Act2 秘めた想い(モク瀬人)

「見てみて兄サマ、懐かしいでしょ?多分これ兄サマが一年生の時のだね。学年で裏生地に縫い付けられた学章の色が違うんだっけ?」
「そんなものを何処から見つけてきた」
「クロゼットルーム。オレ、来月から中学じゃん。制服のサイズを申告しなきゃなんないんだけど、どの位がいいかなぁって。兄サマのをちょっと参考に。……それにしても凄いね。汚れ一つなくて新品みたいだ。オレには無理だよ。よかったーオレの制服普通の黒で」
「今のお前に丁度いいという事は、当時のオレとさほど身長は変わらないのだな」
「うん。オレももうちょっと兄サマの方が大きいかなーと思ったんだけど、意外だった。このまま成長したら、兄サマよりも大きくなったりして?」
「ありえなくはないだろうな」
「それにしてもサイズどうしよう。オレは兄サマと違って何着もいらないし。友達は皆三年間着れるようにって大きく作るって言うんだ」
「みっともなくない程度にサイズを調整すればいいだろうが」
「兄サマの三年生の時の制服はある?高校一年の時のでもいいけど」
「……いや。あれは……何処かにやってしまった」
 

 瞬間、瀬人の顔が僅かに曇り、モクバを見ていた視線が反らされる。……失敗した。モクバがその事に気づいたのは彼が本を持っていた手を握り締め、僅かに唇を噛み締めたのを見た瞬間だ。当時の話題はある意味彼等の間ではタブーだった。一番思い出したくない、暗い過去。あの時の兄は何処か狂っていたのだ、今は素直にそう思える。
 

 ── この部屋から出て行けモクバ!!
 

 まるで悲鳴のように上げられたその声が、目に映る眩しい白と共に甦る。
 

 

「瀬人様の制服を参考になさったら如何ですか?」

 来期から中等部へと上がるモクバがその制服のサイズを一人悩んでいた時、それを見ていたメイドがそう一言口にした。そのアドバイスを素直にいい案だと思ったモクバは、早速それを探しに兄の部屋の奥にあるクロゼットルームに潜り込んだ。そして、さほど困難も無く他のフォーマルな服と共にかけられていたそれ……兄が中学時に着ていた白い学生服を手に取ったのだ。

 特に考えもなく腕を通し、大きさを比べてみる。鏡を見た瞬間、絶句する程似合わなかったが、きちんと定位置に収まった上着の袖口やズボンの裾を見て、意外にも彼と自分はさほど身長の差はなく成長している事を知ったのだ。

「……あの時の兄サマ、こんなに小さかったっけ?」

 当時モクバにはこの白い学生服を来た兄が酷く大きく見えたものだった。自分の前に立ち塞がる汚れ一つない純粋な白。清らかな印象を持つその色だが、少し前まで、モクバにとってそれは恐怖の対象だった。

 白い制服と同じ位白かった兄の顔。端整なその面に刻まれていたのは、歪んだ微笑と憎しみに彩られた厳しい表情で。それを間近で見せ付けられ、後に捨てられるように拒絶された後は遠くから、じっと見つめていたモクバは酷く恐ろしさを感じたのだ。遠い昔の、笑顔が優しい兄の片鱗も見られなかったその顔に。
 

『あいつは白い悪魔だ』
 

 兄に手痛い目に合わされ、そして切り捨てられた人間は、口々にそう言って、瀬人の事を蔑んだ。

 あんな恐ろしい子供は見た事がない。美しい外見を持ち純白の衣装に身を包んでいるものの、その中身はどす黒い闇が渦巻いているに違いない。弟を見限ったのも手駒としてなんの価値もないからだ。兄弟の情などそこには存在しない。お前は奴に捨てられたのだ。可哀想に。

 数多の大人から、そして、養父から。繰り返しそう囁かれ、絶望の中で泣き暮らした日々。

 本当なの兄サマ。貴方はオレを捨ててしまったの。幾度も幾度も声には出さず視線で彼に訴えた。けれど、歪んだその表情は変わることはなかったのだ。
 

 けれど。兄は決して、根底から変わっていたわけではなかった。

 ただ、狂っていたのだ。何かが。少しだけ。
 

『海馬は今、闇の中で心の欠片を拾い集めている。バラバラになった心のパズルを、もう一度作り直しているんだ』
 

 その歪みを正す切欠を与えてくれたのは遊戯だった。

 彼に心を砕かれ、生きる人形となった兄は、半年の時間をかけて、歪み切ったその全てを自らの力で再生し、無事復活を遂げたのだ。その後、彼の顔には狂っていた時の空恐ろしい笑みは浮かぶ事はなく、モクバに対しても以前と殆ど変わらない柔和な態度を見せるようになった。

 まだ暖かな笑顔だけは、戻ることはなかったけれど。
 

 

「白い、悪魔かぁ……」
「何か言ったかモクバ」
「え?ううん、なんでもない。えっと、そうだなぁ、袖は大体掌の半分くらいまで隠れる長さにしようかな。オレ、絶対三年間で兄サマよりも大きくなるし」
「ほう。随分な自信だな」

 だってオレは、オレには、当時の兄サマのような苦しみも重圧も何もないから。現にあの事件の後、急激に成長した兄の顔は今や見上げないと目線をあわす事すら出来なくて。その割にしっかりと肉がつく事が無かった身体は酷く細くて頼りない。尊大な態度や過剰なほどのアクションをする彼だからこそ目立たないが、そのアンバランスさはモクバにはまた歪みに見えてしまうのだ。

 あの時は、ただ見ている事しか出来なかったけれど。今度は、手を差し伸べたい。

 目の前の彼が、再び悪魔にならないために。漸く取り戻しかけた穏やかなその顔を、自分が守ってやりたいのだ。

 悪魔が、天使になる事はありえないけれど。こうして人間に戻ってくれた。もう彼がこの白い制服を再び身につけたとしても、悪魔などとは呼ばせない。
 

「ねぇ、兄サマ。笑って?」
「なんだ突然」
「悪魔祓い。だから、笑ってみて?」
「悪魔祓い?……お前の言っている事はよく分からないんだが」
「いいから。ね?」
 

 昔と同じ様に、昔よりも優しく。

 こんなに美しい笑顔を持つ悪魔はいないのだと、彼をそう称した男達に見せ付けてやれるように。

 絶対貴方よりも大きくなって、その笑顔を……オレがずっと守るから。
 

「笑ってよ。兄サマ」
 

 それは、貴方にはまだ言えない。この心の奥底に、小さく秘めている想いだけれど。