Act4 失敗しました(Side.海馬)

「……なんかもー疲れたから先寝るわ。光熱費勿体無いからあんま夜更かしすんなよ」
「貴様、明日は」
「うん?バイトの事?冬期間は事故ったら怖ぇから新聞配達やってねぇんだ。だから朝早いとかは無いぜ。学校行く位だ」
「そうか」
「お前はどうなのよ」
「貴様と大差はない」
「学校は?」
「明日は行く気がない」
「ちぇ、つまんねぇの。一緒に登校とか憧れてんのになー」
「………………」
「ま、いーや。んじゃーお休みー」

 台詞の合間に盛大な欠伸を交えながらそう言った城之内は、コタツでずっと横になっていた所為で既に寝癖だらけの頭をがしがしとかき回しながら、半ば寝ぼけた様子で隣の部屋へと消えて行った。そしてガタンとかドスンとか、妙な音が響いた後、急に静かになる。

 オレはそれから5分程待ってみて、隣室から何一つ物音が聞こえない事を確認すると、そろりと立ち上がり、閉ざされた立て付けの悪い引き戸を注意深く開くと、オレにとっては唯一の開かずの間だったその部屋を覗き込んだ。

 内部は当然明かりが落とされ薄暗かったが、扉が一部擦り硝子製の為真っ暗と言う訳ではない。微かな明るさの中ぐるりと見回した内部の様子は、DVDだのゲームだの漫画雑誌だのが散乱し、確かに悲惨と言えなくも無かった。でもまぁ、これ位は予想の範疇内なので特にどうとも思わない。ただ、その中に半ば埋もれる様に敷かれた布団に辿り着くまでそれらの物を踏まないかだけが心配だった。

 城之内はよほど眠かったのか、多少の物音を立ててもびくともしない。これならば、と乗り出した身体を引いて引き戸を閉めたオレは、徐に自らの携帯を取り出してフリップを開け、耳に当てた。モクバに連絡を取るためだ。城之内宅に住み込むのなら定期的に連絡を寄こせと言われた手前、これは速やかに実行しなければならない。

『もしもし兄サマ?もーあんまり遅いから心配しちゃったよー。そっちはどう?』

 それから数秒後、携帯越しに聞こえたモクバの声は少しだけ眠たそうだった。そろそろ日付が変わる時刻だから当たり前だろう。夜更かしをするな、そう言おうとしてそれが自分の所為だと言う事に気付き、オレは何も言わずにいつもの調子で答えを返す。

「別に普通だ」
『迷惑かけてもかけられてもない?』
「今の所はな。買い物に行って夕食を共にしただけだ」
『ご飯、作ったの?』
「いや」
『えー。それじゃダメだぜぃ。兄サマ、ただのお客さんじゃん!ちゃんと城之内のお手伝いしてあげないと!』
「とは言ってもな……何をすればいいのだ」
『何って。何でもいいと思うけど。城之内、掃除苦手そうだから掃除でもしてあげれば?兄サマ整理整頓得意じゃん』
「掃除か……ふむ」
『後はー朝ご飯とか。ご飯炊けとまでは言わないから、目玉焼きとパン焼く位は出来るでしょ。昔に施設でしたじゃん。そういう事』
「……そうだったか?」
『オレは学校の授業で家庭科とかちゃーんとやってるから朝ご飯位は作れるぜぃ。レシピなんてネットで幾らでも載ってるんだからチャレンジしてみなよ』
「……チャレンジって」
『もしオレが城之内だったら朝起きて朝ご飯がちゃーんと出来てたら感動して泣いちゃうかも知れないぜぃ』
「…………む」

 そういう訳だから、兄サマの明日のノルマはちゃんと朝ご飯作ってあげる事!OK?

