Act2 凡骨と海馬くんと猫番長(Side.城之内)

 最近、朝魘されて起きる事が多くなった。

 別に怖い夢を見ているとか体調が悪いとかそういうんじゃなくて、物理的に苦しいから魘される。しかもその苦しさを感じる場所は毎日違う。何故ならオレを苦しめているその要因は移動する生き物だからだ。……で、生き物っつったら我が家には一匹しかいない訳で。
 

 そう。勿論『かいば』くんの仕業です。
 

「にゃあ」
「にゃーじゃねーっつってんだろお前ぇええええ!!顔に乗るな顔にっ!呼吸困難になったらどうしてくれんだよっ!ゲホッ、うぇっ、毛ぇ吸ったし!!」

 今日も今日とて、物凄く息が苦しくなって起きてみれば、オレの可愛いバカ猫がそのデカイ図体をそっくりそのまま利用してオレの顔面に圧し掛かってくれまして、熱烈にも大口開けた口元をざらついた舌で丁寧に舐め、爽やかな朝を演出して下さいました。お陰で寝起きばなから咳やらくしゃみやらを連発しまくって、それにビビったバカ猫に鼻の頭を引っ掻かれて物凄い痛い思いをするというなかなか最悪なお目覚めに。

 ……まぁ今始まった事じゃないけどよ、こーゆーの。ほんっとコイツなんなんだ?!

「おい謝れよバカ猫」
「にゃあ」
「これいてーんだぞマジで」
「くしゅんっ」
「くしゃみしてる場合じゃねーっての!今度やったら飯やんねーぞ!」
「………………」
「今度は無視ですか。ったくもー」

 反省してんのかしてないのか、引っ掻き傷に思いっきり顔を顰めつつも顔を洗って制服に着替えたオレの足元に擦り寄ってきて何故かゴロゴロと喉を鳴らすバカ猫に、何だか馬鹿馬鹿しくなって溜息を吐く。

 ひょい、と抱き上げてやると肩に乗ろうとするから必死に押さえつけて、とりあえず飯を食おうと昨日食べたまんまで散らかしっぱなしの台所へと足を踏み入れた。すると途端に奴が目を輝かせ、オレの腕を振り切ってテーブルへとジャンプする。

 おま……飼い主の腕の中より食べ残しのおかずの方が大事だってか。そういや昨日の夜中親父帰って来たもんな。テーブルの上につまみ乗ってるもんなー一杯!ふざけろよ!

「お前って、なんていうか……幸せな奴だよなー」

 大きな皿の上に食べ散らかされた刺身やらホタテの干物やら、柿の種やらを綺麗さっぱり食らい尽くし、スルメの横に絞り出されていたマヨネーズまで綺麗に舐め取ってるその横顔を眺めながら、オレは鼻の頭に絆創膏を貼り付けつつ、昨日買って来て置いたコンビニのおにぎりをパクついた。

 いつもなら興味深そうに(というかめちゃくちゃ狙って)眺めて来る二つの眼は、今は皿に夢中でこっちを見やしない。あーなんて平和な朝食タイム。寝起きは最悪だったけど。

 そんな事を思いながらカップ味噌汁にお湯を入れたらふとある事に気が付いた。必死に皿に首を突っ込むバカ猫の首が妙にスカスカしていたからだ。

 ……そういやこいつ首輪してねぇな、買った覚えも無いから当たり前なんだけど。だからどうにも飼い猫っぽく見えないのかぁ、なるほど。今度給料入ったら買ってやるかな。でも高そうだよなー首輪って。

「………………」

 まぁ首輪が無いと野良だと思われて保健所に連れて行かれてもアレだしな(他人に拾われる可能性はほとんどゼロに近い。っていうか有り得ない。だって不細工だし)ソレ位は考えてやってもいいか。テメェの服買うのすら考えるのに猫の首輪とか馬鹿馬鹿しい。はぁ……なんでオレこいつ拾ったんだろ、果てしなく不憫過ぎる。

 そんなオレの哀愁なんてどこ吹く風で、元はそこに食べ物があったと言う事すら分からない程皿を綺麗に舐めたバカ猫は満足げに口の周りのマヨネーズを舐め取ると、漸くこっちへ意識を向けた。もうまるっと興味を失った皿なんか見向きもしないでトコトコとオレの手元に戻ってくる。相変わらずゲンキンな猫すぎる。

「満足したかよ」

 ズズッと味噌汁を飲み干してそう声をかけてやったオレを見上げて、奴は偉そうに「ふんっ」と鼻を鳴らして盛大な伸びをした。

 うーん……これじゃどっちが主人か分からないぜ。やっぱ首輪は必要だ。
 学校に行った途端鼻の頭の絆創膏を見た複数のダチから「また喧嘩か!犯人は海馬?!」と疑われ、弁明するのも面倒臭いし猫だろうが人間だろうが名前が『かいば』には違いないから、「そうだよ」と言って回ったその日に限って、普段滅多に顔を出さないご本人が登校してくるのはなんなんでしょーか。……今日は厄日に違いない。

 昼休みに入って早々教室に顔を出した海馬は、扉をくぐった瞬間多方面から色々な意味を含んだニヤニヤ笑いと意味深な言葉を投げつけられ一気に不機嫌メーターを振り切って、鬼の形相で即座に原因と悟ったオレの元へとやって来た。そしてこっちが何か言う前から全力でほっぺたを(正確には口の端を)捻り潰して下さった。

 やっべこれ超痛ぇ!バカ猫の引っ掻きなんて全くメじゃねぇ。半端ねぇ!

