Act1 獏良了の純愛

「あ、それでね、ここのアトラクションの天井部分の材質なんだけどこれがが一番しっくり来るみたい。あとね、ブルーアイズの色で……えっと、そうそうこのメーカーの塗料が一番綺麗だと思うんだけど……どう?」
「別になんでも構わん。必要なら取り寄せる」
「ほんと?じゃあ他にも注文つけてもいいかな?」
「好きにしろ」

 やったぁ、やっぱり海馬くんは太っ腹だね!そういいながら酷く近い位置にあるその顔に自らの白い顔を寄せたのはクラスメイトの獏良了だった。その直ぐ隣には名前を呼ばれた男……海馬が真剣な顔をして手元の図面らしきものを眺めている。外から降り注ぐ暖かな日の光がポカポカと心地よい昼休み。彼等が佇んでいるのは教室の窓際にある獏良の席で、今日は休み時間毎に全く同じ事が繰り返されていた。

「………………」

 そんな彼等を少し離れた自席から終始じっと見つめていた城之内は、思わず顔を顰めて舌打ちをした。そして、飲んでいたジュースの缶を些か乱暴に机の上に叩きつける。結構な大きさで響き渡った耳障りなその音に、彼のすぐ傍で雑談をしていた本田と遊戯が思わず振り向いて声をかけた。それに返って来たのは常よりも大分低い不機嫌な言葉。

「お、どしたー城之内。なんか荒れてんなぁ」
「あんまり乱暴にすると机に傷がつくよ」
「うるせぇ。何だよアレ。ありえねぇだろ」
「何だよって……あぁ、アレ?そう言えば最近ずーっとあんな感じだね」
「言われてみれば今日はあいつが居るってのに、視界に入らねぇなぁと思ったら……そか、獏良がべったりだったんか。つーかなんであいつらがつるんでんだ?珍しいっつか、初めてじゃねぇか」
「あ、本田くん知らないの?獏良くんはね、今海馬くんからお願いされて海馬ランドのジオラマ作ってるんだよ。他にもやっぱり海馬ランドで販売するデュエルモンスターズのフィギュアとか、色々と関わってるみたい。アルバイトとか、なんとか」
「へー。バイトっつーよりもまるっとプロジェクトメンバーじゃねぇか」
「そうそう。後、この間は御伽くんも呼ばれてたみたいだし……海馬くんも回りにいる優秀な人材を生かし始めたっていうのかなぁ、なんかそんな感じ」
「あ、なーる。それで城之内くんが今のこの状態ってわけですか」
「うん、多分……この間からずっとだよ」

 遊戯はそう言いながら、なるべく小声で本田にそう説明していたが身長の関係で余り声量が小さいと相手に殆ど届かない為、必然的にすぐ傍にいる人間には聞こえる程度の会話になってしまう。案の定彼らの真横の席に座っていた城之内にはその内容が全て伝わってしまい、元からの仏頂面を更に歪めた彼は、心底面白くなさそうに鼻を鳴らす。

「オレだって教室でああしてる分には怒ったりしねぇよ。けどよ、海馬のヤツこの間アイツを家に呼んだんだぜ!家に!!おかしくね?!」
「まぁ、一緒に仕事してるんなら一回や二回は家に呼んだって……ねぇ?」
「おう。つーかまだ友達でもないうちから家に押しかけて、更に押し倒したヤツの言う事とは思えねぇな」
「オレの事はどーだっていいだろ!つか、仕事なら会社でやれっての!そうだろ?!しかも、そっからだよ!獏良があーいう事しだしたの!」
「あーいう事?」
「どーいう事?」

 イライラと前の席の椅子を爪先で蹴りながら殆ど歯噛みしつつそう唸った城之内に、二人は顔を揃って右側に傾けて頭上にハテナマークを貼り付ける。そんな彼等に更に苛立ちを助長させた城之内は、指で示すのも嫌だといわんばかりに顎でしゃくって二人に「あーいう事」が行われている現場をさし示した。釣られて同時にそこを見た遊戯と本田は、そこで漸く「ああ」と絶妙な声のハーモニーを響かせる。

 彼等が向けた視線の先にあるのは、先程よりも何故か異常接近している二つの背中だった。海馬と獏良、という至極珍しい取り合わせの二人が、身体を寄せ合って一つのものに熱中しているその様はただそれだけで一種異様な光景だったが、更に目を引いたのが特に必要がないのに何故か獏良の片手が海馬の腰の辺りに触れている、という事だった。

 え、何その手。おかしくない?それを見た瞬間、即座にそう思った遊戯と本田だったが同時に「これが城之内の不機嫌の理由か」と悟り、それが今の見事な「ああ」に繋がったのだ。

