Act3 感覚の相違(Side.城之内)

「ぎゃー!!お前っ!着替えてから呼べよ!!」
「何をそんなに大騒ぎしている」
「いや何ってッ!おま……まず服を着ろよ!」
「無茶言うな。水浸しのままでは着れないだろうが。早くタオルを寄こせ」
「あ、あーそうか。って!!バスタオルなんて持って入れよ!!普通忘れねぇだろ?!」
「普段はバスローブだからな。浴室内でバスタオルで拭く習慣がない」
「そうなの?!」
「そんな事はいいから早く寄こせ。寒い」
「あ、そうだった。ちょっと待っとけ……は、はいっ」
「………………」

 オレが持って来た今日買ったばかりの海馬用のバスタオルを手渡すと、奴は凄く緩慢な動作でそれを受取って、ピシャと硝子戸を閉めてしまう。擦り硝子の向こう側では肌色……というには白すぎる影が、やっぱりゆったりした動きでのそのそと動いている。

 あーびっくりしたー。つか、マジで死ぬかと思った。鼻血が出なかっただけでも頑張ったオレ!

 未だ茫然とその場に立ち尽くしたまま、オレは一人勝手に滲んだ汗を拭いながらそんな言葉を呟いた。
 

 海馬と買い物から帰って来てから数時間後。夕食は結局オレが一人で作って(だって海馬、料理した事ねぇって言うんだもん。教えるのが面倒臭くなっちまった)、今までに食べた事が無い程全く辛くないカレーを食べた後、早めに風呂に入った方がいいと思って、一週間ぶりに風呂掃除をして、海馬に先に入れって促した。

 海馬は相変わらずマイペースだったけれど、比較的大人しくオレの言う事を聞いてくれて、素直に風呂に入ってくれた。何もかもが旧式のオレの家の風呂をちゃんと使えるのか不安だったけど、特に何も言ってこなかったから大丈夫だろうと思って、オレはのんびりとテレビを見てたりしたんだけど、30分後突然大声で呼ばれたもんだから「何事?!」と思って浴室に飛んで行ったんだ。

 そしたらずぶ濡れで素っ裸の海馬くんが、風呂の硝子戸を堂々と開け放ってたった一行こう言った。

「バスタオルを持ってくるのを忘れたらから取ってくれ」

 その時のオレの驚きたるや凄まじく、思わず脱衣所の入り口に置いてある足拭きマットに思いっきり蹴躓いて仰向けにすっ転んでも全く痛みを感じず、そのまま反動で飛び起きた位だ。……お陰で今物凄くじわじわと痛みが来てるんだけど、それはそれ。

 だ、だってしょうがねぇじゃん、今まで精々首元位しか見た事がなかった相手(しかも恋人!)のマッパをダイレクトで見ちまったんだぜ。普通に考えてもヤバ過ぎるだろこれは。

 そんな訳で盛大な叫び声を上げてひっくり返った挙句起き上がってまたギャーギャー騒ぐオレを、当の本人はいかにも不思議そうな顔で見返しながら、ずいっと手を伸ばして来た。その指先からも当然ぽたぽたと滴が落ちる。

 あ、そ、そうか。タオルねタオル。すっかり動転したオレは上ずった声でやっとそれだけを言うと猛ダッシュで居間へと戻って、まだ段ボールに入ったままだった荷物の中からバスタオルを引っ掴んで未だ扉を開けっ放しで待っていた海馬へと手渡した。

 そして、今に至る。
 

 オレは未だに口から心臓が飛び出そうな勢いで、大きく息を吸ったり吐いたりしていた。や、正直てめぇがこんなに興奮……じゃない!仰天するとは思っていなかった。童貞のガキじゃあるまいし、裸を、しかも野郎の裸を見てパニくるなんて有り得ないじゃん?!オレって結構純情なのかも。意外だなおい。

 しっかし海馬は何故にああも堂々としてられるんだ。ま、まぁ確かに男同士で恥ずかしいも何もないけど、せめて隠すだろ普通。こいつ誰の前でもこんなんじゃねぇだろうな。……最も早々他人の前で裸になる事もないだろうけど。共同浴場とか絶対行かなそうだしな、うん。それにしたって……。

「おい」
「あ?」
「そこに立つな。出られない」
「え?わ、わりぃ。今出てくから……」
「貴様は入らないのか」

 オレの必死の攻防虚しく、恥じらいの欠片も無い海馬くんは堂々と風呂場から出て来た挙句、慌てて出て行こうとするオレの腕を掴んでしれっとした表情でそんな事を聞いて来る。ちょ……腕が生暖かいんですけど!勘弁して下さい!

