Act3 海馬くんと猫番長(Side.城之内)

「っ!!この馬鹿猫がっ!!」

 小さなテレビの音と、リズミカルなキーボードのタッチ音、そしてチリチリと既にすっかりお馴染になっちまった鈴の音が程良く混ざり合って聞こえていた狭い室内に、突如海馬の怒鳴り声が響き渡る。それに丁度夕メシの用意をしていたオレが振り返るよりも早く、猛ダッシュで台所に飛び込んで来たかいばは華麗に三段ジャンプをして、最近ヤツの定位置になっている低い冷蔵庫の上へ飛び乗った。

 なんだなんだ?まーたコイツなんかやらかしたのか?と思いつつ振り返れば、海馬が般若の顔で居座っていた炬燵から立ち上がり、近くに山積みになっていた(筈)の書類をノートPCの上に乗せ上げて「布巾を寄こせ!!」とキレていた。

 逆らう理由もないのでテーブルの上にあった奴を投げてやると、海馬は怒り心頭といった感じで乱暴にテーブルの上を拭き、そしてPCを持ち上げた。すると、その底の部分からポタポタと茶色い液体が垂れ落ちる。その影に見えるのは見事なまでにひっくり返った白いカップ。

 あーなるほど。さっきから熱心にじゃれついていたかいばがやっちまったわけね。なんかしらねーけどアイツ海馬がいると奴に絡むんだよなー。まあオレは邪魔されないですごーく有り難い訳だけど、真面目に仕事してる海馬にとっては超迷惑だよな。可哀想に。

 って、そんな悠長な事言ってる場合じゃないんだけど。こりゃ雷が落ちるぞー。

「凡骨!!」
「なんだよーオレにキレんなよ。だから言ったじゃん、珈琲は早く飲めって。あ、炬燵布団大丈夫だった?」
「そういう問題じゃないわ!と言うか貴様が最初に心配するのは炬燵布団か!!」
「いやぁ、冬は洗濯物乾かないしさぁ。やっぱ汚れると困るじゃん」
「……投げるぞ!!」
「うわっ、ごめんなさい!!てか一枚で足りた?」
「足りんわ!!」
「それを早く言えよ。もー相手は猫なんだから怒ってもしょうがねぇだろ」
「フン!貴様とて毎日無駄な攻防をしているではないか!」
「そうでした。あ、じゃあそのままソレ持ち上げとけ。拭いてやるから」
「早くしろ!」
「威張るなよ。ったくお前とかいばはそっくりだな」
「喧しいわ!!」

 騒いだって状況は改善しねぇんだからちょっとは黙ってればいいのによ。まぁ、海馬が仕事の時以外で静かだと病気を疑っちまうからこの位で丁度いいんだけど……とにかく煩い。ここはお前ん家と違って狭いし壁が薄いんだから少しは加減して貰わないと困りますねぇ。……なーんてぶつぶつ言いながら手を動かしていたら、頭にPCが降って来た。痛ぇっつの!

「……あの馬鹿猫は部屋の隅にでも繋いでおけ!邪魔すぎる!」
「猫繋いで置く馬鹿がどこにいるんだよ。嫌われるよりいいだろ。それより今かいばが台所にいると困るからこっち置いとくな?」
「断る!!」
「よーしかいば。海馬くんもう怒ってないからこっちおいでって」
「言ってないわ!!呼ぶな!!」
「でもカレーに猫の毛入ったら嫌だろ?」
「またカレーか!」
「人の家で出される晩御飯に文句を言わない」

 すっかり茶色に染まってしまった布巾二つを手に持って早々に台所に引き返したオレは、まな板の上に置きっぱなしだったジャガイモを手にする前に冷蔵庫からちくわを出して「はい、海馬。キャッチ!」なんて言いながら、再び炬燵に入りかけた海馬に放り投げた。

 それを奴が華麗にキャッチする前に、冷蔵庫の上のかいばがジャンプする。そのまま一目散に海馬へ……というかちくわに向かって走っていく後姿を笑って眺めながら、オレ今度こそ落ち着いてカレー作りに取りかかった。

