Act2 一緒に買い物(Side.城之内)

「ありゃ、冷蔵庫空っぽだ。そういやー最近買い物行ってなかったもんなー」
「何?」
「こっちの事。そういやお前、歯ブラシとかそーゆーの持って来てんの?さすがに歯ブラシは貸せないぜ」
「……そう言えばないな」
「はぁ?お前、いつもどうしてんのよ」
「大抵は宿泊場所に全部揃っているからな。何も持ち歩く必要はない」
「あ、そうですか。そうですよねー。でもウチ、ホテルじゃないんでなーんにも無いんです。買いに行かないと駄目だなこりゃ」
「何処に」
「何処って、全部揃えるなら童実野駅前か隣町のショッピングモールまで行かないと駄目だけど。どっちもこっからバスか地下鉄で30分位かね。この近所、スーパーしかないし」
「スーパー?」
「いちいち反応してくんなくていいから。寒くって面倒臭いけどこのまんまじゃどうしようもねぇし、ちょっと行ってくっか。お前もだぞ。そこのコート羽織ってさっさと準備する」
「オレもだと?」
「誰のもん買いに行くと思ってんだよ!もー」

 海馬が来てから数時間。最初に思う存分吃驚したり脱力したりした所為か、今じゃすっかりどうでも良くなってオレはもう奴を空気扱いしつつ結構気楽にダラダラしていた。

 海馬も海馬で、環境が変わったからと言って物怖じする性質じゃないのか(まぁ、社長だし)、さっさとコタツの上にノートパソコンと書類の束を積み上げて黙々と仕事を始めた。……つーかこれ家でやる意味あるのかよ?尤も奴は自分の家でも学校でも仕事を手放す事はないけどね。社長さんはお忙しい事で。

 しっかしこいつ緊張しねぇなぁ。彼氏の家に来てんだぜ?普通はもっとこう警戒するもんじゃないのか?常に人の気配がする海馬邸と違ってここは完全に二人きりな訳で、海馬の言い分を鵜呑みにすると、今は任意の(だと思う。絶対。だってこいつが誰にも知られずにこっそり家出とか出来る訳ないし)家出中らしいから、何かよっぽどの事情がない限りは誰もここには来ない。

 つー事は、オレが今何をしたって邪魔は入らない訳で。……いや、特にする気はないんだけど、今のとこは。なんか疲れたし。

 まぁそれはともかく、そんな風にオレが寝っ転がりながら色んな事をぼーっと考えてたら、『そういやこいつの生活用品ってどうなってんだ?』と思って、今の会話に行きついた訳。

 言われた海馬はちょっと嫌そうな顔をして、それでもここでは素直になる事にしたのか、特に文句も言わずにパソコンを閉じて、どっから勝手に持ち出したのかハンガーにかけて鴨居の所に下げていたコートを取ると、さっさと着こんでオレを見た。

 「財布は?」って聞いたら「ん」とポケットの辺りを指差しながら言ったので多分コートに入ってるんだと思う。それを頷く事で確認した後、オレも隣の部屋に行って一応外に出てもいいような格好をした後、台所の椅子の所に投げてあったジャケットを取って、じゃあ行くか、と振り返った。すると、やっぱり素直について来る。それにちょっとだけ気を良くして玄関まで歩いて行って、隅の方に転がしておいたスニーカーを履いて外に出た。空は相変わらずの曇り空で、さっきよりも細かくなった粉雪がちらちらとひっきりなしに降っている。

「うっわ寒い!お前、マフラーはいいけど手袋は?」
「別に必要無い」
「えぇ?この雪の中だぜ?荷物も持つし、してた方がいいんじゃね?」
「持って来てないわ」
「持って来いよそういうのは!……うー、でもオレも普段は軍手はするけど手袋なんてしねぇしなぁ……」
「いい」
「いいってお前」
「ポケットに入れていけば問題ないだろうが」

 そう言うと海馬は本当に両手をポケットに入れてさっさと先に立って歩き出した。……本人がいいって言うんなら、別にいいんだけどよ。風邪でも引かせてモクバから怒られるの嫌なんだよなー。あいつなんだかんだ言って兄サマラブで過保護だから厳しくて。

 あーそう言えばモクバに一応連絡しといた方がいいかな。でもマジで海馬と喧嘩してんならヤバイし……うーん悩む……。ってあいつ何さっさと姿消してんだ?!

