押し入れMagic


「何故こんな所にいなければならんのだ!」
「我慢しろよ。ちょっとの辛抱じゃねーか」

 突然真っ暗で狭苦しい空間に連れ込まれ、海馬は酷く不快に思っていた。
 ただでさえ安い観光ホテルの四人部屋。ベッドは無く畳に薄い布団で眠らなければならず、仕事用に持って来ていたノートPCを自由に使えるスペースすら無い。ただそれは我慢しようと思えば我慢出来る。
 この旅行がプライベートでは無く、童実野高校の修学旅行だったからだ。

「いい加減に離せ。オレはメールのチェックをしたいのだ」
「やだ。せっかくお前と二人きりになれるチャンスだってのに、これを無駄にするつもりはないぜ」
「何故貴様と二人きりにならなければならんのだ!」
「オレがお前を好きだからに決まってんだろ」

 城之内がさも当然と言わんばかりの顔で言葉を放つのに、海馬は呆れたように溜息を吐く。そしてこの部屋に残った事を心底後悔した。

 

 同部屋の級友二人が買い物に行くと言った時、海馬は仕事をするには丁度良いと思って留守番を申し出た。これで暫し一人で静かにメールチェックが出来ると思ったし、てっきり城之内も彼等に付いて行くのかと思っていたから、すっかり安心していたのである。
 だから次の瞬間に城之内が吐き出した言葉に、海馬は心底驚いた。

「あ、オレも留守番する」

 のんきに放たれた言葉の後に「何か面倒臭いし」と付けられたのを聞いて、級友達は納得して二人だけで買い物に行ってしまった。そしてドアが閉まるのと同時に城之内に手を引かれ、押し入れに押し込まれたのが今から五分前の事だったのである。

「いいから手を離せ。オレは仕事をする」
「嫌だって言ってんじゃん。もう二ヶ月も前からお前の事が好きだって言ってるだろ? お前もいい加減諦めろよな」
「何を諦めると言うのだ! オレは男と付き合う趣味は無い! ましてや凡骨等と…」
「凡骨って言うなよ。好きな奴にそんな事言われたら、流石に悲しいぜ」
「そうか、悲しいか。ならば何度でも言ってやる。凡骨凡骨ぼんk…」
「あー煩い!! お前少し黙ってろ!」

 城之内の言葉に苛ついて大声で反論していると、突然自分の唇に何かが押し付けられたのに気付く。同時に言葉を発する事が出来なくなってしまって、海馬は焦りで目を白黒させた。押し入れの闇の中では状況が全く掴めない。今、自分は一体何をされたのだろう?

「………?」
「キス貰っちまった。お前唇やらけーなぁ…」
「な…キス…? き、貴様…一体何をして…っ」
「お前が煩いのがいけないんだろー? 黙ってりゃすっげー綺麗な顔してんのに、どうしてこう口煩いかなぁ? 勿体無い」
「な…何を言っているのだ! 貴様にはそんな事関係ないだろう!」
「いや、関係あるね。だってお前にはオレの恋人になって欲しいんだもん」
「まだそんな事を言っているのか!」
「何度だって言うよ。なぁ…海馬。オレの恋人になって」

 狭くて暗い押し入れの中でグイグイと身体を寄せられて、城之内の熱い体温が制服越しに伝わってくる。その熱が酷く居心地悪く感じて、海馬は城之内の身体を押し返してしまった。結構力を入れたつもりだったのに、城之内はそれ以上の力で寄ってくるので全く意味が無い。
 耐えきれなくて顔を背けたら、今度は海馬の頬に唇を寄せてくる。くすぐったい感触に、海馬は思わず「わ…分かった…。分かったから…っ」と声を荒げてしまった。

「分かったから…。とりあえず押し入れから出させてくれ。話はちゃんと部屋で聞く」
「嫌だ」
「何故だ!」
「だって、アイツ等いつ戻って来るか分かんないじゃん。そんな状況で落ち着いて話なんて出来ないだろう?」
「馬鹿か!? こんな場所の方が落ち着かないではないか!」
「そんな事ないぜ? 生き物は狭くて暗い場所の方が落ち着いたりするもんだし」
「どういう理論だ…」
「え? そう言わねぇ? あとこういう暗い場所だと、人間って素直になるらしいぜ。お前ももっと素直になれよ」
「誰が…! それにだからと言って…っ」
「…っ! しっ…っ!」
「んぐっ…!!」

 城之内の訳の分からない理屈に反論しようとした時、ガチャリと部屋のノブが回る音がした。次いで「財布忘れたー」という間抜け声と共に、ドタドタと部屋の中を歩き回る足音がする。文句を言おうとした口は城之内の掌によって塞がれ、身体も城之内が全体重を乗せて壁に押し付けてくるせいで全く動けない。

