短編集 NO83〜N087

【83】The most important thing -- 10.09.10


「来週、城之内くんの誕生日らしい。お前、知っていたか?」
「は?オレが凡骨の誕生日なぞ知る訳ないだろうが」
「相棒が言うには1月25日らしい。どこかで聞いた事がある日だと思ったら、お前の誕生日と日にちが一緒なんだな」
「だからどうした」
「いや?ただ同じだな、と思っただけだぜ」

 そう言って広い五人かけのソファーのど真ん中に堂々と居座っている遊戯は、少し得意気に口の端に笑みを乗せた。小柄の身体を少しでも大きく見せる為か両手を広げて背凭れに回し、両足は組んで上にした方をブラつかせていた。何処をどう見ても行儀がいいとは言えない格好だが、今更咎める気力もない海馬はチラリと視線を向けただけで黙認した。

 尤も海馬の許可を取らず無遠慮に屋敷に入り込み、仕事中の彼の事などお構いなしにいつの間にか親しくなったメイドに予め用意させていた簡易ティーセットを持参しつつ部屋を訪れて、鮮やかな手付きで香り高い紅茶を二杯入れて海馬の机の隅と自分の目の前に置き、「まぁ飲めよ」と押し付けてくる時点で相当な図々しさを発揮しているのだから、行儀の悪さなど最早些細な事だった。

 この男と付き合う為には様々な面に目を瞑らなければならない。

 海馬が遊戯と出会い一番初めに痛感した事は、そんな余り歓迎出来ない事柄だった。

「で?」
「うん?」
「うん?ではないわ。貴様、何が言いたいのだ」

 会話は冒頭で一旦途切れ、その後耳障りな紅茶を啜る音と、共に持ってきた焼き菓子を複数枚一度に口に放り込み、ボリボリ音を立てて噛み砕く音だけが暫く続いた。それらの音を多少の苛立ちと共に聞きながら、こちらも飲まないと抗議が飛んでくる淹れたての紅茶を一口飲んで、海馬は言葉のボールを明後日の方向に暴投したまま飲食に夢中になっている遊戯に不本意ながら声をかけた。

 すると彼は二杯目の紅茶を淹れる準備をしながら、事も無げに口を開く。

「誕生日と言えば、誕生日プレゼントなんだが、何をしたらいいと思う?」
「それを何故オレに話す」
「お前はこういう事やってるし、プレゼントも一杯貰ってるだろ。参考にしようと思って」
「オレが素直に教えると思うのか?大体、オレと凡骨では人間の質が違う。同等に考えないで欲しいものだな」
「何怒ってんだよ」
「怒ってなどないわ。そんな下らん事を知る為だけに押しかけて来て仕事の邪魔をするからだ」
 

(大体、貴様はオレにそんなものを寄こそうとはしなかっただろう。オレの誕生日には常と同じく勝手にやって来てモクバにそそのかされたのかは知らないが、一応「誕生日おめでとう」と言う大して心も籠ってない言葉を寄こし、プレゼントという名目を付けたデュエルをやって、その後はいわずもがな。なのに、凡骨の誕生日には頭を悩ませるだと?ふざけるなこの紅葉頭が!)
 

 怒ってなどない、という言葉とは裏腹に海馬は内心そんな不満を爆発させつつ、目の前の遊戯を軽く睨んだ。一応は恋人という間柄である相手であるが故に感じるその不満は、俗に言う「し」で始まり「と」で終わる漢字二文字の感情から来るものなのだが、彼は間違ってもソレをその単語で表現する事はないだろう。

 尤も本人にもその自覚はないので、どうでもいい事なのだが。

 ともあれ、海馬は非常に不愉快だった。更にこの事について遊戯が何か言い募る様なら首根っこを掴んで雪の庭に放り出してやろうと思う程に。

「まぁ、聞けよ」

 そんな海馬の不機嫌さなど全く意に介さずいつの間にか注いでいた紅茶を満足げに飲み干して、最後はきちんとソーサーの上にカップを戻した遊戯は、ゆったりとした動きでソファーから立ち上がると、何故か海馬の方へと歩んでくる。その顔には、相手を不愉快にさせたと言う反省の色や、これ以上その話をするなと言外に言っている海馬の意向を汲むという配慮など微塵も見えない。