 そう言ってほぼ一方的に決め付けられた挙句そのまま電話を切ってしまったモクバに、オレは暫し通話が切れた携帯を睨みながら考え込んでしまった。

 ……確かにこのまま何も出来ない状態ではオレは『ただの居候』だ。そろそろ誕生日を迎える奴の為に何かしてやろうと出向いた意味が余りない。それどころかむしろ奴を疲れさせているような気がする。これでは本末転倒ではないか。尤も、相手がオレに余り期待をしていない分、さほど大事にはなっていないだけで……しかし、それも癪に障る話だ。

 このオレがどんな面においても凡骨よりもレベルの低い位置に甘んじるなど、断じてあってはならないのだ。ましては荷物になるなど言語道断。数日もして「お前、邪魔だから出ていけ」等と言われたら元も子も無くなってしまう。それだけは絶対に阻止しなければ。

「……ふん、面白い。朝食位簡単に作ってみせようではないか」

 誰に言うともなくそう呟いて、携帯を握り締める。モクバや城之内が出来てオレに出来ない事は無い。何においてもマニュアルさえ読めば簡単に習得出来るのだ。料理だって似た様なものだろう。適した材料を用意し分量を守り、そしてレシピに沿って作業をすれば何とでもなる筈だ。いや、なんとかしてみせる!

 そう直ぐに決断したオレは、早速先程追い出された続きのキッチンに侵入し、棚と冷蔵庫を一通り検分する。そしてこの家にある道具と材料をチェックして頭に叩きこむと、再びコタツに戻って開きっ放しだったノートパソコンの前に座り、作業をしていたファイルを全て閉じた上で、ブラウザを立ち上げた。目的は勿論、朝食のレシピだ。

 検索結果に沿って、あちこちのサイトを眺めていると、誰にでも簡単に作れそうなレシピが沢山掲載されていた。それらを片っ端から記憶して、先程覚えた材料と照らし合わせて出来るモノを決めて行く。モクバにはパンを焼く位……等と言われたが、城之内は朝はご飯派だと言ってパンの類を一切買っていなかった事を思い出した。と、言う事は米を炊く事から始めなければいけないと言う訳で……。

「………………」

 オレは再び携帯を取り出して、今度はモクバではなく遊戯へと電話をかけた。その実城之内の周辺はオレと奴の事を知っていて、遊戯に至ってはオレ側の話も好んで聞きたがる奇特な男の一人だった。

 今回の計画もモクバ以外ではこの男が唯一知っている(と言うか、具体的なアドバイスを寄こしたのはこいつだ)「何か困った事があったらいつでも言って!」と力強く頷いていた奴の言葉を信じ、既に数回鳴ったコール音に耳を傾けていると、ややあって微妙に戸惑った返答が聞こえて来た。常と違う凄みのあるその声は、武藤遊戯ではなく『遊戯』の方だった。

『……よう。相棒はもうぐっすり夢の中だぜ。こんな夜中に何の用だ?』
「何故貴様が携帯に出るのだ。遊戯を出せ」
『ご挨拶だな海馬。相棒には言えてオレには言えない話でもするつもりか?』
「そうではない。貴様では役に立たないのだ」
『どう言う事だ?』
「言葉通りだ」
『馬鹿にするなよ。オレにだって分かる事はあるぜ。言ってみな』

 電話の向こうで『遊戯』が目を細めて眉を寄せているのが見える様だ。フン、一丁前に役立たず扱いされると不機嫌になるのだな。ひらがなも読めない癖に生意気にも程がある。

「……では聞くが。米の炊き方が貴様に分かるのか?」
『何?コメ?コメとはなんだ』
「話にならんわ!遊戯を出さんか!」
『相棒は寝てるって言ってるだろ!……って、うわ!……何?海馬くんどうしたの?!なんか事件?!』
「……忙しない奴らだな」
『ごめんね。もう一人の僕、最近携帯の使い方覚えちゃって。で、何?何かあったの?!』

 携帯の向こうでやけに大騒ぎをしている遊戯の声を聞きながらオレはなんだか馬鹿馬鹿しくなったが、仕方なく『遊戯』に言った言葉を繰り返した。その反応は予想通り残念そうな物だったが、懇切丁寧に(と言っても奴の知識も怪しいものだが)教えてくれた。……お陰で大体は分かった気がする。『気がする』だけだったが。

『じゃあ、朝ご飯作り頑張ってね!他にも何か面白……じゃなくて、大変な事があったらすぐに電話して?僕で良かったら協力するから!』

 最後にそんな言葉を残して、半分笑いながら切られた会話にオレは密かに嘆息した。……絶対面白がっているだろう貴様。今度会ったら抓ってやる。そう密かにディスプレイを睨んで呟きつつ、ともあれ大体の知識は習得したから大丈夫だとパソコンを閉じてしまう。

