Act1 ふかふかベッド

 城之内克也に『自分が最高に幸せだと思う瞬間』を三つ聞いてみた。
 

「一つめはメシ食ってる時」
「二つめはデュエルに勝った時」
「そして三つめは……海馬のベッドであいつと一緒に寝てる時、だな!」
「あ、兄サマお帰りーあいつ来てるよ」
「何?今日はそんな連絡は来ていないが」
「うん。約束はしてないって言ってた。でもまぁいいじゃんって、勝手に部屋に入って行ったよ」
「……どこまでずうずうしい男なんだあの凡骨め」
「城之内、よっぽど兄サマの部屋が気に入ったんだね。ズルイぜぃ」
「ズルイって。何がズルイのだ」
「だって、オレだって兄サマと一緒にいたいのにさ。城之内がべったりでオレ入る隙間ないじゃん」
「べ、別に犬とじゃれあってなどいないわ。そう思うのならお前もくればいいだろう」
「やだなぁ兄サマ。仲良くしてるところを邪魔するほどオレも子供じゃないぜ?それに、城之内に噛み付かれたくないしさ」
「は?ちょっと待てモクバ。お前、何か勘違いをしていないか?オレと城之内は……」
「あーあ。オレも早く彼女が欲しいぜぃ」
「………………」

 そして思いっきりイチャイチャするんだー。

 そう言って、にっこりと意味ありげに笑って兄を見上げたモクバの顔を見た瞬間、深夜の帰宅で身も心もクタクタなっていた瀬人はそれ以上彼に何も言う事は出来なかった。仮にここで躍起になって「そうではない!勝手に決め付けるな!」と反論しても、取り合って貰えないだろう事は明白だからだ。

 ああ、やっぱり誤解されたじゃないか。クソ、だから言ったのだあの駄犬め!オレがいない時に勝手に上がりこむような真似をするなと。これではまるでオレが奴の暴挙を許可しているようではないか。オレの部屋に自由に出入りできる権限など家の者以外にはありえんわ!それが出来るのは世間一般で言う友達及び恋人位だ。だが奴とオレはそのどちらでもない。貴様は一体……オレのなんだ?!なんなのだ?!

 そう心の中で絶叫しつつ、モクバの既に笑顔ではないにやにや笑いに居心地が悪くなった瀬人は、俯いて額を軽く押さえると少しだけ苦悩の表情を見せて、その後さっさとその場を退散する。

 そんな兄の背に向かって、無邪気を装った頭脳明晰な弟は「もう今日は会えないだろうから今言っとく。おやすみ兄サマ、城之内にも宜しくね」と大半が余計な言葉で構成された挨拶を投げてくる。それに憤りを抑えた声で「ああ」とだけ答えた瀬人は、その苛立ちを素直に現すように聊か乱暴に扉を閉めた。バタン!という鈍く重い音が広い回廊に木霊する。

 それを聞き咎めた最年長のメイド頭に「瀬人様、扉はもう少し静かにお閉め下さいませ」と注意されますます怒りを募らせた彼は、常よりも大分荒々しい足取りでこの事態の元凶がいる自室へと歩いていく。

 屋敷の一番奥にある豪奢な両開きの扉を蹴り開け、現れた私室を見もせずに素通りした彼が向かったのは、自身の寝室。否、正確に言えば寝室というよりも、そこにある巨大な天蓋付きのベッドだった。

 私室と寝室を繋ぐ簡素な扉を開けると、そこは夜の寝室らしくしんと静まり返って薄暗い。けれど常に適温に設定されている為部屋の空気は暖かく、人が入ると自動でつくフットライトの光がぼんやりと浮かび上がった。その仄青い明かりを頼りにぐるりと目線を巡らすと、瀬人が鬼の形相で探していた男は『そこ』にいた。

