Act1 凡骨と猫番長(Side.城之内)

「だーからお前はそこに乗るなっつってんだろ!邪魔なんだっての!……ってうわっ!」

 オレがそう大きな声を上げても、テーブルの上にふてぶてしく陣取る見た目が余り可愛くないバカ猫は、驚くどころか鼻息荒く威嚇してきて専ら臨戦態勢だ。

 ……いや、フーッじゃねぇよ。怒ってんのはオレの方だって。大体お前がそこにいんのはアレだろ。弁当のおかず狙ってんだろ。誰が月末のジリ貧の中必死こいてかき集めた大事な食料を猫畜生にやると思ってんだ諦めろバーカ。

 そう思いながらオレが熱々の卵焼きを奴からかなり遠ざけた場所に置いた空弁にかなり手際よく盛り付けた瞬間、ガタッと大きな音がして、テーブルの隅でコレを狙っていたらしいバカ猫が飛んで来た。勿論予想の範囲内だったから間一髪の所で取り上げてシンク上のステンレス棚に置いてしまう。

 ふーあぶねぇあぶねぇ。っつか、猫って熱いの駄目なんじゃなかったっけ?全然躊躇ねぇんだけどこいつ。

 もう少しの所でオレに飯を取り上げられちまったバカ猫は弁当箱が置いてあった場所をガリガリと爪で引っ掻いて、にゃあにゃあとどこからどう聞いても抗議の声をあげる。そいつを思いっきり呆れながら見下ろして、オレは仕方なくまな板の上に残っていたちくわを一本取り上げて目の前に置いてやった。

 するとそいつは直ぐに前足でソレを踏み潰し、存分に「オレのだ!」と主張した挙句に咥えてさっさとテーブルを下りてしまう。きっと奴お気に入りの場所に持って行ってゆっくりと食べるんだろう。……どうでもいいけど、そこにはオレのパーカーが置いてあるんだよな。ま、もう着れないけど……染みだらけで。

 今の内に残りのおかずをパパッと詰めて適当に包んで鞄に放り込むと、今度は朝飯をかっ込む為に席に着く。昨日残った塩鮭の切り身を乗せてお湯をぶっかけていざ食おう!と言うその時、足元でまた猫の声が聞こえた。ゲッ、こいつ何時の間に!?お前、ちくわはどーしたよ!!

 結局猫と鮭の切り身の争奪戦を繰り広げ、オレの慌ただしい朝は終わりを告げた……くっそ、マジ疲れる。
 

「んじゃ、行ってくっから。今日は夜まで帰ってこねーから大人しくしてろよ」
 

 ボロ鞄を肩に引っかけて速足で玄関へと向かうオレの後ろをまるでお約束の様にトコトコと付いて来て、毛羽立っている玄関マットの上にちょこんと座ったその頭を適当に撫でてやりながらとりあえずそう声をかける。動物を飼うと話しかけたくなるって聞いたけど、本当だったんだなぁ。傍から見たら馬鹿みたく見えるんだろうか。ま、別に誰も見てないからいいけどよ。
 

「じゃあな、『かいば』」
 

 そう言って扉を閉めるオレの背後で、にゃあ、と小さな声が聞こえた。

 返事してるつもりなのかね。相変わらず変な奴!
 『かいば』はつい2週間前から飼い始めた、胴体は真っ黒で手足が白いブチ模様の雄猫だ。

 バイト先のコンビニで残飯を漁ってる所を見つけてつい出来心で構ってたら妙に懐かれて、見兼ねた店長から「連れて帰れ」と言われた事がきっかけだった。

 うちの団地はボロで人が住み着かない所為か最初は厳しかった規則が段々と緩くなり、今では何でも有りな状態だったから、猫を一匹や二匹飼った所で目くじらを立てる奴はどこにもいない(現に隣のおばさんも猫と犬を飼ってるし)。

 問題はあの飲んだくれのクソ親父だったが、うちは元々家族が一緒に暮らしていた頃猫を飼っていた。だから、猫がいる事は問題ない。まあ、一番の悩みどころは猫一匹養う財力があるかどうかってとこなんだけど、残飯でも食わしてりゃ文句言わねーだろって事で考えの中から消去した。

 ……という訳で、これも何かの縁とばかりにオレはそいつを引き取る事にしてちゃっちゃと家に持って帰って来たと、そういう事です。

 元々野良だから嫌がったり居付かなったりするかな、と思ったんだけどこいつは全くそんな気配がなく、元からこの家に住んでいたみたいに初日から好き勝手に振る舞っていた。……なんつー図々しい猫だ。

 まあでも懐かれないよりはマシかな、とポジティブに考える事にした。そしたらとんでもなく増長した訳だけど、これはオレの所為だからしょうがない。ご主人様はオレの方なんだけどね。別にいいけど。

