Ac3 童実野町のクリスマス

 キラキラと輝くイルミネーションを眺めながら、オレは既に悴んで冷たくなっている指先に熱い息を吹きかけた。ついでに見た腕時計の短針がさすのは10の文字。約束の時間は7時だからゆうに3時間近くはここにいる事になる。……オレ、そろそろ凍え死ぬんじゃないかな、と腕を擦りながら空を見れば、憎らしいほど綺麗な星空が広がっていた。

 昨日の夜降り始めた雪は世界を真っ白に染め上げて、夕方にはぴたりと止んでしまった。まさにサンタクロースの贈り物さながらのホワイトクリスマスに周囲は皆浮足立っている。最初にいた本来の待ち合わせ場所だった時計台の周辺は同じ様な事情の男女で溢れていた。

 尤もその直ぐそばに立つ巨大なクリスマスツリー目当てにイチャついているカップルが大半だったけれど。くそ、オレだって本当は今頃イチャイチャ……は出来ないけど、もう少し暖かい所にいる予定だったんだ。まぁ大体覚悟はしてたけどな。相手が相手だからな。でも、連絡位寄越しても罰は当たらないと思うんですけど。

 氷の様な手をポケットに突っ込み、立っているのも辛くなったオレは何時の間にか空いていたベンチに座り込み、深い溜息を一つ吐いた。そして今頃、どうせ待ち合わせをするなら店の中にすれば良かったな、と今更な事を考えていた。
 

『本来ならこの時期は一年で一番の掻き入れ時で余計な事に気を回している暇はないのだが、今年は特別だ。何かしたい事や、欲しい物はあるか?』
 

 オレが寒空の下でただひたすら相手を待ち続ける羽目になったのは、今から丁度三週間前の深夜の事だった。11月の半ばから帰宅するのすら稀になったオレのご主人様はその日は珍しく日付が変わる前に帰って来て、疲れた身体を引き摺る様にシャワーを浴びて、その後始末をオレに命じながらいきなりそんな事を言い出した。

 疲労の所為かそれとも疲れすぎていい加減に洗っている所為か、幾分艶の無くなった髪を丁寧に乾かしながら、オレは即座に「忙しいでしょうからお気遣い無く」と突っぱねてしまった。その途端に奴は不機嫌になり、「もういい」とオレの手を撥ねつけると、さっさと一人で寝てしまった。その後数日奴はまた家に帰って来なかった。

 その時はなんで瀬人が怒ったのか理解出来なくてオレも相当悩んでしまったけれど、答えは直ぐにモクバから教えて貰った。何でも、瀬人はクリスマスに恋人同士で過ごしたい、という意味合いではなく、クリスマスがオレの誕生日だから何かプレゼントをやろう、という意味合いであんな事を言い出したらしい。

 そう、オレの誕生日はイエス・キリストと同じ、12月25日だ。それが名前の由来にもなっているから余計に恥ずかしい(ただしオレも親もキリスト教信者ではないけど)。ああ、だから奴は気を使って欲しい物はないか、なんて聞いて来たんだ。それをにべもなく突っぱねた事は素直に反省している。

 けれどオレにだって言い分はあって、連日連夜徹夜をしている状況の相手……しかも自分の主人を、例え少しの時間とは言え手間をかけさせたり、拘束したりするのは悪いと思ったし、何よりオレ自身瀬人に誕生日プレゼントなんて贈ってはいなかった。

 何故ならあの時点ではオレ達はただの主従関係だったし、将来的に恋人になる予感なんてこれっぽっちもなかったから(やたらと瀬人に突っかかられていた時期だったから、むしろ嫌われてるのかと思ってた)。海馬邸で催されたモクバ主催の身内だけの誕生日パーティには出席したし、おめでとうの言葉は勿論送ったけれど。