 ほんの数秒で机まで辿り着いた遊戯は、それが当たり前の様に沢山の書類やファイルにまみれた机の上へと腰かけて、ほんの僅かに高くなった位置から座る海馬に顔を向ける。そしてややきつく寄せられた茶色の眉を愉快さを隠しもせずに見詰めると、どこか宥めるような口調で口を開いた。

「確かに、お前の時には何か物をやった訳じゃないし、悩みもしなかった。それは認める。だけど、オレにとっては初めての他人の誕生日だったんだ。仕方ないだろ」
「だ、誰もそんな事は言ってないだろう。おかしな解釈をするな!」
「言っておくが、城之内くんにプレゼントを贈りたいっていうのは、お前に向ける様な気持ちからじゃないぜ?普段世話になってるから、こういう時に何かで恩返ししたい、と思ってるだけだ」
「どうでもいいわ、そんな事!」
「拗ねるなよ」
「拗ねてないわ!一々やかましい!……っ、凡骨の様な貧乏人は何をやっても有り難く受け取るに決まっている。悩む必要などない!これでいいか?!」
「何のアドバイスにもなってないぜ」
「オレは貴様の質問に答えてやっただけだ!」
「……分かった分かった、そう騒ぐなよ。じゃあ、質問じゃなくて相談だ。これと同じ話を一応杏子にもしてみたんだ。杏子は女だし、そういうのも良く分かると思ってな」
「だったら尚更オレに聞く必要性がないだろうが」
「だから聞けって。……それでな、杏子は『どうしても分からない時は自分の一番大切なものを上げたりもする』と教えてくれたんだ」
「そうか。それは良かったな。答えが出たのなら実行すればいいのではないか?」
「あぁ、オレもそう思うんだが……」

 一応はこちらに対する気遣いを見せた遊戯だったが、結局城之内の為に何かしてやりたいという意味では全然変わらないだろうと海馬は思う。本当にいい加減にして欲しい、今度こそ外に捨ててやる!!そう心中で吐き捨て即座に実行に移すべく、彼は我慢強く組んでいた指先を解いて目の前の身体に伸ばそうとした、その時だった。

 やけに真剣に赤い瞳が自分を見つめている事に気が付いた。余りにも真っ直ぐに向けられたそれに、海馬は思わず「何だ?」と聞こうとして口を開きかける。しかし、次の瞬間それは真一文字に結ばれて、ぎり、と噛みしめられる事になるのだ。
 

「オレの一番大切なもの、というとお前と言う事になるんだが……さすがにそれはやれないだろう?」
 

 その言葉に海馬が二の句を継げず、不自然に黙り込んだのは言うまでも無い。
 結局、遊戯の城之内へのプレゼントは必然的に海馬がスポンサーとなり、なかなか高価な一品が贈られたという。
 

「ま、物は言い様だぜ」
「……もう一人の僕!!」
 

 ── 海馬が遊戯の口車に乗せられた事に気付くのはそれから暫く経ってからである。

闇海:王様にはお金がなかっただけです(笑)社長、殴っていいよ ▲

【84】寝像 -- 10.09.11


『兄サマとは一緒に寝ないよ。っていうか寝れないよ』

 そう言ってモクバが苦笑いをした理由を城之内は今まで全く別の意味で捉えていた。それは身内も含めた海馬の極度の警戒心の現れの象徴だとかその他諸々の、兎に角物理面よりも精神面から来るものだと思っていた。

 が、それは全て間違いだった事を知る。

「……確かに、これじゃ一緒には寝れねぇよなぁ」

 そう呟く城之内の眼前にあるのは白い踝。勿論本人のものではない。まぁここは海馬の寝室であるので海馬以外には有得ないのだが、まさかこんな暴挙に出るとは想像もしていなかった。尤も暴挙と言っても無意識下の出来事なので悪意があった訳ではない。

 ともあれ現在城之内は酷く困惑していた。
 ちなみに初めて共寝をした記念すべき夜の話である。

 ズキズキと痛む顎を押えながら城之内は盛、大な溜息と共に己にこの痛烈な痛みを齎した上下逆になっている男の身体を元に戻し、まるで羽交い絞めにする様に抱えて目を閉じた。

 まさか海馬がこんなに寝相が悪いとは思わなかった。これじゃーモクバでは荷が重過ぎる。そう呟く城之内の顔に憂いは全く感じられない。否、それさえも今はとても愛しいのだ。

