Act1 例えばこんな恋の話

 新品のジャムの蓋を開ける為に少し指先に力を入れたら、ピシッと嫌な感触がした。

 はっとして慌てて力を緩めても後の祭り。人差し指に強い痛みを感じ、白いスチールの蓋には中身のイチゴジャムよりも毒々しい色をした、オレの血がついていた。チッ、と思わず舌打ちをしてジャムの瓶を手放し、直ぐ近くにある棚に手を伸ばす。そして最近使用頻度が増えて中身が大分乏しくなった薬箱の中から薬剤が入ったチューブと絆創膏を取り出して、手早く処置をしてしまう。

 痛痒い、イライラする。けれどこれは毎年の恒例行事なので、さして気にも留めなかった。

「おはよう兄サマ!今日は寒いね!」

 不意に背後で小さな物音がして、モクバが硝子戸の向こうからひょい、と顔を覗かせた。起きて一番に顔を見せに来たのか、格好はまだパジャマで髪もあちこち跳ねたままだ。

「おはようモクバ。ああ、今日は冬並みの寒さだぞ。そんな格好でうろうろしていると風邪を引くから、早く着替えて来い」
「はーい。顔洗ってくる」
「コートもそこに出しておいた。着て行った方がいい」
「えっ?コート?あ、ほんとだ……こんなの家にあったっけ?」
「あっただろう?」
「……嘘。去年まで着てた奴は黒だったもん。こんな綺麗なダッフルコート、オレ、見た事無い」
「お前が見た事がないだけだろう」
「……もー兄サマは!」

 顔を洗って来ると元気に答えた割に、全くその場を動こうとしないモクバを気まずさもあって早く洗面所に行く様に促そうとしたその時だった。浴室の方に向かっていたその身体がくるりと振り向き、パタパタと音を立てて走って来る。思わず避けようとした身体は場の狭さ故にどうにもならず、敢え無く小さな両手に捕まってぎゅっと強く抱きつかれた。そして怒ったような声がオレの服越しに飛んでくる。

「オレばっかり優先しないでって言ってるじゃん。どうしてそういう事するのさっ!」
「別に、お前のものだけを購入している訳じゃない。オレも」
「兄サマのコート、もう三年目だよね。丈が短くなってさ、ちょっと手がはみ出てるのに」
「それはそうだが、特に不都合は無い。あれは質がいいからくたびれないしな」
「でも、冬用じゃないでしょ!」
「今時の学生は誰もコートなど着ていない。皆学ランだ」
「そうじゃなくて!」
「そんな事を今言い争ってる暇はないだろう?登校時間だぞ」
「………………」
「お前に心配されるほど、オレは不自由はしてない。本当だ」

 そう言って、怖い顔をして黙り込んでしまったモクバの頭を優しく撫でてやると、今度はその手を掴まれた。先程治療したばかりの真新しい絆創膏には少し血が滲んでいて、それを見た瞬間モクバの顔がますます歪む。

 荒れた指先、傷だらけの手。はた迷惑な事に人よりも大分繊細に出来ているらしいオレの指先は、ちょっとした環境の変化や些細な手仕事で直ぐにボロボロになってしまう。特にこれからの季節に苦労するのだが、先程言った通り毎年の事だし何をしても改善しない為、とうの昔に諦めている。毎年同じ事で顔を顰めるモクバにも再三言って聞かせているのだが、どうしても納得出来ないらしい。

「手、こんなにボロボロで」
「これは季節の所為であって、苦労ではない」
「この間は風邪引いてたし」
「少し不摂生をしただけだ。今は健康そのものだ」
「昨日も夜いなかったし、今日も朝早くから働いて」
「アルバイト位誰でもするだろうが」
「兄サマ!」
「早くしろ、モクバ。朝食抜きになるぞ」

 まるで噛みつく様にそう言うモクバを今度こそ引き剥がし、オレはくるりとその身体に背を向けて放置していたジャムの瓶を手にとって、血がついていた蓋を綺麗に拭ってしまうとコトリとテーブルの中央に置いて予めパンをセットしておいたトースターへと手を伸ばす。そして直ぐに二人分の弁当の中身を詰め始めたオレに、モクバはオレに聞こえる様にわざと大きな溜息を一つ吐くと、漸く浴室へと消えてくれた。知らず、オレもほっと息を吐く。