 だからオレは、自分だけがプレゼントを貰うのはなんだか申し訳ない、と思ったんだ。それを素直にモクバに伝えたら「馬鹿だなー。兄サマがくれるって言うんだから素直に貰っておけばいいんだぜぃ」と笑い飛ばされてしまった。その言葉に本来のずうずうしさを思い出して気を取り直したオレは、すぐ瀬人に頭を下げて許して貰った後、自分の欲しいものを率直に伝えたんだ。
 

『クリスマスの日に外で普通のデートがしてみたい』
 

 オレの要求を聞いた瞬間、瀬人はかなり驚いていたみたいだけどオレは「それ以外はいらない」とゴリ押しした。だって物なんて施設時代ならいざ知らず、身分不相応な給料を頂いている身としては大抵自分の金で買えちまうし。だからオレは尤もシンプルで、だからこそ難しいものをねだってみたんだ。実際一番欲しいものだったし。

 勿論、無理なら別にクリスマスじゃなくたって何時でも構わないから、と多少は譲歩もした。欲しいものを変える気はないけど、困らせる気もなかったからな。

 オレに予想外の要求をされた瀬人は、暫くの間スケジュールとにらめっこをしていたけれど、なんとか調整をつける、と約束してくれた。オレはモクバや磯野さん経由でしか分からないけど、クリスマスイブやクリスマス当日はパーティがてんこ盛りで身動きが取れない筈だった。なのに、OKしてくれたって事はそれだけ大事に思ってくれてるんだろうか。

 その後オレに時間と場所を指定しろと言うから、午後7時にこの場所で、と指定した。家で待ってればいいだろうという瀬人の意見は却下した。家からじゃーなんか面白くないじゃん。折角のデートなのに。

 そう言う訳で、こうして待っているのはある意味自業自得だった。だからそんなに苦でもない。

 でも流石に手足の感覚が無くなって来たのには参った。今日はこの冬一番の最低気温だっていうし、足元には雪があるし……風邪でも引いたらそれこそ一大事だ。主人を差し置いて寝込む訳にはいかないからな。

 そんな事を思いつつ、少し運動でもして身体を温めようかと雪を踏みしめたその時だった。
 

「良くこんな場所に一人で座っていられるな。その鈍さには感銘すら受けるぞ、シン」
 

 キンと冷えた空気に混じって、頭上から絶対零度の声が降り注ぐ。はっとして顔をあげると、真っ先に目に入ったのは雪よりも白い純白のコートだった。その上に巻かれた鮮やかなダークブルーのマフラーに、冷たい顔付きに似合わないふわふわのイヤーマフ。……どこをどう見てもオレのご主人様。三時間の遅刻もなんのその、何時も通りの尊大な態度でオレをじっと見下ろしている。

「瀬人!!」
「貴様は馬鹿か?何故連絡をして来なかった」
「いや、この場合連絡してくるのはオレじゃねーだろ。お前だろ?!」
「ふん。この場所を設定したのは貴様だろう。と言う事は、連絡義務も貴様にある、という事だ。分かるか?」
「分かりません」
「分からんなら吠えるな」
「ほんっとお前は減らず口だけは健在だな!今日はお疲れじゃなかったのかよ」
「そのお疲れの所を引き摺りだしたのはどこのどいつだ。まぁ、多少は遅くなってしまったが」
「三時間は多少じゃねぇ。素直に遅れてごめんなさいって言え」
「誰が言うか。生意気な」
「生意気なのはそっちだっつーの。ていうか、瀬人様……貴方、すっぴんじゃないですか?オレ、伊達眼鏡用意してましたよね?どうしたんですか、アレ。それにそのクソ目立つ白コートは一体なんですか?貴方には世間様の目から隠れようって気がないんですか?」
「ない」
「即答すんな!」
「一々煩い。こんな時間だ。人もそうはいない。それに見られたとしても皆他人などどうでもいい様な連中ばっかりだ。心配ない」
「そう思ってるのお前だけだって!」
「もう一度言う。この場所を指定したのは貴様だ。オレが非難される筋合いはない。本来ならこういう結果を見越した上で要求すべきだった。違うか?」
「違っ……あー……なんかもういいや。オレが悪かったです」
「分かればいい」