「おい海馬、お前勝手に先に行くなって……!」

 と、オレがエレベーターホールに消えた白い背中を追って早足で駆けて行くと、海馬はそこに先にいたらしい近所のバ……おばさんと、なにやら普通に談笑していた。……あれ?

「へぇ〜克也ちゃんのお友達なの。でも貴方の事、どこかで見た事があるような気がするんだけど……」
「気の所為じゃないですか」
「そうかしら?じゃあ、芸能人の誰かに似てるのね。良く言われない?」
「いえ、別に」
「そ〜お?気の所為かしら」
「……あの、何盛り上がってんすか?美津子さん」
「あら克也ちゃんこんにちは。これからお買いもの?お父さんがいなくて大変ねー」
「や、別に。いない方が伸び伸び出来ますよ。煩くないし」
「ところでこの子、初めて見るんだけど、お友達なんですってね。お名前は?」
「あ、え?こいつですか?クラスメイトのかい……じゃない、瀬人ですけど。今日遊びに来てて……」
「瀬戸ちゃんね。この辺では珍しい名字ね。それにこの子、誰かに似てると思わない?」
「や、違うんですけどもうそれでいいです。……っつか、なんでもちゃん付けすんのやめて貰えないかなー。オレらもう高二っすよ。……って誰かに似てる?」
「そう。なんかテレビで観た気がするのよねー」
「んな訳ないっしょ。どこにでもいますよこんな奴」
「……こんな奴とはなんだ」
「お前は黙っとけ」
「ふーん。やっぱり私の気の所為なのねぇ。あ、もうこんな時間。呼び止めちゃってごめんなさいね。じゃあまた」

 「せと」は苗字じゃなくて名前だっつーのこのお喋りババア!

 なんだかテンポのおかしい鼻歌を歌いながら離れていく美津子さん……二件隣の口喧しいお節介ババアなんだけど……を見送って、オレはこんな事態に遭遇しても相変わらず飄々としている海馬を見ながら、はぁっと疲れた溜息を吐いた。そんなオレを妙な顔で見返して、海馬は「一階でいいのか?」なんて言いつつちゃっちゃとボタンを押して「遅い」なんて文句を言ってる。

「なぁ、海馬」
「なんだ」
「お前、そう言えばめっちゃ素顔じゃね?大丈夫なのかそれ。来る時もそのまんま来たのかよ」
「何がだ」
「いや、ほら、今のババァにもさ、嗅ぎつけられたじゃん。お前が『あの』海馬社長だってバレたらマズイんじゃないの?団地ってさぁ、暇な主婦が多いから恰好のネタになるぜ?」
「全部気の所為で通せば済む話ではないのか」
「いやいやいや、お前CM出てるじゃん!ゴールデンタイムに思いっきり流れてんぞアレ!たまーにニュースにも顔出るし、新聞にだって載ってるよな?!」
「そうなのか?別段注視していないから良く分からん」
「そういう問題じゃねぇんだって!」
「だが、下手に変装すれば余計怪しいだろうが。大体学校に行く時とてこのままだ」
「あーうーそりゃそうだけどよー」

 だからって、余りにもスッピン過ぎやしませんか?しかもデュエルコートを彷彿とさせるAライン?の白コートとか馬鹿だろこいつ。大体男の着るもんじゃねぇってこれ。学校っつーけど、学校に行く時はお前、もっと目立たない色でいるじゃんか。黒とか茶色とかさ。……って、そ れ だ!

「……せめてコートの色、黒にしたら?だと目立たないじゃん。コート位会社にあんだろ。今度行ったら替えて来い」
「オレに指図するな」
「んじゃーお願いする。それが嫌ならオレのお下がり着せるからな。多分つんつるてんだけど。カッコわる!」
「………………」
「お、来た来た。今夕飯時だからさぁ、主婦がうろうろしてっからヤだなーお前、なるべく隅っこに居て目立たない様にしろよ」

 言いながら大分古くなって扉が開くのもぎこちないエレベーターに乗り込んで、オレ達は漸く団地から抜け出した。ラッキーな事にその間知り合いの誰にも会う事はなかった。……最初からこんなんで、これから何日かやっていけんのかな。