 こんな風にモクバに詰め寄られるのは苦手だった。他の事は大抵どうとも思わないが、弟に辛い思いをさせるのだけはどうしても耐えられない。

 弁当をモクバのランドセルの横に置きオレも着替える為に居間に行くと、壁にかけてあるモクバのコートの横に同じ様に下げていた制服を手に取って手早く着替える。

 ……確かに、このコートはつい先日オレが密かに買ったものだ。人よりも少し早い成長期に突入したモクバは、去年の服が殆ど入らなくなったから時期が来れば買い換えてやらなければならない。当然の事だ。

 対するオレの方はもうこれ以上伸びる事も無かったし、体型も殆ど変わらない為、特に新調する必要性を感じなかった。服自体も大抵流行がどうのよりはシンプルさをモットーとしているので、何年でも着ていられる。勿論そんな余分な金もない。

 だから、どうしてそうなんだと詰め寄られても、答えようが無かった。無理をしているつもりもない。それに、モクバは余り気付いてはいない様だがこれでいてオレは分不相応な物を持っていたり、口にしたりしているのだ。……とある男のお陰で。

 そこまで考えてなんだか微妙な気分になり、誤魔化すために手早く学ランの襟元まできっちりと締めてしまうと、不意にテーブルの上に置き去りにしてあった携帯のランプが静かに明滅しているのに気がついた。 大方、一応自分の父親であるらしいあのろくでなし男の借金絡みの電話だろうが、そうでない場合がたまにある為一応手に取ってフリップを開ける。

 すると、そこにあったのは毎回バリエーション豊かな番号で攻めて来る奴等からの着信ではなく、愛しくも忌々しいとある男の名前とそいつからのメールが一通来た事がデカデカと表示されていた。
 

『城之内克也』
 

 その実この携帯をくれて寄こしたのもこの男で、オレがモクバに対してほんの少しだけ引け目を持っているその理由も、こいつだった。

 オレのクラスメイトでもある城之内は童実野町一の大財閥の一人息子で、親の命令で社長をやっているらしいとんでもないステータスの持ち主だが、金持ちにはまるでお約束の様について来る『馬鹿息子』の名の通り、本当に馬鹿でどうしようもない人間だった。お前でも社長が務まるのならオレは余裕で大統領だ。そう嫌みたっぷりに言ってやったら「そうかもな」と笑っていた。呆れる位素直な奴だ。

 そんな大金持ちの馬鹿息子と一介の貧乏学生であるオレは、何の因果か一応恋人という名目で繋がっている。

 最初は商才もないのに次々と事業に手を出し、全て失敗に終わった父親が作った借金を返済する為に日々奔走するオレに、全く異なる立場にいた城之内が興味半分でちょっかいをかけて来た事から始まった。貧乏人を憐れんで何が楽しいのかと憤慨するオレに、奴は全くセレブという事を感じさせない言動と身形で「そんなんじゃねぇし」と一言吐き捨てると、「貧乏人だけが苦労していると思うなよ」と逆に凄まれた。

 後から知った事だったが、奴も最初からその地位を確立していた訳ではないらしい。詳細は話したがらない故に良くは分からなかったが、奴の背中にはどうみても普通の生活をしていたら絶対に付きはしない傷痕が無数にあった。本当は妹もいるらしいが事情で共には暮らせないらしい。母親もそうだった。身分違いがどうとかいう噂を何となく小耳に挟んだが本人が言った訳でも無いので直ぐに忘れた。

 一体何があったのかは分からないが見える事実だけでも心の底からゾッとした。それと同時になんとなく距離が近く思えたのだ。生活水準的には天と地ほどの差があるが、境遇が何処となく似ていたから。

「兄サマ、ご飯食べよう?」

 オレが携帯を持ったままぼうっとそんな事を考えていると、いつの間にか着替えを済ませたモクバがトースターからパンを取り出しながらそう言った。その顔に先程までの怒りは無い。いつもの無邪気で明るい弟の顔だった。オレは中身を見る事もせずに携帯を閉ざし、直ぐにその声に応じてキッチンへと戻る。

