Act1 あいつが美形なのは黙ってる時だけ

「あ、見てみて海馬くんだ!今日学校来てるんだー!やったぁ、ラッキー!」
「あんた同じクラスでしょ?いいなぁ」
「今席近いんだよ。斜め前なんだー」
「えー!!ほんとに?!そう言えばこの間海馬くん雑誌の表紙になってたよね?そういう人を間近に見れるって羨ましいよー!」
「他の学校の子なんかも大騒ぎ。ちょっとした自慢だよねー」
「ねぇ、写メ撮って来てよ」
「無理無理。絶対無理ッ。手が震えちゃう。っていうか教室入れないよー」
「なんで通り過ぎてんのよ」
「だって〜」

 それは至極天気のいい爽やかな朝の事だった。珍しく寝坊もせずに定刻に学校に辿り着き、大欠伸をしていた城之内の横を鼓膜が痒くなる様な甲高い声と、嗅いだ瞬間空腹を思い出してしまう甘い香りが通り過ぎる。ん?海馬?と彼が欠伸の所為で斜め上に向けていた視線を正規の位置に戻して見ると、確かに古びた全開の扉の影に見慣れた細い背中と、癖一つない真っ直ぐな茶髪が見えた。

 その姿が微動だにしない事から多分本でも読んでいるのだろう。朝から珍し……呟いたその言葉は再びこみ上げた欠伸の衝動にかき消されてしまう。城之内は滲んだ涙を人差し指で拭いながら履き潰した内履きの踵をパタパタ鳴らして錆びついた銀色のラインを踏み越えた。そして、当の『海馬くん』に言葉もなく抱きついて、わざとらしく耳元で口を開いた。

「それにしても、海馬くん、ねぇ……実情を知らないって幸せだよなぁ。つか女ってデュエル大会に興味ねぇのかな」
「何だ貴様」
「おはよ。今日は朝から珍しいじゃん。暇なの?」
「馬鹿も休み休み言え。オレに暇な時間など一秒たりとも存在しないわ」
「じゃーなんでこんなに朝早くから張り切ってんの?お前が余計な事するから教室に入れない女子がいるみたいですけど」
「一時限目の古文の単位が足りないから仕方なくだ。……というか朝普通に登校する事のどこが余計な事なのだ」
「色めき立つんですって。海馬くんカッコいいから」
「黙れ。気色悪い」
「オレが言ったんじゃねぇって。皆が勝手にそう言ってるんですー」
「馬鹿馬鹿しい。怖気が走るわ」
「いやそこは素直に喜べよ。男のステイタスだぜ?」
「そんなものがステイタスになってたまるか。貴様、意味をきちんと理解して言ってるんだろうな」
「わっかんねー奴だなぁもう!」
「煩い。耳元でがなるな」

 朝の貴重な休息時間の浪費だ。

 そう言って、海馬は己の肩に顎を乗せる形になっていた城之内の顔をぐいと後ろに押しやり、留めとばかりに持っていた分厚い本を容赦なく振り下ろす。バコッという鈍い音と共に頭蓋骨に響く重い衝撃に呻き声を上げた城之内の事など全く意に介さず、その場に蹲ってしまったその身体を椅子に座したまま後ろ足で蹴りつける始末だ。

 酷ぇ。鬼、冷血漢っ!既に日常の台詞になってしまったそれを浴びせかけても、当の本人はほんの僅かな反応すら見せない。苦し紛れに椅子の足を掴んで思い切り揺らしたら二度目の衝撃が降って来た。痛ぇ!と再び上がる声と反射的に跳ね上がった顔に、身体を捻って様子を伺って来た蒼の視線が注がれる。

 それを見た瞬間、ジンジンと痺れる頭の心配よりも先に城之内の中に浮かんだのは「うーんやっぱりどこからどうみてもコイツは美人だ」という何とも的外れなコメントだった。ある種の惚気とも言えなくないが、それは何も城之内だけが持つ特殊な感想ではないので深くは追求しない事にする。
 

 海馬くんはカッコいい。うん、確かに。

 でも、それは『黙って座っている時だけ』なのだ。
 

「お前、動かないで口開かなきゃーモデルばりなんだけどな。すっげー残念」
「……馬鹿にしているのか貴様」
「いんや大真面目。その辺もうちょっと考えてさ、大人しくしてろよ。な?」
「余計な世話だ」
「あーでもそれはそれで面倒な事になりそうだからなぁ。悩むところだよなー」
「訳の分からない事をごちゃごちゃ抜かすな。余りしつこいともう一回お見舞いしてやるぞ」
「わっ、タンマタンマッ!暴力反対!つーか自重しろ自重!!」
「やかましいっ!」

 結局、三度目の衝撃で頭をぐらつかせる事となった城之内は、諦めて自席に帰るべく立ち上がる。その背後では再び沸き立つ黄色い歓声。……いや、アンタ達今までのコイツの所業見て無かったんですか?そうですか……。心持ち盛り上がっている頭頂部を手でさすりながら城之内は知らず大きな溜息を吐く。そんな彼に追い打ちをかけるべく伸ばされた細い腕。いい匂いだ、と感じる前に思い切り横に弾かれて、驚く間もなく謂れの無い文句を浴びせられる。

「ちょっと城之内!!そこ退いてよ!邪魔なのよアンタっ!!」
「……お前等なぁ!!」
「邪魔だって言ってるでしょ!!」
「ちょ……」

 所詮男は顔とスタイル。ああでもコイツの場合は頭が良くて金持ちで社長なんだっけ。どうしようもねぇなコレ。

「お前等一回でいいからあいつのデュエル観てみろよ。絶対認識変わるぜ。マジで」
「海馬くんこっち向いて〜!あーんでも横顔でもいいー!」
「聞けよ!オレの話っ!!」

 そんな殆ど歓声の様な声が気に障ったのか、今まで微動だにしなかった海馬が一瞬だけ後ろを振り向く。無表情というよりも、殆ど睨めつける様なその冷たい眼差しも、すっかり彼に熱を上げている女子達には「クールな眼差し」としか受け取っては貰えなかった。何でもモノは見方である。

「……むっかつく!」

 思わずそう叫んだ城之内も、その実振り向いたその顔に見惚れてしまったなんて口が裂けても言えなかった。
 

『死ね凡骨』
 

 即座に海馬が声には出さず、それでもはっきりとそう城之内に告げたとしても。

 それが辺りに響かない限り、彼は……間違いなく『美形』なのである。