 彼はもう、己の恋人なのだから。

城海:500字以内で書けとのお題より ▲

【85】むとうゆうぎ -- 11.05.24


 一番最初にその文字を見た時僕は思わず目を丸くして、何度も手渡されたメモ用紙とそれを手渡した筈の目の前の彼……海馬くんの顔を見返してしまった。僕のその仕草に彼が物凄く嫌そうな表情でこっちを睨みつけて来て、「文句があるのなら返せ」と低い声で唸って来たけれど、全くもって全然そういう問題じゃない。

 気に入る気に入らないんじゃないんだよ、海馬くん。きみのこの文字に関して僕は一言言いたい訳。

 僕の汚い字が書きなぐってある使い古したノートに赤い字で踊っていたのは間違いなく彼の字だ。澄ました顔をして高級なペンをさらさらと動かしていたからその顔やスタイルに見合った凄く綺麗な字が書かれていると思ったのに、そこにあったのは全く予想できない文字だった。

 ……なんだか丸くて、さんずいとかしんにょうとかがどっかいっちゃって、全体的に整ってなくて、数字なんか明後日に向かってる。雰囲気から言ってとても男が書く文字じゃない。女の子の字みたいだ。見た瞬間「あれ?これ杏子の字だったかな?」って思う位に。

「……海馬くんって、すっごく可愛い字書くんだね……意外だなぁ」
「っ!煩い!妙な感想を述べるな!」

 そのメモをもう一回しみじみと眺めながら、思った通りの事を素直に口に出す。そうしたら海馬くんは一気に眉を吊り上げて、まるで噛みつくように僕の顔に上半身を傾けて怒鳴ってきた。これが普段ならちょっと怖いなぁと思うんだけど、今は顔が真っ赤だからそんなに、っていうか全然怖くない。むしろ可愛い。

「きみが板書嫌がるのってこれが理由?」
「………………」
「だから日直になったら自分で自分の名前書くの嫌がって、ペアの女の子に書かせてたの?」
「………………」
「海馬くんって面白いね」
「……うるさい」
「でもさ、別にこの字は可愛いだけで全然読めなくないし、そんなに気にする事ないよ」
「貴様が今気にする様な事言ったんだろうが!心配せずともとっくに対策済みだ。その内手本の様な流麗な文字を書いてやるわ!」
「えー?僕は好きだけどなぁ、この字。もしかして海馬くん、ペン字でも習う気なの?出来れば変えて欲しくないなぁ。大体さ、今紙にペンで書く事なんて滅多にないし、多少下手だって困らないでしょ?」
「…………なっ」
「ね?」

 すぐ近くにあった海馬くんの顔に、わざと自分の顔を近づけて、丁度耳元に声を吹き込む様な形でそう言ってやる。すると元からちょっと固まっていた海馬くんは今度こそ石の様になってしまった。僕がどさくさに紛れてその白い手を握ってもピクリとも動かない位に。

 よっぽど自分の文字を知られるのが嫌だったのかな……ごめんね。でも僕は凄い宝物を貰った気分だよ。何一つきみに勝てる所がなかったけど、「これ」だけは僕の方が男らしい。並べてみれば一目瞭然。やっぱり海馬くんの字は女の子の字みたいだ。

 僕はその字を愛しむように指先でそっとなぞると、未だ不機嫌な表情の彼を見上げて、ありがとう、と口にした。そもそもこれは僕が彼に分からなかった問題の回答を書いて貰ったのが始まりだったから。それが思わぬ収穫になった。そういう事。

「貴様何を笑っている」
「その言い方はちょっと酷いなぁ、微笑んでるって言ってくれない?」
「何処が微笑んでいるのだ。にやにやしおって。どうせ馬鹿にしてるのだろうが」
「そんな事ないよ」
「嘘吐け」
「本当だってば。その証拠に、一つ僕のお願い聞いてくれる?」
「聞かない」
「そう言わないで。このノートのここにさ……」

 武藤遊戯って書いて欲しいんだけど。僕の名前を、きみの文字で。

 いつまでも引っ込まない笑顔をそのままに、僕は筆箱の中からペンを一本取り出して、握り締めていた彼の手に強引に押し込んだ。そして無理矢理、閉じて裏表紙を前にしたノートの上に押し付ける。書いてくれないとキスしちゃうよ?なんて冗談交じりに迫ってみたら、彼は比較的素直に僕の名前を書いてくれた。少し歪んだ、丸文字の武藤遊戯。