 本当の両親が死に、オレに残された唯一の肉親はこの弟だけだった。借金の元となったろくでなしの『父親』は名目上父親ではあるものの、血の繋がりは無い。事業が順調な頃オレ達を引き取って、その後一気に転落したつくづく運の無い駄目男。その責任を「お前達を引き取った所為だ」とか「貧乏神め」などと言って時折オレ達になすりつけて来るのが鬱陶しい。

 ならばその貧乏神に借金を払わせているのはどこのどいつだと怒鳴り付け、喧嘩をするのはしょっ中だった。……今は喧嘩が出来るようになっただけマシだ。昔は殆ど一方的に殴られるだけだったから。お陰でオレの身体にも妙な傷痕が沢山ある。しかし、これも手荒れ同様どうとも思わなくなっていた。

 思っても、深く刻まれた傷痕は消えはしないのだ。
 

「ね、兄サマ。今日は兄サマの誕生日だね。今年はケーキ買って、ちゃんとお祝いしようね」
「別にいい。今更誕生日をどうこう言う年でも無い」
「駄目。オレの時はちゃんとお祝いしてくれたじゃん」
「お前はまだ子供だろうが」
「兄サマだってまだ子供だよ。一緒じゃないか」
 

 カチャリとフォークが皿に触れて耳障りな音を立てる。静かに食べろ、と言おうとしたオレの口はその形のままで留まった。何故ながら、モクバがまた泣きそうな顔をしてこちらをじっと見つめていたからだ。

 ……ああ、まただ。またこの小さな弟を傷つけようとしている。どうしてオレはモクバを悲しませる事しか出来ないのだろう。
 

『お前さ、他人の好意は素直に受け取った方がいいぜ。何でもかんでも悪い方に考えるその癖やめろよ。うん、って言ってくれた方が、言った側としては嬉しいんだからさ。拒否されるのも傷つくんだぜ?』
 

 不意に頭の中に妙に聞き慣れた声が響いた。どこか説教臭いその台詞は考えなくても城之内のものだ。奴は良く、こうして人から優しくされるのを拒む言動をするオレの事を呆れたように窘めるのだ。
 

『人にばっかり優しくしたって、てめぇが幸せじゃなきゃ誰も救われないんだぜ?分かるだろそん位。頭いいんだからよ!』
 

 煩い。分かっている、そんな事。
 

「……分かった。では、今日の夜のシフトは変更して貰う事にする」
「ほんと?!ケーキも買う?」
「ケーキは買わない」
「えー!なんでさ」
「お前と一緒に作るからだ。誕生日プレゼントはそれでいい」
「!兄サマ……」
「どうだ?一緒にやってくれるか、モクバ」
「う、うん!勿論だよ!ありがとう兄サマ!」
「……この場合礼を言うのはどう考えてもオレの方だと思うのだが」

 途端にぱっと明るくなった目の前の顔を見て、オレは心の底からそう思った。そう、お前のその笑顔こそがオレにとっては最高のプレゼントだ。こんな些細な事でも幸せをくれる、お前の存在そのものが。

「じゃあオレ、今日は早く帰って来るね!兄サマも寄り道しちゃ駄目だよ?」
「ああ、分かっている」
「義父さんは……帰って来ないかなぁ」
「奴が帰って来る訳ないだろう。来られても迷惑だ」
「……う……ん。……じゃあ、行って来ます」
「気を付けてな」
「兄サマも、遅刻しないでね」

 そう言うと、モクバは居間にあったランドセルと弁当を手に元気よく外へと飛び出して行く。時刻は7時50分。そろそろオレも行かなくてはならない時刻だ。空になった皿をシンクへと置き片付けは帰宅後にする事にして、オレは自らも鞄を持って登校する為に部屋を出る。玄関に辿り着き靴を履こうとした時、ふと先程メールを確認しないまま携帯をしまった事を思い出し、取り出して再び中身を見ようとした。

