね。はじめまして海馬くん」
「は、はじめまして」
「さっきも言ったけれど……本物よね?」
「……偽物がいるかどうかは知りませんが、本物です。一応」
「あんなバカが連れて来る相手とは思えないんだけど」
「ヒ……本田君とは、クラスメイトなんです」
「あ、そうなんだ。それにしたって……」

 あいつとは人種が違いすぎて理解出来ないわー。

 そう言って、遠慮なくジロジロと己の姿を眺めて来る彼女の事を海馬は別段不快に思う事はなく、逆にこちらも観察してやろうとやや反らし気味だった視線を合わせるべくゆっくりと顔を上げた。

 どちらかと言えば地味目の本田とは違い、彼女は子供までいる既婚者であるにも関わらず、身体の線が丸見えの大胆な服を身に纏い、顔には派手なメイクを施した揚句、濃い赤に金のラメを散らした長い付け爪を着けている。

 ほぼ金に近い薄茶色の髪を緩やかに背に流したその姿は、素性を知らなければ街の繁華街を似た様な軽い男を連れて闊歩する軽薄な女そのものだ。現に結婚前の彼女は、学生時代は長い間レディースのトップをはっていて、同じ不良仲間とそうした振る舞いを頗る楽しんでいたと本田が苦々しく呟いていた。だとすれば、ある意味今のこの様相は当然ともいえる。

『結婚してガキまで作ってんのにちっとも変わらねぇ女なんだ、オレの姉貴』

 そういって僅かに顔を顰めた恋人の顔を思い出し、全くその通りだと同意した海馬だったが、やはり悪い印象は持たなかった。呆れるほど綿密に施されたアイメイクに大分誤魔化されてはいるが、目元は弟の本田と至極似ている。

 少しつり上がった目の形も整えられた眉にさえその遺伝子の片鱗を見てしまい、むしろ好意的に見てしまう。自分とモクバが余り似ていないのと対照的に、一目で姉弟と分かる様なその相似ぶりに、海馬は一人妙な納得をしながら遠慮なく彼女の事を観察していた。その視線は不躾ですらあったかもしれない。

 しかし、彼女は余り敏感な性質ではないのか、はたまた自分が相手を観察する事に夢中で気付いていないのか、微笑を口元に張り付けたまま同じ様に海馬の事を眺めていた。そして徐に口を開く。

「綺麗な顔してるのね。良く言われない?」
「特には」
「アイツが連れて来る子達って、皆顔が結構いい連中ばっかりなんだけど、その中でもダントツね」
「……それはどうも」
「あー。アタシがまだ独身だったらなぁ。惜しい事したわ。でも年下っていうのがちょっとねぇ」

 彼女が派手なジェスチャーを交えつつ言葉を発する度に、健康的な色をした細い手首を彩る銀のブレスレッドがシャラシャラと音を立てる。そう言えば何時だったか本田が姉の誕生日に強くせがまれ(というか脅迫され)、高い装飾品を無理矢理購入させられたとぼやいていた気がする。

 それがどんなものかは知らなかったが、金よりも銀を好むあの男が選ぶのだとしたら、こんなシンプルなブレスなのだろう。もしかしたら、これなのかもしれない。

 何だかんだ言って、彼は姉が好きなのだ。だからだろうか、普段なら嫌悪の対象になりそうな目の前の彼女を不快に感じない。

(……それにしても、良く動く口だ。こんな所もあの男にそっくりだ)

 未だとりとめもない話を大分早いテンポで次々と繰り出す相手の声を聞きながら、海馬が半ば感心しながらそう思い始めたその時だった。不意に彼女が何かに気付いた様にはたと手を打ち、ふんふん、と一人勝手に納得したような顔を見せて、にやりと笑った。

 何だ?そう疑問を露わにする前に、彼女はすっと流れるような動作で身を曲げて、海馬の耳元で小さくとんでもない事を口にする。

「……ところで、海馬くんはあの馬鹿の友達なの?それとも、別の何か?」
「……はい?」
「アイツね、結構面白いのよ。彼女を連れてくると絶対ここ……ベッドの上に座らせるの。友達は床の上でね。結構徹底してるのよね」
「………………!!」
「あら、図星だった?やっぱりねー。友達にしては随分と扱いが丁寧だし、アタシの目を盗んだりして変だと思ったのよね。今までここにオトコを座らせる事って勿論なかったから、まさかと思ったんだけど、A型って悲しいわ〜変な所が律儀でさ。まぁ、アタシもなんだけど」

 だから浮気とか絶対に無理なのよね。こんなナリしてるからなかなか信じて貰えないけど。

 そう言って実に楽しそうに笑い転げる彼女の顔を、今度こそ海馬は絶句して見つめる事しか出来なかった。何か確信的な場面を見られた訳でもないのに速攻バレてしまった。これは大変に由々しき事態なのではないだろうか。

 普段は余り常識的にものを考える事の無い海馬でも、自分達の関係がおよそ一般的な事では無い事くらい承知している。勿論当人達はなんの問題も無かったが、その周囲、ましてや家族にとっては狂気の沙汰だろう。

 不味い。物凄く不味い。

 一転して顔を強張らせ、硬直にも等しい様相でその場に固まってしまった海馬の背に冷たい汗が滲む。次に何を言われるのだろう。未だ口の端に笑みを乗せてまじまじと海馬を見ている彼女の顎のラインを眺めながら、彼が死刑前の罪人のような気持ちで目を閉じようとした瞬間、その後ろ暗い思いは再び掛けられた涼やかな声にあっさりと拭われてしまう。

「意外だったけど、アイツもやるわね。逆玉って奴かしら?」
「は?」
「あら、それとも逆?」
「逆……って」
「どっちにしても羨ましいわーシメてやりたい位よ!」
「…………あの」
「何?」
「いや、その。……いい、ん、ですか?」
「え?貴方とヒロトが付き合ってる事?」
「……はい」
「別にいいんじゃないの?アタシが婿取ったから、アイツを家から追い出しても問題ないし」
「そ、そういう事でなくて」
「男同士って事の方ならもっとどうでもいいけど。好きなんでしょ?」
「………………」
「アタシ的には貴方みたいな可愛い子が義弟になるってだけで興奮しちゃうけど」

 だって天下の海馬瀬人よ。海馬瀬人!すっごいじゃない!

