Days of promise(Side.城之内)

「ああそうかよ!勝手にしやがれ!」
「言われなくても勝手にするわ!」
「この大馬鹿野郎!お前なんか大ッ嫌いだ!」
「嫌いで結構!清々するわ!これ以上オレに付き纏うな!」
「頼まれたって誰がするかよ!さようならッ!」
 

 喧嘩の切欠は、いつもの売り言葉に買い言葉。けれどその日はほんの少し何かがずれていて、噛みあわなくて、ついつい言うつもりの無かった捨て台詞を吐いてしまった。しまった、と気づいた時にはもう遅い。目の前にいた筈の海馬の姿は既に無く、ちらちらと降る細雪だけが、僅かに曇った教室の窓から見える外を白く染め上げていた。

 そんな出来事があったのが、一週間前の月曜日。
 あれから一度も、海馬と話をしていない。
 

『三ヶ月だけ付き合ってくれよ。お前の誕生日から、オレの誕生日まで』
 

 約三ヶ月前に海馬相手に期間限定の恋を勝手に始めたオレは、期日が今日であるという事実に、酷い焦りを感じずにはいられなかった。

 擬似恋愛の期限は後一日。オレの誕生日の日に全てが決まる。

 海馬から貰える言葉というプレゼントが、一生で一番嬉しいものになるか、悲しいものになるか。
 

 ── これは一つの賭けだった。
「さすがにマズかったかなぁ……」
「うーん。でも海馬くんは女の子じゃないから、多少キツイ言葉で喧嘩したって落ち込んだりはしないと思うけど」
「や、落ち込みはしてねーと思う。めちゃくちゃ怒ってるだけで」
「分かってるんなら謝ったらいいんじゃない?」
「どうやって?あいつ学校来ねーじゃん」
「別に直接会わなくたって電話や、メールでとかさ。付き合ってるんでしょ、君達」
「それがさぁ……連絡先とか一切教え合ってねぇの、オレ達」
「え?」
「っていうか、付き合ってないし。オレが一方的に好きっていっただけで」
「えぇ?!」
「だから、マズかったかなぁって」
 

 そう言って、派手な照明が眩しいファミレスの天井を仰いだオレを、遊戯はどこか可哀想な人を見る目でじっと見つめた。その後、肩を落とすほどの大きな溜息を一つ付き、ドリンクサービスのおかわりを貰ってくる、と言って席を立つ。長丁場になると予感したんだろうけど、オレの方はこれ以上話す事もない。

 話したって、どうにもならない事なんて分かってるから。
 

 

『誕生日おめでとう。好きなんだけど、付き合ってくれねぇ?』
『藪やら棒に何の話だ?下らん冗談を聞いている暇はない』
『……冗談じゃなくって、真面目な話なんだけど』
『ならば尚更問題だ。保健室へ行って来い。吐き気や頭痛はないか?今年の風邪は脳炎を引き起こすと言うから気を付けた方がいい』
『茶化すなよ!本気なんだって!お前の事がマジで好きなの!』
『………………』
『なんか言えよ』
『反応に困るんだが。オレは貴様の事などなんとも思ってない。というか最初に言うタイミングを逸したが、何故オレの誕生日を知っている』
『だから何度も言わせるなよ。好きなんだってば。好きな奴の誕生日位調べるだろ普通。本当はプレゼントとかした方が株は上がったかもって思ったんだけど、いきなりじゃアレだし』
『そうだな』
『で、オレの気持ち、分かってくれた?』
『さっぱり分からない』
『じゃあ、分かろうとしてみてくれる?オレ、お前の気持ちを聞くまでは絶対何もしねぇから』
『……何かするつもりだったのか?』
『そりゃーお前、色々と』
『下らん』
『な、お願い。ずっとなんて言わねぇから。そうだなぁ……えっと、じゃあ三ヶ月!三ヶ月だけ付き合ってくれよ。お前の誕生日だった今日から、オレの誕生日まで!』
『……貴様の誕生日?』
『そう。オレの誕生日さ、お前と三ヶ月違いの1月25日なんだぜ?日にちが一緒とか運命感じねぇ?』
『いや、全然』
『うー、とにかく!何事もやって見なきゃ始まんないだろ?な?騙されたと思って!』
『……三ヶ月だな』
『うん』
『よし。オレが忘れなければ、貴様の誕生日とやらに答えをやろう。それでいいな。何を言われても潔く諦めろよ』
『分かってるって。約束!』
 