 なんか、やっぱり心配だ。
「あ、そういやカード持ってる?」
「一応全部持って来た」
「お、偉い。んでもお前の場合、チャージ金額とんでもない事になってそうだなぁ」
「知らん。オレが作った訳ではないからな」
「ちょっと見せてみ?……はい、限度額一杯。お前、地下鉄とかバスに何万回乗るつもりよ。つか、こんな金額入るのかこれ」
「知らんといっている」
「昔なんかのアニメでそんな歌あったよなー『ぽっくんは歩く身代金♪』って。お前見てるとアレ架空世界の話じゃないのな」
「どんな歌だそれは」
「お前と似た様な奴の歌だよ。えーっと次は……ラッキー!すぐ来るぜ。ここも結構寒いよなぁ。あっちに氷柱下がってるぜ」

 オレがいつも利用する地下鉄の駅は団地からチャリで5分、ダラダラ歩いて20分の所にある。その間何をどうしても寒いもんは寒いので、オレはマンションから離れた後辺りを注意深く見廻して人気が無い事を確かめると、速攻白コートのポケットに収まっていた海馬の手を引っ張り出して無理無理繋いだ。そしたらもう氷みたいでやんの。こいつ人間か?

「お前冷たくないのかよ!」って言ったら、「感覚が無いから別にどうでもいい」だって。……そういう問題かよ。なんかマジ怖いんですけど。

 そんなこんなで特に急ぐ必要もないから二人でゆっくり歩きながら駅に辿り着いたオレ達は、特に滞る事もなく改札を通って今はホームに立っている。時間帯の所為か周囲には結構人がいて、このまんまじゃマズイかなーと思いつつも、誰もオレ等なんか気にして無いから結局手はそのままだ。

 海馬は元からこう言うのを一切気にしないから(それこそ「どうでもいい」の一言で終了する。こいつはこればっかりだ)その指先がオレの手の温度と同じになっても知らんふりをしていた。まぁ、今度は逆に「熱い」って言われそうだけど。

 少し離れた場所で初々しい中坊っぽいカップルがやけに照れ臭そうにこそこそ話をしているのを横目で眺めながら、オレ等も似た様なもんか、と苦笑する。隣の海馬は駅のホーム自体が珍しいのか、顔は殆ど動かさずに視線だけで辺りをしきりに眺めていた。ちょっと落ち着いて欲しいもんですね。

「お前、普段電車とか全然乗らないだろ」
「機会がないな」
「車移動ばっかりだと身体鈍るぜ。だから学校に来た時位は歩いて帰った方がいいんじゃね?お前んちから学校までってどん位だっけ?結構遠いよなぁ」
「混んでいなければ車で30分位か。そういう意味では社から通う方が圧倒的に近いな。社からは10分だ」
「そんなもんだっけ。まぁ、KCは学校からでっかく見えるしねー。オレがお前んち行こうとするとバスと地下鉄とチャリで……なんだかんだで1時間近く掛かる気がする」
「車でなければそうだろう。あの付近の連中は移動手段がほぼ車だからな。他の交通の便は頗る悪い」
「……高級住宅街ですもんねー。分かります」
「モクバなどは友人と共に良くバスだの電車だので出かけて行くが。周りの連中は余りいい顔はしないな」
「危ないしな。色んな意味で。でも、それで怖い目に遭った事は?」
「オレの知る限りではない」
「まぁ、モクバはお前と違ってまだ目立たないしな」

 今風の格好をして帽子なんか被ってるとまるっきりその辺にいるガキと変わんないし、あいつ。そうオレがからかい半分に言ってにやりと笑うと、海馬は少しだけむっとした顔をしたけど、反論はして来なかった。あ、お前もそう思ってんだ。ひでぇ兄ちゃんだなおい。

 そんな他愛のない話をのんびりしながら話してると、いいタイミングで電車が入って来た。夕方5時台って事もあって、車内はなかなかの混み様だ。オレは海馬の手を引いて中に入ると、海馬を扉側の隅っこの方に押しやり、オレがその前に立つ形になった。カップルで電車に乗る時はこれが基本だね。痴漢対策にもなるしな。……海馬の方が背が高いからオレがやるとどうもサマにならないけど。