 寝台中央にある不自然な盛り上がり。一定の間隔で上下する羽根布団の下にいるそれは、間違いなく城之内だ。

「………………」

 瀬人の口から深い深い溜息が零れ落ちる。この、友達でも恋人でもない男は、何故人の尤もプライベートな空間であるべき寝台の中に潜りこんで寝ているのだろうか。しかも、状態を確認すべくカバーの端を捲り上げてみれば、それがさも当然だといわんばかりに着ているのは人の夜着だ。

 白い光沢のあるシルク製の夜着は最初に彼が、それを着用している瀬人に触れた時に「何この手触り!気持ちいい!最高じゃん!」と言って何故か大いに喜んでいた代物だ。勿論着ていい等と許可をした覚えはない。大体どこから見つけて来たのか見当もつかない。一体何なのだろう。訳が分からない。
 

 

『すっげー!何お前のベッド、ふっかふかじゃん!超寝心地いい!しかもこのシーツもほわほわしててあったけー!ヤバイ、寝てみたい。なぁなぁ寝てもいい?』
 

 眼前で心底幸せそうな眠り顔で寝息を立てているこの男が始めてこの部屋に入ったのは、丁度一月前の寒い冬の日だった。

 その日は夕方から降り始めた記録的な雪によって交通麻痺が起きてしまい、たまたまバイト帰りに学校の資料を届けに来たという口実の元に海馬邸にやってきた城之内は、完全なる足止めを喰らってしまった。それに仕方なく、本当に仕方なく彼を始めて家に泊めてやらざるを得なくなった瀬人は、心底気乗りしなかったが彼の為に部屋を一つあてがってやろうと重い腰を上げた。その時だった。

 何故か好奇心一杯の眼差しをした城之内が「お前の寝てるベッド、一回見てみたい。どんなので寝てんの?」と言い出したのは。

 その余りにも突拍子もない発言に大いに面食らった瀬人だったが、特に断る理由もなかったので素直に隣にある寝室へと彼を誘い、自らの寝台を見せてやった。こんなもの何が珍しいのか、と半ば呆れた気持ちで興味深々な様子で寝室に入った城之内を眺めていた瀬人だったが、次に彼から発せられた台詞には大いに驚いた。そして、その後の要求には更に驚愕したのだ。
 

『オレ、このベッド凄く気に入った。なぁ、今日ここで一緒に寝ようぜ。いいじゃん、男同士なんだから、変な事しないし』
 

 ……それから結局、断固拒否する瀬人を持ち前の粘り強さで説き伏せた城之内は、見事瀬人のベッドで、瀬人と共に寝る事に成功した。その日は酷く寒い日で、幾ら適温に調整された室内と言っても少しだけ肌寒く感じる日だったから、彼はこれ以上密着できない、という所まで瀬人にくっつき、最後には湯たんぽか何かと勘違いしているかの如く殆ど羽交い絞めにして眠ったのだ。

 最初は背を抱く形だったのに、朝目覚めた時には完全に抱き合ってる状態になっていた、というおまけ付きで。

 ちなみに宣言通り、城之内は本当に瀬人に暖を取る目的で抱き締める事以外、何もしては来なかった。次の時も、またその次の時も、同じ様に一緒に寝る事を強要されたが、ただそれだけだった。

 城之内にとって必要なのは瀬人本人ではなく、この寝心地のいいベッドなのだと瀬人が気づいたのは、通算5回目の共寝をした朝の事だった。

 余りにも下らないその事実に、瀬人が何故か怒りに震えて城之内を見下ろし、その場で叩き起こして「貴様にも同じ物を購入してやるからもうここには来るな!」と言い切り、本当に同じもの(特に彼が気に入っていた羽布団とマットレスとボアシーツ)を城之内の家に届けさせた。

 これでもうベッド目当てに付きまとわれる事もないだろうと瀬人が安心していた矢先、城之内はまた何気ない顔をしてやってきたのだ。そして、結局瀬人のベッドで眠りたいと嘆願してきた。「家にあるだろう」というと、「なんか違う」とこちらの好意を一刀両断し、そこからはもう瀬人に許可すら取らず、勝手にベッドにもぐりこむ様になった。

