Act1 雲に隠れた太陽

「うわ、すげー雨。今日こそは晴れると思ったのになぁ。たまたまお前がいて良かったぜ。次いでだから家まで車で送ってってくれよ」
「今日は歩きだと伝えてあるから迎えになど来ない」
「かーっ。融通きかねぇなぁ!!じゃあ傘に入れてけ。でもあれだっけ。お前ん家遠いんだっけ。さすがになー」
「別にいいぞ。今日は何も予定はないしな。だからこうして残ったのだ」
「はぁ、マジ?!お前、どうしたの?!頭の病気?」
「何だと?失礼な事を言うなこの凡骨が」
「凡骨って言うな。オレの名前は城之内克也です。城之内さんって呼べ」
「死んでも呼ぶか」
「そんなに嫌か。まぁ、オレもお前にそんな風に呼ばれたら鳥肌立つけどな。凡骨でじゅーぶん」

 そう言って、ハハッと小さく鼻で笑った隣の男は屋根の向こうに広がる暗くどんよりした空を仰いで、うんざりした溜息を吐いた。ざぁざぁと音を立てて降り注ぐ雨はコンクリートを強く弾き、少しでも足を出せばズボンの裾がずぶ濡れになる。時折、鋭く閃光が走り耳障りな雷鳴も響いていた為、帰宅しようと教室を出たオレは足止めを食らってしまった。

 傘を忘れたと大騒ぎし、オレが持っていると知った途端途中まで入れていけと大騒ぎした隣の男は、帰るのはいいがもう少し様子が落ち着いてからにしようというオレの提案を意外にも素直に受け入れた。今日はバイトがあるから直ぐに帰らなきゃいけねぇのに、とぼやいて居たにも関わらずに。

 そろそろ、名称が夜になろうとする夕方の午後6時半。

 放課後それぞれ別の理由で教室に居残っていたオレ達二人は、横殴りの雨が叩きつける昇降口の硝子扉の前で佇んでいた。時刻も時刻故に周囲には人の姿はなく、少し離れた場所にある図書室から漏れる明かりがぼんやりと薄暗い廊下を照らしていた。その静けさ故に雨音は嫌でも大きく耳に届く。

 6月も既に半ばを過ぎ、梅雨真っ只中のこの季節には何も珍しくない光景だが、こう毎日雨ばかりだと気分も落ち込みがちになる。それは一年中脳内が春爛漫の隣の男……城之内も同じらしく、教室にいた時から鬱陶しい程に溜息を繰り返していた。

 今日は居残りがオレと城之内だけで、クラスから生徒が消えてからの2時間半、オレ達は二人きりだった。最初酷く気詰まりな気がしたその時間も城之内が一人で話し、問題が分からないと癇癪を起こし、人の席までやって来て教えろと半ば脅しのような口調で騒いでいた為に然程苦痛には感じなかった。

 日頃オレに対してあれだけ粗雑で嫌悪丸出しの態度を見せているにも関わらず、いざ二人きりになると、特にそんな素振りも見せない事に驚愕した。驚愕して、元より憂鬱な気分が更に重くなった。どうせなら、常と同じ態度で居て欲しいと、そう思ったからだ。

「なぁ、お前って何の為に学校来てんの?もう社長なんだし、来る必要ねぇじゃん」
「オレが学校に来ては悪いのか」
「別に悪かねぇけどよ。暇もねぇのに無理矢理時間作って課題やってさ。意味あんのかなーって。そりゃお前がいた方が学校としてはいいだろーけど。こないだの模試、全国一位だろ?まっったく勉強してねぇのに何事だよ。むかつく」
「……貴様とて金がないと騒いでいる癖に学校に来ているじゃないか。学費も自分で払ってるんだろうが」
「あ?オレ?しょーがねーだろ。中卒じゃなかなか厳しいもんよ、この時代。せめて高校ぐらいは出とかねーと後々困るし。そう言う意味ではお前もそうか、なるほど」
「………………」
「ま、それは建前で、ほんとは学校が好きなんだけどよ。ダチいるし。勉強は死ぬほど嫌いだけど」