 あー、で、なんでそいつの名前が『かいば』になったかっていうと、オレを小馬鹿にした態度とかふてぶてしさとか、なんとなくあいつに……海馬に似てるからって理由もあったんだけど、それ以前に家でゴロゴロしながら海馬に電話をかけていた時にオレが「海馬」って名前を連呼した所為で、猫がその言葉を覚えちまったらしいんだ。

 「お前の事じゃねぇよ」って後から必死に訂正したんだけど、勿論猫にはそんな理屈は通じねぇから結局猫の名前は「かいば」になった。

 ……んでもなんかこれってアレだよなー。ペットに自分の好きな奴の名前付けて必死に呼んでるみたいで微妙だよなーって最初は一人で照れたりもしてたけど、これも誰も見てないから大丈夫だ、と開き直った。あ、その名前の本来の持ち主である海馬くんには「やめろ気色悪い」と怒られたけどな。別にいーじゃん、減るもんじゃないし。

 そう言えば海馬とかいばの初顔合わせも面白かったなー。

 その日たまたまオレの家に遊びに来た海馬が一歩玄関に足を踏み入れた瞬間、部屋の奥から飛び出て来たこいつを見て、開口一番「なんだこの不細工な猫はっ!」と叫んだのは傑作だった。かいばはかいばで、突然現れた知らない人間に興奮して体当たりをブチかまし、余計に怒らせてたし。

 あーこいつら似た者同士過ぎて合わねーのかななんて思ったけど、意外な事に海馬は猫が嫌いじゃなかったみたいで、適当にあしらいながらも嫌がってはいなかった。かいばの方もまた然り。

 ……なんだか凄く面白い光景を見てるみたいで楽しかった、うん。
 

「しかしこいつは本当に可愛げのない猫だな。元は野良猫の癖に太り過ぎではないのか」
「太ってるとか言うなよ。ただでっかいだけじゃん。こう見えてこいつまだ若いんだぜ?でもさ、この態度の所為かなんかあちこちで子分一杯作ってやんの。すげーよな、新入りの癖に。昔風で言えば番長みたいだな!」
「フン、どうでもいいわ。しかし、犬が猫を拾うとはな。いい加減な貴様に生き物の面倒が見れるのか?」
「犬と違って散歩もねーし、餌はちゃんとやってるし、問題ないだろ。つか、オレの事を犬とか言うな」
「こいつも何故こんな男に懐いたのだろうな。人選を誤ったとしか思えん」
「……そっくりお前に返してやるよバーカ!」
 

 かいばの首根っこを乱暴に掴み上げ、奴の顔を自分に鼻先に持ってきた海馬は、その全体をじろじろと眺めながら、嫌み臭くそんな事を言う。その言葉が分かる訳じゃないだろうけど、何か悪口を言われてるのは分かったのか、かいばがちょっと爪を見せつつ前足を出す。

 海馬はそれをフンと鼻であしらってポイとかいばを投げ捨てると、「客に茶すら出さんのか」と威張り始めた。その横で……同じ様に踏ん反り返るバカ猫一匹(オレは基本的にかいばの事をバカ猫と呼んでる。だってバカだもん)。

 全くもう、何やってんだこいつらは。やっぱ超似てる。
 そしてどっちもオレにとっては凄く可愛く見えるんだ。
 

 ── 惚気かって?決まってんじゃん!
 学校行ってバイトして、くたくたの身体で家に帰ってみれば、盛大に荒らされた部屋の隅っこに奴が勝手に作ったオレのパーカーを下敷きにした寝床で、幸せそうに丸くなっているバカ猫と対面する。

 ぐちゃぐちゃになった新聞紙に全部ケースの中から引っ張り出された大量のティッシュ。そして、コタツ兼テーブルの上に置かれた虫の死骸(どうも自慢する為にここに置いておくらしい。たまにゴキブリが乗ってるからマジ勘弁して欲しいけど)それをせっせと片付けるのが帰宅後の最初の仕事だ。

 こんのバカ猫ッ!って文句を言いながら手を動かしていると、いつの間にか起きたのか頭にティッシュの残骸をくっつけた奴が堂々とオレの真下に立ち塞がる。

 どーせ晩飯の無心だろ、分かってるよ。つーかお前が部屋をこんな風にしなければ速やかに準備に取り掛かれるんだけど。って愚痴っぽく言ってやったら、何を思ったかかいばはくるりと踵を返して寝床へと歩いて行った。そして、何かを咥えて帰ってくる。

 よくよくみたら、そいつはオレが物凄く見知ったものだった。
 ただし、完全系じゃなかったけど。
 

 ……それ、朝のちくわじゃないですか?半分取っておいてくれたんですか?オレの為に?

 つーか食えよ!!
 

 にゃあ、と可愛く鳴いてそれをそっと前に置くその姿が余りにも可笑しくて、オレは盛大に吹き出しながら得意気なその頭を優しく一撫でしてやった。
 

 給料日には美味しい猫缶でも買ってやろう。
 

 バカ猫には勿体ないけどな。