 今日は鶏肉しかないから、チキンカレーだ。
「卑しい真似をするな!!貴様の分はこっちに取り分けてあるだろうが!」
「にゃあ」
「にゃあではない!カレーの付いた顔を近づけるな!!うわ、やめんか!!」

 かいばの面倒を海馬に押しつけて、いつもよりも数倍スムーズに夕飯の準備を終了したオレはあちこちひっかき傷だらけになってる海馬のマシンガンよりもけたたましい抗議の声を聞きながら、テーブルにカレーとサラダ、そしてオレの一存で牛乳をセッティングする。

 それをじーっと狙っているかいばの分はテーブルの下に置いてやるけど、その実あんまり意味はない。テーブルの上で飯食わせんの癖付けちまったからなー。もう床に置いても食べないんだぜ、こいつ。どんだけ我儘だよ。

 ……そんな数々の気遣いにも関わらず、かいばは自分の分の餌なんかそっちのけで海馬のカレー皿に顔を突っ込み熱さで悲鳴を上げた揚句、鶏肉を寄こせとばかりに白い手に齧りついた。仕方なく海馬は自分が余り鶏肉が好きじゃない事もあって、小皿にかいば用に肉を取り分けてやったのにも関わらず、結局纏わりつかれている状況だ。

 上げ下げするスプーンが面白いのか、かいばは肉そっちのけで海馬の手を追いかけ回す(オレもよくやられる)。それに散々文句を言いながらも、相変わらず奴の食べ方はスマートだ。かいばが顔を突っ込んだ部分だけ汚れているカレー皿はいつの間にかすっかり空になっていた。嫌だ嫌だという割にちゃんと食う所がらしいっていうか、食うなら黙って食えっていうか……まぁ何でもいいんだけど。

 空の皿に漸く興味を無くしたかいばが肉を散らかしながら食べるのを呆れた風に眺めながら牛乳を飲む海馬に、オレは思わず正直な気持ちをぽつりと口にしてしまう。

「……お前がいるといいなぁ。オレ、すごーく平和だわ」
「見ていないでなんとかしろ!」
「やだ。オレ毎日ソレだもん。たまにはお前も協力しろよ」
「貴様の猫だろうが!」
「でも名前はかいばじゃん?同じ名前同士なんだから仲良くしろって。お前等すげー似てるよ。可愛い可愛い」
「こんな不細工猫と一緒にするな!不愉快だ!」
「ニャー!」
「はいはい。分かった分かった」

 毛を逆立てて怒るタイミングまで同じなんだもんなー!やっぱ似たもの同士だって、うん。
 ご飯を食べて毎週楽しみにしている下らないテレビ番組を見ながらゴロゴロして、海馬が煩いから嫌々ながら後片付けをして(お前がやれよ)戻ってみれば、何時の間にか部屋の中が凄く静かになっていた。

 テーブルより上に姿が見えなかったから、ひょいっとその下を見てみればいつの間にか海馬が横になって爆睡していた。その胸元にはやっぱり静かになっていたかいばがいる。海馬の胸に下げているロケットにじゃれるのが好きなアイツは、寝る直前までそれで遊んでいたのか、前足の爪がロケットの紐に引っかかったままになっていた。

 ……なんだか凄いポーズだぞ……よく寝れるよなそれで。
 まぁでも平和っていいよなーと思ったりして。

 本当はこの後海馬くんと仲良くしようと思ったんだけど、なんかすっかり爆睡してるし、今かいばを起こすと大暴れしそうだから、オレは仕方なく肩を竦めて隣の部屋から毛布と枕を持って来ると、転がる海馬くんの横に同じ様に転がって目を閉じた。布団で寝る事が出来なければ炬燵で寝るしかないってね。

 あったかいし、どんな形でも一緒に寝れるんだから、まぁいっか。
 

 明日は海馬の家に行こう。ここでイチャイチャしてるとかいばが邪魔してくるし、酷いと間に入ってくるからさ。そんなとこまで邪魔してくるとかどんな猫だよ、全くウザい。
 

 ……それから数時間後、オレはかいばに鼻の頭を齧られて絶叫し、飛び起きた海馬に拳骨を食らう事になるんだけど、それはまた別の話。