Act1 兄サマは海馬乃亜

「なー海馬ー今日バイト無いんだけど、お前のとこ行っていい?仕事、忙しくないんだろ」
「仕事は別に忙しくないが、今日は駄目だ。アイツがいる」
「アイツって……ゲッ!あのブラコン馬鹿兄貴!!奴は今週ずっとアメリカ行ってたんじゃねーのかよ?!」
「それが、早々に終えて帰って来てしまったのだ。プライベートジェットでな」
「……それってもしかしなくても……」
「勿論、僕がいない間に可愛い弟に手を出されたら困るからだよ。凡骨くん?」
「ぎゃあ!!!出たっ!!」
「貴様また他クラスに勝手に入り込みおって!!出て行け!!」
「御挨拶だね瀬人。きみの顔が見たくて帰国して一番に会いに来たって言うのに。暫く会わない間に少し変わったんじゃない?」
「三日で人間が変わってたまるか!」
「……おいお前等!!今は授業中だぞ!!全員廊下に立っていろ!!」
「ちょ……何故オレまで……!」
「それはオレの台詞だっつーの」
「違うクラスの生徒を怒鳴りつけるだなんていい度胸じゃないか。あの担任、後で速攻クビにしてやる」

 バンッ!と激しい音と共に本当に廊下に放り投げられてしまった三人は心底苦々しい顔つきで、それでも一応素直にその場に立ちつくし、約二名は小さな溜息を吐いていた。壁を背に寄りかかり、さり気なく背後で手を繋いでいるのは青春真っ盛りの恋人同士、城之内克也と海馬瀬人である。

 城之内はアル中でギャンブラーという典型的な駄目オヤジのお陰で背負い込む事となった膨大な借金を返済すべく、日々勉学はそっちのけで労働に勤しむ勤労学生。そして瀬人は高校生でありながら世界有数のアミューズメント企業海馬コーポレーション代表取締役社長である。傍から見れば全くの別世界で生きる二人だったが、逆にそれが興味の対象となったのか、いつしかそういう関係になっていた。

 そういう関係と言ってもまだ段階的にはキスもしていない超初級レベルだったが。

 そんな彼等を若干上から目線で見下しながら、すかさず手刀を繰り出して辛うじて繋がっていた指先同士を遮断する事に成功し、尚且つその間に無理矢理身体を割り入れようとしているのは、海馬や城之内とは違うクラスに所属する『神童』海馬乃亜である。

 この成績優秀・容姿端麗・財産豊富の三拍子揃った最強男子高校生はその名が示す通り、その実瀬人の兄だった。兄と言っても瀬人が海馬家の養子に入った為に出来た関係で、同年齢であり血の繋がりは一切無い『義兄』であったが。その割に顔は似ているのだから不思議である。

 ちなみに乃亜という長男がいるにも関わらず瀬人が社長職に就いているのには訳があるのだが、余りにも馬鹿馬鹿しい理由なのでここでは割愛させて頂く。

「ちょ、乃亜!お前教室に帰りやがれ!!」
「嫌だね。大体僕はまだ自分のクラスには顔を出していないんだ。今日はここに来る気も無かったしね」
「ならなんで来てんだよ!会社行けよ!」
「言ったじゃないか。瀬人に会いに来たんだよ。まずはお帰りのキスをして貰わないとね」
「はぁ?!てめ、そんな事こいつにさせてんのか?!」
「そんなもの今まで一回もした事がないわ」
「つれないなぁ……モクバはちゃんとしてくれるのに」
「今度させたら殺す」
「きみがしてくれたらモクバのは我慢するよ」
「死ね」
「嬉しいなぁ。その言葉を聞くと帰って来たって感じがするよ」

 結局二人の間に強引に収まる事に成功した乃亜は、城之内にはまるきり背を向けて徐に瀬人の肩に手を回して抱き込むと、いかにも嬉しいと言った風に微笑みながら頬ずりする。

 それを心底嫌な顔をして避けながら渾身の力で引きはがそうとするが、乃亜は身体能力に置いても頗る高い能力を持っていた為びくともしなかった。しかし余り嫌がられるのも本意ではないのか、彼は一応瀬人の意向を汲み取って一歩身を引いてやる。

