Act5 朝の出来事(Side.城之内)

 朝目が覚めると、首元になんか凄く温かいモノが張り付いていた。

 何事?!と慌てて重たい瞼を持ちあげると、目の前にはいかにも柔らかそうな茶色の髪と、その間からちょこっと見える小さな旋毛。……ああ、そう言えば昨日海馬が突然押しかけて来たんだっけ。オレ、夜更かししてるこいつをほっぽって寝たんだけど、ちゃんと布団に入って来たんだな。偉い偉い。

 しかしこいつこんなにがっちりオレをホールドしてっけど、これって癖なのか?オレがモクバとか言うんなら別に構わないけど、これはちょっとヤバいんじゃないでしょうか。まぁいいけど。可愛いし。つーかガキみてぇ。

 社長ならふつー身だしなみとか気をつけるんじゃないんですかね。オレでも朝手間かかんねぇ様に(物理的にも金銭的にも)出来るだけ頭は動かさない様に寝るってのに、こいつめちゃくちゃフリーダムだな。起きたら凄い事になってそう。てか、寝相そのものが既に凄い。おもしれー。

 常日頃から格好はちゃんとしてるし、行動は……まぁ一部とんでもないとこでボケてる以外はフツーだから、どちらかと言えばきちっとしてしっかりしてると思ってたんだけど……なんか全然そうじゃないみてぇ。ま、イキナリ生活費っつって五百万出す位だからな。常識とかそういうのは特殊な世界に住んでるから微妙にズレてんのはしょうがないんだけど。

 それに良く考えたらコイツ坊ちゃまだもんな。日常生活なんて全部人任せだろうし。庶民には全く想像つかない世界だけど、寝てる間に身支度とか整えて貰っちゃってたりして。……うーん。複雑だ。

 それにしてもめちゃくちゃ無防備だな。昨日の風呂でも思ったけど、いっくら相手が自分に危害を加えない奴だって分かってたとしても普通ここまで爆睡するか?しかも初めて泊まった他人の家で。更に言えば他人の布団に潜り込んで!これが全てコトが済んだ後の初めての朝とか言うならまだしも、全く持ってそうじゃねぇし。オレがコイツの立場だったらまず隙は見せないね。何されるか分かったもんじゃないからな。

 何、されるか……。

「………………」

 そんな事を極自然に思いながら、オレはちょっと身体を起こしてほんの僅かに眠る海馬から距離を取った。オレをホールドしていた、と言っても所詮爆睡している人間の力だから身体に回されていた手は簡単に外れてずるずると布団の中にずり落ちて行く。その事が不満だったのか、それともオレが起きた所為で中途半端に肌蹴た上かけの間から朝の冷たい空気が入って寒いのか、海馬は微かに眉を寄せて不満気に唸った。ほとんどぐずってる様なその声はやっぱり普段の姿からは想像もつかない。

 枕の端っこに乱れた栗色の髪を散らかして、強引に引き寄せたのか殆どぐしゃぐしゃになっている毛布を巻き付けて身を縮こまらせている『コイビト』の姿に、オレは当然の事ながらごくっと唾を飲んだ。だってシチュエーション的には最高でしょこれ。ドラマでも良くあるじゃん。彼女の無防備な寝姿に見事に煽られて一人臨戦状態になった彼氏が朝から元気にイタダキマスをするってヤツ。

 オレ、実はあれに密かに憧れてたんだよねー。つか、男なら誰でも夢見るっしょ。甘い朝ってヤツをさ。まぁ、生活臭に塗れたこの部屋じゃームード的にイマイチなんだけどさ。そこは目をつぶって下さいって事で。海馬の部屋ならもっといい感じなのかもしんないな。寝室、見た事無いけど。

 ……ここでオレが勇気を出せばそれが実現出来たのかもしんないけど。残念ながらオレは超がつくほど真面目な常識人で、悲しい事に出席日数ギリギリの高校生でもあるから、はぁっと大きな溜息を吐いて折角のシチュエーションをスルーして、出かける支度をしなければならないんです。くそ、なんで今日が月曜日なんだよ!