 木製の靴箱に寄りかかり、止まない雨をぼやきながらそんな事を口にする城之内の言葉をオレはただ黙って聞いていた。内心「もうくんのやめれば?目障りだから」と吐き捨てられるのを恐れながら。……が、奴はそれ以上オレの事に対しては言及して来なかった。けれど最後にま、どうでもいいけど。と素っ気なく呟かれる。その何気ない言葉が、他愛もない台詞が胸に刺さった。
 

 ── オレは、城之内が好きだった。
 

 至極不毛な恋だと、自分でも分かっている。憎しみ合いの中から生まれた歪んだ感情。自分でも無意識の内に芽生えたそれを抑え込む事など不可能で。行き場の無いその恋情は甘苦い痛みとなって心の奥底を蝕んでいく。沈んで行く気持ち、伝わらない想い。そうとは知らずにぶっきらぼうに投げかけられる言葉の一つ一つが刃になる。

 好きだと言ってしまえれば楽なのかもしれない。けれどその先にあるのは確かな絶望のみで、救いなどどこにもない。あれほどまでに曖昧さを嫌っていた筈なのに、今のオレには当たって砕ける勇気はなかった。

 故に、この心に暗雲が垂れ込めている現状を甘んじて受け入れている。

 時折奴が見せる優しさにも似た気紛れに振りまわされても、諦める事が出来ずに。

 本当は、今日のこの時間もオレが計画的に作り出したものだった。教師からあらゆる予定を聞き出しオレの登校日を決め、最初から迎えを断り、気詰まりだと分かっていてもこうして二人になれる時間を捻出した。この後の予定がないのは当たり前だ。元より入れてなどいないのだから。

 けれど、こんな事をした所で何かが起きる訳でもない。精々腕が触れあうか触れ合わないかの距離で近づいて噛みあわない話を繰り返し、挨拶もなく別れるだけだ。

 得るものなど、何もない。有る訳がない。
 

「……雨、止まねぇなぁ。超うぜぇ。今週一回も晴れてないんだぜ。日差しが恋し過ぎる」
「梅雨なのだから仕方ないだろう。諦めろ」
「お前はどうせ常に室内だろ。関係ないよな、天気なんて」
「そうだな」
「今日だって雨降るって分かってただろ。なんで歩きで帰ろうなんて思ったんだよ。気紛れ?」
「別に。なんとなく、だ」
「ま、オレはラッキーだったけど。しっかし、お前ん家とオレん家、まるっと逆方向なんだけどいーの?」
「いいと言っている」
「……この天気の悪さってもしかしてお前のこの行動が原因だったりして。気味悪ィ」
「そうかもな」
「え?」
「何でもない。雷も行ったみたいだし、そろそろ行くぞ」
「あーうん。そーだな」

 そう言って濡れそぼった硝子扉を押し開けて、傘を広げようとするオレの横に並びながら城之内は未だ雨が降り続く暗く重い夜空を見上げて、小さく舌打ちをした。そして、ぽつりとこんな独り言を呟いた。

「男と相合傘とかちっとも嬉しくねぇ」

 ああ、貴様はそうだろう。そんな事は分かっているからいちいち口に出して言うな。その言葉がどんなに人を打ちのめすか知らない癖に。

「明日こそ晴れるといいな。暑くなってもいいからさ。いい加減太陽を拝みたい気分だ。な、お前もそう思うだろ?」

 そう言って、オレにとってはその表情こそが明るい日差しの様な隣の男は、にこりと明るく純粋な笑みを見せた。この心を一瞬にして虜にしたその太陽のような微笑みを。

 しかしそれは、瞬く間に夜の闇と叩きつける雨の中に消えてしまう。
 

「城之内」
「あん?なんか言ったか?つか今、名前で呼んだ?」
「……いや」
「暗い顔してんなよ。ますます雨呼びそうじゃんか」
「……どうせ、永遠に晴れる事などない」
「え?」
「いいから行くぞ。遅れるなよ」
「なんだよ偉そうに。そういう所がムカつくって言ってんだよ」
「煩いな」
 

 きつく顰められたその顔の下に隠れてしまった、太陽の笑み。

 垂れこめる暗雲は多分晴れる事はなく、オレの心には雨が降る。
 

 ── この想いを諦めるまで、ずっと。