Act0 キスのないバレンタイン(Side.城之内)

「これ、どういう意味のチョコレート?本命?それとも義理?それとも……友達?」
「どういう意味だと思う?」
「分かんねぇから聞いてんだけど」
「別れだ」
「え?」
「これで終わりにする、という意味だ。ちなみにカカオ99%だからな。食べたら泣くぞ」
 

 ── 泣きたいなら食べればいいだろうがな。

 そう言って口元を薄く歪めた海馬の顔は何処までも無表情だった。
 

 手渡されたのは、偉く高級そうな店の包み紙に包まれた、海馬曰くバレンタインのチョコレート。今日は2月の14日。どこもかしこも甘いチョコレートの香りで溢れる恋人の日。告白するために勇気を出す日。

 なのに目の前の男がくれたのは、食べる事も出来ないような……苦いチョコレートだと言う。
 

 ……マジいらねぇよ、こんなもん。
 

「なんでくれるの」
「いらなかったか?」
「いらねぇよ」
「そうか」
「お前からなんて、何にもいらない。貰ったもんも全部捨てる」
「そうだな」
「お前も捨てろよ。未練がましいだろ」
「貴様の指図は受けない」
「ふざけんな、ずりぃだろうが」
「ずるくて結構だ」
「……ふざけんな」
「ふざけてはいないぞ」
「分かってんだよ。黙ってろ!」
 

 寒さの為に少しだけ紅く染まった頬を殴り飛ばしてやろうと拳を固める。小さな言葉が、夜の闇に解ける。今日は気温がマイナスで、凄く凄く寒かった。街を歩けば誰も彼もが手を繋いで寄り添い合って、笑いながら歩いてた。
 

 そんな日に、なんでオレ達は……こんな話をしてるんだろう。
 

「なぁ、なんで?」
 

 声と共に目の前が曇る。吐き出す息の白が、雪に濡れた髪が鬱陶しくて首を振る。そんなオレを海馬は何も言わずにじっと見ている。オレが黙れって言ったからだよな。でも本当に黙る事はないだろ。

 海馬も前髪がしっとりと濡れていて、一滴の水が目のすぐ横を通り、頬を流れて……顎で留まる。それを拭いもしねぇから、まるで泣いてるみたいだ。
 

「なんでだよ」
 

 もう一度、繰り返す。何度繰り返しても、答えはない。

 言い出したのはお前の方で、その声は凄く冷たかったのに。なんでお前の方が泣きそうな顔してんだよ。おかしいだろ?
 

「……なんで、だろうな」
 

 ……それを聞いてるのはこっちの方だ。馬鹿じゃねぇの。
 

 頭上からふわふわと大きな雪が降って来た。今夜は凄く積もるって天気予報で言ってたから、このままここに突っ立ってたら埋もれちまうんじゃねぇのかな。でも向かい合ってるオレ達は、オレは勿論海馬も動く気配がなくって、降る雪がそのまま水になって溶けていく。

 けれど体温が届かないコートの肩や腕や首に巻いたマフラーにはうっすらと雪が積もり始めて、元から感じる寒さを更に強く感じさせた。

 本当なら、ここで手を伸ばして目の前の身体を抱き締めるのに、オレの手は動かない。
 海馬の手も、動かない。
 

「ここで、別れる?」
 

 そんな気もねぇ癖に、ついそんな事を口にしてしまう。
 海馬はずるいから多分何も言わないまま、微動だにしないんだろう。
 

「……貴様が決めろ」
 

 ほらな。

 最初から最後まで、本当にずるい奴なんだよお前は。
 

 オレは暫く海馬をこれでもかと睨みつけて、次に言う言葉を探していた。
 けれど言葉は見つからなくて、結局手を伸ばしたんだ。

 抱き締めた身体はどこもかしこも冷え切っていて、ちっとも暖かくなんかなかった。
 

「……なんか超寒いんだけど」
「冬だからな」
「馬鹿、そうじゃねぇよ」
 

 海馬の肩口に顔を埋めたら、積もった雪がオレの体温で温んで水になった。

 本当は、このまま目の前の顎を掴んで、思い切り噛みつくようなキスをしてやるはずなのに。
 

 オレはもう、顔をあげる事が出来なかった。