Act1 何気ない日々、ツギハギだらけ(Side.城之内)

 携帯が余り鳴らなくなった。きっかけは……そんな些細な事だった。
 

 オレのポケットには常に携帯が二個入っている。一つはオレが個人で買った家族やダチ全員に知らせている携帯で、もう一つはいつかの誕生日に強制的にプレゼントされた、海馬専用の個人携帯。

 共用の方はどこで落しても偉く目立つ、塗料に少しラメの入ったきついオレンジ色の旧式携帯。海馬用のは常に最新機種に代替わりしていくものの、色はオレが強請って鮮やかなマリンブルーにして貰った。

 色の理由は特に言わなくてもわかんだろ。……好きだからさ、あの色が。

 そのマリンブルーの携帯が余り機能しなくなったのは、去年の夏辺りからだった。それまではあの海馬にしては結構頻繁に掛ってきて、メールも毎日とはいかないけど、三日と空けた事はなかった。オレのほうは意味があってもなくてもマメにメールして、電話もして、煩い邪魔だと怒られるのが常だった。

 それでも、その怒鳴り声すら大好きで、懲りないオレは煩がられる事を前提でしつっこく電話を繰り返した。途中から電波が通じませんとかいわれて、やっと諦める始末だった。暫くしてまたかけると、今度はちゃんと繋がるんだからあいつも律儀だよな。無視しとけばいいのにさ。

 今も手の中の携帯を眺めながら、オレは一人溜息を吐く。着信ランプはついていない。

 最後にメールが来たのはいつだっけ?確か週末に九州に行くとか行かないとか言う話をしたからもう一週間位になるかもしれない。九州はどうだったんだよ。連絡寄越せよ。写メ位撮れんだろうが。ったくメール一つ寄越さない癖に放って置くと放って置いたと怒るし……難しいんだよなタイミングが。
 

 ── お前、今どこにいんの?童実野に戻ってるんなら会いたいんだけど。
 

 カチカチと小さな音を立ててそれだけを打って送信する。送信しました、の文字がやけにキラキラ光ってイラっとする。返って来ないメールってむかつくよな。早く返事寄越せ。そう思いつつ携帯を閉じた瞬間、背後で扉が開く音がした。
 

「克也先生、まだ帰りませんか?私、そろそろ帰りますけど」
 

 振り返ると、そこに立っていたのは既に帰り支度をした同僚の女の子。……いや、女の子ってのは変かな。ここは小さな保育園で彼女は保育士の先生だから、先生って呼ばなきゃな。そしてオレも、一応先生って呼ばれてる。

 去年の4月。大学卒業と同時にオレは保育士になった。ガキの扱いが上手いから向いてるんじゃねぇの、って進路に悩んでた時にダチから言われた事がきっかけだった。実際、教育実習の時から意外に楽しくて、園児ってクソガキばっかだけど可愛いもんだと思っちまって、結局そのままここまで来た。今も毎日が結構楽しい。

「あ、と。うん、もう帰る。皆帰った?」
「さっきの美咲ちゃんのお母さんで最後。6時前だから、今日は結構早かったですね」
「そっか、雪が降ってるから早引けでもしたんじゃねぇのかな。じゃ、鍵閉めはオレがしとくんで、帰っていいですよ。園長先生は?」
「園長先生なら5時前に帰りましたよ。お孫さんの誕生日なんですって」
「無責任な園長先生だなぁ」
「いつもの事ですから」
「そーですか」
「じゃ、私はこれで。また明日」
「うん。また明日」

 スライド式の扉が軽い音を立てて締まり、先生の姿が消える。誰もいなくなった職員室で、オレはもう一度手にした携帯を眺めてみた。着信ランプは勿論つかない。
 

 

『貴様が先生だと?!日本の未来もお先真っ暗だな』
 

 オレが保育士という道を選び、試験に通って来週一つ目の保育園での面接がある、と海馬に告げた日。奴はそう言って心底深い溜息を吐いて、少し高い位置からソファーに座ったオレを見下ろした。なんだよ、ひでぇ事言うな。これでもちゃんと試験通ったんだぜ。と口を尖らせて反論すると、今度は試験官に見る目がないとか言いやがった。ほんっと憎たらしい奴だよこいつは。

 でもまぁ、大学の幼教科に入った時点で将来なんて決まってるみたいなもんだったし、その時点では特に何も言わなかったから、あの台詞は単なる嫌がらせだったんだろう。現にその三日後、家にダークブルーのスーツが送られてきて、何これ?!って言おうとしたら「面接なんだろう。それを着ていけ」って素っ気無く言ってきた。