「休日の夕方だから結構混んでんなぁ」
「狭い」
「そう言うなよ。安全地帯なんだぜ。広々としたマイカーの車内と違って地下鉄は公共機関ですから。お前みたいなのが乗るとカモにされんだぞ」
「何の」
「ん?痴漢だったり、スリだったりさ。最近物騒だから特に酷いね。オレも昔は余裕でジーパンの後ろポケットに財布とか入れたりしてたけど、今はとてもじゃないけど出来ねぇな」
「貴様の財布なぞ狙って何の特になるのだ」
「あ、そういう事言う?そりゃーどこぞのお坊ちゃまと違って財布はペラペラ、カードの中身は必要最低限しか入って無いけど、それだって盗られたら困るんだよ」
「誰もそこまでは言ってない」
「言ってるだろー。ったく。童実野駅までは大体5駅……30分位だから。ちょっと我慢しろよ」

 そう言うとオレは車両の揺れを利用して、硝子に手をついて両腕を伸ばして突っ張っていた体勢を少し変えて、肘までを扉にぴたりと付けてしまう。逆側にいるカップルも似た様な事をしてるから目的はいわずもがなだ。こう言う時、人混みって有難い。極自然にベタベタ出来るもんな。一人だと全く嬉しくないけどな。

「近いわ!暑苦しい!」
「んな事言ったって混んでんだからしょーがねーじゃん。不可抗力でーす」
「嘘を吐け!貴様の後ろにはまだ余裕があるだろうが!」
「後ろって女だろ。男があんまし女に密着すると誤解されるから離れる様にしてるんですー」
「………………」
「なー。前からちょっと思ってたんだけど、そろそろ先に進んでみねぇ?」

 身体が近づいたついでに顔も思い切り近づけて、オレは殆ど海馬の耳元に唇を付ける勢いで目の前の薄い耳朶に向かってワザと甘ったれた声を出してみた。体勢的に結構あからさまで、見ようによってはなかなか刺激的な状態だ。大衆の面前で!?って言われそうな気もするけど、そこは無問題。海馬の横は鉄棒を挟んで直ぐに座席で、そこに座っている奴等は軒並み本を読んだり携帯を弄ったりと自分の世界に没頭している。立ってる奴等もまた然りで、誰もこっちなんて見ていない。

 これはチャンスではないですか!

 オレは足元にある少し熱過ぎる暖房の所為なのか、それともこの格好の所為なのか少しだけ頬がピンクに染まった海馬を横目で見て「どうよ?」と更に言葉を足してみた。すると海馬は嫌そうに眉を顰めて幾分小声で答えを返す。

「……先とはなんだ」
「んー?ほれ、あっち見てみ。奴等みたいにラブラブしたいなーって事」
「は?」
「だってさぁ、オレ等付き合って三ヶ月だぜ?」

 チラリと目線だけでその場所を示すと海馬も同じ様に目を向ける。そこにはさっきオレが目に止めた例のバカップルが相変わらずイチャイチャしていた。なんでただのカップルからバカップルに昇格したかと言うと、調子こいてこんな所でキスしたり、男が女のコートの中に手を突っ込んだりしてるからだ。

 ま、オレも同じ事したいなーと思ってるから、咎めたりはしないんだけど。

「………………!」

 それを見た海馬は一瞬ギョッとした様な顔をして、それから問う様にオレの顔を見返した。その表情はまるっきり未知の生物を目撃してしまった被害者みたいだ。んーまぁ、精々ちゅーしか経験の無い(オレとはね。過去がどうなのかはしんないけど)箱入り息子さんにはちょっと刺激が強いですかね。こいつにAV見せたらどんな反応すんのかな。ちょっと面白いかも。って、そこは面白がっちゃーいけないけど。

「なんだあれは」
「なんだって、ああいうのが世間一般で言うバ……いやいや、カップルってヤツですけど。あ、忘れてる様だから言っとくけど、オレ等も一応カップルね。ここ重要。テストに出ますよ」
「……貴様はアレをしたいと言うのか。この場所で」
「や、問題なのはあの行為であってこの場所じゃないんだけど。是非やりたいねぇ」
「………………」
「わぁ、凄い顔。お前ねー幼稚園児のお遊びじゃないんだから、幾らなんでもこのままって訳にいかないでしょ。三ヶ月なんてオレ的にはとっくに最終段階終えてる時期だぜ」
「最終段階?」