「これで満足か」

 そう言って、やっぱり不機嫌に口の端を歪めた彼に僕は結局小さなキスを一つ落として、ありがとう、ともう一度呟いた。そのノートは数年経ってもまだ僕の机に眠っている。捨てるつもりは勿論ない。
 

 小さく歪な武藤遊戯。
 

 でも僕は、その字が何よりも綺麗で愛しく思うんだ。

表海:文字ネタ表海バージョン。可愛い ▲

【86】秘密の -- 11.06.01


 人間、思いがけない場所でそこにいるのが有り得ない人物と遭遇すると自然と悲鳴が出ちまうもんだ。オレもその例に漏れず、指先で弄んでいた小さな箱をその場に取り落としつつ、ぎゃあ!と情けない悲鳴を上げた。そんなオレに完全に小馬鹿にした様な笑いと、いつもよりも少し険の取れた視線が向けられる。その間にもその場にはカタカタと聞き慣れない音が響いていた。

「アンタ、こんな所で何やってんだよ」
「何をとは。見て分からんか?」
「いや、分かるけどよ。なんでそれをここでやってんだって聞いてんの」
「オレが今日受けたいのは美術だけだからな。他の授業は必要ない」
「だからサボりって訳か」
「そうだ」
「それにしても……何も外でやる必要はねぇんじゃねぇの」
「何時電話がくるか分からんからな。バレるだろうが」
「そういうの気にすんだ?アンタの事だからセンセーにバレた所で何ともないんだろ」
「そうでもないぞ。ここは学校だからな」
「へぇ」
「オレの事より貴様はどうなのだ。どうせ似たようなものだろうが」
「あーまぁ、そうっちゃそうだけど、オレの場合ちょっと違うんだよな」
「何が……ああ、それか」
「そう、これ。つか、ここは有名な喫煙所ですよ?社長サン」

 だからお前が何でわざわざここを仕事場に選んだのか知りたかったんだけど。

 なんて言いながら、オレは生真面目な視線を向けられるままに、たった今驚きの余り落としてしまった後数本しか入っていない煙草の箱を拾い上げた。メンソール系で日本メーカーの中では一番タールが軽い奴。城之内辺りに言わせればそんなんだったら吸わない方がいいという代物らしいが、元々ヘビースモーカーでもないオレにはこれ位が丁度いいんだ。

 でも、やっぱ途中でヤニ切れが起こるからこうして授業を抜け出してこの場所に吸いに来る。以前は屋上までくるのがめんどくさくて、トイレとかでやってたら速攻バレてチクられた。それ以来ここでしか吸ってない。他の連中も皆似た様なもんだろう。

 そんな場所に天下の高校生社長であり、校内随一の優等生でもある海馬瀬人がいるとは思わないだろ普通。ここに来たのがオレである意味良かったのかも。他の奴だとモメたかもしれないし……って、全て想像の話だけど。

 オレの言葉に特に反応もせずに顔を直ぐにパソコンへと戻してしまった海馬は、相変わらず淡々とキーボードを打ち続けている。真っ黒の画面に高速で打ちこまれているのは見てもさっぱり分からない数字と英文の組み合わせ。こういうのなんつーんだっけかな。プログラムだっけ?一般人はそれを使った機械を扱うのにも苦労するってのに、それを作っちまうんだからスゲーよな。

 こいつがスゲーと言えばそれだけじゃない。一々羅列すると長くなるからやめるけど、とにかくオレとは住む世界が違うってこった。オレはデュエリストですらないからな。奴の範疇外っつーか認識して貰ってるかどうかすら怪しい。ま、いいんだけど、別に。

 オレが傍にいても海馬が特に何も言わないのをいい事に、隣を陣取って給水塔の壁を背にしゃがんで座ると、一本目に火を付けた。吸い上げたメンソールが鼻を刺激して心地いい。遠慮なく吐き出した煙が辺りに漂うけど、やっぱり文句は出てこない。良くは知らないが、見かけからは潔癖そうに見えるのに、気になんないのかね。尤も、気になるんならまずこんな場所を選ばないけどな。

「なぁ」
「なんだ」
「煙草、いいのか?」
「別に」
「……なら、いいんだけど」
「特に気にならん」
「へー意外。お前ってそういうの駄目だと思った」
「勝手な先入観でものを語るな。大体そんな軽いのを吸っていて、良く喫煙者を気取れるな」
「はい?」

 何言ってんだこいつ?