 そう言ってつん、と横を向く瀬人にオレは思わず小さな溜息を吐いてしまった。これ以上こんな事で口論したって堂々巡りだ。それでなくても残り時間は少ないのに喧嘩してたら勿体ない。気を取り直したオレは何時の間にか寒さでベンチに張りついたジーンズをさり気なく引き離しながら立ち上がりかけたその時だった。瀬人が何故か周囲に視線を巡らしつつ少しだけ笑っている。

「まぁ、何でもいいが。で、これからどうするのだ」
「本当は色々予定立ててたけどお前の所為で大体の店が閉まったから、考えてるとこ」
「そうか。オレは貴様が周辺の連中の様な事をしたいのかと思っていたが」
「周辺の連中?……つかお前なんで笑って……!!」

 余りに瀬人の行動が不審だったから、オレもつられて周囲に目をやると、そこには一応物影っぽいと言える所に隠れて熱烈にキスを交わす複数のカップルが点在していた。綺麗に彩られたイルミネーション、未だまばゆい光を放つ豪奢なクリスマスツリー、そして人気も疎らになった時間帯と来ればもってこいのシチュエーションだ。

 でも、ここでするなよ!!

「もしかして、お前がさっき『こんな場所で』って言ったのは……」
「先程からこの状態は変わってないが?」
「早く言えよ!!つか、よく堂々と近づけたな!」
「貴様はまるっきりただの寂しい男だったな。どうみても失恋したとしか思えない風貌だったぞ」
「誰の所為だよ……。まぁいいや。とにかく行こうぜ。寒くて死ぬ」

 ここが外じゃなかったから他の連中の様に……というかそれ以上に熱烈に抱き合ってもキスしてもいいんだけど。そこは男女と同じ様にはいかないよなぁ。まぁせめて後で手でも繋いでみよう。

 そう思い、悴んだ手を外に出した瞬間、その手になにやら柔らかい物が乗っていた。なんだ?と思ってよく観ると、立派な黒の革手袋。しかもどこか見慣れている。不思議に思って瀬人を見ると、全く同じものに包まれた指先が素早く掌の上のそれを奪い去って、さっと被せられてしまった。見た目は冷たい革手袋だったけど、中は凄く暖かい……っていうか、これって、人肌の暖かさじゃないか?

 もしかして……?

「クリスマスプレゼントだ。オレと揃いのな」

 そう言って奴が翳した手を見ればやっぱりオレのと同じ手袋だった。どうやら瀬人は事前に自分で嵌めて温めた後にオレにくれて寄越したらしい。ラッピングもない所はいかも奴らしかったけれど、こんな小さな心遣いが何故か凄く嬉しかった。三時間も帳消しになる程に。

「主従でペアとか、なんか笑えない」
「嫌なら返すんだな」
「絶対に返さないけどな。ありがとう」
「ふん」

 抱き合う事もキスすらも今は出来なかったけれど、オレが立ち上がる一瞬、瀬人が差し伸べてくれた指先を握り締める事が出来た、ただそれだけで、凄く幸せな気分になった。

 行きたかった店も、見せたかったものも沢山あるけれど、また機会を作って貰えばいい。今はただ、普通の若者と同じ様にファーストフード店にでも行って身体を温めた後、小さなケーキでも買ってイルミネーションを楽しみながら家に帰ろうと思った。学生のデートなんてそんなもんだろ。

 今やりたかった事は、家でゆっくりとやればいい。

 オレがメリークリスマス、というと瀬人は呆れたように笑って「いいクリスマスかどうかは貴様の努力次第だな」とまた可愛くない事を言って来た。
 

 ……それは難しい相談だ。
 

 だってオレは、お前がいるだけでいいクリスマスだと思うから。

 お前にもそう思って貰いたいんだ。