 まぁ今までは『ココロより先にカラダから』のお付き合いが主だったけどね。それは置いておいて。オレも大人になったし、相手も相手だし、今回はじっと我慢の子をしてた訳ですよ、実の所。

 それを素直に海馬に言おうかどうか迷っていると、ガタンッと車両が大きく揺れて、ちゅっ、ではなくゴツッ!と鈍い音がして、デコに物凄い衝撃が走った。至近距離で顔を突き合わせていた所為で、今の揺れで思い切り頭がぶつかっちまったらしい。超痛ぇ。

「痛っ!」
「うわっ、ごめん!今のオレの所為じゃないから!」
「近づき過ぎなのは貴様の所為だろうがッ!」

 じんわりと痛む頭を押さえて必死に謝ったけれど、オレの石頭の威力は半端なく、海馬は相当ダメージを受けたらしい。ちょっとだけ戸惑っていた顔が一瞬にして鬼になり、右手の拳固でオレの頭に追加攻撃を仕かけて来た。ゴンッ、と二度目の衝撃が髪の分け目の辺りを直撃する。
 

「いってぇ〜!!殴んなよ!ごめんっつってんだろ!」
「喧しい!許さんわ!」
 

 ……お陰で、甘い空気は一瞬の内に吹き飛びました。

 ちくしょ、いい感じだったのに(どこがとか言わない)。
「うっわ、やっぱ外さみぃなぁ〜!地下鉄ん中が嘘みてぇ」
「ふん、軟弱な。こちらは貴様が無駄に密着していた所為で汗をかいたわ。この位が丁度いい」
「そういう奴に限ってあっさりと風邪引いたりすんだぜ。お前、常に適温環境にいるから絶対軟弱だし。オレとの生活は常にサバイバルですから。その辺ちゃんと覚悟しとけよ」
「サバイバル?」
「お、着いた着いた。あー今日デパ地下でセールやってんだよなーなんか買ってこーかな」
「………………」

 あれから特に進展も無く無事に目的地に着いたオレは、人が激しく行き交う大通りを少し速足で歩いて、駅から一番近い場所にある老舗のデパートへとやって来た。

 つい最近大幅なリニューアルをしたこの店は、オバサンメインから若者向けへと客層の転向を図ったらしく、前よりも少しだけ商品のグレードを落として全体的にリーズナブルな値段になった。他にも大手玩具販売店や家電量販店を抱き込み、ファーストフードやゲーセン、カラオケ、地下映画館エトセトラ……とにかく人が集まる様なものを全部いっしょくたに詰め込んで、郊外のショッピングモールと激しい客寄せ合戦を繰り広げている。

 お陰で最近では中高生のデートスポットの一つに昇格した。オレも良く暇な時は遊戯達と一緒に買い物っつーよりゲーセン目的で通っている馴染みの場所だ。

「えーっとまずお前の日用品雑貨だよなー。何々いるよ?」
「最低限でいい。後々処分に困るからな」
「誰が処分すんだよ。お前が使わなくなったらオレが続けて使うからいーの」
「人の使ったものを使うだと?!」
「……なんでそんなにびっくりするんだか。何もお前の歯ブラシ使わせろとか言ってんじゃねーし」
「……気色の悪い事を言うな」
「冗談ですー。ま、とりあえず適当に行ってみましょ。何回も来るの面倒だからいるものよっく考えておけよ。最後に地下で食材買って帰るからな。今日何にすっかなー」

 大抵屋上にあるゲーセンとそのすぐ下の飲食フロアにしか顔を出さねぇから、入口のすぐ横に在る案内図を見ながらのんびりとそんな言葉を交わし合う。それにしてもこうしてみるとこのデパートかなりデッカイんだよな。ビル自体30階建てって言うのもあるけど。こんなに階数があるとどこに何があるかなんて全然覚られねぇっつーの。

 わざとらしい金色のパネルにカラーでくっきり分かり易く色分けされた馬鹿デカイそれを眺めながら、オレが心の中でそんな文句を垂れていると、横で同じ様にじっと案内図を見ていた海馬が「よし」と言って一人頷きながらオレを見た。