 思わず口に加えたままの煙草を吐き出しそうになったオレをフンと軽く鼻であしらって、いつの間にかパソコンを閉じて立ち去る体勢を取った海馬は、立ち上がりざまオレに何かを投げて寄こした。そしてそのままさっさとその場から立ち去ってしまう。

 ほぼ茫然とそれを見送っていたオレの膝からポトッと何かが落ちる音がして、それに何気なく目線を向けると、そこには一本だけ抜かれているほぼ新品の外国産煙草の箱が一つ転がっていた。

 それはもしかしなくても、多分……海馬のもので。とゆー事は、海馬はここで煙草を吸っていたと言う事に……。

「えぇ?!」

 ── 確信犯かよ!

 そうオレが叫ぶ頃には海馬の姿は影も形も無く、少し離れた出入口の扉が鈍い音を立てていた。……早っ!脱走かよ!!あいつ元々ここにヤニ補給に来てたってか!……ありえねぇな、おい。

 拾った箱をしばし見つめる。タール量、ニコチン量が半端無い。あいつには全くそんな雰囲気がなかったからさっぱり気付かなかったけど、これじゃ結構匂うんじゃねぇの。なんで誰にも気付かれないかな。オレだって女子にはけっこー騒がれるのに。うーむ。

 けど、なんであいつ、物的証拠を残してったんだ?オレにチクられるかもって思わないのかね(まぁ、それはオレも同じなんだけど)意味わかんねぇ。

 今度は何時になるか分かんねぇけど、会ったらこれを突き付けて聞いてやろう。聞いてどうするって訳でもねぇんだけど。なんとなく。

 気まぐれに一本取り出して、興味本位で吸ってみた海馬の煙草は、思わず咽る位物凄いものだった。なんだこりゃ不味すぎる。似合わねぇ〜!

 口直しにともう一本自分の煙草をくゆらせて、オレは件の箱を密かにポケットに忍ばせる。
 

 次は現場を押さえてやりたいと思いつつ、自然と浮かんだ口元の笑みを消すのに苦労した。

本海:まだ始まってもいない二人。個人的に社長は禁煙派です(笑) ▲

【87】始まりの雪 -- 11.11.23


「悪ィ、今日駄目になった。風邪引いて休んだ奴がいてさ、どうしても入ってくれって言われて」
「そうか。ならば仕方ないな」
「ごめんっ!マジごめん!怒ってる?」
「別に。いつもの事だろうが」
「そーだけどー。なんかそう軽くあしらわれるとそれはそれで寂しいんだけど……」
「下らん。貴様の情緒を考慮してやる程オレは暇ではない」
「ですよねー。あーもうタイミング悪ィ〜!!二週間ぶりだったのに!しかも放課後デート付きだったのに!!」
「何時そんな予定が組まれていた」
「え、ついさっき。お前が学校に来た瞬間から決定してたし」
「勝手に決めるな」
「どーせ一緒に帰るんだからいいじゃん、寄り道したって」
「それで、アルバイトは何時からなのだ」
「あ、6時からだけど。後2時間位あるな!じゃーデートは出来る訳だ!歩いて帰ろうぜ!」
「この寒空の下オレに歩けというのか貴様」
「そんなジジ臭い事言ってー、たまに歩かねぇと身体鈍るぞ。大体お前体育すら碌に出てねーんだし?」
「余計な世話だ。とにかく、もう此処には用はないのだから帰るぞ……って、おい!!」
「はーい、先行ってまーす!」
「貴様っ!ふざけるなっ!」
「一瞬の油断が命取りってね。早くしろよー?」

 そう言うが早いが、目の前でかなり大げさに喜怒哀楽の表情を見せていた城之内は、行儀悪く腰かけていた机から飛び降りると、まるでリードを離された犬の様に素早く人気のない教室を飛び出して行く。踵を完全に履き潰している所為でバタバタとかなり耳障りな音を響かせる足音はあっと言う間に遠ざかり、階下へと消えて行った。その瞬間、教師の怒号が聞こえて来る。