「へ?!や、すぐ入るけど。うちの風呂、追い炊き出来ねぇし」
「なら、入ればいいだろう」
「はい?……ってだからお前堂々と出て来るなって!」
「さっきから騒がしいな。一体何なのだ」
「何なのだじゃねぇっ!オレの前で素っ裸になるなっつってんだよ!」
「意味が分からん」

 いやいやいや、意味が分からないってアナタ、分かるでしょ普通。分かるでしょ男なら!

「……お前、何でそんなに無防備なの。大丈夫なのかよそんなんで」
「何が」
「だから、その、なんていうか。恥ずかしくないのかなーって」
「何が恥ずかしいんだ」
「…………な、何って」
「少し前までは着替えも人任せだったからな。特にどうとも思わん」
「はぁ?!ど、どういう事?!」
「生活習慣の違いと言う奴だ」

 そんな雲の上の話をされてもオレにはさっぱり理解できません、少し前ってお前まさか高校生になってまで人に着替え手伝って貰ってたのかよ?!金持ちって訳分かんねぇええ!

 あーでもだからそんなに堂々としてられるし、恥じらいの欠片もない訳ですね。良く分かりました。その割に今まで極端に露出が少なかった気がするんですけど。体育でもジャージに着替えるの見た事もないし。……って、もしやそれが理由で着替えなかった訳じゃないよな?!

「まさかとは思うけど、お前が学校で着替えるのを見た事がないっつーのは……一人で着替えが出来なかった訳じゃあ……」
「違う」
「ですよねーははは」

 だよな!まさかそれはないよな!うん。

 と、心の中で言い聞かせつつも、目の前の海馬の行動のトロさを見てるとなんだか心配になってくる。こいつ、澄ました顔していかにも何でも出来る社長とか言ってるけど、もしや生活面ではなーんにも出来ない奴なんじゃないだろうな。別にする必要無いからしねーんだろうけど、大丈夫かほんとに。

 それにしても……想像以上だなおい。何ですかそのつるつるすべすべのお肌。日頃よっぽどいいもん食ってんだろうなー。つーか何から何までいいもんだもんな。全身が磨かれる訳ですよ。オレだって海馬と同じ生活をしたらこーんな玉のお肌になれんのかね。うわ、触ってみてぇ。

「何を見ている」
「はっ……!や!ごめんなさい!つい視線が!……つかお前肌キレーなのな。ちょっと触ってみたい位」
「は?貴様、頭は大丈夫か?触ってどうする」
「ひでぇ。……つーかお前ねぇ、さっきも言ったけど……って!!ぎゃー!!なななな、何やってんだよ?!」
「煩いな。触りたいと言うから触らせてやっただけだ」
「だからって自分から触らせる馬鹿がどこにいんだよ?!」

 そう思いっきり叫んではみたものの、『海馬自らの手で』目の前の肌にぺたりとひっ付けられたオレの掌はそう簡単に離れる気も無く、本人が気にしない事をいい事に、「寒い」と言われるまで気が済むまで『触って』しまった。手とか頬とかは今まで何回も触って来たけど、首から下はこれがマジで初めてだった。……何コレヤバイ。めっちゃ気持ちいいんですけど!

 結果的にそうしてたのは3分位かな。その間、海馬はひたすら無表情でむしろオレの様子をじーっと観察していた。……そうやって真面目に見られちゃうとオレとしても大変悪戯しにくいっていうか。

 くそ、なんか違う。さっきの地下鉄といい今といいチャンスがあるのに生かせないってどういう事だよ!?オレの意気地なし!

「気が済んだか?」
「や、全然すまないんだけど、もう、いい」
「そうか」
「………………」
「で、貴様は脱がないのか」
「ぅえっ?!な、なんで?!お前も触りたいの?!」
「いや、別に。風呂に入るのなら何故脱がないのかと思っただけだ」
「あ、そ」
「ではな」

 海馬の「寒い」にオレがぱっと手を放すと、海馬はやっぱりのんびりした調子で上着を来て、自分が脱いだ服を纏めて持つとさっさと脱衣所を出て行ってしまった。後に残されたオレの虚しさと言ったら……泣けてくるね。一体何だったんだ今の。

 なんかもう疲れた。ぐったりだ。

 濡れた海馬が立っていた所為でしっとりと湿ったマットの上に立ちながら、オレは何とも言えないフクザツな気持ちで、思い切り良く服を脱ぐと、未だ暖かな風呂の中へと入って行く。

 微妙に反応していた(や、勃ったんだけど、萎えたって言うか)オレ自身が、元から漂いまくっていた哀愁を更に深く感じさせた。

 あー悲しい。