真夜中のHappy Birthday Act1

「これ、何だよ」
「人の話も聞かず、いきなりそれか」
「そんな事はどうでもいいだろ、聞いてんのはこっちだ」
「……何だも何も、見ての通りだが」
「それは写真の事?それとも、記事の事かよ」
「オレにとってはどうでもいい事だ。それが貴様にはそんなに重要な事なのか」
「当たり前だろ!」
 

 バシッ、と鋭い音を立てて広い黒色のデスクの上に叩きつけられたのは、一冊の週刊誌。それを更に掌で叩き潰し、突然の来訪者である城之内は、興奮冷めやらぬと言った表情で怒鳴りつけた。その様子をパソコンを操作しながらという常と同じスタイルで眺めていた瀬人は、既に散々痛めつけられてしまったのだろうその紙面に一瞬目線を落とし、特に興味がないといった風情で直ぐ側に立つ城之内を見上げた。その態度に、ますます彼の怒りは膨らんでいく。

「オレ、お前のそういうデリカシーのない所すげぇ嫌だ」
「何がデリカシーだ。言葉の意味も知らない癖に偉そうな口を叩くな。大体海外に行き、その国の方法で歓待を受ける事の何が悪い」
「だからって、これはねぇだろ!女だったら犯罪だろ!男でもヤバイけど!」
「キスもハグもただの挨拶だ。しつこいぞ凡骨!」
「どう見たって挨拶じゃねぇよ!!大体お前日本人じゃねぇか!挨拶は日本式にしやがれ!」
「訳の分からん事を言うな馬鹿が!」

 ドン、と再び大きな音が響く。その拍子にビリ、と嫌な音がした。城之内が掌から拳に変えて再度雑誌を力任せに叩いた際に、その衝撃に耐えられなかった件の頁が見事に破れた音だった。
 

 ── 海馬コーポレーション若手社長、衝撃の商談術。
 

 城之内が瀬人に突きつけたその頁の右端には酷く目立つ極太文字で、そんなタイトルが踊っていた。そのバックを飾る白黒の写真にはどこをどうみても石油王です、的な大柄のアラブ系の男に、瀬人が強く抱き締められてキスをされている現場が鮮明に映し出されていた。

 撮影をした場所が少し遠かった所為か、唇の押し当てられている場所は定かではないが、瀬人よりも背の高いその男が少し背を丸めている所為で、見るものが見ればどうみても互いに抱き締めあって唇同士を触れ合わせているように見える。城之内が問題にしているのはその部分と、彼と全く同じ認識をしたのだろう記者が書いたゴシップ的な記事の事だった。

 商談と称してやっている事は身売り同然の事だとか、その容姿をも商品にしているとか、若手社長とは言え未成年の瀬人をネタにするには余りにも卑猥な内容に、それが例え虚偽のものだったとしても性質が悪過ぎる。海馬コーポレーション程の大企業なら事前に握り潰す事位できた筈だと、城之内はそれを目にした瞬間に思ったのだ。

 尤も、彼の怒りはその週刊誌の事だけに起因するものではなかったのだが。

「知らなかったのかよ、これを」
「知るわけないだろう。オレが日本に帰って来たのは昨日の朝だ。この週刊誌が出たのも昨日の朝だろう。間に合う訳がない」
「昨日だぁ?お前の話では帰国は今日だって言ってたじゃねぇか。だからオレは一日待って……」
「予定が一日早まった。よくある事だ」
「じゃあなんでそれをオレに一言言わねぇんだよ!ただいま位言えるだろうが!なぁ!」
「………………」

 今度は雑誌ではなく机そのものを殴りつけて、城之内は半ば悲鳴のようにそう叫ぶ。殆ど癇癪を起こしたようなその様子に瀬人はつられて荒げていた声と態度を収め、今度は急に無言になった。空調の効いた部屋で、一人興奮していた城之内の額に汗が滲む。

 一月ぶりに交わす会話がこんな下らない事なんてありえない。握り締めた拳にギリ、と力を入れ、城之内はそう歯噛みする。
 
 