 全く素早さと小賢しさだけは一丁前だが、学習能力のない駄犬だ。忌々しい。

 そんな事をまるで吐き捨てる様にぼやきながら、海馬は携帯電話を持っていた形のまま空に留まっていた右手を下ろすと、緩やかな動作で椅子にかけてあったコートを着込み、防寒具を着用した。今朝なんとはなしに眺めていた天気予報で今夜は初雪が降ると言っていたが、確かに降りそうな気配だった。既に薄暗い外の世界はどんよりとした厚い雲に覆われている。

 それらを特に感慨も無く眺めながら、海馬は極力時間をかけて帰り支度を済ませ、やけにゆっくりとした足取りで教室を後にした。運転手に連絡しようと内ポケットから取り出した携帯を妙な早業で奪い去っていった城之内に対するささやかな意趣返しだ。

 短気なあの男は昇降口に佇んでイライラしながら自分を待っているのだろう。そして顔を見せた途端、キャンキャンと吠えかかるのだ。犬と呼ぶと不機嫌そうにやめろと撥ね付ける癖に、その行動は犬のそれと変わらない。そう言えば犬は雪が好きだったか。『犬は喜び庭駆け回り』というフレーズが懐かしい音楽と共に脳裏を一瞬駆け抜けて自然と口元に笑みが浮かぶ。

 我ながら下らない事に思いを巡らせてしまったと表情を引き締める前に、海馬の『犬』は待ち切れなかったのかいつの間にか階段の下に立ち尽くし、不満そうな顔でこちらを見上げていた。その足元は勿論薄汚れたスニーカーだ。

「お前おっせーんだよ!!早くしろよ!」
「煩いぞ凡骨。貴様、土足で校内を走り回るな」
「走り回ってねーよ!昇降口からここまで来ただけじゃん」
「全く、手癖が悪い上に騒がしく、待ても出来ないとは本当にどうしようもない犬だな」
「犬言うな!」
「で、雪は降ってきたか?」
「はぁ?雪?なんで雪よ」
「貴様のそのはしゃぎっぷりの原因はそれなのかと思ってな」
「ちげーよ!つーかはしゃいでねーし!むしろ残念がってるし!」
「何でもいいが携帯を返せ」
「やだ。返したらお前車呼ぶじゃん。今日は歩いて帰るの」
「しつこいな。今日は防寒対策を何一つして来ていないから嫌だと言っている」
「……あったかコートにマフラー、何時でも嵌められるように皮手袋まで持ってる癖に。それ以上に何装備すんだよお前」
「あいにくオレは犬と違って毛皮を持っていないのでな」
「オレも持ってねーっつの!あーもう!グダグダ言ってねーで早く行こうぜ!時間貴重なんだからよ!」
「そんなに散歩に行きたいのか」
「散歩じゃねぇっ!」

 もう絶対ケータイ返さないもんね!

 憤慨し、安っぽいコートの肩を怒らせながらまるで子供の様にそう言うと、城之内はまた耳障りな音を立てながら再び昇降口へと走っていく。その後ろ姿を目を細めて見遣りながら、海馬は徐にコートの左ポケットに手を入れるとホワイトカラーのスマートフォンを取り出した。

 城之内に取り上げられたのが仕事専用の携帯なら、こちらは完全にプライベート用だ。城之内が海馬が携帯を二つ持っている事を知らない筈は無かったが、浮かれている彼は常に色んな事を失念するのだ。

「磯野か。今日は駄犬の散歩をして帰る。蓮田にもそう言っておけ。二時間後に駅前だ、いいな」

 単刀直入に用件だけを口にすると、海馬は城之内が再びこちらを注視する前に手にした携帯を元に戻し、大きな溜息を一つ吐く。そして今度は少し早めに足を動かし速やかに靴を履き替え、既に大分日が落ちている外へと踏み出した。途端に左肩に飛びついて来る濡れた金髪に少しだけ眉を顰める。勿論それはご主人様を今か今かと待ちかまえていた愛犬のものだ。

「冷たいな!飛びつくなっ!」
「な、雪降って来た、雪!!」
「貴様のその頭を見れば分かるわっ!」
「積もるかなー。バイト大変だから本音を言えば積もって欲しくねぇけど。でもちょっとは積もって欲しいよなー」
「何を訳の分からん事をほざいている。いいから行くぞ。時間は貴重なのだろうが」
「あ、そうだった。まずバイト前に腹ごしらえだろ?その後ゲーセン行くだろ?そんでもってー」
「二時間ではそこが限度だな」
「あぅ」
「妙な声を出すな」
「ちぇっ。あーあ、ホント残念。折角雪降ってんのにさぁ」
「貴様の発言を一々まともに聞いていると頭がおかしくなるな。人間の言葉を話せ」
「こういう楽しい日は最後まで一緒に居たかったって事!」