「分かったかよ」
「……分かったけど。どうしたのアレ。獏良くん、随分と海馬くんにべったりだけど。色んな意味で」
「ぱっと見カップルだよなアレ」
「知らねぇ」
「海馬が好きにさせてるってのがすげぇよな。お前だと鉄拳ものだろ?あーでもお前の場合目的がエロイ事ばっかだからなー触り方がまずヤラシイっての?」
「オレの事はいいって言ってんだろ!」
「というか、そういうのが嫌なら嫌って海馬くんに言えばいいじゃない。恋人とそれ以外はちゃんと区別してって。ああでも、獏良くんって元々人にくっつきたがるタイプなんだから特に心配ないと思うけどね」
「そういう問題じゃねぇよ!」
「うるせぇなー。ガタガタ言うんならひっぺがしてくりゃいいだろ。この意気地なしが」

 その様子をまるで射殺さんばかりに睨みつけて文句を言っている城之内にやや呆れた様子で本田がそう口にしたその時だった。彼的にも既に限界だったのか、城之内は無言のままガタリと椅子を引いて立ち上がると、つかつかと相変わらず仲良さ気に話をしている窓際の二人の下へと歩いていく。すわ直接対決か!とその様子をほぼ好奇心一杯の瞳で見つめていた本田と遊戯だったが、次の瞬間思わず噴出す事になる。
 

「凡骨!貴様何をやっている!!」
「いってー!殴る事ないだろ!!仮にもオレはお前の彼氏だぞ!」
「何をふざけた事を抜かしているこの強姦魔が!半径5メートル以内に近づくな!」
 

 ドカッと鈍い音がして、城之内の体が海馬の足によって後方に蹴り飛ばされるのとヒステリックな海馬の声が上がったのはほぼ同時だった。

 それは数秒前に彼らの元にたどり着いた城之内が獏良を押しのけるように海馬の後ろに回り、その腰を背後から両手でぎゅっと抱き締めたのが原因だった。そんな彼の無謀な行動にぞっとして即座に反応した海馬が、反射的に腕を振り上げ渾身の肘鉄を相手の額に食らわせて、その後第二段として繰り出された足で城之内はものの見事にすっ飛ばされてしまったのだ。

 まるで喜劇のようなその光景に、笑うな、という方が無理な話で、本田と遊戯はついには声を上げて笑ってしまう。突然降って沸いた痴話喧嘩らしきものに、その横でぽかんとした様子でそれを見守っている獏良の表情が、余計に彼らの笑いを誘った。

「ちょっと酷すぎるんだけど!大体、獏良は良くてなんでオレは駄目なんだよ!」
「何を訳の分からない事を言っている!貴様この間からおかしいぞ!」
「おかしいのはお前だろ!一体何やってんだよ?!」
「何が?!」
「仕事だとかなんとか言って獏良や御伽とベタベタひっつきやがって!いい加減にしろよ!」
「ならば貴様は部屋の端と端で共同作業をしろと言うのかこの馬鹿が!それに、ベタベタなどしていないだろうが!」
「してただろ!今だって腰に手ぇ回されちゃってよ!獏良も獏良だ!お前、海馬になれなれしくすんな!」
「獏良は関係ないだろうが!」
「あっ、お前獏良を庇うって言うのかよ!この浮気者!」
「何?!」
「ちょっと喧嘩は止めてよ!城之内くん、海馬くん!獏良くんが困ってるじゃない!」
「お前等教室でそういう話やめろよな。はい、城之内どーどー」

 突如勃発してしまった本格的な痴話喧嘩に、さすがに笑っている事も出来なくなった外野の二人は、それでも大分余裕の構えで揉めている三人の間に(正確には二人のみだが)割って入り、速やかに収拾を図る。本田に羽交い絞めにされる形で押さえつけられた城之内は、未だ怒った犬のごとく唸っていたが、対して城之内の勢いに乗ってしまっただけの海馬は直ぐに怒りを収めると、未だ呆気に取られて事態を見守っていた獏良に対して小さく謝罪の言葉を口にすると再び視線を目の前の図面に戻してしまった。

 瞬時に元通りになってしまった体勢。相変わらず獏良の左手は海馬の腰辺りの制服を掴んでいる。今度はもっと手前の図柄を見て話をしているのか、先程よりも少し身を屈め、並んだ顔同士が酷く近い。ひそひそと交わされる会話も大分小声になっていて、周囲の賑やかさも相まって何を話しているかさっぱり聞こえなかった。

 時折見える、二人の楽しそうな笑い顔が余計にあらぬ想像を掻き立ててしまって……。

「……ちょ!また!!つーか顔近っ!!」
「アレは多分獏良の癖だぜ。諦めろ」
「海馬くんも大人しい子にはガード甘いからね……。城之内くんも獏良くんみたく大人しくしてたら構って貰えるのかも」
「そういう問題かよ!おい海馬ァ!」
「煩い!黙れ凡骨ッ!」
「うっわー……ありえねー!!」

 もー許さねぇ!今日絶対夜這いしてやる!!