 そう言ってむしろはしゃぎ始めた彼女を海馬が再び不可思議な顔で眺めようとしたその時だった。バンッ!と再び激しい音を立てて開かれたドアが反動で閉まる前に、ケーキ箱を抱えた本来の部屋の主が鬼の形相で飛び込んで来た。彼は、持っていたそれをずい、と姉に突き出して凄む……と言うには些か迫力の無い口調で声を上げる。

「買って来たぜ。とっとと出て行け」
「早かったじゃない。もっとゆっくりして来たらいいのに。ねー海馬くん?」
「てめ、馴れ馴れしくすんな!こいつに触ったりしてねぇだろうな!」
「そんなのは二人だけの秘密よ」
「はぁ?!ざけんな!」
「あはは!うそうそ冗談よ!アンタの大事な『オトモダチ』に変な事する訳無いでしょ」
「ったりめーだ!」
「さーて、アタシはそろそろ部屋に帰ろうかしら。じゃ、海馬くん、このろくでなしを宜しくね。また今度ゆっくり話しましょうね〜?」
「余計な事言ってんなこの年増ボディコンが!」
「アンタ、相当古いわよその表現」
「うるせぇ!」

 ったく頭に来るぜ!

 そう本田が吐き捨てるのと彼の姉が部屋の扉を閉ざすのとはほぼ同時だった。最初の荒々しさとは裏腹に部屋の空気を殆ど乱す事無く静かに壁と同位置に落ち着いた木の扉。海馬はそれを思わず凝視してしまい、ベッドの前に立ち尽くす本田に「どうした?」なんて声を上げさせる。

「マジでお前、姉貴になんかされなかったか?見境ねぇからよ、アイツ」
「……普通に話をしていただけだ」
「話ぃ?会社の事とか聞かれたのか?」
「違う」
「じゃー世間話?」
「いや」
「それじゃー旦那の愚痴だ!」
「そうじゃない」
「じゃあ何だよ?」

 まさかオレの事をベラベラ喋ったんじゃねぇだろうな?

 それまでの強気の態度から一転して、眼差しさえ泳がせながらそんな事を言う本田を、海馬は少しだけ愉快な気持ちで眺めやると、そうじゃない、と繰り返した。そして小さな溜息を一つ吐くと、僅かに声色を改めてぽつりと呟く。

「面白い人だな。貴様にそっくりだ」
「……はぁ?似てねぇし!つか、一緒にするなよ」
「元来ならああいった女性は全くの対象外だが、彼女には好感を持った」
「……ちょ、もしやお前、オレの姉貴に惚れたとかいうんじゃ……!」
「何故そうなる。違う」
「だってよ……」
「貴様の姉だから好ましいといっただけだ。それに、話が分かる」
「?……話?」

 なんか、言っている事が分からないんですけど。そう言って口を尖らせかけた本田に、海馬は先程彼の姉が見せた様な、いかにも面白いと言った風な笑みを見せて、至極あっさりとこう言った。

「バレていたぞ」
「えっ?」
「しかも、喜ばれてしまった」
「えぇ?!」
「貴様同様、彼女も相当なタマだな。実に面白い」
「お、面白いって……」
「なんだ、嬉しくないのか」
「そ、そりゃー反対されるよりも断然嬉しいけどよ……なんかすげーフクザツだ」

 姉貴が。……あの、姉貴がねぇ。……いや、まてよ、あんな姉貴だからこそOKが出たのか?ああもう何がなんだか分からねぇ!!

「ヒロト」
「……あぁ、まぁ……とにかくお許しが出たっつー事で……えーと……」
 

 シてもいいですか?
 

 会話の成り行き上いつの間にかベッドの端で抱き合う形となっていた二人は、複雑な表情でそう呟いた本田の言葉を合図に、ゆっくりと背後に倒れ込みつつ互いの顔を近付けた。

 キスまで、後数センチ。絡み合う吐息を吸い込む様に二つの唇を触れ合わそうとした瞬間、それまで沈黙を守っていたドアの向こうで無粋な、けれど決して不快ではない声が笑いながらこう言った。

「どうでもいいけど、ヤる時はちゃんとつけなさいよ!!男同士だってエチケットっていうものがあるんだからね!」
「ちょ?!てめーがまず守りやがれ!!話しかけんな!部屋に近づくな!!」
「はいはーい。ごめんなさいねぇ〜」

 アップルパイ美味しかったわよ〜!

 そう言って遠ざかる彼女の声を苦笑して受け流しながら、それでも彼等は当初の予定通り酷く情熱的なキスを交わした。聞き耳を立てられるかもしれない。
 けれどそれさえも、一種の刺激にしかならなくて。
 

 二人は口元に笑みを刷いて目の前の肩を抱き締める腕の力をより一層強めながら、互いの身体を弄り合う事に夢中になった。

03.姉とアップルパイ