 よし、これで後は早起きして準備をすれば完璧だ。定刻起床には全く自信がないがまぁなんとかなるだろう。
 

 そうと決まればとっとと寝るに限る、とオレは早々に居間を引き上げ、乱雑な部屋の中を極力注意して歩くと、城之内の寝る布団へと辿り着いた。意外な事に案外律儀で寝相のいい奴は、オレの分のスペースをきちんと開けてすうすうと心地良さそうな寝息を立てていた。勿論遠慮なく潜り込みモクバと共寝する時と同様、暖を求めて目の前の身体を抱え込み、そのままあっさりと眠りに落ちてしまった。

 どうやら、オレも知らない内に大分疲れていたらしい。この分だと明日の朝はスッキリと目覚める事が出来そうだ。
 

 そう思っていたのだが……。
 

 
 

「海馬、おい海馬ッ!!お前いつまでぐーたら寝こけてんだよ!!」
「…………っ?!」
「お、起きた。なんだよお前もしかして朝は駄目な人?デッカイ声出しても全然起きないんだもんなー駄目な奴」
「…………今、何時だ?」
「えーっと、そろそろ7時45分?今日も雪だから遅刻しねぇ様にオレ、もう学校行くけど。朝飯作っといたから食えよな。お前、朝食わなそうだけどこの家ではそうは行きませんから」
「っ何?!」
「?なんでそんなに驚くんだよ。朝飯、嫌なのか?」
「いや、そうではなく、だな……本当はオレが」
「まーなんでもいいけど、行ってくるわ。出来るんなら片付けとかしてて貰いたいけど、無理にとは言わねぇよ。んじゃ、また後でな」
 

 どうでもいいけどお前凄い寝癖だなー。
 

 そう言いながら見慣れた学ラン姿で、肩に何も入ってなさそうな学生鞄を引っかけた城之内は、まるでそこいらの犬猫にする様な仕草で人の頭を二三度撫でると、至極機嫌良くオレにくるりと背を向けて部屋を出て行った。その後直ぐに玄関扉が閉ざされる音がしたから学校へと向かったのだろう。

 その音が消えてから暫く、オレはその場で中途半端に身を起こした状態で呆然としていた。気合を入れて寝た日に限って思いっきり寝過ごすとはどういう了見だ。馬鹿にも程がある!

「〜〜〜〜っ!」

 思わずがばりと頭から布団を被り、思いつく限りの罵詈雑言を自分と(何故か)ここにはいない城之内に向かって吐き出した。そうでもしないとこのいたたまれなさにどうにかなってしまいそうだったからだ。有り得ない。有り得なさ過ぎる!海馬瀬人一生の不覚だ!死ね馬鹿が!

 ……そうは思っても過ぎた事はどうしようもなく、行為の無為さに気づいたオレは、その後のそりと布団から起き上がり、緩慢な動作で自らも支度をする為に城之内の部屋を後にした。まずは顔……と洗面所に向かう途中、キッチンの方から何やら懐かしい匂いを感じた。多分奴が用意していたと言う朝食なのだろう。朝に味噌汁の香りを感じるなど、何年振りの事だろうか。

 はぁ、と大きな溜息を吐く。気合を入れた分、しくじってしまうと残念な気持ちも数倍だ。暫くは立ち直れそうもない。……と言っても、オレの『暫く』なぞ精々30分位だが。過去は振り返らない主義だからな。

 ── そうは言っても。
 

「………………」
 

 洗面所にある鏡の前に立つ己の姿を見た瞬間、オレの落ち込みは倍増した。一瞬城之内かと見間違えるほどの盛大な寝癖が忌々しい。なんだこれは!
 

 人生なかなか上手くいかないものだと、こんな時に実感するハメになり、オレはこの日気分的に最悪なスタートを切った。……尤も、城之内の方は一切そんな事は知らないのだろうが。それが余計に腹立たしい。怒りの持って行き場が分からない。

 まぁでも、まだ二日目なのだから挽回のチャンスはある。
 

 そう。これから幾らでも。