Act3 帰る場所(乃亜瀬人)

『気に入らないなァ……』
「何がだ。贅沢を言うな」
『だってこれじゃ、ただの子供じゃないか』
「仕方がないだろうが。残っていた貴様のデータがその姿しかないのだからな」
『それはそうだけど……想像位出来るだろう?』
「何が悲しくてこのオレが貴様の成長後の姿など想像せねばならんのだ。そんな事知るか」
『僕は丁度きみとは5歳違うんだよね。と言う事は現在はもう立派な大人って事で……後20〜30年程成長が足りないんだけど』
「文句を言うなと言っている!貴様、分解されたいか?!」
『わ、ごめんごめん!ケチ付ける気は無かったんだ。だたちょっと残念なだけで』

 そう言って目の前の一見すればごく普通の少年は軽く後ろで腕を組み、少しだけ頬を膨らませて見せる。感情と共に仄かに色付いた人工皮膚が空気を含まされた事により僅かに伸縮し、その表情を作りあげる。上々だ。心の中でそう思いながら瀬人は少しだけ彼に近づいてぐるりとその全身を眺めやる。

『何じろじろ見てんのさ』
「それは見るだろう。オレの作品だ。何処か不具合は無いか?」
『今のところ特に問題はないみたいだね。感情による信号の各神経への伝達具合も、実際の感覚も、運動機能も申し分ないよ。ただ一つだけ残念なのはやっぱり見かけかな』
「まだ言うか。己の我が儘が通らない事に対して頬を膨らませるなど子供のする事だ。貴様の様な幼稚な人間が成人を名乗ろう等とは実におこがましい。恥を知れ」
『そこまで言わなくてもいいじゃないか。全く、僕の弟きみは相変わらず可愛げがないな』
「可愛げなどなくて結構だ。元より持ち合わせていないわ」

 ふん、と小さく鼻を鳴らして、瀬人はくるりと踵を返すと今までずっと座りっぱなしだった書類と部品の山で囲まれたデスクへと踵を返し僅かに空いた空間に投げ出されていたバインダーを手に取った。そして熱心に何かを書き込んでいる。

 窓が一つもない閉鎖された空間にこれでもかと詰め込まれた最新機器の数々。数多のコードに邪魔をされて満足に歩く事も出来ないこの場所で彼……『乃亜』が目覚めたのはほんの一時間前の事だった。
 

『起きろ、乃亜』
 

 感情の殆ど含まれていない、ぶっきらぼうなその一言が聞こえたと思った瞬間、乃亜は急激に体中に血潮が巡った様な感覚に陥った。心臓が激しく鼓動し、肺に空気が入り込む。そして、掌や頬に熱を感じた。同時に冷たい場所に横たえられている事や、手足に外されたコードの残骸が当たっている事も感覚で理解した。

 ……一体これはどういう事なのだろう。随分前に自分は不慮の事故により命を失い、肉体はとっくに喪失していた筈だった。その後父がデータとして遺してくれていたモノを元にバーチャル世界に復活し、暫し生き永らえたものの、それも愚かな野望を抱いた父の魂と共に永遠に失ってしまった筈だった。

 故に『乃亜』という存在が再び現代世界に戻ってくる事は不可能だったし、また自身がそれを自覚する事も決して有り得ない筈だった。

 なのに、大きく見開いた視界には少しだけ大人びて見える義弟の顔があって。最後に見た時と少しも変わらない仏頂面で自分の名前を呼んでいる。その声に答えたいとは思っても乃亜は自分の意思でこの突然現れた世界に降り立つ事が出来るかどうか分からなかった為、暫し無言を貫いていた。

 すると瀬人は暫し眼下の少年を見下ろした後、小さく舌打ちをして「感覚神経系が上手く繋がっていないのか?」と苦々しく呟く。そして何かを操作する為に戻ろうと身を翻そうとした瞬間、その白衣の裾を掴む手に阻まれた。驚いて振り向く顔、その顔に向かって乃亜は慎重に、けれど万感の想いを込めて呼びかけた。
 