 そう言って、初めて海馬に触った三ヶ月前。あの時アイツは物凄く嫌そうな顔をして、オレが差し出した指をじっと睨んでいたけれど、最終的に大きな溜息を吐きながらほんの一瞬だけ小指を絡めて『約束』をしてくれた。あの頃はまだ海馬はオレの事なんか遊戯の付属物位にしか認識してなくて、最初は城之内って名前がある事すら頭にないみたいだった。
 

 それからの時間は、オレにとっては戦いだった。
 

 まず名前を覚えて貰う迄に一週間かかり、教室に入って一番に目線を遣してくれるようになるまで一ヶ月掛かった。二人だけで話ができる様になったのは二ヶ月目で、二人きりでも逃げなくなったのは半月前。そして、互いの身体が触れるほど近くまで寄る事が出来たのはほんの二週間前だった。

 手を握る事なんてする気にもなれない。それ以上なんて夢のまた夢。それでも、オレは凄く凄く楽しかった。あれだけ頑なだった海馬が、少しずつ気を許してくれた事、真っ直ぐにオレを見て話をするようになった事。実験ネズミでも馬の骨でも凡骨でもなく、城之内ってちゃんと呼んでくれた事。人が聞いたら凄く馬鹿馬鹿しい些細な事でも、本当に嬉しかったんだ。嬉しくて、幸せだった。

 この分だと海馬ももしかしたらオレの事を好きになってくれるかもしんねぇ。

 そんな半ば確信めいた思いがオレの中に芽生えた瞬間、同時に気の緩みも出ちまったらしい。
 

「お前って本当に我侭だよな。考えらんねぇ」
 

 ふとした弾みに零れ落ちてしまったその言葉。夕暮れの教室で、二人きりで居残って提出課題をしていた最中の事だった。その前のちょっとした言葉のやりとりで、ほんの少しだけカチンと来たオレは、いつもならしっかりと自制して余計な事は言わないようにしようと閉じる筈の口をつい開けちまった。そして、ぶっきらぼうな声で海馬の言葉を遮った。

 それが、オレの運の尽きだった。

 三ヶ月かかって縮めた距離が元に戻るのなんて一瞬で、瞬く間に過去に戻った海馬の表情は堅く冷ややかで、速やかに机の上の荷物を撤収したあいつはもうオレの事なんか見向きもしないで教室を出て行った。思い切り閉められた扉の軋む音が何時までも教室中に木霊して、オレはその耳障りな音の中、自分の馬鹿さ加減に気がついて、思わずその場に膝をついた。

 後、一週間だったのに。

 ゴール目前で最初に戻るのマスを踏んでしまったオレは、ただひたすら絶望した。

 謝ろうにも携帯電話の番号も、メールアドレスさえ分からなくて。会社にかけたら拒否られるし、個人情報厳守の世の中じゃ、自宅の番号すら分からない。それなら、と押しかけていく勇気もない。何重にもセキュリティが施された鉄壁の要塞を突破していくだけのつてがない。権利なんて勿論ない。

 オレと海馬は、今はまだ友達ですらないんだし。
 

 

「はい、城之内くん。おめでとう」
「……へ?」
「ショートケーキ。今イチゴフェア中だから美味しいよ、きっと」

 遊戯が席を立っている間、色々と今までの事を考えて、ますます暗く落ち込んできたオレの前に、何時の間にか結構大きなイチゴが沢山乗っているショートケーキが置かれていた。驚いて目の前に座った遊戯を見返すと、「今日誕生日だったよね?」とさらりと言う。ついでに何故か満面の笑みを一つ。

 ああ、そうだった。今日はオレの誕生日だったんだ。分かっていたはずなのにすっかり頭の外に追いやってた。1月25日、約束の日。オレがこんな状態なんだもん、あいつが覚えているはずはねぇ。

