Last smile

 分厚い皮の表紙を開くと、顰め面のオンパレードだった。

 透明のシートに挟まれた、様々な瞬間から切り取られた海馬の顔。
 角度や大きさは様々だけど、表情は皆同じ、変化のない無表情と不機嫌な時に見せる怖い顔、そしてオレの目の前にある顰め面だけだった。

「……なんでお前のアルバムの中の兄サマ、全部こんな顔なんだよ」
「知らねぇよ。本人に聞けよ」
「オレのアルバムの兄サマはぜーんぶ笑ってくれてるぜぃ。羨ましいだろ」
「……くっそー!一枚寄こせよ!」
「駄目。これはオレの宝物だぜぃ。ま、カメラマンの問題だろうね」
「……それは認める」
「不機嫌な時ばっかり鬱陶しく撮りまくるからだろ」
「ちげぇよ!海馬はオレが近寄るとこういう顔しかしねーんだよ!隠し撮りしても何故か気付かれてさぁ!」
「愛がないって事じゃん」
「そんな事はないです。ちゃーんと愛されてました」
「そうかぁ?オレ、兄サマからお前の事を好きだなんて一っ言も聞いたことないけど」
「そりゃお前。オレだって言われた事ねぇし。でも愛は言葉じゃないんです」
「ふーん。で、どれにする?」
「……流しやがった。うーん、最後まで顰めっ面じゃなぁ。お前の宝物の中から一枚選べば?」
「お前が選べよ。オレはどれでもいいし」
「えぇ?オレが?!」
「うん、お前が」

 そう言ってモクバは一緒に覗いていたもう一冊のアルバムをオレに押し付けると、さっとその場から立ち上がって歩き出す。微かに聞こえた振動音に、奴の携帯に着信があった事を知る。

「ごめん、ちょっと出て来る」

 ポケットから携帯を取り出して、誰かと二三言話したモクバは、そう言って早足で広いリビングを出て行った。その後ろ姿は奴の髪の長さも相まって一つの黒い塊の様だった。
 喪服を、着ていたからだ。

 そして、同じ様に黒づくめの格好をしたオレは、服が汚れるのも構わずに床に座り込んでアルバムを捲っている。

 海馬の最期を飾る写真を選ぶ為に。

『写真は嫌いだと言っているだろう!しつこいぞ凡骨!』
『まぁまぁ、記録として残して置きたいじゃん?オレは何時でもお前の顔が見たいんだよ』
『こんな顔を見た所で何が面白いんだ』
『こんな顔言うなよ。つか、そう思うなら笑ってくんないかな』
『断る』
『あ、じゃあオレの写真も撮っていいから。笑顔出血大サービスしてやるよ』
『いらんわ!!』
『ちえっ。お前が死ぬ時は一緒に持ってって貰おうと思ってんのに』
『何故オレが死出の旅路に貴様なんぞを連れて行かなければならないのだ、ふざけるな!というかオレが先に死ぬ事が前提か!』
『わ、ごめん!でもお前絶対早死にするし!』
『縁起でもない事を言うな!』
『ごめんって。嘘嘘。嘘だから!嘘だから笑って下さい』
『断る!!』

 捲っても捲っても笑った顔が出て来ないオレのアルバム。海馬はオレがカメラを向けると決まって嫌な顔をした。モクバが同じ事をすると笑って応えた癖に、本当にむかつく奴だった。でも、オレは知っている。あいつは本当に写真を撮られる事を嫌がっていたという事を。

『写真は過去そのものだ。それが気に食わない』
『別にいいだろ。残しておいたって』
『オレは過去は振り返らない主義だと言ってるだろうが』
『お前はそうかもしんないけど、オレは過去を大事にするんだよ』
『付き合ってられるか』
『……お前はそうやって過去を捨ててばかりいるけど、仮にオレとの事が過去になったらやっぱり捨てちまうのかよ』
『……過去になりたいのか?』
『そうじゃねぇけど』
『安心しろ。貴様の事は記録ではなく記憶に残しておいてやる』
『なんだそれ。同じもんじゃねぇか』
『違うぞ』
『そうかね』
『ああ、全然違う』

 どこまでも顰め面な、写真という記録媒体の中の海馬瀬人。最後までそのスタンスを貫き通したお陰で、オレのアルバムはこんな有様だ。一枚位、たった一枚位笑顔が欲しいと思ったけれど、その願いを叶える前に奴はあっさりとオレを置いて逝ってしまった。

 好きだの一言も言わないままで。

 

 