『ただいま、瀬人』
「全てにおいて今の所は順調だな。試作品にしては我ながら上手く出来た。この技術を応用すれば医療界にも大いに貢献出来るというものだ」

 ワハハハハ!と声高らかに笑うその姿は数年前に見たものと寸分違わなかった。試作品、というのはこの肉体の事だろう。一昔前は(と言っても乃亜の記憶の範囲内だが)同じアンドロイドでもまるで機械そのものだったが、姿見の中に映る自分は生前のそれと少しも変わりがないほど人間味があった。言われなければ気付かないかもしれない。

 身を包む人工皮膚も本物の皮膚細胞からを培養したものだと瀬人は自慢気に語った。聞けば現在は何にでも変化する万能細胞とやらが存在するらしい。クローンも人権問題さえクリアすれば実現可能になったと言う。夢が現実になるのがこうも早いと恐怖さえ感じてしまう。

『で、きみは手始めに僕を作ってくれたと言う訳か』
「他に手近なものがなかったのでな。聞けば、モクバが貴様に言ったそうじゃないか。精巧なアンドロイドとして復活させてやる、と」
『あんな戯言を覚えててくれたんだね……』
「尤も、直ぐに忘れてしまい、思い出したのは今から二年前だったがな。ソリットヴィジョンをもっと多岐の分野で応用出来ないかという事を打診され、大規模な研究・生産施設を建設するプロジェクトが持ち上がった際、施設視察の為に我が社を訪れていた取引先の男が、ここに放棄されていたサイバードールに目を付けたのだ。それがこのアンドロイド計画の発端だったと言える」
『サイバードール?』
「あんなものはただのゴミだ。常に大型のコンピューターと有線接続しなければならず、満足に動けもしないガラクタだった。それでも当時としてはかなり高度な技術を用いていたのだからお笑い草だ」

 カツカツと踵を鳴らして瀬人が部屋の片隅に行き、古びたケースの中から一つの書類の束を取る。年月の所為でかなり黄ばんでボロボロになったその数千枚の紙切れは、件のサイバードールの設計図だという。

『うわ、凄い量だねぇ』
「このアナログデータは全てデジタルデータとして保存してある。故にこいつはもうお払い箱なのだが、記念にとってあるのだ」
『きみって見かけによらずモノを大切にするんだね。そう言えばそのペンダントもモクバからの贈り物だっけ?』
「あぁ」
『羨ましいなぁ……あ、でもさ。僕がこうしてここに存在出来るって事は、完全に消去されてしまった筈の僕のデータが残されていたからなんだよね?』
「まぁ、そういう事になるな」
『きみが残しておいてくれたの?それとも父上が?』
「さぁな。それを知った所でどうなる訳でもあるまい」
『それはそうだけど……父上だったら、それは僕にとって愛情の証にもなるし、きみが残してくれていたんだとすれば……』
「それも愛情の証になると?馬鹿馬鹿しい。だから貴様はガキだというのだ。モクバにも劣るわ」

 古い紙束を投げ出して、雑然としたメインテーブルに行儀悪く腰かけながら瀬人は疲れた様に天を仰ぐ。その顔は室内の暗さも相まって酷く青白く、若干やつれて見えた。

 「顔色が悪いね」と声をかけると、「一週間缶詰だったからな」と事も無げに返ってくる。

『そんなに完成を急ぐ必要があったんだ?』
「何事も無期限はないからな。抱えているプロジェクトはこれだけではない。明日モクバにも対面させてやる。それで奴の了解を受け次第、完成品を作る作業に入る予定だ。貴様の動作に不具合が無ければ完成品の製造にオレは携わるつもりはない。設計図も製作過程も全て記録してあるから、ある程度の知識があれば誰にでも作れるようになる」
『あ、そっか。僕は試作品なんだもんね。でも、どうしてきみはもう一体の製造から離脱するんだい?それに僕でぼぼ完成されているのなら、僕を完成品として発表すればいいじゃないか』
「どうしてだと?……むしろ何故オレが二号機の製造に関わらなければならないのだ。それに、貴様を世に晒せだと?見世物になりたいのか?」
『え?だって……』