 この時点で、瀬人は既に諦めモードに突入し、今では好きにさせている。が、自分が不在の時に使用していい、等と言う許可まではしていない。そんな事をされたら誤解されるだろう!というのが瀬人の正当な理由だったが、家のものにはとっくに誤解されているので、そんな事は今更だった。

 そもそも頻繁に自室に泊まらせる時点で「そういう関係だ」と思うなというのが無理な話で、海馬邸の住人はあからさまに言いはしないが、皆殆どそう認識していた。

 そう思われては困ると真剣に思っているのは、その実瀬人ただ一人だったのだ。
「おい、起きろ凡骨!また人のベッドに勝手に入り込んで何をやっている!!」

 城之内の姿を発見してから数分後、暫しベッドサイドに立ち尽くしてそんなどうでもいいあれこれを思い出していた瀬人は、はっと我に返って小さな咳払いを一つすると、勢い込んで寝台の上に乗り上げ、僅かに露出している頭に向かって思い切り怒鳴りつけた。

 すると、ややあって「んー」だの「あー」だの寝ぼけた声がして、とろんとした瞳が僅かに開く。そしてそれは、瀬人の姿を捉えると、直ぐに大きく開かれた。

「……あ、おかえりかいば。いまなんじ?」
「何時でもいいわ!貴様、オレがいない時には屋敷に来るなとあれほど言って置いたのに何故来たのだ!思いっきり誤解されているではないか!!ふざけるな!!」
「細かいこと気にすんなよ。……それより、疲れてるだろ?ここ、あっためておいたから早くねよーぜ。ぬっくぬくだぞ」
「人の話を聞いているのか!」
「きいてるきいてる。きいてるからねよ。ほら、もーシャワーとか明日でいいから」
「ちょ、待て!引っ張るな!!うわっ!」
「はいはい、大人しくしてー。背中とんとんしてあげよっか?」
「おい凡骨!!」
「別にいーじゃん、誤解されても。……ほんとのところは誤解じゃないし」
「何?」
「んー、こっちの話。いいから目ぇ閉じろ、な?話は明日聞いてやっから」
「そういう問題ではないっ!」
「そういう問題なの。はい、おやすみー」

 城之内の顔を見た途端怒り狂う瀬人のことなどまるでお構いなしにのらりくらりとその言葉の攻撃をかわした城之内は、上手く捕まえて布団の中に引きずり込んだその身体をぎゅっと強く抱き込むと、それ以上騒がないようにわざと顔に掛かる様に肌蹴た布団を被せてしまう。

 暫くの間その下でもごもごと何か叫んでいた瀬人だったが、元々疲れていたのと暖かなこの場所の心地よさに眠気を誘われたのか、何時の間にか声は止み、代わりに規則正しい呼吸が聞こえてきた。その様を触れた体から感じ取った城之内は、漸く被せた布団を少しずらして、瀬人の顔を外に出してやる。

 無防備な横顔。暖かな体温。緩く上下する肩から伝わる振動が心地いい。

「……本当は、寝るだけじゃアレなんだけど。まぁ、そのうちね」

 大体、男のベッドに好き好んでもぐりこむ男なんていねぇよ。ちょっとは気づけ、この鈍感。

 再び目を閉じて寝る間際、そうぽつりと呟いた城之内の言葉は、幸せそうに眠り続ける瀬人の耳には届かない。他の誰もが気付いているのに、本人だけが気付かない。けれど、そんなところがいいと思う。
 

 好きだなぁ、と思うのだ。
 

 大好きな人と眠る、ふかふかベッド。その寝心地は最高で。
 

 いつかはこの場所で、肌触りのいい寝巻き越しなんかじゃなくて、その暖かな素肌に触れてみたいと、そう思いながら。
 

 城之内は、また穏やかな眠りにつくのだ。