運命と必然の間で


 その男の事を、酷く疎ましいと思っていた。

 自分と良く似たその姿。まるで鏡の向こうから遣って来たかのように感じられる造形。違うのはその髪の毛が酷く長ったらしい事と、髪の色が自分とは違って少々赤味が強い事…。そして常に目元を隠している事だけだ。外見的にはそれしか違いが無い。ただ内面は違う。その男は…常に明るくて、そして酷く馴れ馴れしかった。
 常日頃から忙しく遊んでいる暇なぞ無いというのに、奴はオレにピッタリ引っ付いて離れない。それだけでもウザイというのに「瀬人、瀬人」とファーストネームで呼んで来る事に関しても頭に来る。誰が名前で呼んで良いなんて許したのだ。オレは自分の名前を他人に呼ばれる事を、他の誰にも許した事など無い。それが例え…自分に生き写しの相手であってもだ。
 だからオレは何度も「名前で呼ぶな」と奴にきつく言い含めてきた。だが奴はその度に「またその事か」と軽く受け流し、少しも態度を改めようとしない。それどころかますます親しげに懐いてくる有様だ。

 そういう奴の行動の一つ一つが、オレの精神を苛立たせた。あからさまに嫌がって見せても、奴は決してへこたれない。相変わらす「瀬人」と名を呼び、笑顔で近寄ってくる。
 一昨日も…昨日も…今日も…。そして今だって。

「瀬人…? 何故そんなに俺の事を避けるんだ?」

 社長室にふらりと現れた奴に、オレは椅子から立ち上がりながらキツク睨み付けた。仕事の邪魔をされそうだったので手先だけでシッシッと追い返すようにすれば、ほんの少しだけ声のトーンを落として珍しい事を言ってくる。
 ふん…。そんな寂しそうな声を出されてもオレは騙されないぞ。実際いつもの奴はヘラヘラと笑ってオレに纏わり付くし、今だってくいっと上がった口角はびくともしない。何とも腹立たしい男だ。

「避ける? オレが貴様をか?」
「そうだ」
「冗談も程々にしておけ。オレがそんな事をする筈無いだろう」
「そんな事はないぞ。ほら…また避けている」

 奴の側を通り過ぎようとした時、腕を強く掴まれて歩みが止まってしまった。その拍子に持っていた資料を床に落として、せっかく束ねていたそれらの紙が四方八方に広がる様を目の当たりにしてしまう。床に広がる紙を見て、思わずチッ舌打ちをしてしまった。
 本当に…どこまで迷惑な男なんだ、コイツは!!

「急に掴むな! 大事な書類を落としてしまっただろう!!」

 怒りに任せて大声で怒鳴っても、目の前の男は全く反省の色も見せずにいつもの笑みを見せている。

「書類なら後で拾ってやる。それより今はもっと大事な話をするべきだ」
「仕事以上に大事なものなんてあるか! オレは忙しいんだ。貴様の下らない話に付き合っている暇なぞ無い!」
「下らなくなんかないぞ。これからも俺達が上手く付き合っていく為には必要な…」
「付き合う? 誰と誰がだ?」
「俺とお前とがだ」
「下らない…。それこそ戯れ言だ。誰が貴様のように出自もハッキリしないような奴と付き合うものか」
「不確定要素が高いものを嫌うお前の性格は、もう把握済みだけどな。だが本当に俺の存在を嫌っているのならば、ここまで近付けてもくれないだろう。お前はそういう人間だ」
「分かったような口を…っ」
「それに俺には分かっている。お前が俺を嫌ってなどいない事をな…。ただお前は、俺の存在を認めたくないだけだ」
「なん…だと…っ」

 腕を強く掴まれたまま、オレは目の前の男を睨み付けた。睨んだ…と言っても奴の視線と直接交わる訳では無い。その瞳は影の如く隠されているからだ。全く持って忌々しい。瞳から真意を探る事すら出来やしない。
 せめてもの抗議にと精一杯の力を込めて睨み付けてやるが、奴は全く意に介しはしなかった。それどころかますます笑みを深くする。オレが一番嫌いな…にやつく笑みを。

