Act2 今の、あの口が言ったの……?

「黙れこの無能め!!貴様は肥え太る事しか出来ない豚以外の何物でもないわ!!」
「も、申し訳ありません、社長……ですが!」
「消えろ」
「もう一度私の話を……」
「消えろといっているのが聞こえないのか?!二度とオレの前に顔を見せるな!いっそ死ね!!」

 耳を劈く様な怒号に合わせて青ざめる目の前の顔。そして、すぐに集まる周囲の視線。何処をどう好意的に解釈しても決して暖かとは言えないそれに、オレは当事者でもないのに一気に背筋が寒くなり、額に嫌な汗が滲んで来た。ちょっと海馬……お前、ここKCじゃないから。公共施設だから。そんな大声で大のおっさん相手に身も蓋もない事喚き散らすなよ、ヤバいだろ。

 平日の少し空が暗くなりかけた夕暮れ時。オレは今日は珍しく退校時間まで学校にいた海馬と二人、童実野駅近くにあるこの高級ホテルへとやって来ていた。勿論それはここに泊ってナニをするとかそういう目的で来た訳じゃなく、海馬が今夜ここで会合があるって言うからもののついでとばかりに乗せて来て貰ったんだ(オレのバイト先もすぐ近くだし)。

 尤も、それだけじゃなくって本来の目的はお互いのバイトと会合の開始予定時刻が丁度7時からだったから、それまで一緒に時間潰しでもしようってのがメインだったんだけど……。

 ホテルに着いて早々、制服のままだったけれどラウンジでちょっと豪華なスウィーツでも、なんて浮かれた調子で歩いていたら、急に背後から知らないおっさんに声をかけられた。お世辞にも見目のいい部類ではなくかなり大柄で頭はハゲていたけれど、着ていたスーツやしている腕時計がオレから見てもかなりの高級品だった事から、ああこれ絶対海馬絡みの人間だと思った瞬間、ぴたりと立ち止まった海馬とその場で大激論が始まっちまった。

 ……内容?オレに分かる訳ねぇじゃねぇか。まぁでも言葉の端々からこのおっさんは海馬の取引先の人間で、しかも何か大きなミスをやらかしたって事だけは分かる。大体奴の顔を見た瞬間海馬の顔色変わったもんな。最初っから激怒モード。うわ、これはヤバいと思ってたら時既に遅し……ご覧の事態になりましたとさ。
 

「ちょ……か、海馬お前、しーっ!」
 

 ともあれ流石にこれはないだろうと殆ど茫然として目の前の光景を眺めていたオレは、慌てて未だに喚き散らす海馬の腕を引いて、口に人差し指を立てて顔を顰めて見せた。……が、勿論そんな事で奴を阻止出来る筈もなく……。今度はオレがギロッと睨まれて、別の意味で背筋がぞっとした。なんだかなぁもう。

「何がだ」
「何がじゃねぇだろ。皆見てるじゃねぇか。人がいる所でそういう事言うなよ」
「ふん。問題なのはオレではない。オレにそんな事を言わしめたあの無能の所為だろうが!忌々しい豚め、いっその事オレが直々に引導を渡してやりたい位だ!」
「ぎゃー!声をあげるな!落ち着けっ!そして殺人反対!」
「貴様が余計な事を言うからだろうが!!黙っていろ!」
「黙るからっ!オレも黙るからお前も黙れ!」
「離せ!鬱陶しい!」

 ブンッと思い切り腕を振られて、オレは反動で後ろに反り返ってよろけてしまう。また集中する周囲の視線。……痛い、痛過ぎる。ひそひそ話す声をもやけに大きく聞こえる気がする。……ほんの少し前までは全く別の意味で注目されていた筈なのに……あーなんて表現するんだっけ?羨望の眼差しが驚愕の眼差しになったっつーか、難しく言えばそんな感じ。とにかくどっちも居心地の悪い事には変わりはないけど、だったら前者の方がよっぽどいい。当然だけど。

「何を呆けている。行くぞ凡骨」

 オレがそんな事を考えて密かに凹んでいるのに対し、当の本人はまっったくどこ吹く風で何事も無かったかのようにすたすたと歩き出しながらオレを呼ぶ。それと共に動く視線。周囲の呆気にとられた様子なんか全く目に入ってないらしい。どんだけだよこいつ。

「……この微妙な空気の中よくそんな風に堂々としてられるよな。心臓に毛でも生えてるのか?」
「何を言っている」
「何度も言うけどお前、見てくれだけはいいんだから、あんまり周囲をビビらせんなよ。腰抜かすって絶対」
「フン、下らん。周りがどう思おうが知った事か。ごちゃごちゃ言っている暇があったら足を動かさんか!」
「ちょ、ちょっと!首掴むなって!おいっ!」

 結局、こっちの言い分は何一つ分かって貰えないまま、海馬はオレの首根っこを掴むとまるで引きずる様にずんずんと先に歩いて行く。……こんな事をオレは、奴と別れるまでの二時間強、何度も経験する羽目になるのでした。
 

「……え、ちょっと。今のあの人が言ったの?ほんとに?」
「綺麗な顔してるのに……ねぇ?」
 

 そこはかとなく聞こえてくるひそひそ話に、オレは全力で同意しながら深い深い溜息を一つ吐くのだった。
 

 …………この口の悪さだけはなんとかなんねぇかなぁ、と思いつつ。