「普通はゆっくり歩いて行く所を、全速力で走ったんだもん。そりゃ、途中で倒れるよ。だからオレは何度も兄サマに言ったんだ。立ち止まって休んだらって。でも、兄サマは立ち止まるどころか、走る速さを緩める事も出来なかったんだ。お前が来てからはちょっとは歩く様にもなったんだけど、もう遅くて」

「人の事は煩く言うけど、自分の事は何にも言わない人だったから。誰も気付かなかったんだ。顔色が悪いのも、痩せているのも昔からだったし、突然倒れるのも特に珍しい事じゃなかった。……でも、本当はそれが普通じゃなかったんだ。普通じゃなかったのに、オレは」

「……後悔してるよ。寝ても覚めても、ずっと、後悔してる」

 

 

 今より少し前の、あの夜。何度も何度も同じ言葉を繰り返しながら泣き崩れたモクバの身体をぎゅっと抱き締めて、オレは目の前で目を閉じている海馬にふざけるなと大声で怒鳴り散らした。

 馬鹿だ馬鹿だと思っていたけど、ここまで馬鹿だとは思わなかった。お前は最低の兄貴なんだぞ、分かってるのか。もうお前なんかにモクバを触らせてやるもんか、オレが代わりに大事にしてやる。悔しいか、ざまあみろ。悔しかったら目を開けてオレからモクバを取り返してみやがれ、この馬鹿野郎。

 頬を流れる涙と同じく留まる事を知らない罵詈雑言は、悲しみに沈んだ室内でやけに大きく響き渡った。こんな筈じゃなかった、あの時冗談であんな事を言ったけれど、本当にお前を失うなんて思わなかった、予想外だ。
 

 だって、オレはまだ……お前の笑顔の写真を一枚も撮れてはいないのに。

 

 

「決めた?」

 コツン、と頭に軽い衝撃があって、目の前にカードが落ちて来る。いつの間にか部屋に戻り、オレを上から覗き込んだモクバがいつも首から下げているあのロケットだ。この中には海馬の笑顔が入っている。遠い昔の、オレが知る事もない幼い笑顔。
 

 モクバには沢山の笑顔を残したお前。
 余りに数が有り過ぎて、どれが一番かなんて決められない。
 

「……決められねぇ。どれも同じに見えるし」
「僻みかよ」
「僻んでねぇよ。お前こそ僻んでるんだろ」
「…………ちょっとだけな」
「海馬は記録に残されるのは嫌だったけど、記憶に残すのはいいって言ってくれたからさ」
「お前ばっかり」
「そんだけ一杯持ってんだからいいだろ。一つ位さ」

 

 

 あの日。
 海馬が息を引き取った、その当日。

 オレは最初で最後の贈り物をあいつに貰った。
 言葉は何もなかったけれど、口元を緩めて目元を和らげた仄かな笑み。

 涙で滲んで余り良くは見えなかったけど、本当に綺麗な微笑みだった。

 他の誰にも、モクバにさえも見せる事が無かったその笑顔は、写真として残す事は出来なかったけれど、オレの脳裏に強くはっきりと焼き付いている。カメラを向けたオレが散々せがんでも、一度も見せる事はなかったそれをあんな時に不意に見せるなんて反則だった。

 お陰でオレは今もお前がこの世に居ない事を受け入れられずにいる。

 

 

「他人に笑顔を見せるのは勿体ねぇから、真面目なのにしようぜ」
「なんだよそれ」
「だって、オレとお前の宝物じゃん?」
 

 モクバには沢山、オレにはたった一つ、遺してくれた贈り物。
 遺影として大勢の人間に見せるのは、余りにも悔しくて。
 

 棺にはオレの写真を全部入れた。モクバの写真も勿論入れた。その他お前が向こうでデュエルが出来る様に、お前が最後に組んだままのデッキも入れた。一足先に行っただろう『遊戯』が待ち受けているだろうから、当分退屈はしないだろう。

 置いて行かれたのは少し寂しいけれど、オレは過去を大事にする男だから、仏頂面の写真達とお前と作った沢山の思い出だけで十分生きて行ける。
 

 ……生きて、行かなくちゃいけないんだ。前を見て。
 

「………………」

 オレは手元のアルバムから一枚の写真を引き抜いて、重い表紙を力任せに閉ざしてしまう。取り出した写真は何の変哲もないいつもの無表情だったけれど、最もあいつらしいものだったからこれでいいと思った。

 モクバは、もうオレの手元を見ようとしない。
 

「兄サマは、幸せだったのかな」
「最後に笑ったんなら幸せだったんじゃねぇの」
 

 そう思う事しか出来ないけれど。

 

記憶に刻まれた笑顔は、永遠に色褪せない。

 

-- END --