Act2 届かない言葉

「ずっと前から好きでした。付き合って下さい!」

 暇潰しに訪れていた図書室の片隅で、上の方ではたきもかけられずに埃を被っている洋書を手にした時、背後から声をかけられた。

 最初はまさかオレに話しかけているとは思わず、図らずも無視した形になったのだが、それに焦れた相手が無遠慮にも人の身体に手を伸ばし腕を掴みがてら「あの!」と声を上げてくれたお陰で、漸くその存在に気がついた。

 気安く触るな、気持ち悪い。

 即座にそう思う気持ちを無表情の下に押し込めてゆっくりと背後を振り返ると、そこにはオレよりも頭二つ分位小さな女子生徒が何故か頬を染めて立っていた。その遥か彼方にはこいつの友達と思しき女が心配そうに立ち尽くし、こちらの動向を伺っている。

 一体なんだ?と、不快さの上に苛立ちもプラスした感情でそう思っていると、女子生徒は腕を掴んだまま、まるで宣戦布告をする様に……その実単に余裕がないだけなのだろうが……人の顔を睨むように見上げながら、冒頭の文句を吐き出した。所謂、告白と言う奴だ。

「………………」

 その言葉を聞いたオレは一瞬、真っ赤に染まった頬をまじまじと凝視してしまう。それがますます相手の顔の血色を良くしている事には気付いていたが、オレにはどうでもいい話だった。

 背丈はこの視線の距離感からして遊戯位で、学年は多分一年だ。真っ黒で癖のない長い髪が頬の横で揺れている。顔は……まぁ悪い方ではないが特に印象に残る様なものでもなく、軽く整えただけで装飾を一切していない指先や、穴の一つもない耳朶を見るに真面目なタイプなのだろう。

 更に言えば余り人慣れをしていない方だ。今も大胆な行動に出た割には指先が震え、見あげる瞳にはうっすらと涙すら溜まっている。しかし、オレの心はほんの僅かにも動く事は無かった。この女だけじゃない。今までうんざりするほど経験して来た告白シーンを演じた……同じ様な言葉を様々なシチュエーションで投げつけて来た人間全てに、だ。

「悪いけど……」
「……どうしても駄目ですか?」
「そう言われても、無理なんだ」

 一応校内では猫を被っているオレは、自分でも背がこそばゆくなるような温い断り方でやんわりと拒絶する。本来ならば、もっときつく激しい物言いで迷惑だ、金輪際近づくなと罵ってやる所だが、社と家以外では何時でも営業だと心得ている為、よほどの悪党でない限りは印象を悪くしない様に努めている。

 特に、女子供は海馬ランドの収益に左右する大事な顧客だ。無下にする事は早々出来ない。それ故、こうして訳の分からない憧れや半ば妄想めいた想いを勝手に抱いてオレに近づいて来る人間は多い。それを上手くあしらう言動も最近漸く板について来た。全く持って無駄な骨折りだと思ったが、これも仕事の内と思えば大して苦にもならない。

 ならばその見てくれを利用してもっと効率的なやり方で事を進めたらどうかという人間もいたが、決してそれだけはするものかと憤然と跳ねのけた。オレは自分の容姿を利用はしても、売る気はない。そんな事をしなければ掴めない未来でもあるまいし、例え遠回りであろうとも道がある限りはそちらを選ぶ。それがどんなに困難で大変な道のりでも構いはしなかった。

 誰に、どんな事を言われても……たった一つの『これ』だけは、なんとしても守りたかった。

「……じゃあ、理由を」
「理由?」
「はい。そうじゃないと、諦められないんです。だからせめて無理な理由を教えて下さい」

 多分一大決心をして、集めるだけの勇気をかき集めてオレに告白をして来た女子生徒を目の前にしてそんな取りとめもない事を考えていると、オレが断ったまま黙り込んだのを不満に思ったのかはたまた失恋のショックに打ちひしがれたのか彼女は暫し唇を噛んで俯いていたが、数秒後最後の一撃だと言わんばかりにそんな事を言って来た。いつの間にか腕を掴んでいた指先は離れていて、白いハンカチが握られている。

 その姿を相変わらず無感動に眺めながら、けれどオレはその質問に少しだけ驚いて絶句した。今までこちらがにべもなく断った後、相手が場に残る事などそうはなかったし、ましてや食い下がってくる事など初めてだったからだ。

 無理な理由。

 オレは女が口にしたその言葉を心の中で反芻した。そして表情には出さずに己に向かって嘲笑する。そんなの、決まっているだろうが。そう内心独りごち、口元が微かに歪んだ。その瞬間、始めてオレは目の前のこの女に感情を少し揺さぶられた。それは勿論応えてやれない申し訳なさとかそんなこちら側の話ではなく、彼女自身が気の毒だと思ったからだ。

