Act1 「オレじゃなくてもいいんだろ」

 その視線の行方が、ふと気になる時がある。

 オレに向けられている時の方が少ないそれは、それと自覚してはいないだろうけど、様々なものを熱心に見詰め続ける。それは例えば四六時中頭の中から離れる事がない仕事に関する書類とか、命よりも大事にしている弟や、その次に大切にしているブルーアイズ、そして何よりも闘志を燃やす遊戯とのデュエル。

 そんな数多くの『大事なもの』の中に多分オレは入っていない。それらと真剣に対峙している時のあの燃えるようなそして輝いて見える眼差しは、オレ相手に向けられる事は一度も無かった。これからも多分、ない。

 最初はそれが純粋に悔しいと思った。一度でいいからあの燃えるような瞳で自分を捉えて欲しいその一心で、色々な場面で立ち向かった。その行く手をなんとか阻めやしないかと必死だった。それが、いつの間にか違う感情に変わっていた。

 それがオレの恋だった。

「えっと……なんかしんねーけど、いつの間にか好きになったから付き合え」
「……なんだそれは」
「オレにも良く分かんねぇ。でも、これから分かって来ると思うから」
「………………」
「お前、好きな奴いる?弟以外の『人間』で」
「いや、別に」
「じゃあオレと付き合ってみてよ。試しでいいから」

 その時の気持ちをどう真剣に表現したらいいのか分からなくて、オレは至って軽い調子で海馬に恋愛をしようと持ちかけてみた。

 普通の感覚を持ってしたら速攻突っぱねられるだろうそんな話にも、情緒面では大分欠けてるところがあるらしいこいつには余り妙には思わなかったらしく、断るのも面倒だと思ったのか、「まぁいいだろう」と言う曖昧な返事を貰ってしまった。そして、オレの恋がオレ達の恋愛に変わった。

 多分、見かけだけだけど。

 そんな風に始まった関係なんて所詮何時まで経ってもおざなりなものでしかなくて、それでも付き合いが長くなればなるほど、執着じみたものが湧いてしまって離れがたくなる。相手はどうあれオレの方は真剣だったから、普通の恋人同士みたいになりたくてあれこれ必死に努力をしてみた。けれど結局は何も変わる事はなかった。

 海馬は恋自体を『大事なもの』として捉えていないから、オレが一番欲しいと思っているあの眼差しを向けられる事が無いなんて分かってる。それどころかこの立場にいるのがオレでなくても多分いいんだ。

 もしかしたらこの恋は海馬にとっては恋じゃないのかもしれない。デュエルで熱をあげる遊戯の方がよほど好きなのかもしれない。好きとか嫌いとか、そんな単純な言葉すら発する事が無いあいつの気持ちなんてこれっぽっちも分からない。分からなければ聞けばいいのに、聞いてしまったら「じゃあやめる」と言われそうで怖かった。

 ……こんなに分からない事だらけなのに、オレ達は恋人だなんて言えるんだろうか。普通は言えない。恋愛じゃない、こんなもの。これからずっとこのままの関係でオレは耐えられるんだろうか、そう考えてみた時にいつも導かれる答えはただ一つだ。

 抱きしめて、キスをして、ベッドまで共にして。裸の背中を抱き枕代わりに強く腕の中に抱き込んで体温や鼓動を感じても、その心は酷く遠く、交わす言葉もやっぱりどこかおざなりで。

 いよいよ耐えられなくなったオレは、今その状態のまま乱れた髪から覗くほんのり薄く染まった耳に、ついに絶望と共に呟いた。

「オレじゃなくてもいいんだろ。誰でもいいんだろ、お前は」

 否、本当はお前は誰もいらないんだ。欲してなんかいないんだ。自分が思う『大事なもの』にさえ目を向けていられれば、それでいいんだ。分かってる。
 

 分かってるけれど。……それでもオレは。
 

 ああ、ダメだ。泣きそうだ。自分で言ってしまった事なのに、例えようもなく胸が痛い。酷い事を言った筈なのに、少しの動揺も見せない目の前の背がますます遠い。

 オレはこんなに好きなのに、どうしてお前は好きになってはくれないんだろう。恋をしてはくれないんだろう。そんな理不尽でやりきれない気持ちが、オレの心をますます強く締め付けて行く。
 

「なぁ、海馬」
 

 最後までその声に応える言葉は聞こえなかった。その代わり腕の中の身体は緩やかに振り向いて、オレに小さなキスを一つ落とす。

 それが意味するものをオレはついに知る事は出来なかった。