 ……その「よし」は何に対する「よし」なんですか?良く分かんないんですけど。

「何処から行く?」
「何処からって。まずお前が何を買いたいか、だろ」
「先程貴様が言ったものからでいい」
「日用品?了解。んじゃー……何階のどこに行くんだっけかな」
「日用品雑貨及び医薬品関係は3階だ。衣類は10階から15階。そこから20階までは家電とリサイクルと玩具、そして貴金属。その上はアミューズメントフロアと飲食店。食品等は地下に専門店街があるらしいな」
「……はいぃ?」
「全フロアの売り場と商品概要は記憶した。後は何を買うかだけだな」
「ちょ……この数分間に案内図丸ごと記憶するとか、お前はアホか!」
「失礼な事を言うな。この位なら全く苦労せんわ」
「……オレ、ここにもう何回も来てるけど、メシ食う所とゲーセンの場所しか分からねぇのに。遊戯達もたまに迷子になるって言ってたぜ」
「それは貴様等が馬鹿なだけだ」
「馬鹿言うな」
「まぁいい。行くならさっさとしろ。閉店まで後2時間だぞ」
「さり気なく閉店時間までチェックするなよ。んじゃまーさくさく行きますか」

 いつの間にか主導権が取って変わられ、今度は逆に海馬に手を引かれる形になりながらすぐ傍にあったエレベーターに乗り込んで、オレ達は速やかに必要品購入の旅に出た。エレベーターに乗ってる間も海馬は中に張ってある広告に目を通しては尽く頭に入れて行き、今日はどの階の何が安い、とか後2時間早かったらタイムセールに間に合っていたのに残念だな、とか、まるでスーパー主婦並みの口ぶりでオレを圧倒し続けた。

 つか、普通の主婦でもこんなに何もかも頭に入れてる奴なんていねーよ。大体お目当ては一個か二個だし!やっぱお前、頭がいい馬鹿なんじゃねぇ?とからかい半分に言ってやったら、ふん、と鼻であしらわれた。……かわい……いやいや、可愛くねぇっ!

「歯ブラシ、オレも新しいの買おうかなー。今の奴タワシみたいになってっし」
「……どこまで使いこめばそうなるのだ」
「ふーんだ。庶民はお前等みたく一回使っちゃー捨てる様なクソ勿体ない事なんて出来ないんです。モノは大切にってね。あ、これ良くね?色違いにしようぜ。オレはオレンジで、お前はピンクな」
「却下だ。何がピンクだふざけるな。貴様が使えっ」
「ちぇっ、ピンクの歯ブラシを咥える海馬くんが見たかったのに」
「自分の小汚い顔でも見ていろ馬鹿が」
「すぐ馬鹿馬鹿言うのやめろよな。分かったよ。じゃ、お前は大好きなブルーにしてやるよ。ついでだから他にも色々買っていい?」
「好きにしろ」
「マジで?ラッキー!んじゃー遠慮なく」

 細々とした商品が隙間なく並べられた売り場の一角で一つ一つ手にとってはキャーキャー騒ぐオレ達は傍から見れば女子高生のノリだ(尤も一方的にはしゃいでいるのはオレだけど)今まで、買い物なんて物凄く面倒臭いダルイものだと思ってたけど、好きな奴と一緒だとこんなにも楽しいもんなんだな。

 尤も、今まで好きな奴と買い物に来た事がないって訳じゃないんだけど……女だと一々長くって。褒めないとスネるしよ。そこも『面倒臭い』とか『ダルイ』の一因だったんだ。

 その点海馬は男だけあって決断が早い。つーかまず迷わない。ぱっと手に取って、ぽいっとオレの持つカートに放り込む。オレはその合間を縫って自分が欲しいものをちょこちょこ足していくって感じだ。

 なんだかんだとあちこち回ってたら、大して買うもんなんかないと思っていたのに何故かカートは一杯になっていた。……これ、持って帰れるのか?今からメシの材料も買うんですけど。

 と、オレが微妙にその気持ちを顔に出すと、それを悟ったのか否か、海馬は両手に持った二種類の消臭剤を見比べながら(何故に消臭剤)興味無さそうな顔で「宅配サービスがあるからそれを使えばいいだろう」とのたまった。……その知識はどこから仕入れたんだよこのスーパー主夫。

「もうこん位か?レジ行ってもいいか?」
「オレはもういい」
「んじゃー終了って事で。オレ、ちょっと行ってくるからお前そこで待ってていーよ。あ、財布貸してくれ」
「現金とカード、どちらにする?」
「現金でいいです。……っつか、ちゃんと『普通の額』が入ってんだろうなコレ。さっきの札束とか入れてねぇよな?」
「それなりだ」
「…………はい、それなりですね」

 お前の『それなり』は一万円札30枚かっつーの!アホか!