 ただし、城之内の足を踏みつけながら、だったが。

「いでででで!足っ!足踏んでるっつーの!」
「それにしてもきみは懲りないね、城之内。僕の弟きみに手を出したら殺すよって言ってなかったっけ?」
「お前んトコは三人揃ってどうしてそう発言が過激なんだよ」
「ああ、父上の影響でね。口癖なんだ」
「殺すが口癖とかどんなだ。っつか痛いって!!」
「きみが瀬人にもう近づかないと約束したら退けてあげるよ」
「お前に言われる筋合いはねぇよ。悔しかったら海馬に好かれてみやがれ」
「ふん。兄弟仲が良過ぎて羨ましいんだろう?」
「貴様いい加減に離れんか!気色悪い!!」
「もう、瀬人は幾つになっても駄々っ子だなぁ」
「……駄々っ子じゃねぇだろ。マジ嫌がられてるじゃねぇか。……てぇいっ!!」

 はぁ、と大きな溜息を吐きながらやっとの事で踏まれた片足を取り返した城之内は、即座に反対側にいる海馬の元へと駆け寄ると、殆ど力任せに乃亜の腕から引きはがし、さっと己の後ろに隠してしまう。それに今度は片眉を上げただけで沈黙した乃亜は、わざとらしく「あーあ」と口にすると僅かに肩を竦めて首を振った。

「僕は寂しいよ。犬にも劣るなんてね」
「犬言うな。つーかお前はやりすぎなんだよ。やりすぎ!海馬はもう16だぜ?いい加減弟離れしろってんだ」
「それは無理だ。だって僕は瀬人を愛しているから。勿論モクバも」
「ひぃっ!」
「……うわぁ、完全にイッちゃってるよ。お前さぁ……悪い事は言わねーから女作れ。この際男でもいいから。な?お前位見てくれ良かったら引く手数多だろ」
「瀬人以上の子がいたら考えるけどね。いないだろう?」
「そ、それは……そうだけど。基準高すぎだろ!だから弟にマジ惚れするなっての」
「弟と言っても血の繋がりはないからね。そういう点ではきみとなんら変わりはないよ、城之内。だからさっさと瀬人を僕に返して、きみこそ違う男なり女なりを見つけた方がいいんじゃないの?」
「や、兄弟って時点でアウトだから。うん。つか返さないし。そもそもお前のもんじゃないし」
「もう僕のものかも知れないじゃないか。性的な意味で。きみ達はまだ手しか繋いだ事がないんだろう?僕なんて瀬人と……」
「黙れ乃亜!このド変態が!」
「ちょ、変態って。お前、乃亜に変態と罵りたくなる様なことされたのかよ」
「ふふ、そこは御想像にお任せするよ」
「違うわ!言葉のあやだ!」

 そう瀬人が声を張り上げたその時だった。再び教室の扉が派手な音を立ててブチ開けられ、担任の「喧しいぞ貴様ら!!」と学校中に聞こえる様な大声が響き渡る。それに漸く今が授業中だという事を思い出した三人は、それでもなんら態度を改める事無く不毛な争いを続けるのだった。
「さて、3時限目も終わった所だし、あの煩い馬鹿教師に捕まる前に僕は自分の教室に戻るよ。今日は一緒に帰ろうね。放課後迎えに来るから」
「くんな!先に帰れッ!会社に行けっ!」
「城之内には言ってないよ。僕のいない所で何かしたら本当に殺るからね。瀬人、城之内と二人きりになっちゃ駄目だよ。危ないから」
「てめーが一番危ないだろうが!!」
「あはは。元気だね。若いって羨ましいよ」
「同い年ですから!!」
「じゃ、またねー瀬人♪」
 

 授業終了のチャイムと共に漸くこの場から離れる事にしたらしい乃亜は、最後に熱烈な投げキッスを一つ寄こして、颯爽と自分の教室へと帰ってしまう。途中すれ違う生徒から「乃亜様ー!」と黄色い声をかけられ、にこやかに応えを返しつつ、歩き去って行くその後ろ姿に、残された二人は思いっきり脱力して嘆息した。

「……なぁ、アレ、なんとかならねぇ?」
「……出来るものならとっくにどうにかしている」
「……だよな」
「……ああ」
「とりあえず、もうフケるか。放課後とっ捕まってらんねぇだろ」
「無駄だな」
「なんでだよ」
「どういう訳か乃亜はオレの居場所が分かるのだ、逃げようがバレる。発信器がついていると思うのだが、巧妙過ぎて取り付けられた場所が分からない」
「……ちょ。後で死ぬ気で捜そう」
「体内だったら取り出し様がないがな」
「体内とかやめてくれー!もう嫌だー!!」

 城之内の声が広い廊下に木霊する。

 それを遠くで聞きながら、乃亜はニヤリと嫌な笑みを口元に浮かべて教室の扉に手をかけるのだった。
 

 ……彼等の恋愛ロードは果てしなく遠い。