 その時だった。

 カツン、と古いコンクリートの床を叩く音がして、質はいいが扱いが雑で新品なのに既に踵が潰されているローファーが目に入る。はっとして顔をあげると、そこには何時もと同じ間抜け面が至極嬉しそうな顔をしてオレを見下ろしていた。

「おっはよー、海馬!あれ、ジャストタイミング?」
「……!凡骨!お前、何故ここに?!」
「えっ?何故って……お前、オレのメール見てねぇの?今日一緒に登校しようぜって送ったんだけど」
「いや、今見ようとしていた所だ」
「何だよそれ!役に立たねぇなぁ、もう!お前に携帯渡したって使わないんじゃ意味ないじゃん!」
「玄関先で喧しい男だな。……ところで、何故今日に限ってここに来たのだ。車はどうした」
「『一緒に登校しよう』って言ってるだろ。車なんかとっくに帰ったっつーの」
「だから何故だ」
「何故何故ってお前はすぐそうやってオレの言葉に反発しようとすんだから可愛くねーよな。だーから携帯ちゃんと見ろっつってんだよ。ほら、今からでも遅くねーから」
「本人が目の前にいるのに何故メールを……」
「何故は禁止!いいから言う事を聞く!」

 そう言って偉そうにオレの頭を上から押さえつけた城之内は、オレが右手に握りしめていた携帯を強引に目の前に持って来て、早く見ろと促してくる。仕方なくオレは待ち受け画面から変わっていないそれを操作して城之内が送って来たというメールを開いてみた。その刹那。
 

『誕生日、おめでとう』
「誕生日、おめでとう」
 

 そこにあった文面をそのまま読みあげる城之内の声が狭い空間に響き渡る。
 

『プレゼントを渡すついでに一緒に登校したいから朝8時に迎えに行く。今日は寒いってさ。丁度いいな!』
 

「……一体、どういう……」
「こういう事だよ」

 メールを凝視したまま驚いて二の句が継げないオレの前に、ガサリと大きな紙袋が差し出される。持ち手の所に大きなリボンがあしらわれている所から、件の誕生日プレゼントだと推察する。

 それに再び驚いて手を出せないでいると、「なんだよー受け取れよー」という声と共に紙袋は没収され、プレゼントをする本人の手で勝手に中身を暴かれてしまう。半ば茫然とその様を見上げていると乱雑に破かれた包装紙の中から出て来たのは、一着のコートだった。更にそれに合わせたらしいコーディネートの手袋と、マフラーも。

「はい!プレゼント!これ着て一緒に登校しようぜ」
「……ちょっと待て。こんなもの受け取れるか!」
「なんで。好みじゃない?」
「そういう問題ではない!何を考えてこんな……」
「何を考えてって。お前の事を考えてだけど。弟にばっかり新しいものを買ってあげる優しいお兄ちゃんにオレが新しいものをプレゼントしたかっただけです。何か不満?」
「……だから。……分かっているのだろう?」
「うん、分かってるよ全部。でもオレはどうしてもプレゼントしたいんだ。大丈夫だってそんな難しい顔しなくてもブランド品とかそういうんじゃねぇから。ごく一般的な高校生がお小遣いで買える金額だから」
「………………」

 それでも、オレには到底手が出せない代物だ。このコート一着だけでも考えられない。更に温かそうなカシミヤのマフラーに皮の手袋。……駄目だ。やっぱり、受け取れない。

 そう思いオレが俯いて黙り込むと、上で城之内が肩を竦める気配がする。そして。

「あーあー全くもう、海馬くんは本当に可愛くないですね!」
「うわっ!」

 バサリ、という音と共に殆ど無理矢理コートが頭から被せられた。途端に引き剥がそうともがくオレの肩をいつの間にか至近距離に迫っていた城之内が片腕で押さえつけ、もう片方はコートの襟を咄嗟に掴んだ指先を強く握る。今朝新たに切れてしまった個所が少し痛んで僅かに顔を顰めると、悪ィ、と小さな声がして指を握る手の力は緩められた。けれど、離そうとはしなかった。