 やけにパンパンになっている黒い皮の財布を受け取って、オレはなんだか解せない気持ちで一人で山盛りのカートを押してレジへと向かった。その途中のドラッグコーナーを経由する際、オレはとあるものに目を付けて一瞬立ち止まる。

 陳列棚に整然と並んでいるある意味色とりどりのソレは、言わずと知れたコンドーさんだ。その横にはご丁寧にローションの類まである。さっきからさり気なく目を付けてたんだよなー。海馬と付き合い始めてからそーゆー事とはご無沙汰だったから、家に全然無いんだよね。

 ……や、是が非でも!!って訳じゃないけど、やっぱこういう機会は有効に使いたいじゃん?同じ家にいて、一つの布団に寝て、何もしないで終了って訳にはいかないでしょやっぱ。海馬にはまったくソノ気は無いみたいだけど(つーかそういう事が起こるかもっていう警戒すらない。有り得ない)、オレ的にはやる気満々なんだよね。うん。コレを生活必需品にしたい位に。

「………………」

 オレはちら、と後ろを振り返り、待たせている海馬の様子を伺ってみる。奴はエレベーター脇のベンチに所在無さ気に座りながらどこからガメて来たのかまたチラシを熱心に眺めていた。白コートを来たモデル並みのイケメンがチラシをガン見とか面白いにも程があるだろ。お前何系狙ってんだよ一体。しかし見方がカッコいいな。そんな所カッコつけてどうすんだ。

 ま、でもこっちを気にする気は全然ない見たいだから、オレは意を決して蛍光ピンクというには毒々しい色をした箱を一つと、可愛らしい形状のボトルを一つ手に取ると、カートの中に突っ込んで素知らぬふりでレジに向かった。使う使わないは別として、備えあれば憂いなしってね!うしし。

 その後、三階で買った大量の荷物はちゃんと宅配サービスを使って家に届けて貰い、後に買い込んだ食品だけを手にオレ達は無事帰路に着いた。帰りの地下鉄はガラ空きで、立っているのも不自然だったから座席に座って余りイチャイチャも出来ないで終わっちまった。

 ま、手は最後まで繋ぎっぱなしでいたけれど。

「なー、今日カレーでいい?」
「辛いのは嫌だぞ」
「お子様かよ。カレーは辛くなくちゃカレーって言わないだろ?!ルーは辛口しか買ってねぇし」
「心配するな。甘口にすり替えておいた」
「お前はスリか!!ってか勝手に替えるな!」
「客に配慮するのが当然だろうが」
「客じゃねぇし!!作るの手伝えよ!」

 白いビニール袋を揺らしながら、息まで凍りそうな寒空の中を一緒に歩く。それは、意外な程楽しい時間だった。

 思わず、口元が緩んでしまう位に。

「買い物、どうだった?結構楽しいだろ?」
「まあ、つまらなくはないな」
「今度はお前一人で行って来いよ。初めてのおつかいって奴だ」
「機会があればな」
「大丈夫、作ってやるから」

 そろそろ、団地の入り口が見えて来た。凄く名残惜しいけれど、繋いだ手は離さなくちゃな。ババァに見つかったらうるせぇから。

 そうオレが呟くと、海馬はちょっとだけ残念そうな顔をして、酷く暖かかった指先をゆっくりと離して白いコートの中に突っ込んだ。オレも同じ様にジャケットの中に右手を突っ込んでぎゅっと握る。

 がさ、とビニールが音を立てた。弾みで覗いたカレーの箱には奴の言う通り『甘口』の文字。
 

「甘口のカレーとか萎えるー」
「我が儘言うな」
「お前が言うな」
 

 ── まぁでも、初日だから。そん位の譲歩はしてやるよ。同居人さん。