 貴様がいいなら別に構わんが。そう言いながらも瀬人の表情は不機嫌に歪められる。冗談じゃない、と声には出さず口の形だけで吐き捨てて、彼は真っ直ぐに乃亜を見返しながらこう言った。

「不本意ながら貴様は我が海馬家の一員であり、長兄だ。例え血が繋がってなかろうとも身内を見世物にするような真似はしたくない」
『……僕も、きみ達の家族にしてくれるの?』
「不満か」
『不満な訳ないじゃないか!』

 あのバーチャルの世界で感じていた眼前の彼と、その弟に対する羨望と嫉妬。自らが決して手に入れる事が出来ない暖かで強い絆に幾度悔しさに唇を噛み締め、奪ってしまいたいと思っただろう。

『僕は本当は……きみ達の仲間になりたかったんだ』
「その割には随分と手荒な真似をしてくれたようだが」
『いっ、今更昔の事を引っ張り出さないでよ!瀬人は過去を振り返らない男なんでしょ?!』
「まぁな。だからこうして貴様の前に居るのだろうが」
『………………』
「涙線も問題ない様だな」

 少しだけ眦を下げて喉奥で笑う瀬人を見上げながら、乃亜は初めて自分の視界がぼやけている事を知った。瞬きをすると頬に筋を作って流れて行く。舐めても塩分はない偽物の涙。けれど、感情の昂ぶりと共に溢れてくるそれは、指で触ると、本物よりも温かい。

『ありがとう』
「礼はモクバに言え」
『でも、僕を作ってくれたのは瀬人だろう?たった一人で、こんな薄暗い部屋に閉じ籠もって、何千枚ものデーターをひっくり返しながら』
「目覚めて直ぐに文句を言われるとは思わなかったがな」
『それはごめんって。だってこの身体じゃ、満足にきみを抱き締める事も出来ないじゃないか』
「モクバもオレと身長が変わらなくなって来た」
『ああ、やっぱり。ますます大人の身体が欲しくなったよ』
「まぁその内考えてやってもいい。何時になるかは分からんがな」
『気長に待つよ。僕には時間があるからね』
 

 でもとりあえず、今はきみを抱き締めたい。
 

 そう言って手を差し伸べる小さなアンドロイドに、瀬人はゆっくりと床に降り立つと、そのまま目線を合わせるように膝を付く。そして温かな手に柔らかく包まれるままに、大人しく乃亜の腕の中へと収まった。互いの頬に、頬が触れる。少しも変わらないその感触に笑みが零れる。

「一つだけ言っておくが……以前よりも貴様はオレに近くなった」
『え?どう言う意味?』
「貴様に使用している人工皮膚は元はオレの皮膚組織の一部を培養して作ったものだ。故に……」
『この感触も、きみと同じ、という事だね』

 瀬人の言葉が全て紡がれる前に、乃亜はその唇に小さな口付けを一つ落とした。酷く柔らかで暖かいキス。どうみてもそれは子供が大人にするような酷く可愛らしいものだったが、そんな小さなふれあいも今の彼にはとてつもない幸福となった。

『ねぇ、瀬人。僕は帰って来られたんだね』
「貴様がそう思うのなら、そうなのだろうな」
『お帰りって言ってくれる?』
「調子に乗るな。そういう事はモクバに頼め」
『相変わらず可愛くないなぁ』
「まだ言うか」
『ずっと言うよ。きみが生きてる限り、ずっとね』
 

 きみの腕の中が僕の帰る場所だったように。きみの帰る場所が僕の腕の中になればいい。

 そう思いながら、乃亜はより一層強く目の前の身体を抱き締めた。
 

 ── 10年後の、奇跡の話。