 まぁ、覚えてようが覚えてなかろうが結果は一緒か。どうせフラれるんだし。

 目の前の、ファミレスのメニューにしては少し豪勢なケーキを眺めながら、オレはフォークを手にとって、一番てっぺんに乗っかっていた、真っ赤なイチゴを一つ取った。口に入れるとほんのりと甘い。冬のイチゴなのに、なかなか美味しい。

「サンキュ」
「500円のケーキセットでごめんね」
「馬鹿、値段じゃねぇよ。すげー嬉しい」
「それ食べたら、早く行ってきなね」
「ん?……どこに?」
「海馬くんの所。おめでとうって言って貰いたいでしょ」
「……言ってくれるわけねぇだろ。喧嘩してんだぜ。大体、あいつオレの誕生日覚えてるかどうか怪しいし。つか、お前さっきの話聞いてた?オレと海馬は付き合ってんじゃないんだってば」
「聞いてたよ。ちょっとびっくりしたもん。だって君達凄く仲良く見えたから」
「………………」
「今だって、あそこに海馬くん待ってるし」
「はい?!」
「気付かない?ほら、右から二番目の窓の向こう。あの車に見覚えあるでしょ」

 そういって、遊戯が少し腰を浮かせて今言った窓の方に向かって手を振ると、確かにそこには細長く白い何かが佇んでいた。腕を組んで、やや硬い表情でこっちを見る久しぶりの冷たい顔。マジで海馬だ。なんで?どうして?

「僕ね、海馬くんのメールアドレス知ってるんだ。友達だから」
「えぇ?!」
「君の事をメールしたら、直ぐに来てくれたよ。ね?答えは、もう出てると思わない?」

 その言葉が終わる前に、オレは目の前のケーキを殆ど丸ごと口の中に放りこんだ。折角の遊戯の好意だけど、オレにはそれよりももっと大切なものがあって。遊戯ごめん、と口を動かしながら頭を下げて、程よく冷めた紅茶を思い切り流し込むと、そのまま直ぐに席を立つ。

「今日は全部僕の奢り。じゃあね、城之内くん。頑張って」

 そういってにこりと笑う顔を背にしてオレはすぐに駆け出した。少し混んで来た店内を人にぶつからない様に慎重に走って、自動ドアが開くのももどかしく外に出る。うっすらと積もった雪にスニーカーはめちゃくちゃ滑って、つんのめりながらも仁王立ちしている海馬の元へ急ぐ。

 そして、一番初めの、好きだと告げた時の距離をあけて立ち止まった。

 忙しない呼吸が白く視界を濁らせる。ぜぇぜぇと切れる息を整えるのさえもどかしく、オレは静かにこっちを見ている海馬に向かって声をかけた。
 

「海馬、お前っ、どうしてここに!」
「今日は約束の日だったと思うが。オレの記憶違いか?」
「……ああ、うん。確かに今日は……」
「誕生日おめでとう。仕方ないから付き合ってやる」
「え?」
「プレゼントは送っておいた。ではな」
 

 ……はいい?
 

 そうオレが素っ頓狂な声をあげると同時に、海馬はさっさと車に乗り込んで振り向きもしないで去って行ってしまう。残されたオレは一人、遠ざかっていく赤いテールランプを眺めながらただ呆然とその場に立ち尽くしていた。

 意味が分からないんですけど、海馬くん。一体なんなんですか?プレゼントってなぁに?

 頭の中を疑問符で一杯にしながら、オレはいよいよ訳が分からなくなって途方に暮れかけたその時だった。ジャケットの右側のポケットが大きく震える。慌ててそこに手を突っ込んで入れていた携帯を開いてみると……そこには、海馬からのメールが一件届いていた。
 

 携帯の電話番号だけが記された、そっけないショートメール。けれどそれは、紛れも無くOKの答えそのもので。振り出しに戻っていたと思っていた海馬との距離は、その実しっかりとゴールに近づいていたらしい。
 

『この間はごめん。ありがとう。これから宜しくお願いします』
 

 一番最初のメールは、そんな他人行儀なものだったけれど、これも今から徐々に近づいていければそれでいいと思った。
 

 とりあえず、帰ったら電話をしてみよう。
 最高の誕生日をありがとうって、声でちゃんと伝える為に。