Act3 乃亜兄サマの彼女

「うわー何コレすっげぇ美人!!ちょ、こいつ人間か?!アンドロイドじゃないのか?!」
「失礼な事言わないでよ城之内。この子はれっきとした人間だよ。僕の世界で一番大切な人さ」
「何さらっとスゲー事言っちゃってんだお前……でもそーだよなー、こーんな美人が彼女になったらオレも絶対そう言うもんなー」
「ふぅん、きみは瀬人にはそう言ってあげないわけ?案外愛情薄いよね。その程度のモノなら返して欲しいな」
「へっ?海馬っ?!あ……も、勿論そう思ってるぜ!もうラブラブ大好き!」
「気色悪いわね城之内!!あっちに行きなさいよ!それにしても凄いわね乃亜。こんな美人早々お目にかかれないわよ。やっぱり美男には美女が来るっていうけど、本当なのねーね、遊戯?」
「うん……でもさぁ、僕、この顔どこかで見た事があるんだけど……」
「うぉ、遊戯!お前この美人と知り合いかっ?!」
「そんなんじゃないけど……あーもう思いだせない!」

 教室の隅の席で乃亜が自慢気に掲げた携帯電話を覗き込みながらそう盛り上がる面々を遠目に見ながらその輪から意図的に外れ、極力意識しない様にしていた瀬人は独りこっそり魂までも抜け出る様な深い深い溜息を吐いていた。

 何が美人だ。何が僕の世界で一番大切な人、だ。馬鹿馬鹿しい、気色悪い。貴様らの目は節穴か!!

 瀬人は教室にいる時には常に手放す事の無い分厚い洋書の両側をきつく掴んでわなわなと両腕を震わせていると、いつの間にか目の前に人の気配を感じた。はっとして顔をあげると、そこには人畜無害な人懐こい笑顔とそれとは裏腹に人の胸を鋭く抉る空恐ろしい言葉を吐く唇があった。白い頬にさらりとかかる無造作に伸ばされた白銀の髪が目に眩しい。

「獏良了か。なんの用だ」
「別に用はないんだけど、独りでぽつんとココにいるから気になって」
「いつもの事だろう、構うな。オレは気分が悪い」
「うん、確かに顔色があんまり良くないみたいだね?保健室、行けばいいのに」
「煩いな。オレの勝手だ」
「ところでさ、きみのお兄さんの彼女の写真、見せて貰ったけど、すごーく美人だね?スタイルもいいし、格好も派手だし、今度フィギュア作らせて貰おうかなぁ」
「…………オレには関係ない」

 何故か意味深な笑顔を浮かべてそんな話をして来る獏良を心底嫌なモノを見る目で睨みつけた瀬人は、一刻も早くこのお節介焼きを遠ざけようとわざと大仰に顔を顰めてフンっ、とそっぽを向いて見せた。

 全く、朝から不愉快な事ばっかりだ。乃亜の奴め、態々あんなものを見せびらかして何のつもりなのだ。嫌がらせか!嫌がらせなのか!

 沸々と沸き上がる怒りの感情に、元より力が入りまくっていた指先に更に圧力を加えて、紙製の表紙をギリギリと掴み締める。このままいけばあわや指が貫通か?と思った刹那、目の前のなよやかな彼が至極穏やかな微笑みと共に、とんでもない爆弾を落としてくれた。

「特に印象的だったのは、あの綺麗な蒼い目と……ここのほくろかな?」
「………………!!」
「不思議だねー。海馬くんとあの子、同じ所に同じものがあるなんて。だーれも気付いてないみたいだけど、僕結構細かいから」
「き、貴様……!」
「大丈夫。僕、自分で発見した秘密を人に言いふらす様な事しないから。でも、興味があるからどうしてそうなったのか知りたいなぁ」

 あははーと気の抜けた笑い声を上げながら、獏良は何故か至近距離まで近づいて得意気に指摘した瀬人の耳元にある薄いほくろをつい、と撫でる。どうしてこうオレは変態にしか懐かれないのか……!心の中で歯ぎしりをしつつも現実から目を背ける事も出来ずに、仕方なく本を叩きつける様にその場に置いた瀬人は、今の所唯一の発見者であるらしい彼に口封じをする為に、嫌々ながらも顔を上げた。

 そして丁度いい位置にあった耳元に低く唸る様に吐き捨ててやる。

「罰ゲームだ」
「?お兄さんとの?」
「ああ」
「それにしても随分と変わった罰ゲームだねー。女装して彼女になりきるとか普通できないよー」
「そんな事は貴様に言われんでも分かっている!オレは至ってまともだ。ただ、あいつが変態なだけだ!」
「付き合ってるきみも十分にヘンだと思うけど……城之内くんになんて説明するの?」
「奴に説明などする必要は無い。気付かれなければ済む話だ」
「そうだねー。でも『彼女』なんて公言されちゃったら、またちょくちょく付き合わされると思うけど」
「何?!」
「そりゃそうだよ〜本物に合わせて、なんて言われたらどうするのさ」
「そ、そんな事はオレの知った事では無いわ」
「ま、僕は面白いからなんでもいいけどー。海馬くんも大変だね」
「貴様、そんな事は露程も思ってないだろう」
「うん!」

 他人の不幸は蜜の味って言うしね。あ、フィギュアの件本気だから今度モデルお願いねー?