 さすが大企業の社長さん。分かってらっしゃる。……けど、お前何時の間にオレの寸法測ったんだよ。オーダーメイドだろ、これ。気持ち悪いほどぴったりだったんだけど。

 その事に関しては海馬は特に明言はしなくて、後に遊戯から「海馬くんは凄いから触っただけで寸法全部分かるんじゃないの?さり気無く全身触られなかった?あ、いつも触られてるっけ?」といわれて鳥肌が立った。んなわけあるか。だとしたら凄いを通り越して怖いっての。

 ……結局、オレはそのダークブルーのスーツを着て、この保育園の面接を受けた。結果は吃驚な一発合格。奇跡としか言いようがない。

 けれど後にその理由としてどこからどうみても変わり者の園長に「そのスーツ、凄くいいね。どこのブランドだい?君はどうあれこのスーツに惚れたんだよ」とか訳のわかんない事を言われちまった。おい、保育園の先生はスーツなんて行事の時でも着ないだろうが、何言ってんだこのオッサン。

 ともあれ、海馬のくれたスーツでオレは念願の「先生」になれた訳だ。
 

 

 小さな園の全ての戸締りを確認して、オレは教員用の小さな玄関から外に出る。すぐ近くの水のみ場にバケツとスコップが砂まみれで置きっぱなしになっている。……この青いバケツはあいつのだな。ったく使ったものはちゃんとしまえって言ってるのになんで言う事聞かねぇんだ。明日しばく!

 そんな事をぶつぶつ言いながら、オレはその道具を犯人の道具入れに突っ込んでやる。……その犯人は、兎に角やたらいう事を聞かないでオレに食って掛かり、周囲の園児とも余り仲良く出来ない問題児だ。けれど、オレはそいつの事が結構好きだった。オレも元はそういうガキだったしな。ちょっと通じるものがあるんだよな。

 けど、何よりもオレがその子に惹かれたのはその外見と……名前だった。
 

『櫻井セト』
 

 それがその子の名前だった。母親がフランス人だかイギリス人だかのハーフで、日に透かすと金髪に見える明るい栗色の髪に、済んだ青空のような綺麗な蒼い瞳を持っているそいつは、何の因果か髪型も奴……海馬にそっくりで、まるでミニチュアの海馬を見てるようで凄く和む。小憎らしい言動も海馬のミニチュア版だと思えば可愛いだけでなんとも思わなかった。

 セトには小学生の姉が一人いて、その子がまた目を瞠る程の美人で、将来かなり有望だ。弟とそっくりの小生意気な言動が鼻につくが、ランドセルをしょって迎えに来るその姿は凄く微笑ましい。両親共に忙しいのか、未だどちらの顔も拝んだことはなかったけど、親も海馬に似ていたらどうしようなんて思ってつい噴出してしまう。
 

『お前にもさー、子供が出来たらあんな子ができるのかな。絶対可愛いだろうなぁ、お前の子供』
 

 園に就職が決まって、入園式が済んでから少しして、オレは海馬にセトの事を話してみた。その時は凄く興味なさ気に聞いていたけど、それから暫くして、オレがその事を口に出そうとするとあいつはやけに不機嫌になった。

 貴様の職場の話なんてどうでもいい。そう言って、顔を背けてパソコンに集中する。その時はなんて冷たい奴なんだと思ったけど……思えば、あの頃から何かが少しずつ違ってきたのかも知れない。

 オレが保育園に就職して、セトに出会って、それを逐一海馬に報告してた事。

 その事が、それまで揺ぎ無かった何かを傷つけてしまったのかも知れないと思ってはいるものの、今の時点ではそればかりが原因じゃないような気がした。
 

 

 不意に、内ポケットに入れようとした携帯が強く震える。慌てて開いて中を見ると、メールが一通入っていた。海馬だ!そう思って慌てて中をざっと確認した瞬間、オレは即座に通話ボタンに手をかけた。そして、イライラしながら海馬が出るのを待った。10秒、20秒、呼び出し音はずっと続く。

 そろそろ30秒になろうという時、呼び出し音が不意に途切れた。それを見計らい、オレはここが外だという事も忘れて声の限りに叫んでしまう。
 

「ふざけんなよ!!馬鹿!!今から行くからな!逃げるんじゃねぇぞ!」
 

 相手の返事なんかお構いなしに電話を切って、オレは駅へと走った。
 手の中の携帯に未だ表示されたメールには、こう書いてあったんだ。
 

 ── 昨日から帰ってきている。が、今夜は会えない。