「海馬。かーいーば!朝だぞ、おい!」

 朝だからってだけじゃない理由で元気に熱を持つ下半身をかばう様に体勢を考えながら、オレは海馬がしつこく握っている毛布をバッと剥いで、反動で大いに乱れた白いパジャマの裾から見える同じ位白い腹から目を反らしつつ、縮こまっている肩に手をかけて大声を上げた。コイツのスケジュールなんてさっぱり分かんねーけどもしかしたら今日は学校に行く、って言うかも知れないから。

 でも海馬はオレが大声を上げて、結構乱暴に身体を揺すっても、ちょっと不満そうな顔をするだけで全然起きる気配が無かった。……寝相が悪い上に寝起きも悪いのかよこいつ。ほんとどうしようもねぇな。うーとかむーとか唸って抵抗しやがって。襲うぞコラ。マジで。

「いい加減起きてくれないとーオレとしても考えがあるんですけど。布団引っぺがして転がすとかーそれとも海馬くん自体をひん剥いて転がすとかー」

 いつの間にか長い手足を生かしてオレが剥いだ布団類を再び引き寄せると、まるで蓑虫みたいに頭からすっぽりかぶって元の位置に収まった海馬に心底呆れたオレは、ちょいっと布団を捲って現れた耳元にまるでキスをするみたいに唇を近づけて最後通告を突き付けてやる。

 普通ここまでされたら大抵の奴は飛び起きるんだけど、海馬は全然だった。煩そうに頭を振って、また蓑虫になる。二三回やったけど結果は同じだった。なんだこれスゲーしつこい。そして可愛い。

 ……結局オレは色んな事に根負けして降参とばかりに両手をあげると、大きな身体で小さくなってる布団の塊に背を向けて出かける支度に取りかかった。顔洗って制服に着替えて、一応二人分のメシも作って、ちょっと寂しいけど一人で先に完食して歯を磨いた。オレの部屋で海馬が寝ている以外は至って何時も通りの朝の時間。

 けど、なんとなく楽しく思える。

 ちら、と時計を見ると7時半を大きく過ぎていた。さっき何気なくつけていたニュースでは昨日からの雪で交通機関が乱れているらしいから早く行かないと遅刻しちまいそうだった。高校二年も後少し。これまで散々サボったつけが回って三月の末までは遅刻も欠課も出来ないオレはこれ以上暢気にはしていられなかった。

 海馬をこのまま放っておいても良かったけど、さすがにそれはマズイだろうと思い返し、鞄を肩に引っかけたままオレは部屋の扉をワザと大きく引き開けて、ずかずかと中に入り、今度は容赦なく布団を引っぺがして遠くに放ると大きく息を吸い込んだ。

 そして。
 

「海馬、おい海馬ッ!!お前いつまでぐーたら寝こけてんだよ!!」
 

 ありったけの声でそう叫んでやったんだ。
 

 そしたら海馬の奴ようやっとお目覚めで。凄く吃驚したような顔で(今更吃驚とか訳分かんねぇ)オレを見上げてなんだかよく分かんない事を呟いてたけど、時間が無かったオレはそれを聞き流して、無意識に凄い寝癖が付いた海馬の頭を二三度撫でると、いい気分で部屋を後にした。あ、しまった。おはようのちゅー位するべきだったかな。明日はやってみよう。

「んじゃ、いってきまーす」

 返事を期待する事無くそう言って、案の定帰って来ない返事に特に凹む事もなくオレは何となく鼻歌を歌いたい気分で薄汚れた鉄扉を軽く閉めた。現れた外の風景は綺麗な銀世界だったけれど、今日はいい一日になりそうだ。
 

 二人暮らしって案外面白いかも。例え相手が何にも出来ない蓑虫でも。
 

 そんな事を思いながら、オレは軽快に朝の第一歩を踏み出した。