 9月の末から10月24日の昨日まで瀬人は一人海外を飛び周り、そう遠くもない将来に予定している宇宙を拠点とした新規プロジェクトの基礎構築に奔走していた。

 それは未だ構想段階で世間には全く公表されてはいなかった為、常ならば逐一メディア等で分かるその行動や様子など、日本にいる城之内には一切提供されなかった。まさに、この一ヶ月間何処で何をしているのかさっぱり分からない状況だったのだ。勿論瀬人本人から城之内の元へ連絡が来るなどありえない。今までも、これからもきっとそうなのだろう。

 一応関係上は恋人である相手と一月も離れたままで顔も声も一切遮断された状態に置かれれば恋しくなるのは当然で、城之内は瀬人が帰国予定だった今日を心の底から楽しみに待っていた。周囲にしつこく後何日、などとカウントして煩いとつっぱねられた位心待ちにしていたのだ。

 そんな日々も終わりを告げようとしていた昨日、突如齎されたのがこの衝撃的な情報である。本田が見つけてきたそれを奪うように見た瞬間、城之内が叫び声を上げて雑誌を力任せに引き裂いてしまった。それほどまでに驚愕する内容だったのだ。その後直ぐに瀬人の元へ行かなかったのは、一重に帰国が明日だという彼の言葉を信じていたからである。

 雑誌の内容が気になって殆ど一睡も出来なかった城之内は瀬人に会える筈の本日、学校へは行かず夕刻までバイトをした後、逸る心を抑えつつKC本社までやって来た。鞄にはもう一冊自腹で買った例の雑誌を突っ込んで余りにも広すぎる敷地内へ足を踏み入れようとしたその時、ふと彼は帰国の日取りは聞いていても、時間までは確認していなかった事に気づいた。

 今訪ねて行っても、もしかしたらまだ帰って来ていないかもしれない。もし帰ってきたのなら外国にいるならまだしも日本国内の、しかも同じ町内に住んでいる自分に連絡の一つくらい寄越すだろうと思ったからだ。恋人になってからそう日も経っていない間柄で、常々さほど大事にされているとは思えないが、それすらも惜しまれるほど瀬人にとっての自分の価値は低くないはずだ。そう思っていたのに。

 実際瀬人は前日に帰国していて、その事を恋人に知らせもせず普通に仕事を開始していたのだ。城之内の怒りが頂点に達してしまったのも無理はない。

 瀬人の在社を磯野から告げられ、一瞬にして怒りを滾らせた城之内は憤然とした表情そのままに彼の後について社長室へと向かった。扉の向こうで城之内の来訪を告げる磯野の声に、素っ気無くそうか、という声が聞こえた時点で怒りメーターが最大限に達した城之内だったが、その後顔を合わせた途端呟かれた瀬人の第一声に、ついにそれは振り切れてしまった。

「なんだ貴様か。……随分と早い……」

 本人の感覚はどうあれ、当然席は立たずパソコンから手を離す事もしないで城之内を出迎えた瀬人の表情は、彼が仕事や学校で他人を相手にする時に見せる生真面目なそれと同じもので、そこには一月会えなかったという寂しさや、会えて嬉しいという喜びの感情など一切見つける事は出来なかった。

 それに加えて淡々と呟かれたその言葉。いかにも「何をしに来た」といわんばかりのそれに、城之内は湧き上がるどころか吹き出た怒りの感情そのままに、その後何か続けて話そうとした瀬人の声を遮り、鞄から件の雑誌を取り出して、彼の眼前に叩き付けたのだ。

 そして、現在に至る。
 
 

「前々から思ってたけど、お前って一体何なの?何様?んで、オレってお前の何?」
「……何を言っている」
「だってそうだろ?この一月まるで他人同然で連絡一つよこさねぇ。帰って来たら来たで、完全無視。オレがここに来るまで、お前絶対ただいまなんて言わねぇだろ。言うつもりもなかっただろ!この雑誌だって、バレなきゃそのまんまにするつもりだったんじゃねぇのか?!」
「凡骨」
「人を馬鹿にすんのもいい加減にしろよ!本当にあったま来た!絶対許さねぇ!」
「少し落ち着け。ここは会社だ」
「そんな事知るか!オレはお前と違ってフツーの人間だから、一ヶ月も会えねぇと寂しいんだよ!オレがどんな気持ちで一人でいたか、分かんねぇのか!?今日だってやっと会えると思ってすげー楽しみにしてたのに、この下らねぇ雑誌とお前の態度で台無しだぜ!」
「………………」