「こんなに頑張ってんだからさ。いいじゃん、一年に一回くらい贅沢したって。つか、こんなの贅沢の内にも入んないぜ?」

 傷だらけの右手にさり気なく唇を寄せながらまるで言い聞かせる様にそう口にする城之内を眺めながら、オレはもう無理をしてでもこのコートを手放そうとは思わなくなった。受け入れるのも優しさだ、と言うこいつの言葉を思い出した訳ではないが、どうせこのままやりあった所で負けるだけだ。ならば無駄な足掻きをしない方がいい。

 それに、忘れかけていたが今は登校前なのだ。早くしないと学校が始まってしまう。

「もういい、分かった。受け取ってやる」
「そう来なくっちゃな!あ、お礼はほっぺにチューでいいよ」
「何故オレがそんな礼をしなければならないのだ!!」
「あはは。冗談冗談。ま、とにかくぼちぼち学校行こうぜ。遅くなっちまう」

 あー良かったー!何て言いながらすぐに立ち上がった城之内は、オレがコートとマフラーをきちんと着込むのを見届けて手を差し伸べて来る。

「あれ、お前手袋は?」
「そんなに寒くないだろう。現にお前はコートすら着ていないではないか」
「だってオレは寒くねーもん。いっつも車だし」
「歩きだろうが」
「うん、でも、お前がいるから」

 それはどういう意味だとオレが聞き返す前にいつの間にか差し出していたらしい右手を掴んだ城之内は「な?」と言って再び笑った。
 

 全く意味が分からない。けれど。

 確かに繋いだ指先から伝わる温もりは酷く温かかった。
 

「よし、じゃあ行こ……」

 二人で狭い玄関に立ち尽くし、扉を開けて外に出ようとしたその瞬間、オレは繋いでいる方の手を強く引いて城之内の身体を引き寄せると、頬では無くその唇にほんの一瞬唇を押し当ててキスをした。

 それは勿論、思いがけないプレゼントを貰った事に対する礼のつもりだったが、それ以上にそうしたいと思ったのだ。それこそ、訳が分からないが。

「……海馬、お前……大人になったなぁ!さすがは17歳!」
「どういう意味だッ!」
「よーし!今度はオレが本当の意味でオトナにしてやるぜー!」
「結構だ!」
「まぁまぁそう言わずに。あ、それオレがプレゼントに欲しいかも。来年の1月25日に頂戴」
「そ、そんなものは勿体ぶってくれてやるものではないわ!」
「あ、そう?じゃあその内ね」
「………………」
「お前、今自分で墓穴掘ったって思っただろ。分かり易いよなぁ。ま、それはともかくとして、マジ急がないと間に合わないから行こうぜ」

 キスの余韻が柄にもなく頬を赤くして早口でそう言った城之内は、いつの間にか熱くなった指先を握り返しながらそう言うと、一足先に歩き出した。オレもその背に倣って急いで戸締りをすると後を追う。

 外は見事な秋晴れで、清々しい程の青空だった。息が白くなる程の冷たい空気が頬を刺すけれど、勿論少しも寒くは無い。

「すっげー!キレーな水色だな!お前の目みてぇ!」

 オレの手を握り締めてまるで子供の様にはしゃぎながらそう言う城之内の声を聞きながら、オレは本当に幸せだと思った。これ以上の贅沢は、罰が当たる。

「……ありがとう」
「……ん?何か言ったか?」
「別に何も」
「ふーん……」

 どさくさに紛れて本当に蚊の鳴く様な声で礼を言うと、オレは今度は先に立って歩き出した。聞こえて無かった様でほっとする。やはり慣れない言葉を口にすると口の端がむずむずして居心地が悪い。そう思い、少し誤魔化す様に足を動かすスピードを速めようとしたその時、オレは城之内に完全なる敗北を期す事になるのだ。
 

「どういたしまして!」
 

 いつの間にかくすくすと笑いを漏らしていた隣の男が、本当に嬉しそうな顔をしてそう言ったから。
 

 金持ちは嫌いだと思っていた。貧乏も嫌だった。
 

 けれど、今は。
 

 ── どちらも酷く愛おしい。