「……下らん嘘を吐きまくったのはこの口か」
「いてててて!!ごめ……だ、だって、弁解が面倒臭くって!!」
「貴様、お友達にはあの不細工猫を飼った事は告げていなかったのか」
「べ、別に猫飼い始めた事なんてわざわざ吹聴する事でもねーだろ!聞かれれば答えるけどよ!大体ダチ家に呼んだりしねーから関係ねーし!」
「そうなのか?」
「大体可愛い猫なら見せてやってもいいけどあれじゃあ……」
「!!……あれでは、なんだ?そんなに酷い猫ならば何故オレの名前を付けた?しかも奴の仕業をオレになすりつけおって。殺すぞ貴様!」
「いってぇえええええ!マジごめんなさいっ!真顔で怒らないで!」
「絶対に許さん!」

 手の力を抜かないままローテンションなひくーい声でそう言った海馬は、最後に脳天に拳骨を一つ落として漸くオレを地獄の攻め苦から解放してくれた。あーマジ死ぬかと思った。口は災いの元だなこりゃ、今度から気を付けねーと。

 オレもこう言う時にもうちょっと気が利いた事言えりゃいいんだけど、どうもそういう機転?がきかねーんだよなぁ。さっきちょろっと『ダチは家に入れてない』って言った時海馬が反応してくれたのに余計な事言って機嫌損ねちまったし。あーもー台無し。最悪。やっぱ今日は厄日だった。

「城之内くーん、教室で痴話喧嘩はお断りでーす」
「お前等そーゆー事は屋上でやって来いよな。超近所迷惑。しっしっ」
「海馬くんおはよう!午後の体育出る?今日はサッカーみたいだよ」
「うるせぇっ。こっちみんな!オレ達の事はお気になさらず!!」
「だって視界に入るんだもん」
「なぁ?お前が出てけよ」

 そんな危機的状況の中でも、面白半分にオレの事を眺めているダチにとっては単なるバカップルの娯楽にしか映らないらしい。奴等はいつの間にか広げた昼飯をパク付きながら半笑いでそう声をかけてくる。くっそ、元々の原因はお前等だっての!反省しろ!

「……とりあえず屋上行こうぜ。そういや今昼だしな」
「何故オレが貴様に付き合わなければならないのだ。一人で行け」
「たまに学校来た時位付き合えよ。……今日は来て欲しく無かったけど」
「は?」
「いや、なんでもありません。お前、昼飯は?」
「持って来る訳ないだろうが。必要ない」
「あ、そうなんだ。今日はオレも弁当作って来てねーから購買行こうぜ!」
「行くか馬鹿が!」
「まーまー怒らない怒らない」
「首を触るな!!襟を掴むな!オレは猫かっ!」

 どうもかいばを飼いだしてから猫の飼い主が板について来たのか以前よりも手を伸ばすのが早くなっちまった。しかも首に(猫って首触ると大人しくなるじゃん)お陰で再び思いっきり拳骨を食らったオレは、涙目で教室を後にした。
 

 この弊害は深刻だ。
「首輪?」
「そ。今日気づいたんだ。そういや付けてねーなーって」

 外飯するにはかなり肌寒い気候の中、それでも見渡す限りの青空と気持ち良く照りつける太陽のお陰で全く寒さを感じずにオレ等は二人、屋上で購買のパンを片手にまったりしていた。

 ちなみに授業はもう始まってる。さっき遊戯が言ってた通り5時限目は体育だったから、速攻サボりを決めた海馬にオレが付き合った形だ。他の成績はともあれ体育だけはダントツの5だったから一時間や二時間ボイコットした所で変わらない。今日は厄日だと思ったけど、こうしてると結構いい日だった。あーこのまま学校フケたいかも。

「首輪など、別にしなくてもいいのではないか?」
「そりゃそうなんだけどさ。首輪でもしないとあいつどっからどうみても野良猫じゃん?連れていかれたら困るだろ」
「ああ、保健所にか」
「ご名答。……っつかお前も『誰か他の人間に』って言わねーのな」
「誰が好き好んであんな猫を拾うのだ。美的センスのない貴様位だ」
「うるせ。まあそういう訳でちょっと気になったんです。気になっただけで即実行はできねーんだけど」
「何故だ」
「決まってるだろ。先立つものがねーんだよ。あのバカ猫の所為で極貧に加速がつきまして」
「だから貧乏人がペットなど飼うなと言ったのだ。自分の食い扶ちにも困る癖に畜生に金をつぎ込むなど馬鹿馬鹿しい」
「畜生とか言うな。お前結構好きな癖に」
「好きじゃないわ」

 嘘吐け。何だかんだ言って生き物には目が無いくせに。知ってっぞ。海馬ランドに小動物コーナーつくったのお前の意向なんだって事位。お前は知らないだろうけどな、モクバはオレにぜーんぶ話してくれるんだぜ。キャラじゃねーからそういうそぶり見せないらしいけどな。全くとんだひねくれ者だ。そういうとこも好きだけど!