「どういう意味だ…それは…っ」

 男がニヤニヤしているのが気にくわなくてそう問い掛けると、奴はムカツク事にひょいっと肩を竦めておどけてみせた。
 真意が…見えない。コイツが一体何を考えているのかがさっぱり分からなくてイライラする。

「言ったまんまだが? お前はオレの存在を認めたく無いんだ。だから常にオレを無視し、いないように振る舞い、わざと気に掛けないようにしている。最初はただ単に嫌われているだけかと思ったんだが…」
「あぁ。全く持ってその通りだ」
「違うだろう…瀬人? それは違う。それはお前が本当に嫌いな相手に対して取る行動では無い」
「そ…そんな事…っ」
「それに気付いた時、では何故だ…と俺は考えた訳だ。そして漸く答えが出た」
「っ………」
「お前…。俺の存在が…怖いのか?」

 ビクリと身体が震えた。何か聞いてはいけない事を…聞いたような気がした。

「な…何…を…」
「あぁ、そうだ。お前は俺が怖いのだ。俺の存在が…不確定で曖昧な俺の存在が怖いだけなんだ」
「なっ………!」
「いつお前の元を去るやもしれない、いつ消えるかもしれない、いつ無かった事になるかもしれない俺という存在が…怖くて堪らないんだ。そうだろう?」
「ち、違う…っ。そんな…事…っ」
「確かに俺の存在は不確かだ。俺もいつまでこの場所にいられるか…分からない」
「っ………!!」
「別れを恐れるお前の気持ちも良く分かる。正直俺だってその日が来るのが怖い。だけどな…瀬人」

 男が身体の向きを変えてオレに向き合った。見えない視線が見えるような気がする。真っ直ぐに…じっと…真摯な視線が。

「いつか来る別れを恐れているだけでは、せっかくの出会いが無駄になるんだぞ」
「え………?」
「身を置く世界が違う我らが今一緒にいるという事は、この出会いにはそれなりに深い意味があるという事だ。例えこの先に永遠の別れが待ち構えていようと、この出会いは決して無駄な事ではない。ん? そうは思わんか…瀬人?」

 ニヤリと…口元に浮かぶ笑み。だがどうしてだろうか? 先程より巫山戯た笑いでは無いし…それに何故だか余り腹が立たない。

「どうせお前の事だ。いつか別れなければならないのなら、初めから仲良くなどならなければ良いとでも思っていたのだろう」
「っ………!」
「ほらな、やっぱりだ。だがそれでは出会った意味が全く無くなる。別れる事にでは無く…出会う事にこそ意味があるというのに…だ」
「出会う事の…意味…?」
「そうだ。せっかく意味のある出会いをしたというのに、お前はそれを無にしようとしていたのだ。勿体無い事だぞ? もっと俺を信用して利用するがいい」
「だ…だが…」
「あーもう! 難しい事は考えるな、瀬人。俺達が出会ったのは、運命であり…必然であったのだ。例えそれが永遠では無くても…な」
「運命であり…必然…」
「そうだ瀬人。別れを…恐れるな」

 目の前の男がふわりと笑っている。厭味の無い…優しくて男らしい笑みだ。その笑みに何故だが至極安心してホッと息を吐いたら、掴まれていた腕を引かれてそのまま強く抱き締められてしまった。温かな男の体温に包まれながら、オレもその背に腕を回す。そうだ…。本当は…ずっとこうしたかったのだ。ただこの男が今にも消えてしまいそうに見えて、怖かっただけだった。
 

 別れはいつか必ずやってくるだろう。だがオレはもうそれを恐れない。
 運命と必然の間で…この男と共に生きる覚悟をしたからな。その日が来るのを一日でも遅らせる為に、精々必死に足掻いてみせようと…そう決めた。
 

-- END --