 初雪ってなんか特別だよなー。朝起きたらさ、外が真っ白になってんだぜ?魔法みたいじゃん。

 その光景を思い浮かべているのかはたまた寒いからなのか、頭を肩口に押し付けたまま落ち着きなく口を動かす城之内の事を海馬は呆れながら見遣り、そして至極穏やかにこう言った。

「そして何か。朝一番に庭を駆け回るのか」
「だーからオレは犬じゃねぇって」
「そうか。期待していたのだが」
「どういう期待だよ。あ、でも海馬がどうしても庭を駆け回って欲しいっていうんならお応えしてやってもいいけど?今日何時に終わるか分かんねぇけど」
「別にいい」
「そう言わずに。どうせ暇なんだろ、オレが居ない時に寝て、夜起きてればいいじゃん」
「何の為に」
「分かってる癖にぃ。よし、決めたっ!バイトがんばんぞー!」
「勝手に決めるな!」
「まぁまぁ。ほんとは予定駄目になってちょっとだけ残念だったっしょ?」

 な?

 そう言って、やはり犬宜しく自らの頭をすり寄せていた白い頬をぺろりと舐めた城之内は、やけに元気よく粉雪の降りしきる宵の道を歩き出した。いつの間にか掴んでいた海馬の手を離さないまま、足早に。

「雪見るとアレ思いだすよなー『ゆーきやこんこん、あられやこんこん、ふってはふってはずんずんつもる』って歌。灯油宅配とかのトラックが良く流すじゃん……って、お前がさっきから言ってるのソレの事?」
「今さら気付いたか。どうでもいいが『こんこん』ではない、『こんこ』だ」
「あ、そうなの?こんこんって降るって意味かと思ってた」
「語源としては『来ん此』、すなわちここに降れ、という意味らしいが」
「ふーん。雨乞いならぬ雪乞いの歌?」
「さぁ」
「ま、どっちでもいいや。雪降るとイチャイチャ出来るし」
「どういう理屈だ。どうでもいいがいい加減に携帯を返せっ!」
「ぜーんぶ口実でーす。って、そうそう忘れてた。はい、お返ししますよ」

 そう言って城之内のコートの中から取り出された携帯は、やけに温かな体温付きで海馬の元へ戻される。その瞬間着信を知らせるカラフルな明滅を見た気がしたが、敢えて気付かない振りをして海馬はそれをポケットの中へと押し込んだ。

 二時間位待たせても問題はないだろう、そう思って。

「あ、肉まん食べたい。半分こしようぜ」
「一人で食え」
「つれねぇなぁ〜。もっと冬を楽しもうぜ。それとも、おでんにする?最近のコンビニおでんって超美味いんだぜ?騙されたと思って食ってみろよ」
「死ね」
「死ねは酷過ぎる」

 そう口を尖らせる城之内の頬に、白い雪が一粒落ちて直ぐに融けた。冬の始まりは唐突で、酷い寒さを連れて来るけれど、同時に温かさも運んでくる。現に繋いだ指先は温かいどころか熱い位だ。手袋の出番など無い位に。

「ゆーきやこんこ、あられやこんこっ」
「下手くそな歌を大音量で歌うな恥ずかしいっ!」
「恥ずかしいのはそっちかよ」
「当たり前だっ」
「はいはい、もう歌いませんよ。雪だるまになる前に急ぎましょうかね」
「この調子では明日は積もるな」
「ですねーま、どっちでもいいけど。どーせ冬だし、オレ雪好きだし」

 そう言って笑う城之内につられて、海馬も少しだけ口の端が緩む。その口元にも冷たい雪が降り落ちてきた。だが、彼がそれを冷たいと感じる事はなかった。何故なら少し荒れ気味の、けれども至極温かな唇が、その雪が落ちると同時に海馬の口を塞いだからだ。

 彼等の冬は、まだ始まったばかりである。

城海:私が雪国の人間なので、童実野町も雪が降ります。初雪は嬉しいよ。初雪はね ▲