「っ………! んーーー!」
「しー…」

 何とか声を出そうとすると、城之内が小さな声でそれを諫めた。ほんの僅かに開かれた襖から部屋の灯りが漏れていて、口元に人差し指を立てている城之内の顔が見える。
 自分は何も悪い事はしていない。押し入れに連れ込んだのは城之内であって、自分はただの被害者の筈だ。
 それなのに城之内のその顔を見ていたら、何故だか自分がとても悪い事をしている気になって、海馬は思わず身を固くしてしまった。

「あれー? アイツ等どこ行った?」

 部屋の中央で足音が止まり、一拍遅れて響いてきた級友の声にドキリと心臓が高鳴る。

「留守番してるって言ってたのになぁ…」
「向こうも買い物か何か行ったんじゃねーの?」
「鍵開けっ放しでか?」
「すぐ戻ってくるつもりなのかもしれねーぜ?」

 話し声は止まない。狭い押し入れの中で身動き一つせず、ドクドクという心音だけが高まっていく。このまま級友達が部屋を出て行くまでじっとしていたかったのに、城之内はじりじりと海馬との距離を詰めてきていた。そして口元に当てていた掌を外すと、代わりにそこに自分の唇を押し付けて来る。
 ずっと口元を塞がれていた為、何となく息苦しさを感じていた海馬は、城之内の手が離れて行ったのと同時に口を開けて大きく呼吸をした。だがそれがいけなかったらしく、開いたままの唇から城之内の舌が無遠慮に入り込んでくるのに対し、海馬は全く抵抗する事が出来なかった。

「っ………! ふっ…!!」

 ヌルリと入り込んでくる熱い舌。押し返そうとしても、逆に舌を絡め取られて強く吸われる。更に歯列や顎裏を舌先で擽られ、下唇を甘噛みされて、段々と腰の辺りがザワザワしてくるのを感じていた。抵抗したり大声を出したりしたくても、今の状況では何一つ出来無い。

「んっ…! はぁっ…ふ…」

 息苦しさに涙ぐみ、震える手で城之内の制服を強く掴む。最初は腰の辺りを。次に胸の辺りを掴み、そこから移動して筋肉質な腕を覆う袖を。そして最後は首に腕を回して、自ら城之内の顔を引き寄せていた。

「…ぅ…んっ! あっ…ふぁっ…!」

 気付けば先程まで部屋にいた級友達は、もう部屋から出て行ってしまっていた。部屋の中には誰もいないというのに、二人はそのままずっとキスを続ける。押し入れから出ようともせず、ただ暗く狭い空間で、強く抱き合いながら何度も唇を合わせていた。
 舌や唇が熱くなり痛みを感じるようになるまで長いキスをし、漸く満足したように二人は離れる。ツーッとお互いの唇の間に銀色の糸が繋がっていて、城之内はその糸を舌先で舐め取り、トロリとした唾液で汚れている海馬の口元を指先で優しく拭ってくれた。そして「海馬…」と、低く響くような声で海馬の名を呼ぶ。

「なぁ…。どうして逃げなかった?」
「………」
「本当に嫌だったんなら、最初に押し入れに連れ込まれた時点で抵抗するよな。いくらオレの力が強いとは言っても、お前の腕力だって相当なものだろ? お前に本気で抵抗されれば、オレなんて敵わないよ。なのに何で逃げなかったんだろうなぁ…? なぁ、海馬?」
「………」
「それに前から不思議に思ってたんだよ。本気でオレが嫌いなら、もっとハッキリキッパリオレの事をフッている筈だろ? なのにお前の断り方はどこか曖昧なんだ。まるでわざとオレに付け入る隙を見せつけるかのように…」
「………」
「大体部屋に二人きりになった時点で、ヤバイって思わないのもおかしいし。しかも今のキス。最後の方なんて、絶対自分から求めて来てただろ? 言い訳は聞かないぜ?」
「………」
「質問するだけ無駄か。だって答えはもう出てるもんな」

 そう言って城之内は、もう一度顔を近付けてくる。柔らかい唇を挟み込むようにキスをされ、チュッという軽い音と共に離れて行く。その音が至極恥ずかしくて、海馬は自分の顔がカーッと熱くなっていくのを感じていた。
 思わず両頬に掌を当てて俯くと、頭と肩を優しく抱き込まれてしまう。そして耳元で至極男臭い声が響いた。

「お前…もう逃げられねーぞ。ていうか逃がさねーし。そういうつもりで…いいんだよな?」

 襖の隙間から漏れる灯りの中、濡れた唇を舌舐めずりしながらそういう城之内に、海馬は何も言えなかった。ただ素直に頷くのも悔しくて顔をプイッと背けると、闇の中からクックックッ…という笑い声が漏れてくるのに気付く。その笑い声を酷く不快に思いながらも、手探りで触れた背中を引き寄せずにはいられなかったのだった。
 

-- END --