 嫌だなんだと散々文句を言った割に綺麗にサンドイッチを食べつくした海馬くんは、これまた不味いと文句を言って買った珈琲牛乳まで一滴残らず飲み干して、話の間中開きっぱなしにしていたノートパソコンを静かに閉じた。そしてそれを傍らに置いてしまうと、珍しく身体を伸ばして大あくびをする。どっかで見た事があるような無い様な、そんな仕草だ。

「何、眠いの?社長さんはお疲れですか?」
「オレとて疲れている時位あるわ」
「じゃーこのままフケる?」
「何のために貴重な時間を潰して登校したと思っている」
「……体育サボってる癖に」
「ふん、土埃まみれになってボールを追いかけた所で成績が上がる訳でもないし。それなりの時に出ればいい」
「ズルだろそれ」
「悔しかったら全国一位になってみるんだな。無条件で優遇措置を受けられるぞ」
「無理に決まってんだろ!!……っておい!」
「寝る。6時限目前に起こせ。……ああ、それから、首輪は夜に届ける。有難く受け取るがいい」
「……はぁ?!」
「………………」

 そうまるで遺言の様にいい残すと、速攻ぱったりとその場に……つーか座ってるオレの太股の上に身体を転がすと、海馬はまるで電池が切れた様にマジ寝をし始めた。……これは酷い。まるっきりかいばと同じ行動してやがる。まあこいつはオレの顔には覆いかぶさったりはしないけど。

 どちらにしても、まるでデッカイ猫みたいだ。
 

「なんだかなーもー」
 

 緩やかに上下する肩の動きや足に伝わる温かい体温に、なんだかとっても優しい気持ちになったオレは、その思いのままに手持無沙汰になった右手でかいばにする様に海馬の頭も撫でてやった。その後こっそりキスもした。

 あの珈琲牛乳、ちょっと甘すぎるぜ。なんて思いながら。
「よーしかいば!お前にいいもんやるよ。だから動くなよ。動くなっつってんだろ!!」
「フーッ!!」
「爪立てんな!!ちょっとだけだから!!お、いい子だなー。はいそのままそのまま……よーし出来たっ!……やっぱあいつのチョイスだと青なんだな。でも似合ってるからいっか」

 学校から帰宅早々、錆びついた郵便ポストに無造作に突っ込んであった高級そうな包み紙を部屋で開けると、案の定立派な首輪がころりと床に転げ落ちた。どうやら海馬はオレと話をしていたあの時間中にネットで会社の誰かに指示を出していたらしく(多分磯野辺りだと思う)貧乏人のオレに施しをやる位の勢いでこの首輪をくれたらしい。馬鹿猫だの品性下劣な不細工猫だのと散々罵ってる割にはこんなもんくれて寄越すんだから、ほんと始末に負えないぜあのツンデレ社長は。全く可愛いな!

 オレの猫で元野良に付けるはかなり似つかわしくないご立派な皮の首輪は、金具部分に可愛らしい金の鈴が付けてあって、チリチリとなんとも可愛らしい音がする。当のご本人……もとい御本猫はその音が非常に耳障りみたいで付けて暫くの間、まるで鈴とケンカしてるみたくニャーニャー鳴いていたけど(やっぱ馬鹿だこいつ)そのうち慣れてしまって、自慢気にオレに見せに来た。

 ……いや、見せられても困るんですけどね。あーかわいいかわいい。

 笑いながらその頭を撫でてやると勢い良くオレの身体に飛びついて来て、器用にオレの身体をよじ登ってくる。また肩かっ!と思いながら捕まえようと腕を伸ばすと、奴はついっと身体を伸ばして既にちょっと忘れかけてた鼻の頭の絆創膏をぺろりと舐めた。

 いっちょ前に反省してんのかよ。それともいつもの御飯ちょーだいですか?

 わっかんねぇなぁ、もう。
 

「ま、いいや、とりあえず飯にすっか」
 

 ポンポン、とその身体を二度叩くと奴は小さく声を上げて豪快なジャンプで床に着地して先に立って台所へと歩き出した。

 小さな鈴の音がなんだか妙に可笑しくて、ひとしきり笑った後、オレは携帯片手にかいばを追いかけて写真を一枚撮ってやった。そしてそれを即座に送信する。相手は勿論あの首輪の送り主である海馬くんだ。まあ返って来る返信メールなんて大体想像通りだけど。
 

『……想像以上に不細工な出来だな。なんとかならんのか』
 

 ……余りにも酷過ぎました。
 

 これからは「せと」って呼んでやろうかな、と思う今日この頃です。