 まるで、オレの様で。
 

「好きな人がいるんだ。その人以外の事は考えられない」
「!!……そう、なんですか」
「だから、君とは無理だ。……これでいい?」
「……はい。分かりました、ごめんなさい」
「いや」
「えっ」
「……なんでもない」
 

 最後にこうして告白して来たとその勇気に対しては一言称賛を述べてやりたい気もしたが、どう言えばいいのか分からず、結局オレは去りゆくその背を見送る事しか出来なかった。片手に抱えたままだった本が、ずしりと重い。

 オレは急に憂鬱になって、折角取り上げたその本を元の場所に戻してしまうと、帰ろうとその場に背を向ける。が、その瞬間、何者かに背後から飛びかかられ、思わず身体が硬直した。

 ずしりと背に圧し掛かる重み、首に回された硬い腕。そして頬に触れる痛んだ髪の感触。間違いない、こいつは……というか何故ここにいる?!そう思い何事だと振り返ろうとする前に、耳元で悪魔の声に等しき台詞が放たれた。

「好きです、付き合ってください!」
「……なっ」
「こんなとこで女に告られて何やってんの、海馬くん?相変わらずモッテモテで羨ましいですねー?」
「貴様っ!」
「あの子、今年の文化祭のミスコンで一位になった超美人お嬢様だぜ?知らないとは言え振るとか勿体ねぇなぁ。っつーか付き合う付き合わないはいいとして、キス位してやったらいーのに」
「どうでもいいわ離れろ!!」
「うわ、こわっ。さっきみたくもっと丁寧に接してみろよ。優等生ヅラしてるのなかなか好きだぜ、面白くて。正体はこーんななのにな。女は馬鹿だね」
「煩い!離せ!!」
「言われなくたって離しますって。ほい」

 いってー。マジで振り解こうとすんだもんなぁ。

 城之内の腕から逃れようともがいた際、運悪く肘が当たってしまった顎を擦りながら、奴は大して悪びれもせずにそう言って笑った。しまりのないその笑みは、悪戯が成功した子供が見せるような無邪気なもので、先程吐き出した台詞は、幼い無邪気さ故になんの躊躇いもなく生き物を殺してしまう残酷さそのものだ。

 そんな事を考える事すら出来ない癖に平気で人に投げつけるな。しかも、心底楽しげな声色で。

 今すぐに三階であるこの部屋の窓から放り投げてしまいたい。それが無理でも蹴りつけて、殴ってやりたい。憎たらしい、腹が立つ。
 

 けれどそれ以上に、やっぱり好きだと思った。

 あの女子生徒の様に、否、その数十倍の強さを持って、諦められないと思いながら。
 

「………………」
「お前もいー加減彼女作れば?鬱陶しいだろ、こういうの。なんなら紹介してやろうか?」
「結構だ!!鬱陶しい、消えろ凡骨!」
「そんなに怒るなよ。潔癖症もここまでくると重症だな。お前その調子だ誰とも付き合う事なんかできねーぞ。顔も頭もいいし、金もあるのに勿体ない事で。そういうの宝の持ち腐れっていうんだぜ。オレに半分でいいから寄こせよ」
「余計な世話だ!」
 

 ま、別にオレにはどうでもいい事なんだけど。

 余りの言い草にオレが半ば絶叫の様な声でそう怒鳴りつけると、奴は半分気の抜けた声でそう呟き、タイミング良く共に来ただろうお友達に声をかけられ、さっさとその場所を後にした。もちろん振り返るなんて事はしない。する必要もない。

「城之内くん、駄目だよ、海馬くんにちょっかいだして」
「だってあいつむかつくんだもん。なんであんな奴が女にモテるんだよ」
「聞こえるような声で言わないの!」

 ごめんね。そう言って、奴の代わりに謝罪しながら頭を下げた遊戯は、城之内を伴ってさっさと図書室を出てしまった。再びしんと静まり返った空間は、元よりオレを含めて数人しかいなかった。大半が読書をしていると言うよりは寝ているので今の騒ぎにも興味を示す人間は誰もいない。それにほっと胸を撫で下ろした瞬間、鼻の奥がつんと痛くなった。同時に目の奥から何かがこみ上げて来るような気がして、手に力を入れてそれに耐える。

 泣いてしまいそうだった。勿論、実際に涙を流す事は出来ないけれど。
 

 ── 好きです、付き合って下さい。
 

 簡単なその一言が口に出来ないばかりにこんなにも胸が痛い。
 

 けれど、どうしようもない事なのだ。諦める事すら出来ないのだから。