 そんな空恐ろしい事を口にしながら来た時と同じ様にフラフラと自席へと帰って行く危な気な後ろ姿を眺めながら、瀬人は先程よりももっと深い絶望を覚えてぱたりと机の上に突っ伏した。我ながらなんたる不覚!!そう心の中で後悔をしまくった所で後の祭りである。
 

『ね、瀬人。久しぶりにデュエルしようよ。負けた方は勝った方の言う事をなんでも聞くんだよ?』
『誰が貴様の様なカードをろくに知りもしない雑魚デュエリストなど相手にするか。ふざけるな』
『あ、そんな事言ってー僕に負けるのが怖いんだろ。何一つ僕に勝てないきみが、デュエルにも負けたらもう立つ瀬ないもんね?』
『……なんだと?もう一遍言ってみろ』
『何度でも言うさ。瀬人はお兄ちゃんに負けるのが怖いんだよねー?』
『きっさまぁああああ!!デュエルディスクを装着してそこに立て!!』
『そうこなくっちゃ!言っておくけど、僕に負けた時はそれ相応の事をして貰うから覚悟してよね』
『御託はいい!!とっとと始めんか!!』
『瀬人は本当に(馬鹿で)可愛いなぁ。よーしじゃあ……』
 

 ── デュエル!!
 

「……死にたいわ」
「おい海馬、真っ青な顔をしてどうかしたのか?腹でも痛ぇの?」

 最早思いだしたくも無い忌々しい出来事になってしまったつい先日の事を脳内に蘇らせてうぅ、と唸ったその時、いつの間にか瀬人の元までやって来ていた城之内が些か心配そうに顔を覗き込んで来た。……こいつめ、先程は『オレの女装写真』を見てニヤニヤしていた癖に何を今更親切ぶっているのだ。男を捕まえてこーんな美人だと?!貴様は阿呆かッ!死ねッ!死んでしまえ!

「?海馬?」
「うるさい!オレに話しかけるなこの変態が!」
「な、何言ってんだよ。つか、何で怒ってんの?オレ何もしてねぇじゃん」
「ふんっ!」
「あ、もしかしてお前、乃亜が見せびらかしてた『彼女』に嫉妬でもしてんの?アレマジすげぇよな!乃亜にもやっとちゃんとした彼女が出来て良かったなぁ!お前もこれで安心するだろ?お前以上じゃないと嫌だとかなんだとか駄々捏ねてたけど、アレなら十分……」
「………………」
「って、ごめ……っ、オレそんなつもりじゃ……怒んなよ!浮気とかそーいうんじゃないから!」

 城之内が何か言葉を発する度に段々と剣呑な顔つきになって行く瀬人に彼は慌ててフォローに入るが、瀬人の怒りの矛先は全く別の所にあった為に全く功を奏さなかった。浮気も何も『自分自身』に嫉妬するなど馬鹿にも程がある。色んな感情が複雑に入り混じり、そこに憤りも加わって瀬人はもうにっちもさっちもいかない状況になって来た。瀬人は殆ど爆発寸前の怒りを抱えて憤然と、未だペラペラと下らない自慢話をしているこの騒ぎの元凶である乃亜に射殺さんばかりの視線を向けようとした、その時だった。

 勿論そんな彼の事を何もかも見透かしていた『緑の悪魔』事、兄乃亜が、にっこりとした笑み付きで留めを刺す。

「ねぇ、瀬人。今度皆がこの子に会いたいんだって。会わせてあげてもいいよね?」
「?!いい訳ないだろうが!却下だ!!死ねッ!」
「『僕の彼女』に対してきみがそんな事言う権利、あるのかなぁ?」
「貴様が聞いたんだろうが!!」
「あ、そうか。そうだね。……えっと、いいよ!何時にしよっか?学校に連れて来る?制服も案外似合うと思うんだよねー」
「おい乃亜!!これ以上余計な事を言うと窓から放り投げるぞ!!」
「やってごらんよ、瀬人。僕としては今直ぐ『彼女』を紹介してもいいんだよ?」
「!!」
「それが嫌なら『大人しく』僕の言う事を聞くんだね。ほらーきみが無駄に騒ぐから皆呆気にとられてるじゃないか。ごめんごめんなんでもないんだ」

 なんで海馬くんが怒ってるの?兄貴に彼女が出来て嫉妬してんだろ。……などなど事情が事情じゃなければ死に物狂いで否定しまくりたくなる台詞を必死に聞き流しつつ、瀬人は持って行き場の無い怒りを堪える事も出来ずに「具合が悪い」という名目で保健室へと退避する。途中、廊下の奥で物凄い音が聞こえたが、それも何時もの事なので誰も気にはしなかった。

「なんだぁ、あいつ。今日はアレの日か?」
「あはは、いつもの事だよ。気にしない気にしない」
「でもよー乃亜。マジ、この彼女、何処の子なんだ?」
「うん?きみは良く知ってる人だよ」
「しらねーよ。こんな女いたら振り向かずにはいられねーもん」
「僕のだからね。取っちゃ駄目だよ」
「と、取らねぇよ!!」
「そ、ならいいけど」

 そう言って彼等が覗き込む携帯のディスプレイには、派手なメイクを施され、長い栗色の巻き毛を無造作にかき上げた目の瞠る様な『美女』が映っていた。

 少し怒った様なその表情は、それでも甘く目に映る。

「名前は……そうだなぁ。瀬人子かな?」
「はぁ?」
「いや、こっちの話。どうでもいいけど、デュエルにはやっぱり頭脳が必要だね。後はほんのちょっとのズル賢さかな?」

 イカサマは僕の得意とする所じゃないけどね。

 そう言って悠然と微笑む乃亜の顔を不思議そうに眺めながら、城之内はもう一度彼の手の中におさまっている『彼女』の写真を凝視した。そしてほんの少しだけ口の端を緩めてしまう。

 海馬、ごめん。そう思いつつもやっぱり見とれてしまう城之内なのだ。
 

 彼が、『彼女』が己の恋人だという事に気づくのは、大分後になってからの話である。