Act0 転がり込んだ災難(Side.城之内)

 それは冷たい風が吹きすさぶとある日曜の真昼間の事だった。今日は新年に入ってから初めての休みで、前日に思う存分夜更かしをしたオレは、午前中一杯位は寝て過ごそうと昨夜……と言うか今日の朝方、外が少し明るくなってから布団に入って心地いい睡眠を貪っていた。

 予定では昼間まで寝倒した後、昼飯を食わずに目下真面目にお付き合い中のKC社長さんの所に押しかけて行って「一緒に御飯食べよーぜ」と誘う振りをしてモクバとの昼食のご相伴に与ろうと思ってたんだけど……そんなオレの目論見は安っぽいチャイム音で脆くも崩れ去ってしまった。

「……なんだよもー。朝っぱらからうるせぇなぁ」

 まぁ、もう朝じゃないからこれはオレの言い分の方が理不尽な訳だけど。

 余りにも眠くて起きるのもだるかったから居留守を使おうと思ったけど、もう一度鳴るチャイムにどうにもスルー出来ない事を悟ったオレは、仕方無く寝起きの小汚い顔で欠伸をしながらノブを回して押し開ける。

 するとそこには「どこのドラマに出てくる俳優だよそりゃ」な、ぱっと見ただけでかなりお値段が良さそうなカッコいいコートとマフラーを纏った高校生セレブが立っていた。外には雪が降っていたのかその頭とマフラーと肩の辺りにはうっすらと雪が積もっていて、いかにも寒そうに見える。
 

 ……ってそんな事を冷静に観察してる場合じゃないんだけど!!

 何で海馬がここにいるんだよ?!こいつオレの家なんて知らねぇ癖に!
 

 ……それだけでも腰を抜かすほどビビったのに、数秒後オレは更に驚いた。何故なら涼しい顔で玄関前に立ち尽くしているセレブ……じゃない海馬の背後に、何やら高級そうなブランド物のスーツケースが三つ程積まれていたからだ。

 スーツケース三つって、お前これから旅行にでも行くつもりかよ。もしかしてまた海外出張か?こないだ行ったばかりじゃね?あーでもあん時はすんごい素気無い三行メールを寄こしてさっさと行っちまったから今回はそーじゃねぇのかな。わざわざ別れを惜しみに来るなんてまず無いしな。天地が引っくり返っても有り得ないわ。うん。

 でも、じゃあ、これは一体……。

「……えーっと。お、おはよう」
「何がおはようだ。もう昼はとっくに過ぎてるぞ。この凡骨が」
「あ、そうだよな。ごめんごめん……っじゃない!!そうじゃなくて!!お前、急になんだよ?つか、ここ知ってたの?しかもどうしたんですかその荷物?これからどっか行くのかよ?」
「開口一番騒々しいな」
「だってさぁ!」
「何処かに行くのではない。ここに来たのだ」
「はい?」
「だから、貴様の家に泊まりに来たのだと言っている」
「あ、なーんだそういう事。お前、オレん家に泊まりに……って!!ええええええ!?ちょ、何だよそれっ!」
「何だよと言われてもな」
「いや、オレ、何も聞いてないし!」
「当然だ。言っていない」
「そこで威張るなよ!!ど、どういう事なんだそれっ!」
「どういう事もそういう事もない。言葉通りだ」
「どの言葉通りなのか説明しやがれッ!」

 恐る恐る……本っ当に恐る恐るオレが海馬に理由を尋ねたところ、余りにも予想外の答えが返って来て、オレは今度こそ思いっきり仰け反って絶叫した。だってそうだろ?!海馬が、『あの』海馬くんが何の前触れもなく突然人の家にスーツケース持参で現れて「泊りに来た」とか信じらんねぇし!こ、これは天変地異どころの騒ぎじゃねぇ、明日地球が滅亡するんじゃね?つか絶対するし!!しないと嘘だって!!

 余りの事にパニックに陥ったオレを真正面に立ってしっかりと見ているのに、全く持って動揺の欠片すら見せない海馬くんは、相変わらず飄々とした態度で腕を組み(多分外にいるから寒かったんだなーと後で思った)、少し小首を傾げて「迷惑か?」とのたまった。

 や、迷惑とか迷惑じゃないとか、そういう問題じゃねぇし。そんな事全く考える暇なかったし。んーあー……なんつったらいいのかなー。

「迷惑なら、他を当たる」
「え?他ってなんだよ」
「他は他だ。遊戯とか、ああ、孔雀舞は一人暮らしと言ったか」
「ちょっ、まっ待て!!待てったら待て!!お前、一体全体何言っちゃってんの?!泊まるとか何?!なんでお前が他人の家に泊まんなきゃいけねーんだよ!つかホテル行け、ホテル!」
「それはまぁ、色々事情があってだな」
「事情って何」
「事情は事情だ」
「……意味分かんねぇ。お前に限って家出とかないだろうし」
「家出?……あぁ、そんな所だ」
「えぇ?!マジで?!モクバと喧嘩でもして来たのかよ」
「…………。そういう訳だから、家には帰らない」
「理由はスルーな訳ね。……で、なんでオレのとこに来た訳?」
「……他にどこに行けと言うのだ」
「………………」