 本田の腕の中で暴れながらそう叫ぶ城之内の声すら、目の前の二人には一切届いていないようだった。お前そういう事言うから海馬から強姦魔とか言われるんじゃねぇか。そんな呆れた声が頭上から響き、遊戯がそれにくすりと笑みを零した。和やかないつもの風景。そこに一人混ざり込んだこの場には異端である獏良は、不意に一瞬顔を上げて目線だけでちらりと後ろを振り返り、口元にこれまでとは違った笑みを浮かべる。

 そして、海馬の制服を握る手の力をほんの少しだけ強めた事を、その場にいた誰も気付かなかった。
「じゃあ、海馬くん。放課後きみの家に行くからね。その時にフィギュアの方の見本とかも持っていくから」
「ああ、よろしく頼む」
「あ、そうだ。城之内くんの事、ごめんね。僕ちょっと調子に乗り過ぎたかな。今度からあんまり近づかないようにするね」
「いや、ヤツの事は放っておけ。貴様が気にするような事ではない」
「え、でも……」
「オレが構わんと言ったら構わん。余計な気を使うな」

 そうぴしりと言い捨てた海馬は、ではな、と短く呟くとさっさと階段を降りて行く。同時に鳴った昼休み終了5分前の予鈴が大きく響いて、遠くでバタバタと生徒が走る音が聞こえてくる。しかし、周囲の様子などお構い無しにそこに立ち尽くし、海馬の姿を最後まで見送っていた獏良は彼が教室から出て別れを告げて離れるまでずっと触れていた左手を軽く握り締めて微動だにしなかった。

「行っちゃった……寂しいな」

 ぽつりと漏れ出た呟きは、雑音に掻き消される。

 意図的に伸ばしていた指先。厚い布越しでも確かに感じた彼の体温。『仕事』を持ちかけられる前から、実は好きだと思っていた、クラスメイト。

「切ないなー」
(おいおい宿主サマよぉ。何シャチョーにトキメイてんだよ……何?アイツのことマジで好きなのか?ならオレサマがちょっくら出て行って、アイツ掻っ攫って来てこの場でひん剥いてやろうか?)
「やめてよね。僕はきみや城之内くんと違ってもっと純粋な気持ちで海馬くんの事を想ってるんだから」
(ジュンスイとか……この間海馬そっくりの人形にピラッピラの妙な服着せてた癖に……もしかしてアレが宿主サマのアイジョーとか言う奴なのかよ)
「メイド服!いい加減覚えてよね」
(や!覚える必要ないし!)
「もう煩いなーきみが喋ると雰囲気壊れるから黙っててよ」
(………………)

 表面上はとてもそんな会話を交わしているという風には見せずに、ただひたすら哀愁を漂わせてそこに佇んでいた獏良の元に、ふと近づく乱雑な足音があった。振り向かなくても誰かは分かる。踵を踏み潰してパタパタと鳴るその靴音の持ち主はただ一人。

「おい獏良。何やってんだよこんなトコで」

 ぎゅ、と肩を掴まれて力任せに身体を反転させられる。漸く見遣った視界のど真ん中には城之内の怒り顔があった。未だ先程の騒動の余韻が冷めてないのか、偉く興奮した様子でこちらを睨みつけて来る。その眼差しに恐怖など一切感じないが、どう対応すれば一番穏便に事が運ぶか知っている獏良は、わざと悲し気な表情を作るとおずおずと上目遣いに彼を見上げ、心底申し訳ないと言わんばかりに相手の声を封じるように先手を取って呟いた。

「……ごめんね、城之内くん。さっきの事。僕、全然そんなつもりなくて……まだ怒ってる?」
「……うっ。そ、そりゃー怒って……」
「あれ、僕の癖みたいなんだ。だから、その……海馬くんをどうとか、全然そんな事思ってないから」
「……あ、そ……そう、なんだ。なら、別にオレは……」
「今日も海馬くんには呼ばれてるんだけど、本当に、ただの仕事の話だから、海馬くんを責めないであげてね」
「……へ?!」
「あ、もう授業が始まるよ。教室に行かないと」
「お、おい、ちょっと待てよ獏良!今日って……」
「でも不思議だね。きみには触りたいとか、全然思わないんだ。もしかしたら、海馬くんだから触りたいって思ったのかな」
「?!……お前、やっぱり!」
「あはは。冗談だよ。でもさ、彼がずーっときみのモノだなんて保証は、どこにもないんだよ?」

 バレバレの演技に余りにも簡単に引っかかりそうになった城之内に、徐々に面白くなってきた獏良は、最後の最後で思いっきり城之内を炊きつける発言を投げ付けると、くるりと踵を返して教室へと逃げ込んでしまう。遠くで心の居候の叫ぶ声が聞こえたが、敢えて無視して速やかに自席へと付いて、教科書を取り出した。後二時間退屈な授業をこなせば、放課後はパラダイスに行ける。

 この左手に残る触感を失わないうちに、また彼の元にいける。

 その最終目的が恋の成就であれ、メイド服を着せることであれ、とりあえず海馬の事は好きには違いないのだ。獏良は傍から見たらどう見ても恋の病に冒された乙女のような表情で甘い溜息を付くと、開いた真っ白なノートにペンを走らせた。
 

(宿主サマぁ……オレ、もうアンタの中にいたくねぇ)
 

 そこに描かれた、更にグレードアップした装いの海馬のイラストを見た心の居候の呟きは、勿論誰にも聞こえる事はなかった。