 常にない城之内の怒りっぷりに瀬人は口を挟む事すら出来なくなり、ただ闇雲に吐き出される数々の言葉を黙って聞くだけになった。その実瀬人の方にも言いたい事は少なからずあったのだが、それを完全に遮り、封じたのは他ならぬ城之内本人の怒りである。何をそんなに怒る事があるのかと少々疑問に思ったが、普段キレやすいものの比較的温厚な部類に入る男でも、リミッターが外れるとこうなってしまうのだろうと妙な納得をしてしまう。

 ……彼の言う通り、それだけ一ヶ月と言う時は長かったのだろう。そして、とどめとばかりに出されたあの記事に想像以上のダメージを受けたのだろう。タイミングが悪かったという他はない。

 瀬人にとってはあの程度の内容など既に慣れたもので、馬鹿馬鹿しいとすら思わなくなっていた。大体アレは本当にただの挨拶で、海外の人間に会う度にほぼ似たような事をしているのだ。相手の真意がどうあろうと瀬人はそう思っている。それをいちいちあげつらわれてはキリがない。件の記事を一瞥し、日本も随分と暇になったものだ、と呟いたその言葉が彼の感想そのもので、本当にそれ以上何も思う事はなかったのだ。

 しかし、それを感覚の違う人間に言って聞かせるのは難しく、逆に相手の感覚を理解しろといわれるのも難しい。それが城之内と自分との立つ場所の違いであり、相容れる事が困難な部分の一つだった。

 未だ続く相手の怒鳴り声を聞きながら、瀬人がそう冷静に考えていたその時だった。一瞬にしてその冷静さを失わせる一言が、城之内の口から飛び出したのである。

「あーそうか。お前には『オレと会えなくて寂しい』なんて感情、あるわけないよな。だって寂しくなんかないもんな」
「何?」
「だってそうだろ。この写真の男みたくキスやらハグ?やらしてくれる奴等が腐るほどいるんだろ。お前の言う挨拶ってのは、今夜もよろしくお願いします、って意味じゃないのかよ!」
「………………!」
「一ヶ月ぶりに会いに来た恋人には笑顔すら見せねぇで、ほんとすげぇよなお前って!」

 それは、聞き流すには余りにも行き過ぎた暴言だった。瀬人は思わず立ち上がり、衝動のまま即座に握り締めた右手で城之内の頬を殴り飛ばす。

 瞬間大きな破裂音と共に、瀬人の直ぐ横に立っていた筈の身体が倒れこんだ。磨き上げられた黒色の床に容赦なく叩きつけられた彼は、すぐに起き上がり口元を拳で拭う。日に焼けて小麦色に染まった手の甲に鮮やかな赤が擦れついた。唇が、切れたのだ。

「っ何すんだ!急に殴んな!」
「今すぐその汚らわしい口を閉じて出て行け、凡骨!」
「はぁ?!ふざけんな!!」
「ふざけているのは貴様だ!いいから出て行け!」

 瀬人の足が、今まで彼が座していた椅子にかけられる。これ以上ここにいると椅子を蹴り飛ばすぞ、という意思表示だった。現にそれは音を立てながら妙なバランスで傾いでいて、直ぐにでも城之内に直撃しそうな勢いだった。床に座す城之内の顔を見下す瀬人の顔は先程の冷静さの欠片もなく、憤怒に頬をやや紅潮させている。

 最悪の瞬間だった。

「勝手にしやがれ!てめぇは最低だ!」

 勢いよくそう吐き捨てると、城之内は直ぐに身を起こしそのまま振り返らずに部屋を後にした。かなり重量のある社長室入り口の大扉は派手な音を立てて閉ざされる。異様な速さで遠ざかっていく足音に瀬人は深い溜息を一つ吐くと、傾いだ椅子を元に戻し、そこに崩れるように座り込んだ。

 それから暫く、耳が痛くなる程の静寂が、広い部屋の中を満たしていた。