 そこまで言うと海馬は少し寒そうに身を縮こまらせて、はぁっと大きな溜息を吐く。その息が尋常なく白くって、あー外はめちゃくちゃさみーんだろうなぁ、今日は最高気温プラスになるっけ?なんてどうでもいい事を考えちまう。つか、マジ寒い。オレ寝る用のジャージ一枚だし、玄関扉開けっぱなしだし。このままここで立ち話してたら凍死する。でも、着替えて外行くのも面倒臭いし、まず海馬がそこから退きそうにない。
 

 あーもーどうすんだこれ。どうしたらいいんだよ、オレは。
 

 ……まぁ今の季節、オヤジは雪の無い地域に出稼ぎに行っていて来月まで帰って来ねぇし、オレは事実上独り暮らしみてぇなもんだから、海馬一匹住まわせる位どうって事無いんだけど。何て言うか……相手が相手だから本当にいいのかどうか迷う所があるじゃん?これが普通のダチだったら生活費さえ払って貰えれば(ここ重要)一週間でも一ヶ月でも別に構わねぇんだけど。

 そんな事を考えながらオレは一回天井を仰いでがしがし髪を引っかき回した後、チラっと海馬を盗み見た。奴はやっぱり無表情で、それでもびみょーな迫力を持ってその場に仁王立ったままだ。何時もなら結構諦めがいいこいつも今回ばかりは妙に粘るな。何かよっぽどのっぴきならない事情でもあるんだろうか。

 おいおいヤだぜ。どこぞの組織に命狙われてるとか、マスコミに追いかけ回されてるとか、そーゆーの。でもだからと言って他の奴のとこに行けってのもヤバイ。今の意味でもヤバイけど違う意味でもヤバイ。放置出来ない。

 ……つー事はやっぱオレがお預かりするしかねぇのかな。海馬ん家のトイレ位の大きさの部屋しかないけど。しかもお世辞にも綺麗とは言い難いけど。

「……えっと、色々確認したいんだけど」
「なんだ」
「お前、オレやオレの家に夢見てねぇよな?」
「どういう意味だ?」
「だから、お前ん家みたいな快適な生活が約束されるとか、そういう無謀な想像はしてねぇよなって事。オレん家は全部セルフサービスですから。飯や風呂の果てから掃除洗濯買い物ぜーんぶ自分でしますから。そーゆーの分かってんのかって聞いてんの」
「大体は。とりあえずなんの期待も希望も抱いてはいない」
「OK。んじゃ、もう一個。なんかヤバイ事に巻き込まれてるとか、そんな事も無いよな?ここ、一応団地だからさ、ご近所さんに迷惑かけるとマズイわけよ」
「それはない」
「絶対ないな?嘘吐いたり隠したりしてねぇよな?」
「ああ」
「ホントかよー。お前リアクション薄過ぎて怪しいんだよなぁ」
「そう言われてもな。無いものは無い」

 そう言って呆れた様に肩を竦める海馬の顔に嘘は読み取れない。付き合い始めて三ヶ月。この位になるとオレの方も大分こいつの考えてる事が分かる様になって来て、その経験から言えば今はシロだ。ただし、嘘も上手いっつー事も知っている。だから難しいんだよなー。あーでもよー……でもさぁ。

 頼られるっつーのはまぁ悪くないよな。どーでもいいけどこいつ、大丈夫なのか?良く考えたらお前、めちゃくちゃ美味しい事態なんですけど。清い交際が全然清くなくなる可能性100パーセントなんですけど。

 オレはそれからまた暫く考えた。考える事なんてあんまねーけどとりあえずスタイルとして考えるフリをした。こうでもしないと後々海馬が文句言った時に「お前がどうしてもって言ったんだろ」って言い聞かせらんねぇからな。うん。将来を見越して考えるって大事だね。オレってマジ優秀じゃん。

 そんなこんなで数分後。十分勿体をつけまくったオレは、最後の最後でしっかりと以下の事を確認してから、海馬を家の中へと招き入れた。
 

1.我儘を言わない事。
2.嘘はつかない事。
3.オレの言う事は極力聞く事(全部は無理だろ、絶対)
4.何があっても自己責任。特に『彼氏』の部屋に泊まり込んでるって言う自覚を持つ事。
 

 ……この条件が厳しいか厳しくないかは人それぞれだけど、意外にも海馬は黙ったまま首を縦に振って見せた。こいつほんとに分かってんのかなー分かってなさそうだよなぁ。
 

 そんな訳で今日から海馬は一時的にオレの家に住む事になりました。

 これから一体どうなるんだかちょっと不安だけど、なる様にしかならないからまずは少し様子を見てみようと思う。
 

 ── 多分絶対後悔しそうだけど、まぁ、いっか。